酷く篠突く雨の中 ①
「メーデーメーデー! こちら世界一最高可愛い後輩の忍愛ちゃんです、応答どうぞー!」
「しばくぞボケ!!」
「会話が罵倒で始まることある!?」
足元から聞こえてくる緊張感のない愛すべき後輩の声に、ウカは屋根を蹴りつけることで答える。
普段なら軽く受け流す軽口だが、今回に限ってはツッコミを入れる余裕がない。
「こっちは神さんの相手にてこずってんねん! 用件あるならはよ言えや!!」
「えーとね、新人ちゃんから伝言! 一回強めに“かわばた様”叩いて引きはがしてだってさ」
「しばくぞボケ!!」
「ボクに言われても!!」
「しゃーないやろおかきシバくわけにゃいかんし」
「ボクならシバいてもいいとでも???」
「ノーコメントや。 しっかしまあ……うちの参謀もずいぶん難しいこと言ってくれるわ」
飛来する高圧の水鉄砲を躱しながらウカは頭を掻く。
後方からキャンピングカーを追いかける蛇の図体は、初見の際より明らかに大きくなっていた。
形こそ蛇だが肉体を作っているのはすべてが水。 降り続ける激しい雨を取り込み、今もなお膨張し続けているのだ。
「厄介やな、火も雷も足止めにしかならん。 うちが蒸発させるより雨量の方が多いわ」
「水を吸うほど表面積が増え、より多くの水を取り込む好循環でございますね。 このままでは車に届くのも時間の問題かと」
「あーほんまどうすっか……って、お前も働かんかい!!」
「うふふふ、心外ですわ。 ただ電波の調子がちょっと悪くて……」
「お前んとこの神さんガラケーでも使とるんか?」
ウカが奮戦する一方、後方に立つ子子子は戦闘には参加せず、ただ腕に巻きつけた鎖をプラプラ遊ばせているばかり。
得意顔で参戦した子子子だったがとっておきの呪物は不発、頼りになるはずだった神の召喚に失敗していた。
「どうもこの雨がよろしくない、雨が降る一帯が“かわばた様”の領域に呑まれております。 ウカ様も身体が重苦しいなどの症状は?」
「あーなんか身体重いと思ったらそういうことかいな。 田舎の神がなんちゅー力つけとんねん……」
「ウカ様、それは神様差別ですよ?」
「やかましいわ」
コントのようなやり取りだが、この間にも蛇の猛攻は続いている。
人体を貫く水圧の水鉄砲が飛び、距離を詰めれば蛇本体による噛みつき、さらには常に視線に込めた呪力によって振り撒かれる死の呪い。
ウカが無事なのは持ち前の神性と、隣に立つ変態シスターが持つ奇跡の力に他ならない。
「攻撃手段は今のところの3つやけどさすがに全部は避けきれん、なんぼか迎撃しとるけど分が悪いわ。 デカい一発用意したいけど隙も無いねんな……」
ウカの数ミリ横を高圧の水が掠める。
「ふむ、先ほどの『強くたたいて引っぺがす』というお話ですね。 方法はいくらか考えられますが」
子子子を丸呑みにせんと大口を開けて迫る蛇の頭が、奇跡的なタイミングで降ってきた落石に押しつぶされる。
「ウカ様の全力で“かわばた様”を退ける方法が1つ、物理的な障害物で“かわばた様”の進路を塞いでしまう方法が1つ、そして……」
みるみるうちに頭部を再生させた蛇が呪詛の籠った目で2人を睨みつけるが、効果はない。
「……雨そのもの、やな」
車が走り続ける限り蛇も攻撃のチャンスは限られ、ウカたちもまた雨によって再生する蛇に対し有効打が無い。
今こそ状況は拮抗しているが、この「雨」がある限り蛇の有利は変わらない。
なんらかの要因で車の速度が落ちれば、その瞬間丸ごと飲み込んでゲームセットだ。
(方法はある……が、こいつの前で見せてええ手札とちゃうな)
「うふふ、どうしましたウカ様? 顔色が悪いようですが」
ウカの本質は豊穣神、その力をもってすれば局地的な天候の操作は可能だ。
しかし地の利が相手に奪われている中で神の力を行使するには、「四尾」以上の力の開放が必要となる。
四尾以上は理性を失い味方すら襲いかねない状態、子子子という爆弾を横に置いて行使するにはあまりにもリスクが高い。
「いっそこいつ食わせたら大人しくなってくれへんかな」
「ウカ様? わたくしがいなければあの水圧砲が車に直撃しておりますよ?」
「チッ、ほなどうしろっちゅうねん……」
「あっ、来ました」
「はっ?」
子子子の腕に巻かれた鎖がジャラリとひときわ大きく音を立てた瞬間、身の毛がよだつほど悍ましい気配が辺りに満ちる。
そしてウカと蛇がほぼ同時に子子子へ全力の警戒を向けた瞬間、空から降り下ろされた巨大な腕が蛇の頭部を紙風船のように圧し潰した。
「うふふ、本日も太くてご立派ですわ。 おいでませ、瞑目童子」
――――オ オ オオ オオオ……
子子子の微笑みに応えるように腹の底に響く雄たけびが山と雨の間を木霊する。
両目を紐で縫い付け、血の涙を流すそれは、蛇よりもさらに大きく、見上げるほどの背丈を持つ巨人だった。
「なんやねんあの……悍ましい神さん」
「もとは“かわばた様”と同じく、消えかけていたところをわたくしが拾い上げた神様でございます。 禍津日神に区分されておりましたが、我らが教団の信仰を分けることでこれこの通り」
「これこの通りちゃうわ!? 何しとんねん!!」
「うふふふ、しかしわたくしに恩義を感じて手助けしてくれるのですよ? 可愛くありません?」
「なんちゅーもんに恩売ってんねん! モロ悪神やないか!!」
「そんなことよりウカ様、瞑目童子は“かわばた様”に覆いかぶさるサイズでございます」
「あぁ? それがどう……って、そういうことか!」
瞑目童子によって押しつぶされた蛇の頭部はいまだ再生が完了していない。
巨大な童子の身体が傘となって一時的に雨を遮っているため、肉体を再構築するほどの水量が足りていないのだ。
「今なら二尾のウカ様でも十分な威力になるかと。 ああでも神の感性に寄ったウカ様もまた大変エロティックでわたくしとしては是非とも……」
「ほざいとけアホンダラァー!!」
ウカが高く上げた腕を振り下ろすと、耳を劈く轟音を鳴らしながら特大の雷が落ちる。
瞑目童子ごと蛇を貫いた雷は2体を怯ませるほどのダメージを与え、ここに来て初めてキャンピングカーから引きはがすことに成功した。
「よしっ、止まった! 言われた通りやってやったで山田ァ!」
「サンキューパイセン! 新人ちゃん、今!」
「はっ?」
山田の合図に合わせて車両の扉が開き、走行中の車内から一塊の影が飛び出す。
悪花の運転と並走するその影の正体は、成長したコマキチの背中にしがみついたおかきと河童だった。
「おかき!? 何しとんねん!」
「すみませんウカさん、ここからは別行動でお願いします! 私たちはこのまま村に向かうのでなんとか蛇を引き付けてください!」
「はぁ!? ちょ、おま……」
「ごめんなさい、説明する時間はないので!」
「あうーん!!」
「おかき! おいおかきぃ!! ……だぁーもう、あとで説教やからな!!」
後ろで少しずつ形を取り戻しつつある蛇を一瞬確認し、おかきを乗せたコマキチは駈け出す。
かくしてウカは何も知らぬまま、全員の命運をかけた作戦が始まった。




