レッドリスト ④
「狛犬……? 沖縄の守り神?」
「それはシーサーですね、諸説ありますが渡来時期と経路が異なります」
「あうん!」
干し肉を平らげて満足したのか、ひときわ元気に鳴いた狛犬はお礼とばかりにウカの脚に額をこすりつける。
見た目は毛量の多い小型犬だが、顔周りから胸元にかけてまでの毛がとくにふわふわしている姿は鬣のようにも見え、既存の犬種とはどれとも違うように見える。
もう少し体が大きく、顔に迫力があれば、たしかに「狛犬」と呼べるかもしれないが……ウカに懐いている様はとても神社の守り神には見えない。
「うーん、知識としては知ってるけど実物を見るのは初めてね……ってうわっ! 毛艶良っ!? まずいわねこれ……おかきの髪の毛とは別ベクトルのヤバさだわ」
「甘音さん? 私の髪ってペットと同列の扱いなんですか?」
「そんなことよりこいつ剥がしてほしいんやけど……夏場にこのモコモコは暑苦しくてしゃあないわ」
「わふん!」
暑さに唸るウカに摘まみ上げられた狛犬が元気よく吠える。
舌を出したまま荒く口呼吸を繰り返し、千切れんばかりに尻尾を振る子犬に守り神としての厳格さなどは欠片もない。
「振る舞いはどう見てもはしゃいでるだけの子犬よね、これも妖怪の類なの?」
「うちの嗅覚はそう言うとる、弱弱しいけど神気を感じるわ。 たぶん弱体化してこんな姿になっとるんやろ」
「あうーん……」
「図星みたいですね、ウカさんから干し肉を奪ってちょっと元気が戻って来たようですが」
「おかき、あんた犬の言葉もわかるの?」
「いえ、こちらの言葉を理解しているようなので雰囲気でなんとなく。 それよりこの子はどこから来たのでしょうか?」
「せや、狛犬なら基本ニコイチのはずやで。 それに依り代となる神社がどこかにあるはずや」
「あうん!」
するとウカの腕から逃れた子犬が川へ飛び込み、着いてこいとばかりにプリプリの尻と尻尾を3人に向けて振る。
水深が浅いところを見極めているのか、短い四足でも悠々と歩を進めている。
川の流れも緩やかなため、人の足なら問題なく横断できるだろう……が。
「……どうする? 私たちを案内しようって顔してるわよ」
「いや、断るのも悪い気ぃするけど河童探さんとアカンし……そもそもおかきが大丈夫か?」
「私のことは気にしないでください、それにこの水深で溺れるなら風呂にも入れませんよ」
「本人がそういうなら私たちも覚悟決めるけど、一応両脇固めていきましょうか」
「甘音さんは心配性ですね、さすがに予知があろうとこれだけ警戒して溺れるような私じゃなわあここ苔生してて滑りガボボボゴボベボボ」
「おかきー!!?」
「新喜劇でももうちょい粘るで!?」
――――――――…………
――――……
――…
「ハァ……ハァ……これで溺死は消化できましたかね……?」
「さすがに厳しいと思うわ」
「ちゃんとライフジャケット着とき? にしたってどこまで行く気やこのワンコロ」
「あうん!!」
川を横断して藪を抜けて獣道を超え、足を滑らせてずぶ濡れになったおかきの服も乾き始めたころ、先導していた狛犬が甲高い吠え声を上げる。
するとそれが合言葉のようなものだったのか、声に反応するように周囲の木々が風もなくざわめき、視界を遮る草葉がおかきたちの行く手から退いていく。
そうして開けた道の先に待っていたのは、柱から折れた鳥居と朽ち果ててしまった神社の成れの果てだった。
「こりゃひどいな、もう何年も手入れされとらんわ」
「廃神社ね、ここがワンコのお家ってことかしら」
「わおん!」
元気よく返事を返した狛犬はポテポテと鳥居をくぐり、その奥に造られた石台に飛び乗る。
ビシリとポーズを決めればまさしく雄々しい狛犬……には全く見えないが、凛々しいつもりの彼の隣にはもう一体、石造りの狛犬が鎮座していた。
「あら、もう一体いるのね。 こっちの子はちゃんと狛犬してる顔つきだわ」
「神社の狛犬は左右一対、阿と吽の守り神が並んでいます。 ……けどこちらの子はまったく動きませんね?」
おかきが狛犬の石像に触れてみるが、ひんやりとした石の温度が伝わるばかりで生き物の拍動はまるで感じられない。
隣に立つウカは、ただ眉間にしわを寄せたまま首を横に振るばかりだった。
「……動かへんよ、もうとっくに神気が散っとる。 役目を終えて仏の元に還ったんやろな」
「くぅーん……?」
「すまんな、たぶん期待してうちを呼んだんやろうけどこの子は治せへん。 このままゆっくり寝かしたってや」
「わふん」
ウカの言葉に納得したのかしてないのか、狛犬は耳と尻尾を垂らして顔を伏せる。
そして名残惜しそうに隣の石像を一瞥すると、台から飛び降りてウカの足元へすり寄ってきた。
「な、なんや? いくらすり寄ってきても治せへんもんは治せへんて!」
「ウカに懐いちゃったみたいね、もう帰る家もないんだし連れ帰っちゃえば?」
「飼うっていうてもお嬢、一応こんなでも守り神やで? おかきからもなんか言うて……おかき? 何してん?」
「ちょっと気になることがありまして、ここが神社ならば奉る神もいるはずですよね」
ウカと甘音が狛犬と戯れている間、おかきは境内奥の拝殿を調べていた。
もはや建物としての体裁も際どいほど風化しているが、幸いにも内部の損壊は外見に比べて少ない。
扉もない入り口から内部を覗き込んでみると、そこには簡素な祭壇だけが辛うじて形を残していた。
(……? 何だろう、あの祭壇に奉られてる――――)
「――――カパァー!! ニニニニニンゲン!! ニンゲン! サレェー!!」
「ヘっ? うわっぷ!?」
そんな罰当たりなおかきの顔面に叩きつけられたのは、ほのかにキュウリの香りが漂う魚籠だった。
竹細工の魚籠は魚をたっぷり蓄えているのか重量があり、そんなものを顔に喰らえば体重も背丈も貧弱なおかきはもんどりうって倒れるしかなかった。
「おかきー!?」
「誰や!? 姿見せぇ!!」
「か……カパパ……! おおおお前らこそ……コマキチから離れろォ……!」
この世の終わりのような悲壮感を伴った声色で現れたのは、恐怖で全身を震わせる緑色のちんちくりん。
おかきたちがキャンピングカー前で出会った、あの河童だった。




