冬休みの始まり ③
「ブラックボックス……」
「それはうちも知らんな、山田は?」
「山田言うな。 パイセンがわからないならボクにわかるわけないよ」
「それもそうやな、我ながらアホなこと聞いたわ」
「もうちょっとぐらいフォローしてくれてもよくない!?」
おかきを含め、「ブラックボックス」と呼ばれた存在に心当たりがある者はいない。
名前から考えると箱状の物品が想像できるが、苦虫をかみつぶしたような宮古野の表情から十中八九ただの箱ではないことが窺える。
『おかきちゃんはともかくとして、ウカっちたちにブラックボックスの説明をするのは5度目だぞぅ』
「「えっ」」
『まあ覚えてなくても無理はない、ブラックボックスは逆喧伝性情報特性……簡単に言えば自身の存在が広まらないようにする力を持った黒い箱だ。 教えたところですぐに忘れてしまうんだよ、面倒なことにね』
「ま、全く覚えてへん……けど厄介な力ってそれだけなん?」
『当然まだあるぜぃ……まずこの箱に収納したものは外部から一切の観測ができなくなる。 X線や音響探知などの科学的手段はもちろん、全知無能による看破も不可能だった』
「悪花さんですら……」
『おいらたちは当初バベル文書を発見し、このブラックボックスに収容されているという情報を得て回収作戦を決行した。 結果として対象の箱は発見できたよ』
「そこまではええな、けどそこから何があったん?」
『……なくした』
「「「えっ」」」
『なくしたんだよぅ、ブラックボックス! そもそもおいらたちはバベル文書を先に回収した敵対勢力の手から文書を奪おうとしたんだ、なのにあいつら面倒なことしやがってぇ……!!』
「なるほど、敵対勢力との交戦中に見失ってしまったと」
『はい……』
敵対勢力はバベル文書の危険性と需要を理解していたからこそ、ブラックボックスへ収納したのだろう。 その行動はおかきも納得できる。
一度収納してしまえば外部からの探知はほぼ不可能、そのうえ時間が経過するほどブラックボックスの存在は逆喧伝の特性から忘れられていく。
あとはほとぼりが冷めたころに取り出してしまえば奪われる心配もない。
『しかもその特性上ボックスは探知が難しい、完全なロスト状態に陥ったんだ』
「うへー、面倒くさい。 どこで無くしちゃったんだよそんな箱」
『ワハハ、それが海の底に落っこちちゃったんだ!』
「新人ちゃん、パイセン、帰ろう」
『まあ待ちなって、これは任務だ。 しかも世界の命運に片足突っ込んじゃってるんだわ』
「なんでこの寒い中わざわざ海の中まで探しに行かなきゃいけないんだよ! ボクはやだぞボクは、コタツで丸くなってみかん貪り食ってやる!」
「ちなみに明日からしばらく雪続きですね」
「絶対ヤダー!!」
『それは残念、せっかく君たちに豪華客船クルーズツアーをプレゼントしようと思ったのに』
「事情が変わった、聞かせて?」
豪華客船という単語を聞くや否や、教室から逃げようとしていた忍愛は踵を返して席に着く。
この目にも留まらぬ切り替えの早さにはさすがのウカも養豚所のブタを見るような視線を送った。
『ブラックボックスにはほかにも厄介な特性がある、まず1つ目が”人目がある場所へ自己を転送する”という点だ』
「自己転送……勝手にテレポートするということですか?」
『ああ、腹の内を見せないシャイボーイだけど人目が無いとそれはそれでへそを曲げる困ったちゃんなんだ。 海の底なんて1秒たりともいたくないってさ』
「へぇー、けど結局ボックス自体は追跡できていないんだよね? ならどこ行ったかなんてわからないんじゃない?」
『街中で見失ったならそうだろうね、ただ今回のシチュエーションは海の真っただ中だ。 もっとも身近で人目が多い場所なんて限られている』
「……海上を通り過ぎる船。 それが件の豪華客船ということですね」
『花丸二つ目だぜおかきちゃん。 おいらたちはボックスのロストポイントから対象の転移先を推測した、海流や周囲の船・潜水艦の回遊ルートも考えた結果……最有力候補となったのがここだ』
宮古野が手元のマウスを操作すると、モニターの映像が切り替わる。
画面いっぱいに映し出されたのは、波を切って進む巨大なクルーズ船の姿だ。
甲板を歩く人影が豆粒にしか見えない、その全長は100mや200mを優に超えている。
『全長350m超、総重量20万トン越え、世界有数の豪華客船シーク・トゥルー・シーズ号だ。 現在世界一周ツアーの最中、日本で一時停泊した後は南国の海に向けてレッツゴーだぜ』
「うへぇあー!! すごい、タイタニック何個分!?」
「たしかタイタニック号が4.6万トンぐらいなので……4~5個分ですかね」
『AIの演算結果を加味し、ロストポイントから考えると99.8%の精度でこの船にボックスとバベル文書は転移したと算出された。 なので君たちには任務ついでにクルーズツアーも楽しんでもらおうと思ったけどいやあ残念だ』
「何してんだよパイセンこんなところでだらけ切ってる場合じゃないよ!! 世界の命運がかかっているんだぞ!!!」
「掌クルックルやん、良い油差してんな」
視覚効果は絶大なもので、画面越しとはいえ実物のクルーズ船を見せられた忍愛のやる気が爆発する。
だが浮かれポンチの忍愛を横目に、おかきは画面の宮古野へ訝し気な視線を送り続けていた。
「……キューさん、厄介な特性の1つ目と言いましたね? まだ何かあるんですか」
『さっすが鋭いねぇおかきちゃん。 ただその話は後にしよう、今の山田っちに水を差したくない』
「そうですか……」
豪華客船に潜入し、箱に収納された文書を回収する任務。 ただそれだけで済むならたしかにバカンス気分で浮かれられるかもしれない。
ただ問題のバベル文書は複数の勢力から狙われるほどの逸品、SICKの手のひらからこぼれた文書を狙う敵も当然いるだろう。
おかきとウカは、この任務が冬休みのちょっとした旅行で終わるとは到底思えなかった。




