危険物取扱注意 ②
「もう一度聞きますけど、事件性はありませんか?」
「…………」
聞こえていなかったのか、確認のためにもう一度声をかけても少女の反応はない。
何もしゃべらないその姿は本当に人形のようで、視線の動きとときおり思い出したようなまばたきがなければおかきも勘違いしていたかもしれない。
だが目の前にいる彼女は間違いなく人間で、その手にはしっかりと手錠が嵌められているのだ。
「え、えっと……失礼しますね?」
「…………」
念のために断りを入れ、おそるおそる手錠に触れるおかき。
ずっしりと手にのしかかる重さ、ひんやりとした金属の質感、おかきの腕力で引っ張った程度じゃどうにもならない強度。
実物を目にしたのはおかきも初めてだが、少女と廊下の手すりを繋ぐその手錠は間違いなく本物と言える自信があった。
「キューさん、緊急事態です。 トイレ前の廊下に女の子が拘束されています」
『なんて?』
『お前なんで行く先々で厄介ごと見つけてくるんだよ』
「私だって好きで見つけてるわけじゃないんですよ! 忍愛さんに通信を繋いでください、彼女なら鍵開けが……」
「そこのお前! 何してる!!」
「ぴぇあ!!」
自分の口から飛び出たとは思えない甲高い悲鳴に思わず自分の口を押えるおかき。
幸いにも心臓が口から飛び出すことはなかったが、予想だにもしなかった人物の登場に驚きが隠せなかった。
「か、母さ……じゃなくて、クリスティプロダクションの人!」
「お前、うちの娘に……って、あらあらあら~~~!? さっきのかわい子ちゃんじゃない、奇遇ねえこんなところで他のお友達はどうしたのぉ?」
ドスの利いた声色から一転、不届き者の正体の気づいた途端に猫なで声へと切り替わる変わり身の早さは、彼女最大の処世術なのかもしれない。
トイレの中から現れて手錠に手を掛けるおかきへ詰め寄ってきたのは、まごうことなき早乙女 四葩その人だった。
「あ、あの! この子、手錠が――――って、うちの娘……?」
「ああそうなの、ごめんなさいね早とちりしちゃってアタシったらほんとおっちょこちょいで~~! 気にしなくていいのよ、これはアタシのだから」
「…………は?」
お互いに日本語で会話をしているはずだ、なのに話が通じている気がしない。
四葩が話している言葉のすべてが、おかきには飲み込むことができない。
「だって、盗まれたら大変でしょう? アタシの子はこんなに可愛いんだもの!」
幼い子にハーネスをつける、という話はおかきも理解できる。 だが四葩が当たり前のように話している理由は根本から違うのだ。
ただただ、“自分のため”なのだ。 我が子の心配など微塵もなく、自転車にチェーンをかけるかのごとく、自分の所有物が奪取されぬために。
理解したくない事実を理解してしまった途端、おぞましさが吐き気とともにおかきの胸の底からこみ上げてくる。
「あっ、そうそう。 そんなことより紹介するわね、こっちは私の娘の阿賀沙アリス! 可愛いでしょう? ほら、ご挨拶」
「…………」
そのまま四葩はアリスと呼ばれた少女の手を掴むと、「よろしく」と伝えるようなしぐさでその手を左右に振らせる。
本人は抵抗もせずされるがままだ、その現実離れした衣装と合わさると、大の大人が人形遊びに興じているような不気味さすら感じる。
四葩が懐く“我が子”の理想を目の当たりにし、おかきの頭の中には様々な感情が渦巻いて何も言い返すことができなかった。
「それより君、今は一人? 陽菜々もいない? だったらチャンスね、行きましょ」
「えっ、あっ、は? い、行くってどこに……」
「私の事務所! いい機会だもの、あんなバカ娘より私の方があなたを愛せる、だからうちの事務所で契約するように!」
慣れた手つきでアリスの手錠を外した四葩は、そのままおかきの手を掴んでズカズカと歩き出す。
スカウトと呼ぶにはあまりにも傲慢すぎる歩みには、相手の都合など一切考慮されていない。
呆気にとられたおかきも我に返って振りほどこうとするが、四葩の腕力はおかきの非力な抵抗ではびくともしない。
「っ……や、やだ……はなし、離してっ!」
「大丈夫大丈夫、君ならうちのスターになれるから! そうだ、うちのアリスとペアで……」
「あら、おばさん。 私の探偵さんにひどいことしないでくれる?」
――――そして改めて突きつけられた女児同然の膂力に打ちひしがれる中、後ろから掛けられた声が四葩の拘束からあっさりとおかきを引きはがした。
「……はぁ!? 誰だよお前、私のかわい子ちゃん返しなさいよ!!」
「あらぁ~、さっきもいたのだけれど眼中になかった? 探偵さんの恋人です」
「いや違いますけど」
「ぶー、いけず。 だけど大切な人なのは変わらないから返してもらうわ、誘拐は犯罪よ、お・ば・さ・ん」
「は、は、は……はああぁあぁ~~~~~!!!!??」
“お前が言うな”というツッコミを飲みこむおかきを抱きながら、救世主はほくそ笑む。
目の前で顔を真っ赤にする四葩を思い人の親ではなく、大切な人を傷つけようとした敵として煽りながら。
「あらあら怒っちゃった、私も殴られちゃうのかしら? 怖いわ探偵さん、護ってくれる?」
「あなた一人でも十分……いやあなたに任せるのはダメですね、危険すぎます」
ここで四葩とアクタが争えば、爆破予告前に一面を火の海に変えかねない。
アクタに抱き寄せられたおかきがかばうように両手を広げると、さすがに四葩も手出しができないのか振り上げた手を即座にひっこめた。
「ところでここに消火栓があるのだけど、非常ベルでも押してみようかしら? たくさん人が集まってくると思うわ」
「っ……クソガキッ! そのツラ覚えたからな、今度見つけたらその化粧で隠したブッサイクな顔引きはがしてやる!!」
「――――……そう、覚えておくわ」
捨て台詞を吐き残し、我が子の手を乱暴に引きながら立ち去る四葩。
アリスは最後の最後まで一言も喋らなかったが、去り行く間際にちらりと向けた視線がおかきと交錯した。
「…………ふぅ、危ない危ない。 探偵さん、大丈夫?」
「あ、ありがとうございます……アクタ、あなたこそ大丈夫ですか?」
「わあ心配してくれるの? 嬉しいけど残念なことにケガ一つないわ! それより探偵さんはお花を摘みに来たんじゃないのかしら」
「…………あ゛ぁ゛ー!! そうでしたアクタちょっと離してくださあ゛ぁ゛ー!!」
悪夢が去り、緊張の糸が緩んだ瞬間、今まで忘れ去っていた尿意が波となって襲い掛かる。
もめている間にもおかきの膀胱はとうに限界を超えていたが、幸いなことにトイレは目前であったため、社会的な尊厳は守られたのだった。




