造花 ①
「あああああああクソッ!!! 今思い出してもムカつく……!」
おかきが休憩室で暖を取っているころ、とある高層マンションの一角では、持ち主の癇癪によってブランド品の食器が叩き割られていた。
下着姿で髪を振り乱し、昨日のいざこざで殴られた頬を撫でる女は阿賀沙 久利須……もとい、以前の名を早乙女 四葩。
かつて捨てた娘に平手をもらった怒りが収まらず、あらゆるものへと当たり散らす怪物の名だ。
「陽菜々ァ……育ててやった恩も忘れて! 今度見つけたらぶっ殺してやる!!」
本人とて殴られる理由は理解している、だがそんなことより親に対する恩義は優るものだというのが彼女の考えだ。
腹を痛めて産んでやった、ならば子供は母親の“物”だ。 親が何をしようと道具が口を出して良いはずがない。
使える道具なら可愛がるが、失敗作は切り捨てる。 それが我が子に対する四葩の考え方だった。
そして陽菜々は失敗したが、アリスは傑作だ。 だから“その時”が来るまで大事に育てる必要がある。
本来なら片時も離さず手元に置きたいが、万が一自分の癇癪に巻き込んで顔に傷でもつけたらたまらない。 だから他人に盗まれぬように父親に預けたのだ。
そんな折に娘の携帯から電話がかかってきたとなれば、1コールも掛けずに応答するのが彼女なりの愛情だった。
「……もしもしぃ? どうしたのアリスちゃぁん、一人で電話かけてくるなんて偉いわねぇ!」
『―――持たせた携帯の扱いすら教えていないんですか?』
取り繕って猫なで声を撫で斬る様に、電話口からは冷たく鋭い声が刺さる。
普段の彼女ならこの時点で怒り散らして電話を切っていたところだが、今回ばかりは事情が違う。
なぜならその電話は、愛する我が子に勝るとも劣らない「逸材」から掛けられてきたものだから。
「あら? あらあらあらあらぁ~~! あなた昨日の子ね、覚えてるわぁどうしたのアリスちゃんの電話からかけてくるなんて!? ああ分かったわ所属希望ね今どこにいるのいや言わなくてもわかってるわあの会場でしょ待ってて今すぐ行くから」
『いえ、来なくて結構です。 私の用件は別にありますから』
「別? ふぅん、なにかしら?」
自分の話を遮り、予想を裏切り、自分に用件を押し付ける。
さすがにアリスと同レベルのお気に入りとはいえ、自分の地雷を構わず踏みつける態度に四葩は鼻を鳴らす。
しかしそんな四葩のご機嫌を知ってか知らずか、電話先の相手はさらに火へ油を注ぐ言葉を続けた。
『あなたには児童虐待の疑いがあります。 そのためアリスさんはこのまま適切な施設へ預けさせていただきますね、それでは』
――――――――…………
――――……
――…
「……連絡はこれで十分ですね、それじゃ行きましょうか」
「行動力の化身か?」
「新人ちゃんってお母さんのこと苦手じゃなかったっけ」
「アリスさんのことを考えると四の五の言ってられませんから。 キューさん、念のため母さんに送る連絡先はこれで間違いありませんか?」
『オッケーオッケー、SICK管轄の児童養護施設の番号さ。 たとえ怒髪天のお母さんが乗り込んできても海千山千の職員たちがのらくら躱すぜ』
「なんでもやってるねSICK」
「というわけでアリスさん、申し訳ないですがご同行願えますか?」
「…………ん」
たっぷり十数秒の沈黙を挟んでからアリスは頷く。
常識的に考えればこんな強引な誘いは断るべきだが、彼女には良し悪しを判断する知識と判断力すら教わっていない。
なによりアリスは、一緒にクタにょんを探してくれたおかきのことを信用していた。
「……でもキューちゃん、連れていって大丈夫? 一応SICKって秘密組織だよね?」
『心配すんなって山田っち、紹介するのはいくつかキープしてるセーフハウスさ。 なにもSICKの核心まで触れてもらうつもりはない』
「せやけど異常には気づくやろ、万が一でも漏洩のリスクはあるで」
「だとしても彼女には知る権利があります。 おそらく私の予想では……いえ、あとにしましょう」
一瞬だけアリスの方に視線を向け、自らの口に人差し指を立てるおかき。
SICKの力を利用してかくまう理由はあるが本人にはまだ知らせたくはない、ということだ。
「そういう事なら信じるけど……うち探偵のお約束嫌いにになりそうや」
『ねー、もったいぶらずに教えてくれればいいのにね』
「すみません、“俺”も同意ですけど“私”が譲ってくれず……」
「まあボクらお約束の権化みたいな存在だし、しゃーなしだよ。 それじゃその子のおとーさんが血相変えて駆けつける前にちゃちゃっと誘拐しちゃおっかー」
「「言い方!!」」
――――――――…………
――――……
――…
「……ってなわけで、一通り診察終わったけど結論から言うとかなーり栄養失調! 担当スタッフが青筋立てて怒ってたよ、おいらが悪いことした気分だったぜ」
ショー会場に駆け付けたSICKの車両に乗り込み、移動すること数十分。
おかきが到着した個人医院にてアリスの診察を待っていると、現れたのはブカブカの白衣を纏った宮古野本人だった。
「ご迷惑おかけします……それでアリスさんは?」
「今は点滴しつつ寝てもらってる。 服で隠れてたけど中身はほとんど骨と皮だけだぜあれ、おそらく実年齢も見た目よりは高い」
「待ってろ、うちが今米とおかず用意したる」
「飢えてる子に直で米はまずいよパイセン」
「どけ! うちは神やぞ!!」
仮にも豊穣の神としての側面がうずくのか、ウカがどこからか持ってきた米櫃としゃもじを抱えて怒りをあらわにする。
しかしそんな彼女の暴走は忍愛含む複数人のスタッフによりすぐに止められた。
「腹いっぱい食べさせたい気持ちは分かるけど重湯から慣らさないとダメだよ、内臓がかなり弱ってる。 おかきちゃん、あの子薬を飲んでたって言ったよね?」
「ええ、昨日は家に帰って薬を飲んで寝たと……まさか」
「そのまさかだ、飲まされたものがまずい。 よくもまあ今まで平静を装っていたと感心すらする」
宮古野は邪魔苦しい白衣を脱ぎ、手に持っていたカルテをおかきへ手渡す。
そして専門的な用語と数字が並ぶ中、一目でわかるようにご丁寧に赤ペンで丸く強調された個所に目を通した途端、おかきは眉をひそめた。
「ぴ、ぴね……れ……パイセン、なにこれ?」
「英語やろ、うちはわからん」
「pine resin……松脂だよ。 問題は名前じゃなくて、それが彼女の体内から検出されたということさ」




