始まりを探せ ③
《時間だよ! 時間だよ! 起床時間だよ! 起きなきゃ動脈に気泡を注入するよ!》
「ふっはははは!! ロボット三原則!!」
首筋に当てられた冷ややかな注射針に急かされ、熟睡していたカガチは飛び起きる。
そして胸部にのしかかるいぬごろうのモニターに表示された日時は藍上 おかきに貸した試験からちょうど24時間後、つまり待ちに待った答え合わせの時間だった。
「ははははは!!! 一日千秋の思いで待ちわびたぞこの時を!!!!! 結果発表おおおおおおおおおお!!!!!」
《うるさいねぇ!!!》
いぬごろうでなければ鼓膜が粉砕している声量で高笑い、カガチは白衣に突っ込んでいた電子端末を取り出す。
それは既製品を改造したLABOオリジナルスマホであり、今回の試験結果を表示するアプリがインストールされている代物だ。
アプリを起動した際に、画面が赤なら“不合格”、青なら“合格”を示す。 凝った演出もない実に質素な仕様。
それでもアプリをタップするカガチの心は、クリスマスプレゼントの包装を剥く少年のように高揚していた。
なお、問題の試験結果は……
「……見事だ、藍上 おかき!!!!!」
――――――――…………
――――……
――…
「24時間経過ぁ……暗示は解けたよ、パイセン……」
「せやなぁ……あーしんど……何考えてんねんあのイカレ眼鏡……」
『まさか完成した紙面にQRコードが浮かんでそこから■■にアクセスして表示された暗号文を解いて[閲覧制限]から【禁則事項】を[データ削除済み]しなきゃいけないなんてね……』
「先の先を読まれてましたね……結局LABOが想定した回答の中で踊った形になってしまいました」
「それでもクリアはクリアよ、みんなお疲れ様。 あんたたちもね」
「「「「「にゃおおおーん」」」」」
窓から見える時計塔の針がタイムリミットを超えたことを確認したSICKの面々は、疲労困憊の身体を床に投げ出す。
そしておかきたちの部屋の中、死屍累々の人間たちを肉球で踏み癒しながら、今回の功労者たる猫たちは勝鬨の鳴き声を上げた。
「キューさん、念のため確認ですが……暗示を解くキーワードは」
『学園中に散布済みさ、それこそサブリミナルであらゆる表示物の中に隠してね。 学園中のスピーカーをハックして音声でも流したから漏れはないと思うよ』
「だから飯酒盃先生が日中日本酒片手に学園駆けずり回ってたのね」
「苦労をおかけしました……」
『なぁにSICKはこれが仕事さ。 ともかくお疲れさん、おかきちゃんもよく思いついたよ』
「いえ、皆さんが協力してくれたおかげで他の可能性を潰していけましたから」
机の上に鎮座する問題の白紙を一瞥し、おかきはあらためて疲労の籠った吐息を零す。
暗示の存在、および“千切る”という選択肢に気づけたのは宮古野たちの協力があったからだ。
そして紙を損壊できる前例があったからこそ、おかきも紙を溶かして1枚にまとめるという大胆な発想を実行できた。 一人だけならまず暗示の存在にすら気づかなかったかもしれない。
「どういう形であれ1枚の紙という形状に収めれば仕掛けが作動する、ねぇ……なんというか裏技みたいだね」
「ルールの悪用方法をボドゲ部で鍛えられた甲斐がありましたよ」
「言っちゃなんやけどろくでもない部活やな」
『今回はそれに命を救われたなだからいいじゃないか、それとそろそろ耳栓の準備を……』
『ハァーハッハッハッハ!!!!!! どうやら試験は無事に突破できたようだな藍上 おかき!!!!!!』
突然の大音響に部屋中の猫がひっくり返り、窓に亀裂が加わる。
防音設備を貫通しかねないボリュームで高らかに笑いながらおかきたちの目前に現れたのは、24時間ぶりに見るカガチのホログラムだった。
『んっんー、元気がないぞ!? どうしたお前たち!! 合格がうれしくないのか!!!』
「うるさいですね……」
「新人ちゃん、なんも聞こえなくなったけど何があった?」
「おかき、山田の二の舞にならんうちに耳栓つけとき」
「ウカ、こっちにもちょうだい。 キューは……ダウンしてるわね……」
『フハハハ!!!! 究との通信は妨害している、奴なら5分で復帰できるだろうがそれまでは私の天下というわけだ残念だったな!!!!!』
「うるさいですね……」
「まずい、新人ちゃんが本気で怒ってる顔してる」
「やかましさだけでここまでおかき怒らせるなんて相当よ」
『さて邪魔が入る前に本題へ入ろうか!!! まずLABOへの入所手続きだが先に説明することとして福利厚生は……』
「いえ、LABOに入るつもりはありませんけど」
手のひらを突き付けるおかきの拒絶に、カガチは目を丸くして手に持っていた書類を落とす。
初めて見せた明確なリアクションは白紙から照射されているこのホログラムが録画ではなくリアルタイムの映像である証拠。
つまり一方的に話を押し付けるわけではなく、カガチも双方向で会話をするつもりだったのだ――――試験を乗り越えたおかきに“報酬”を与えるために。
「私はSICKに雇用されています、職場関係にも給与にも満足しているのでいまさら転職するつもりはありませんよ。 それより本題を話してくれますか?」
『LABOを断る……? なぜ……? 理解できない……新たな謎だ、これは解明せねば……』
「ほーん-だーいーをー!! はーなーしーてーくーだーさーいー!!」
『おおっと、私としたことが放心していた!! 思考を手放すとは何たる不覚ッ!!! 疑問は一度棚に上げて気を取り直そう、君への報酬だったな!!』
本題、それはカガチが(押しつけがましく)与えた試験の報酬。
つまりLABOが入手しているという「カフカの真相に迫る情報」をおかきへ教えるというものだ。
『私は知恵ある者には敬意を払う男、君の所属がどこであろうが約束は違えない!!! ところで藍上 おかき、君は始まりのカフカは知っているかな!!!?』
「それは……たしか実在の女性を模倣した人ですよね」
おかきはカフカを発症し、SICKの存在と自分が罹患した病について説明された時のことを思い出す。
カフカ症例第1号、事の発端は3年ほど前にある女性が病院で息を引き取ったことだった。
死因は手の施しようがない末期がんだが、そこは問題ではない。 不可解なのはその女性がさらに2年前……現在からみて5年前にはすでに死亡し、カルテが残されていた点から、カフカの存在がSICKに認知されたのだ。
『違うな、もっと前だ!!』
「もっと前……? しかしそれ以前となると」
『カフカ1号という呼称はあくまでSICKが認知している範囲に過ぎない! いるのだよ、君たちがまだ確認していない個体がな!!』
「待てや、1号より前って……なんでSICKが把握していないカフカをおどれが知っとんねん」
『今は貴様と話はしていないぞ稲倉ウカ!! 藍上 おかきよ、始まりのカフカ……“オリジン”を探せ! そこへ続く道にきっと君が求める父親の真相もあるだろう!!』
「……待って下さい、今なんて」
『おっとそろそろ時間だな、SICKもこの基地を逆探知していることだろう!! 本腰を入れて逃げねばならぬのでな、失礼する!!!!』
一方的にまくしたてたカガチのホログラムが消滅すると、役目を終えた白紙はボロボロと崩れて一握の塵へと姿を変える。
おかきはすぐさまその灰へ飛びついて何とか元の形へ押し固めようとするが……その紙が再び通信機の役割を取り戻すことは二度となかった。




