蛇に睨まれた蛙 ④
「どうやら事件は無事解決したご様子で、まったくめでたいことですわ。 それではわたくしはこれにて……」
「ちょお待てや」
時間少し巻き戻って虎次郎轢殺事件の直後、そそくさとその場を離れようとする子子子の肩をウカが掴む。
「あらあら、どうしましたかウカ様? わたくしどもは協力関係のはずですが」
「せやな、けどそれも“かわばた様”が消えた今となっちゃおしまいや」
「すごいなパイセン、悪役みたいなこと言ってるよ」
「あれがSICKのやり方だぜおかき、イヤになったら魔女集会に来いよ」
「人を出汁にして勧誘すんなや! ともかく、ここで子子子のアホを逃がす理由はない、肝心なところでほっとんど役に立たんかったしな!」
「よよよ……心外でございます、わたくしとて全身全霊を賭して皆様の命を守ろうと奮戦しておりましたのに」
どこからか取り出したハンカチを目じりに当ててさめざめと安い涙を流す子子子。
何も知らない人間が見ればなんともまあ同情を誘う光景だが、子子子を知る面々はただただ冷めた視線を送るばかりだ。
「はは、おもろ」
「“いけしゃあしゃあ”の見本にしろ」
「サブイボが立ったわ」
「ボクですら引く」
「よよよ……おかきさん」
「いや助けませんからね? そもそも伝えるタイミングを見失ってましたが、あなたに下の名前で呼ばれる筋合いはないです」
子子子から求められた助けをおかきはきっぱりと叩き落とす。
一応今回の事件では同盟を結んでいたがそれはそれ、これはこれである。 少なくともおかきはこのシスターを肩を組み合える相手とは思っていない。
「あら、わたくしどもはすでに友達同然では?」
「ははっ」
「まあなんとも乾いた笑い。 うふふ、これはまあなんとも……うふふ……はぁ……」
「本気で傷ついてんじゃないわよ」
「それはそれとして子子子子子子子、あなたの目的は神性存在の蒐集ですよね? “かわばた様”の打破はあなたの目的にはそぐわないはず、いったい何が目的で……」
「テケちゃん」
「テケ・リー!!!」
「ウワーッ!? なんやこいつ!!」
足音を殺して距離を詰めていたウカの目の前に目いっぱい身体を引き延ばした泥田坊のテケちゃんが立ちふさがる。
半液状である泥田坊はこの雨でぬかるんだ地面と混じり合い、いつの間にかSICK全員の足元にまでその手を広げていたのだ。
「うふふ、わたくしにばかり集中して忘れておりましたね? もののついでですが便利な子を手に入れました」
「カパッ!? お、お前……テケちゃんに何をした!?」
「人聞きが悪いですね、ただ勧誘しただけですとも。 言葉が通じるならわが教団は誰でも受け入れますとも」
「パイセーン! このエロスライム結構マズいかも、振りほどけない!」
真っ先に狙われた忍愛の四肢には黒い泥が巻き付き、その動きを拘束している。
一見するとただの泥、しかし忍愛が力を加えると瞬く間に鉄のように硬化する。 手負いの彼女ではこの柔らかい拘束具を振りほどくことは難しい。
「子子子ぉ……ちゃっかり逃げる準備しとったな」
「なんのことでしょうか、負傷者の止血を手伝っているだけですわ。 しかしウカ様が気を悪くするなら少し手元が狂ってしまうやもしれません」
「ウカ、電撃を収めろ。 気持ちは分かるが今撃てば全員感電するぞ」
「ちなみに“かわばた様”の力が消えた今、瞑目童子様もこちらに向かっておりますわ。 全面戦争、してみます?」
「…………チッ!!」
憎々しげに舌を鳴らし、ウカは尻尾と狐耳を収める。
“かわばた様”との戦闘で子子子も少なからず疲弊しているのは間違いない、彼女の奇跡論を前にしても今なら勝ち目はあるかもしれない。
だがウカは瞑目童子の存在を知っている、何より厄介なのはあの巨体だ。 山奥とはいえ人の目につきやすく、SICKとしては機密漏洩のリスクが高すぎる。
「うふふ、その御姿も大変キュートですよ。 では、今日は痛み分けということでこの辺で失礼いたします」
「……嘘つきですね」
「あら、バレてました?」
白々しく舌を出して笑みを浮かべる子子子の口からチロリと白いものが覗く。
それは指先ほどの小ささまで縮小した、水の身体を持つヘビ状の生き物だった。
「えっ、嘘!? ボクたしかに叩き割ったはずだよ!?」
「ご心配なく、みなさんの手順に間違いはありません。 ただわたくしが保険をかけていただけですわ」
口内に隠していたヘビを掌に吐き出し、子子子は泥田坊とともにこの場を去ろうと歩き去っていく。
何も知らなければ隙だらけとしか思えない背中だが、遠くから牽制する瞑目童子の気配に不意打ちをこらえる。
「ではごきげんよう皆さま、とても楽しい時間でした。 またいつか会いましょう?」
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――――……
――…
「……で、みすみす逃げられちゃったわけね」
「ごめんなさい、忍愛さんも負傷していたうえテケちゃんさんの戦闘力が未知数だったもので……」
「別に責めてないのよ藍上さん、むしろよく無事に解散できたと思うもの」
肩を落としてしょぼくれるおかきだが、飯酒盃は叱るでもなくねぎらいの言葉をかける。
本来なら子子子子子子子はSICKのトップエージェント部隊が出動するような危険人物だ。 まだ経験の浅いカフカ組が出くわし、五体満足で生還できただけで喜ばしい戦果と言える。
「そうね、下手したらおかき攫われてもおかしくなかったわ」
「えっ」
「でもそうはならなかったと、何故かしらね? “痛み分け”という発言も先生気になっちゃうなぁ」
「ああ、それに関してはなんとなく察しがつきます。 おそらく陀断丸さんです」
「……そうか、子子子の視点じゃ天敵の所在がわからねえ。 ガラ攫おうにもリスクがチラついてたのか」
「実は本部でメンテナンス中です、なんてわざわざ伝える理由もありませんからね。 おかげで水面下の危機は避けられました」
「本当に皮一枚の生還だったのね……まあともかくおかきも生き残ったことだし、この件は一件落着ってことで良いのよね!」
「いや、それはまだわかんねえだろ」
「えっ、そうなの?」
「うーん……とりあえず現場は他のエージェントに引き継いで本部に戻りましょ。 藍上さんの話もそのあとで、ね?」




