クラップハンズ ②
「……チッ、ダメだな。 やっぱりこれ以上は進めねえ」
おかきたちが空中階段を登っているころ、悪花たちもまた壁にぶち当たっていた。
吹雪に晒されながら舌打ちを鳴らす彼女の頭上に広がっているのは、分厚い雪雲を断ち切る様にどこまでも広がる赤色の晴天だった。
「下山は無理、か……暁さん、あなたの考えを聞かせて」
「ここが“境目”なんだろうな、この雪山のな。 そして俺たちはここから先には一歩も踏み出せないと来ている、見えねえゴムの壁みたいなもんで跳ね返される」
「ナイフならあるで、ゴムっぽいなら切り裂けんか?」
「やめとけ、空の色を見ろ。 ここから先は人間が踏み込んでいい場所じゃねえ」
「それはうちもビンビン感じ取るけどなぁ、せめてこの吹雪を迂回できれば楽なんやけど……」
柔らかい手ごたえで阻まれた境目の向こう側は、悪花たちに襲い掛かる猛烈な吹雪が1ミリも積もっていない。
だがその地面や空は赤さびており、そびえたつ木々や植物も枯れ果てて黒くくすんだ色合いをしている。 自然界に存在するグラデーションとはとてもじゃないが思えない。
「うーん、赤ワイン飲みたくなってきたわ……帰ったらシャトー開けちゃおっかな」
「生きて帰れたらええなぁ、しっかしどういうことやろなこれ」
「まあ、閉じ込められたってことだろうよ。 原因を解決しない限り、俺たちはこの雪山から死ぬまで出られねえ」
「幸い飲み水は問題ない、携帯食も少しだけ手持ちはあるけど……最悪ウェンカムイを狩って熊鍋ね」
「普通にイヤやな神の血肉喰らうの」
「そうなる前にさっさとここを出るのが目標だな、それにこれで1つ分かったことがある。 この雪山は――――」
――――――――…………
――――……
――…
「――――この雪山は、私たちが目指していた山とは別物ですね」
おかきは弾力を伴う見えない壁に触れ、自らの推測を述べる。
この氷点下でも生暖かく柔らかい手ごたえの壁は、足元に展開されたクラップハンズ製の階段とも質が異なるものだ。 雪山を覆うような範囲といい、彼女の病によって作り出されたものとは考えにくい。
「おい小娘、一人で話を完結させるな。 わかる様に話せ」
「あーなるほどね完全に理解したよボクは、そういうことでしょうんうんなるほど」
「(¬_¬)」
「失礼しました。 まず見てわかる通りですが、あきらかにこの壁から向こうの景色は自然界のそれではないですよね」
「まあ嫌だよね、こんな真っ赤な森」
「たしかに異質な感じは否めないが、根拠がそれだけならば山そのものがこの土地に転移しただけではないのか?」
「いいえ、その可能性は低いと思います。 忍愛さん、初めに見た山小屋を覚えていますか?」
「あっ、そっか。 今度こそ完璧に理解した」
おかきたちが事故を起こした先行部隊と合流する途中、クラウンたちと遭遇したあの山小屋は、本来想定されたルートには存在しないものだった。
山ごと転移したのであれば、本来存在しないはずの家屋が突然現れるはおかしい。 ゆえにおかきは、“元々あの場所に山小屋が建てられた別の山に人間が転移した”と考えたのだ。
「……念のために聞いておくけどさ、あの山小屋ってお前らピエロたちが悪さしたんじゃないだろうな?」
「違う、元からあの場に建てられていたものを利用しただけだ! 殺意をこちらに向けるな!!」
「なら懸念が1つ消えました。 それに人体消失現象もこの説の方が納得できます、157名は消えたのではなくこの雪山に転移してきたのだと」
「しかしご主人、そうなると転移してきた者たちはどこへ消えたのだ?」
「…………」
おかきはウェンカムイの口と手から唾液とともに滴っていた赤い液体を想起する。
自傷したものでもなければ、あの鮮血の主はおそらく……
「ふん、人間死ねばそれで終わりだ。 お前はまだ生きているんだから口を閉ざすな、推理は十分わかったがなら我々はどうしたらいい?」
「わかりません」
「貴様ー!」
「すみません、ですが現状は一歩前進しました。 私たちが転移してきたのなら、原因がこの山のどこかにあるはずなんです」
「( ..)φ」
「ただ原因が分からないってのが大問題だね、方針が決められない」
「……方針としては、ウェンカムイを探したいです」
「「正気か?」」
おかきの提案にジェスターの忍愛の声が重なった。
ウェンカムイ、その恐ろしさは皆すでに痛いほど知っている。 そのうえでおかきはあのFOEとのエンカウントを望むというのだ。
「別に真正面から制圧するのが目的ではありません。 ウェンカムイが返り血を浴びていたなら行方不明者の手掛かりもつかめるかもしれない、できれば生存した状態で出会いたいのですが……」
「まあ、生死はともかく貴重な手がかりか。 危険だけどこのままお空の上で凍え死ぬわけにもいかないしね」
忍愛は弾力の壁にもたれかかり、火の光を遮る分厚い雪雲を忌々しく見上げる。
壁一枚隔てた向こう側の気候はむしろ温暖に見えるというのに、吹きつける寒風の厳しさは変わらない。
クラップハンズの階段で作った空中階段は安全地帯でもあるが、同時に遮るものもなく体温を奪い続ける危険な高所だ。
「この壁はドーム状に雪山を覆っています、高所からの捜索ができないならば長居は無用です。 クラップハンズさんには悪いですが一度降りま――――」
『――――ゴアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』
「Σ(・□・;)」
大気を震わす雄たけびがおかきたちの耳をつんざく。
声の主についてはすでに痛いほど知っているが、その場にいる全員が「まさか」と顔を見合わせた。
だが足元から伝わる衝撃は、間違いなく“やつ”の襲来を知らせていた。
「――――新人ちゃん、逃げろ! ウェンカムイが登ってきた!!」
「嘘でしょう!?」
信じたくはなかったが、目の前の現実は変わらない。
圧倒的な暴威と殺意を誇る邪悪の化身は、知性の欠片もなく本能のままに生存者を見つけ、追いかけてきたのだ。
「逃げ……いや無理だ、クラップハンズの生成が間に合わん!!」
「(><;)」
「飛び降りろ! そっちの方がまだ可能性がある、ボクが何秒かこらえるから死ぬ気で飛べ!!」
「忍愛さんは!?」
「いいから行けよ! タマゴ、お前のご主人しっかり守るんだぞ!!」
「うむ、任せよ。 武運を祈る」
渋るおかきの肩を押し、忍愛は空中階段の踊り場から彼女を突き落とした。
その瞬間、タメィゴゥの殻の隙間から身の丈を超える大きさの翼が生えて羽ばたくが、あくまで落下が減速する程度で忍愛の元へ戻ることは叶わない。
忍愛の実力はおかきも知っている、それでもウェンカムイの巨躯と激突して無傷で済むとは到底思えなかった
「くっそー! だからこんな任務嫌だったんだ、死んだらパイセンとこに化けて出てやる!!」
「忍愛さ――――」
「――――見ぃーつーけーたーでェー!! 死に晒せやぁ!!!」
――――瞬間。 落ちるおかきの脇をすり抜けて立ち昇る火柱が、今まさに忍愛へ襲い掛かろうとするウェンカムイを飲みこんだ。




