雨音に爆ぜる ⑤
「天使の妙薬……ですか?」
「ああ。 麻里元、ファミレスで捕まったヤク中の脳が欠損してただろ?」
「その情報は公開していないはずだが、君に隠し事は不可能か」
「当たり前だ、つい昨日知った」
「わりとホヤホヤな情報やん」
「うるせえ! 話を戻すぞ、お前らヤクの実物は手に入れたのか?」
「いや、君から話を聞いて初めて存在を確認したよ」
「そうか。 見た目はメタンフェタミン……まあ塩の結晶をイメージしてくれ、熱で炙って吸引するタイプだ」
話しながら悪花はメモ紙の裏面にシャーペンで薬物のイラストを描く。
しかしおかきたちから見たら、それはふやけた三角コーンのようななにかにしか見えなかった。
「いや、悪花様の絵ヘッタクソでコ゜ッ゜」
「すまない、話を続けてくれ」
忍愛が余計なことを口走るより早く、麻里元の手刀が彼女の意識を刈り取った。
恐ろしく早い一撃だ、ウカたちでなければ見逃していただろう。
「クスリの効能としては一時的な興奮、思考加速、爽快感などがあるが、一番の目玉は依存性の高い多幸感だ」
「多幸感ですか、それが脳の欠損と関係が?」
「大ありだ。 依存性の高い多幸感といったが、正確に言えばあのヤクは幸せな思い出を食いつぶす。 ウカ、お前が見たヤク中の様子はどうだった?」
「どうって……そういえば娘がどうのこうのってうわ言みたいにほざいとったな」
「それが本人にとって幸せな思い出だったんだろうな、ファミレスで家族と飯食った記憶ってところか?」
「その男の素性については調べがついている。 男の借金が原因で数年前に妻と離婚、親権は母親側が持って行ったらしい」
「よくある話だな。 ともかく天使の妙薬をキメると当時の幸せな記憶が鮮明によみがえる。 現実との区別がつかなくなるほどにな」
「そういえば、あの男性も幻覚を見ているような状態でしたね」
ファミレスでおかきたちが見たニセ犯人の男は、ひどい錯乱状態にあった。
人質のふりをしていたアクタを娘と誤認して妄想と妄言を繰り返す様子は、たしかにおかきたちが見ていたものとは別の世界を見ていたのかもしれない。
「まあここまでならちょっとユニークなクスリで済んだかもしれねえ。 だが最悪なのは、想起された記憶は二度と思い出せなくなるってことだ」
「……どういうことや、それ?」
「文字通りだよ、たとえばテストで100点取った記憶があるとする。 天使の妙薬をキメりゃそのときの感動を再度味わえるが、終わっちまえば記憶ごと“幸せな思い出”を忘れるんだ。 後に残るのは原因の分からねえ喪失感しかねえ」
「もしやそれが脳の一部が消失する原因……?」
「察しがいいじゃねえかおかき、その通りだよ。 そしてヤクの効果が切れた後、興奮も失せて何とも言えねえ喪失感だけが胸に残ったらどうなると思う?」
「……もう一度、薬物に手を出すでしょうね」
「花丸くれてやる。 何度も何度も幸せな記憶を浪費して、最後に残るのは不幸な思い出しかない抜け殻だ。 天使の妙薬どころか悪魔の所業だぜ」
「えっげつな……」
ウカは顔をしかめ、おかきは言葉を失う。
人として生きる中で、どれほどの時間を「幸せな記憶」で埋められるだろう。
そのすべてを簒奪され、辛い記憶ばかりが残されたそれは、自分が生きているという事実に耐えられるのだろうか。
「薬物使用による脳委縮にしてはやはり無理のある症状だな、やはりこれは裏の案件か」
「せやけど、なんでそないなもんをアクタっちゅう女が欲しがるねん? 自分で使うとるっちゅうわけでもなさそうやけど」
「さあな、オレもこのクスリはアクタを追う最中に識ったもんだ。 詳しく調べるなら5か月は時間貰うぜ」
「おや、それまでSICKに協力してくれるのかな?」
「はぁ~~~? 言葉のあやだがぁ? アクタのボケカスをぶっ殺すまで一時的に手を組むだけだ、勘違いするな!!」
テーブルに身を乗り出し、悪花が麻里元へ食って掛かる。
今にも噛みつきそうな剣幕だが、とうの麻里元は眉一つ動かさず涼しい表情だ。 その態度がさらに悪花を挑発しているのだが。
「ウカさん、なんで暁さんはあそこまで局長を敵視しているんですか?」
「その話は長くなるからまた今度な、複雑な問題やねん」
「で、SICKの局長様よぉ。 これからどうするのか算段はついてんのか? さっそくそのカジノにカチコミかますか?」
「いや、我々は人質を取られている。 ここは慎重に動こう、おかきたちも休息が必要だ」
「あぁ? 正気かよ、ウカはともかくおかきを戦力に数えるのか?」
「そのアクタという人物はどうもおかきに固執している、下手に遠ざけると火に油を注ぎかねない。 もちろん本人が拒むなら別の作戦も考えるが」
「行きます」
「……即答だな、無理強いはしないぞ」
「いいえ、私が撒いた種でもありますから」
言葉こそ反射的に出てきたが、おかきも悩まなかったわけではない。
ウカや忍愛に比べ、おかきの戦闘力は一般人に毛が生えた程度だ。 とてもじゃないが学園に忍び込んで甘音をさらうような人物と渡り合えるとは思えない。
それでも逃げずに戦うことを選ぶのは、合理的な探偵の考えではなく男としての意地だ。
「と、言うわけだ。 こちらは4号、8号、11号、そして13号のカフカを中心に作戦を建てる。 そちらの戦力は?」
「チッ……オレと12号を連れていく。 ほかの連中も裏方に何人か連れていくが、戦力としては期待するな」
「十分だよ、ありがとう。 後方支援でも宮古野の思考速度についていける人材は貴重なのでね」
「期待するなっつったよなぁオイ?」
「おや、すまない。 魔女集会のメンバーではうちの副局長に太刀打ちできなかったか、私の配慮が足りなかった」
「……クソがよォ!! いい度胸だこの赤頭、スパコンも裸足で逃げ出す精鋭連れてったらぁ!!」
「手慣れてますね、局長」
「伊達にSICKのトップに立ってないわな、それに古い付き合いやからツボも心得てるやろ」
「なんか言ったかウカァ!!」
「いいや何でもぉ? そんで局長、学園への誤魔化しはどないする?」
「ガス爆発で部屋が半壊、奇跡的に死者や重症者は出なかったが、自室にいた君たちは負傷して念のために数日入院……というところだな」
ウカの質問に、麻里元は手慣れた様子で淀みなく答える。
爆発の原因はいまだ特定できていないが、何も知らない学生たちに流布する話としては当たり障りない内容だ。 「悪花を暗殺するために爆弾が仕掛けられた」なんて話よりは信ぴょう性も高い。
「しかし局長、数日ということは……」
「ああ、短期決戦を目指す。 入学早々巻き込んで申し訳ないね」
「いえ、甘音さんを助けるために私が望んだことです」
「気ばかり焦って無理すんなよ、新人はそうやって死んでいくからな」
「安心しい、いざというときは山田でも盾にしたらええねん。 しっかし喋ってばっかでのど乾いたなぁ」
「あっ、ビールならあるよぉ。 局長も一杯どうです?」
「おうコラ教師」
ずっと隅っこでアルコールを摂取していた飯酒盃がダースでビールを持ってきたところで、その日の話し合いはお開きとなった。




