山の怪 ①
「だーめだ、どこ行っても同じ場所に戻ってくるー」
「ということは先に進めないというより閉じ込められている状況ですね」
異変に気づいてからおよそ30分、おかきたちはいまだ山中の森林地帯から抜け出せずにいた。
前後左右、そして上下を突き抜けようといつの間にか同じ場所に戻されてしまう。
「ただ同じような景色が続いているだけなのでは?」という期待は樹木にクナイによって刻まれた目印によって否定されている、おかきたちの方向感覚がおかしいわけではない。
「忍愛さん、私の腰に巻いた縄はどうなってますか?」
「途中で千切れてる、空間がやんわりループしてるっぽい」
「うーん、さらっととんでもないこと起きてますね」
「空間湾曲なら新人ちゃんも前に体験したでしょ、そこまで大した差はないよ」
「普通は一件も経験しないんですよ」
文句を言っても始まらないが、かといって空間をどうこうする術をおかきは知らない。
おもむろに足元の小石を拾い、適当な方へ放ってみるが反対側から同じ石ころが飛んでくるだけだ。
「おー、なんか面白いね。 ボクもやってみよ」
「忍愛さんのパワーだと死人が出かねないのでお控えください。 先生は何か意見はありませんか?」
「…………」
「……? 先生?」
おかきはずっと押し黙っている飯酒盃に話題を振るが、返事がない。
ふらふらとその場に立ち尽くす彼女は、頭をだらりと下げたままだ。 明らかにおかしい様子におかきと忍愛の間に緊張が走る。
「新人ちゃん、下がって。 なんかちょっとおかしい」
「……レタ」
「はい……?」
「ハイレタ! ハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタ!!」
「ウワーッ!? ナムアミダブツ飯酒盃ちゃん!!」
「待って! 待ってください忍愛さん、見切りをつけるには早いです!!」
突然ケタケタと笑い出した飯酒盃に対し、忍愛は迷いなく手にしたクナイを振りかぶる。
慌てておかきは両者に間に入って制止するが、飯酒盃の様子は異常だ。 まるで何かに憑りつかれたようにしか見えない。
「離して新人ちゃん、こういうのは放っておくとどんどん被害が拡大するんだ! ボクは詳しいんだ!」
「ま、まだわからないですよ! それにもしかしたらただ悪い酔いしているだけかも……」
「ハイレタハイレ――――そこの娘の言う通り、気を急くな」
「ウワーッ!? 急に落ち着くなよぉ!!」
そして飯酒盃は唐突に壊れた玩具のような挙動を止め、自分の鼻先三寸のところまで振り下ろされたクナイを手で掴む。
意識もしゃべり方もはっきりしているように見えるが、口の端からは唾液が垂れて目はうつろのまま。
何かに憑りつかれたように、という表現は間違いだ。 彼女の身体にはなにか人ならざる者が確実に憑りついていた。
「……あ、あなたは何者ですか? できれば飯酒盃先生の身体をそのまま帰してほしいのですが」
「……? 疑問、お前たちが私を探していた。 だから出てきた」
「えっ? ということは理事長のお友達ってこと!?」
「訂正要求、クソピンク。 あのドグサレダサ帽子の友人など、山ごと消滅したほうがマシ」
「嫌われてますね、理事長……」
「ファッキュー、不倶戴天」
おかきたちに向けて中指を突き立てる飯酒盃……の中に入った何者か。
いったい両者の間に何があったのか、気になるが文字通り神の怒りに触れる勇気がおかきにはなかった。
「それでもう一つ、身体を返してほしいという要求。 応える気はない、この身体が気に入った」
「新人ちゃん、神の依り代より人としての尊厳があるうちにR.I.Pさせるのも優しさだと思うんだ」
「待ってください忍愛さん、まだ交渉の余地があるやもしれません……あの、まずはお名前を聞かせてもらっても?」
「教えない、ヤマノケでいい。 お前たちは帰れ、学園ごっこは終わり」
「取り付く島もない……」
この場にウカかユーコでもいれば、あるいは憑依に対する対策も取れていたかもしれない。
しかしこの場にいるのは異常現象素人のおかきとあくまで物理担当の忍愛のみ。
配られた手札ではまず憑依の仕組みを理解することすらかなわないこの状況、交渉は圧倒的不利なまま始まってしまった。
「クソダサ帽子は我が領土を剥ぎ取り、あまつさえ不細工な建物を作り上げた。 そのうえどこの馬の骨ともわからぬ神性を土足で上げるなど、もはや交渉の余地はない」
「なんだか聞いていた話とかなり違いますね……」
「ボク許せねえよあのクソダサ帽子……」
飯酒盃に憑りついたヤマノケは怒り心頭だ、とてもじゃないが話し合う場まで持ち込めるほど冷静ではない。
これが対等な立場の人間ならばまだ話すことはできたが、相手は地の利を完全に支配している神的存在。 少しでも怒らせればその瞬間におかきたちが塵と化す。
とはいえこのままただで帰れば学園は消滅、下手をすればそこに住まう学生たちの命すら潰えてしまう。 故におかきは考える。
自分たちの手札に何があるのか。 相手は何を求めているのか。
今までの会話の中に手掛かりはなかったか、自分たちに使えるカードは何か。
手札の切りどころを間違えたら一瞬で終わりだ、ミスは決して許されない。
「くっそー、ボクじゃなくてよかったと思うけどなんでボクを選ばないんだと思う気持ちもある……!」
「忍愛さんはこんな時でもブレませんね……」
「でもさー、思わない? なんで可愛いNo.1のボクやNo.2の新人ちゃんじゃなくて飯酒盃ちゃんを選んだのかって」
「それ飯酒盃先生が聞いたら怒り――――」
――――忍愛の疑問は、このテーブルをひっくり返す確信を突いていた。
ヤマノケは、飯酒盃の身体が気に入ったと言った。 それはなぜだ?
性能で選ぶなら身体能力ならば忍愛が間違いなく上だ、外見ならばおかきがこの中でもっともすぐれている。
見た目、身体能力、その2つを差し置いてヤマノケが飯酒盃を気に入るような点は……
「……お酒、ですか?」
「…………」
飯酒盃に憑りついたヤマノケの眉がピクリと動いた瞬間、おかきの疑問は確信へと変わった。
「忍愛さん、リュック!」
「はいよ! 任せろぉー!」
おかきが投げかけた言葉はたった一言、しかしその短いやり取りだけですべてを察した忍愛が飯酒盃の背負うリュックの肩紐を切り裂いてひったくる。
それを投げ渡されたおかきがひっくり返すと、中から出てきたのは大量のスキットルや酒瓶だった。
「……! そ、それは……」
「さすが飯酒盃先生、こんな荷物を背負って山登りとは……あなたが先生を気に入った理由はこれですよね?」
「えっ、お酒が?」
リュックからこぼれた酒ビンの山を前に、狼狽えるヤマノケがすべてを物語っていた。
彼の目的は目の前に転がる、多種多様な酒にあると。
「お酒は神に捧げられることも多いです、好物であってもおかしくはない。 ただでさえ学園が無いと人気のない山の中、これだけの酒を手に入れる機会は早々ないでしょうね」
「お、お酒……お酒……」
「下手な行動はお勧めしません、あなたが何かするより忍愛さんが酒瓶を破壊し尽くすのが早いです」
「おっ、そういうことか。 新人ちゃんも悪だねー!」
「くぅ……」
「ここからは推測ですが、あなたが学園の存在をよしとするのもたまに酒を奉納してもらっているからでは? 学園を潰すと今後一生手に入らないかもしれませんね」
おかきは地面に散らばったスキットルを一本手に取り、軽く振るう。
ちゃぷちゃぷと鳴る水音は、ヤマノケにとってこの世のどんな名曲よりも美しくて焦がれる音色だった。
「では、交渉をしましょう。 卓にはついていただけますよね、神様」
それは命の水を人質に取られた神にとって、交渉とは名ばかりの脅迫だった。




