時計塔殺人事件 ①
「……ウカさん、今の時間は?」
「10時21分やな、まさか行く気か?」
「乗ってみる価値はあると思います、それにこのままでは誰かが死ぬ」
「はっ、初対面だってのに俺の話すこと真に受けて大丈夫か?」
「騙す気ならそんなことは言いませんよ、それに甘音さんが信用する人なら私も信じてみようと思います」
「いーね、判断も早いし度胸がある。 SICKに愛想尽かしたらマジでうち来いよ、歓迎するぜ」
「考えておきます。 それで、手紙の待ち合わせ場所ですが……」
「この学園で時計塔っていうと、十中八九あそこよね」
全員の視線が一斉に窓の外へ向けられる。
見つめる先にはすでに日が沈み、人工の灯りが闇夜をぼんやりと照らす中、どの建物より高い時計塔がそびえ立っていた。
「中央時計塔、名前通りこの学園のど真ん中におっ建ってる塔だ。 方向音痴にゃいい目印になる」
「たしか今は時計の部品交換中で立ち入り禁止のはずよ、滅多に人は寄り付かないわ」
「密会するならちょうどええ場所って訳やな……悪花、さっきの予知は本当やろな?」
「どうだろうな、情報が少ない。 その手紙を確認してようやく見えたようなもんだ、あと3時間ほど貰えるならもうちょっとマシな精度になるぜ」
「流石にそれでは遅すぎますね……」
時計塔までの移動距離を考えると、こうしてやきもきしている時間もあまりない。
悪花の予知通りなら、おかきが誘いに応じない限り誰かが死ぬことになる。
関係ないと言ってしまえばそれまでだが、おかきにとって気分の良い話ではない。
「ウカさん、やはり私は行ってみようと思います。 無視をすればそれこそ次は何をしてくるかわからない」
「……分かった、せやけどうちもついて行くで。 お嬢は待っとってな」
「何でよ、私だけハブる気?」
「アホウ、お嬢に何かあればうちらの首が物理的に飛ぶわ。 それにもしうちらが戻ってこない場合は連絡役が必要やろ」
「ダメよ、帰ってきなさい。 じゃないと見送ってあげないわ」
「あーはいはい、戻ってきたら熱いハグしたるで。 おかきが」
「えっ」
「おうおう、盛り上がってるところ悪いがお前ら学園規則忘れてねえか?」
「学園規則、ですか?」
おかきが首をかしげると、悪花は自分のスマホを操作し、液晶が割れた画面を見せる。
学園アプリを起動した画面には、「学園規則第23条:22時以降の不許可外出が発覚した場合、これを罰する」と書かれていた。
「寮近辺のコンビニに出かけるぐらいならお咎め無しだが、時計塔まで出かけるならアウトだ。 藍上はまだAPも少ないだろ、ペナ一発で全損する可能性もあるぜ」
「退学の危機ですね……しかし“不許可外出”ということは許可を得る手段が?」
「いーね、お前ルールの裏突っつくの大好きだろ。 手段はいろいろあるが、お前らにとって手軽なのは……」
――――――――…………
――――……
――…
「なるほどぉ? そういうぅわけでぇよばれたの~? とりあえず一升飲んでからでいい?」
「もうすでに出来上がってますけどこの人」
「大丈夫やおかき、飯酒盃はこれで平常運転やから」
悪花の部屋を出てから10分後。 一升瓶を抱えたまま千鳥足でやってきたのはおかきたちの担任として潜入しているエージェント飯酒盃だ。
不許可外出を避けるために伝授された裏技には彼女の存在が不可欠だった。
「災害などの緊急時、または教師の業務補佐および部活動などやむを得ぬ事情の場合はこの限りではない……穴が多い学則ですね」
「こんな学園建てるやつが考えた規則よ、わざと穴を残して悪用を期待してるに決まってるわ」
「会ったことないですけどすでに会いたくなくなってきましたね、その理事長……」
「ういぃ~うちの局長とは別ベクトルで化け物なひとだよぉ~……よし、アルコール充填完了!」
一升瓶を飲み干した飯酒盃は、空き瓶を小脇に抱えて小さくガッツポーズを作る。
先ほどまでの赤ら顔はどこへやら、千鳥脚すらみる影もなく彼女の受け答えははっきりしていた。
「飯酒盃はね、ある程度アルコールが入ると一周回って素面に戻るの。 今ならエージェントの名に恥じない実力を発揮できるわ」
「ちなみに摂取した酒によって性能も変わるで、今日は日本酒やからバランス型やな」
「人間の話してます?」
「人間だよぉ? ……で、例の爆弾ちゃんの話だよね、これより現場指揮はこの飯酒盃 聖が努めさせていただきます」
今までのへべれけから一転、飯酒盃の纏う雰囲気ができる女のそれに変わる。
それはかつて病院でおかきが出会った看護師姿の彼女と同じだ。
「つまりあの時もだいぶお酒入ってたんですね」
「はーいそこ、私語は慎む! それじゃメンバーは先生含めて4人ね?」
「4人? いえ、甘音さんは違……」
「おーい、そろそろ行くで山田」
「やっとだねぇ! それはそれとして山田って呼ぶな!」
「うわっ、空からニンジャ」
ウカが真上に向けて呼びかけると、どこからともなく忍愛が落ちてきた。
ずっと寮の外壁に張り付いていたのか、その体は秋夜の寒さに晒されて小さく震えていた。
「悪花の部屋行った時、ずっと窓にへばりついてんやでこいつ」
「あの人は苦手だけどさぁ、ボクだけ蚊帳の外ってのもイヤじゃん? それに死なないって保証もあるなら安心してついていけるし!!」
「人間性は終わっとるけど戦力としては頼もしいのがホンマ腹立つわ」
「えっ、なになに褒め言葉? もっと言って」
「そういうところやでお前」
「はいはい喧嘩しない。 時間もないわ、作戦行動に移りましょう」
「気を付けていってきなさいよ、それともし怪我したときはこのガーゼと小瓶に……」
「はい出発、全員駆け足で先生についてきてー」
「「「はーい」」」
体液を欲する甘音を無視し、3人のカフカと1人の教師が時計塔に向けて走り出す。
時計塔の表示は10時40分、約束の時間は確実に迫っていた。
「いい? これから私は授業に使う資料をあなたたちと一緒に運搬します、もし誰かに外出を咎められたら私の名前を出すように」
「アイアイサー、全責任は飯酒盃先生に押し付けるよ!」
「うーん、言い方! ……っと、噂をすれば人影」
ジョギングくらいの速度で走る飯酒盃の前方に、生徒らしき人影が見えた。
まだ距離がある上に夜闇に紛れた人物の姿ははっきりと見えないが、服装からして女子ということは分かる。
そしておかきにとってその人影は、言葉にできないかすかな既視感を与えるものだった。
「なんや、こんな時間にコンビニでも行くんか?」
「…………あれは」
「ん、新人ちゃんどったの?」
「いえ、その……飯酒盃先生、もしかしたら気のせいかもしれませんが彼女の歩き方に見覚えがある気がします」
「了解、詳しく聞かせて。 具体的にはどこで見た覚えがあるかわかる?」
「あのファミレスで、ですね」
おかきは走る速度を緩め、つかず離れずの距離からじっと人影を観察する。
ゆらゆらと掴みどころのない歩き方は、あのファミレスでおかきが見た女性と似たものだった。
確証もない、あの時は犯人も変装していた。 だが、おかきにはこの夜遅くにふらふらと出歩く女子生徒との出会いが、偶然とは到底思えなかった。
「どうする? 先に殺っちゃう?」
「殺すな阿呆、気軽に手出したらなに飛んでくるかわからんで」
「そうねぇ、しかもどうやらあっちも私たちに気づいているようだし?」
飯酒盃が酒臭い息を殺しながら少しだけ距離を詰めると、女生徒もまた掴みどころのない足取りで距離を開ける。
ときおり後ろを振り返ってはクスクスと笑いながら歩くさまは、あきらかにおかきたちを挑発しているような動きだ。
「うちああいうのめっちゃ腹立つねん、やっぱ殺ってええか?」
「どうどう。 おかきさん、相手の顔は見えた?」
「いえ、暗闇に紛れてなんとも……彼女もどうやら時計塔を目指しているようですね」
おかきたちが謎の女子生徒を追跡する足取りは、自然と時計塔へ向かっていた。
気づけば時計塔は目と鼻の先まで迫り、文字盤の針は11時を指そうとしている。
おかきはあらためて周囲を伺うが、近くに他の人影は一切ない。
そんなあまりにもできすぎた状況の中、女生徒は半開きになっていた時計塔の入り口へ吸い込まれるように姿を消した。
「……よし、先入っていいよパイセン。 レディーファーストってやつ」
「ここにいるの一応全員レディやろがい」
「大丈夫、悪花センパイから死なないって保証貰ってるんでしょ? 最悪ボンバーされても頭がアフロになるだけだってば、さあハリーハリー!」
「お前がアフロになってくればええやろ! うちを犠牲にすな!!」
「じゃあ間を取って私が……」
「「「待て待て待て待て待て」」」
しびれを切らして飛び出そうとするおかきを、他の3人が制止する。
「新人ちゃん、一番戦闘力がない人が前出ちゃダメだってば! 引っ込んでて!」
「なーんでお前は無駄にフットワーク軽いねん! 下がれ下がれ!」
「言い争っても決まらないわねこれ! 忍愛さん、先行偵察お願い!」
「えぇボクぅ!? まあ新人ちゃんよりはましだけどさぁ……!」
飯酒盃からの指名を受け、渋々といった様子で忍愛が先陣を切る。
文句は言うがその身のこなしはさすがに一級品だ、素早い脚運びながら絹刷れの音ひとつ立てず、半開きの扉にするりと体を潜り込ませた。
「ウカさんも準備、何かあった場合すぐに忍愛さんを援護できるように構えておいて」
「おう、式神ひとつ貼り付けといたわ。 ただ心配なのは山田より悪花の言ってた死体……」
「――――――ウギャアアアアアアアアアアアアア!!!!?!?!?」
時計塔の内部に潜入した忍愛の悲鳴が上がると同時に、おかき以外の2人が弾かれたように動き出した。
ウカはその頭部に狐耳を生やし、カフカとしての力を開放。
その間に、飯酒盃はどこから取り出したハンドガンを構えながら、時計塔の扉を蹴り破った。
「動かないで! 忍愛さん、大丈……夫……?」
「なんやどうした、無事か山田!? ……って、お前これ……」
「ウカさん? いったい中で何が……」
遅れて駆け付けたおかきが、入り口で放心する2人の間から時計塔の内部を覗き込む。
ウカの狐火が照らす塔内には、まず「赤」があった。
壁も、床も、天井も、部屋一面が赤色に染まり、鉄のような臭いが鼻を刺す。
「い、いさ、飯酒盃ちゃぁん……こここここれぇ……!」
あまりにも夥しい惨状に、おかきの脳がそれを人間の血液と認識するまで、数秒の遅延があった。
そしてすべてが血に濡れた部屋の中には、涙目で震える忍愛の姿と――――首から上のない女生徒の死体が転がっていた。




