泡沫の悪夢 ①
「――――であるからしてぇ~、この矢継早襲撃事件から現在の総理大臣へ政権が交代し……あっ、ちょっとアルコール入れますね」
「……あふぅ」
激動のオリエンテーションから早半月、ペンの音が響く教室に押し殺したおかきのあくびが零れる。
春の日差しが差し込む窓際の席は心地よい温もりに包まれ、気を抜けば瞼が閉じてしまいそうになる。
だがもうじき中間試験が迫るという時期。 特に今回は出題範囲も広く、惰眠を貪る余裕はない……はずなのだが。
「……平和ですねぇ」
迫りくる危機に対し、おかきの関心はそこになかった。
足の捻挫もまだ完治せず、激しい任務には抜擢されていないとはいえ、ここ半月の間SICKでも大きな事件は起きていない。
子子子やサーカス団のような危険組織も潜伏しており、おかきの中にあるカフカは刺激に飢えていた。
(組織と言えば……部長もあれから一切の動きを見せていない)
ペンを回しながら、おかきはいつぞやの哲学的ゾンビ事件の顛末を思い返す。
かつて先輩だった中世古の死体を暴き、同じくボドゲ部の部長を務めた九頭 歩から宣戦布告を受けたあの日。
おかきも日々事件に対するアンテナを張ってはいるが、「異常存在の公表」をもくろむ九頭らしいアクションは一切観測されていない。
(部長は徐々に異常を世界へ浸透させると言っていた……水面下で準備を進めている? いや、だとしても……)
「えー、ではこの問題を誰に答えてもらおうかな? 今日の日付と出席番号を照らし合わせて月を引き時刻を足し3で割った後なんやかんで背の順1番目の藍上さん、ペン回しをやめて答えてくださぁい」
「必要でしたかその計算過程と背丈の話!?」
「油断してる方が悪いんで~すぷっぷくぷー……と、もうチャイムなっちゃったか。 では午前中の授業はこの辺でぇ、午後は体育なので運動場に遅れないでくださいね~」
チャイムが鳴るや否や、教材と黒板をあっという間に片づけて飯酒盃は教室を出る。
彼女にとって昼休みは堂々とアルコールを補給できる貴重な時間、一分一秒も無駄にはできない。 勤務中に堂々と飲酒する教師など大事件だが、結果さえ出せばそれが許されるのが赤室学園だ。
「珍しいわねおかき、授業態度で注意されるなんて」
「平和ボケしとるんちゃうか? 最近大した事件も起きてへんさかいな」
「そうですね、ちょっと気が抜け……おっと」
松葉杖をついて椅子から立ち上がろうとしたおかきの膝がカクンと抜ける。
周りから見ればうっかり捻挫した足で無理に立ち上がろうとしたようにしか見えない、しかしカフカに詳しいものならば真の原因は一目で察しがついた。
「もしかしておかき、飢餓状態ってやつ?」
「……かもしれません、これでも過去のアーカイブを眺めて食い繋いでいたのですが」
「うちもちょっと腹減ってもうたな、お昼食いに行こか。 ほら散った散ったぁー!」
倒れかけたおかきを純粋に心配する者や下心を秘めた者たちをモーゼの如く割り、おかきに肩を貸したウカがその間を駆け抜ける。
昼食時にランチへ出かける同級生を止める生徒はいない、ウカの連れ出し方が多少強引なものであろうとも、カフカの弱点など誰も知らないのだから。
――――――――…………
――――……
――…
『大丈夫っすかおかきさん? お水いるっすか?』
「ええ、大丈夫ですよユーコさん……まだちょっとフラつく程度なので」
「すでに初期症状出てるならそれは大丈夫じゃないのよ、とりあえず気休めだけどカロリー取りなさいカロリー」
「むががもがもぐもぐ」
「へーい、お待たせ。 おいらがやってきたよー……ってなんだいすごい状況だな」
宮古野が転移ゲートを抜けて旧校舎の教室にやって来ると、ちょうど椅子に座るおかきの口へ甘音が棒状の栄養食を突っ込んでいる最中だった。
1本で1食分のカロリーを摂取できると謳った商品だが、カフカにとっては腹が満たされるだけでしかない。
「来たなキューちゃん、見ての通りや。 おかきが参って来とる」
「事前に聞いた通りだね、カフカ特有の情報刺激不足だ。 データベースの事件資料を読んでも駄目かい?」
「もぐもぐ……なかなか刺激的でしたけど、ごらんのとおりです」
「うーん情報に慣れちゃったかあるいは飽きたか、ここら辺はおいらたちもデータ不足だからなぁ」
カフカには通常摂取する食事の他に、摂取しなければならないものがもう1つある。
普遍的な日常では到底得られないような脳への情報刺激、それがなければカフカはどれほど食事を使用が栄養不足で死んでしまうのだ。
「おかきちゃんはこれで2回目だっけ? おいらたちに比べて消耗が早いな、例の遭難からまだ半月ぐらいだろうに」
「小食なくせにこっちは燃費悪いのね」
『それでどうするんすか? 残念ながら学園は今日も平和っすけど』
「探偵部への投函もゼロやな、言うて猫探し程度じゃ何も解決にはならんけど」
「SICKもおかきちゃんに割り振れそうな事件は今のところないんだよねぇ、その足だと無理をさせるわけにもいかないし」
「面目次第もありません……」
痛みはほぼ引いているとはいえ、おかきの足にはまだテーピングが施されたままだ。
万年人手不足のSICKといえど、貴重なカフカを不完全なコンディションのまま危険な案件に放り込むほど鬼畜ではない。
「できれば症状が軽いうちに何とかしたいんだけどね、いざとなれば基地に連れ帰ってアクタとの接触刺激を……」
「やっほーい、遅れてボクがやってきたぞー! パイセン、お昼代奢ってー!」
「バカが来おった」
皆が腕を組んでうんうん唸る中、やかましい忍者が滑り込みで教室へと乱入する。
空腹のおかきに対し、山田 忍愛というカフカは鬱陶しいほどに元気いっぱいだった。
「山田、今は真面目な話してるから向こうに行ってなさい」
『さすがにTPOは弁えた方がいいっすよ』
「お前に奢るなら売店でサルミアッキ買うてくるわ」
「なんだとぉ……でもそんな口きいていいのかな? 今日のボクはタダで奢ってもらうつもりじゃないぞ!」
「いつもはただで奢ってもらう気なのね」
「へへーんだ、新人ちゃんの話はボクも聞いてたからね。 だから持ってきたんだよ、なんかそれっぽい事件の情報をね!」




