忘れられない味 ②
(……さて)
おかきは考える、こうしてオーナーと対面できる時間は次の料理が運ばれるまでだ。
このレストランに対する疑問は多々あるが、とてもじゃないがそのすべてを投げかけるだけの時間はない。
短いチャンスを使って何を聞くか、おかきが初めに選んだ質問は……
「……卜垣さんの怪我が治ったのは、このレストランのおかげですか?」
「はい、私事もが関わっているのは間違いないでしょう。 彼女の悩みはあのケガでしたので」
「悩み?」
「当店ではお客様のお悩みを解決する特別な食材をご提供しております。 卜垣様にも怪我の回復に効果のある料理を提供させていただきました」
「それって何か代償とかあります?」
「いいえいいえ、そのようなことなどこの首に誓ってございません」
おかきがまず初めに気にかけていたのは、卜垣が何らかの被害を被っていないかだった。
だが一通り観察した限り、オーナーが嘘をついていたり後ろめたさが滲む素振りはまるでない。
人外相手に理屈が通用するかは不安要素だが、心理学の技能に長けている設定が反映されているならこの判断も信用できる情報だ。
「では何の対価もなく怪我を治したと?」
「料理とはそういうものでございましょう?」
クマの頭がにっこりと笑う。
肉食獣が口を開けて牙をむき出しにしているわけだが、不思議とその笑みからは威圧感よりも慈愛の感情が感じられた。
「生きるためならただ肉でも齧ればいい。 そこへ調理という手間をかけるならば、食事は幸せなものでなければなりません」
「だから余計な悩みや不安を消してしまおう、ということですか?」
「ええ、かつてはもっと乱暴な手段で幸せにしてしまおうと考えたスタッフもおりましたが……私どもの考える幸福とわかり合えず、皆店を辞めていきました」
「乱暴な手段ですか」
「恐ろしいことでございます、強引にお客様の脳から悩みの記憶を消すなど……繊細な料理の味わいが崩れてしまう」
味が崩れなければ実行していたのか、と突っ込みたい衝動を飲みこむおかき。
論点はそこではない。 潜在的な危険性が拭えないのは問題だが、この店の異常性について解明することが先だ。
「ではこの料理ですが、すごくおいしいですけどどうやって作っているんですか?」
「恐縮です。 しかし申し訳ありませんが当店のレシピは秘伝であるゆえ、お客様にお教えすることができません」
「そこをなんとか、材料ぐらいは教えていただけませんか?」
「材料でございますか……名前の通り、“終わった星”をオーブンでじっくり焼いた料理です」
「うーん、そっかぁ」
やけに規模が大きい話におかきはそこで話題を打ち切る、これ以上踏み込むと正気が削られかねない。
するとそこへタイミングを計ったように、カートに乗せられて次の料理が運ばれてきた。
「……そういえば、お代はどうすればいいんですか? 言い難いんですけども現金の持ち合わせが少なくて」
「お代は結構でございます、すでにいつかのおかき様から頂いているので」
「へっ? ちょっ、それってどういう……」
「では私はこれで失礼いたします、どうぞごゆるりと当店の料理をご堪能ください」
そそくさと立ち去るオーナーと入れ替わりに、おかきの前へ新たな料理が置かれていく。
角切りにされた山吹色の野菜が散りばめられた、皿の底が澄んで見えるほど透明なスープ。
見たこともない深海魚のような魚がすさまじい形相のまま素揚げされ、その上にワサビの香りが立ち上るソースが掛けられた料理。
そしてジュウジュウと音を立てて鉄板の上で焼かれた……半透明のステーキ。 どれもおかきが知る常識外の見た目ばかりだ。
「炎天下のポタージュ、新鮮なゲウ゜ョンコヌォッペソフのフライ、鹿幽霊の鬼火ステーキでございます」
「なんて?」
「どれも当店のコックが腕を振るった自慢の一品でございます、どうぞ冷める前にお召し上がりください」
料理名を告げると、カートを運んできた頭部が信号機でできたウェイターはすぐにキッチンへと引き返していく。
残されたのは出来立てほやほやの料理たちのみ、じっとテーブルを見つめるタメィゴゥはまるで「待て」を命じられた犬のようだ。
「……しかたない、料理に罪はありませんから食べましょうか」
「うむ、食べ物を無駄にするのはもったいないからな」
おかきがスープを一匙掬うと、それを待っていたかのようにタメィゴゥはステーキへとかぶりつく。
スープ、魚料理、肉料理、どれも味に間違いはない。 前菜ですでに満足感を感じていたおかきの腹でも、十分に平らげることができた。
「……なにも変わりはないですね、タメィゴゥも」
「うむ、どれもこれも実に美味だったぞご主人」
たしかに欠片一つ残さず平らげたが、身体に異変はない。
卜垣の怪我が治ったように、おかきは悩みの種であるカフカも何とかなるのではないかと淡い希望を抱いていたが、現実はそう甘くはなかった。
「申し訳ございません。 お客様の悩みは実に大きく、私どもの未熟な腕では調理がかないませんでした」
「むっ、オーナー。 ご主人の悩みはそこまで深刻なのか?」
「まあそう簡単に解決できる問題ではないと思っていましたけどね」
空になった皿を下げるためにカートを引いて現れたオーナーは、おかきに向けて深々と頭を下げる。
彼らにも解決できる悩みのレベルには限界があるようだ。
「それでオーナーよ、今日の料理はこれで終わりなのか? 我まだデザートを食べていないぞ……」
「もちろんデザートもございます。 しかしこちらはテイクアウトとなっているので、友人の皆様とご一緒にお食べください」
「それはわざわざご丁寧にどうも」
回収された皿の代わりにテーブルへ置かれたのは、ネコのマークがプリントされたケーキボックスだ。
持ち上げた重量と箱のサイズから1ホールは余裕で入っている、たしかにこれは一人で食べるには過ぎた量だ。
「本日はお越しいただき誠にありがとうございました、もし次にご来店いただくときがあれば……」
「……できればこの店にはたどり着かない方がいいんですよね」
「――――ええ、なのでまたのご来店が無きことを願っております」
――――――――…………
――――……
――…
「わあ、真っ暗」
レストランを出ると、そこはすっかり日が落ちた学園の大通りだった。
スマホを開くと時刻は門限ギリギリ、おかきの気分はさながら浦島太郎だ。
「ご主人よ、帰宅は間に合うか?」
「ええ、なんとか。 外部の時間とはズレがあるみたいですね、あのレストラン」
忘れられたものだけがたどり着き、悩みを食い改めて現世へと戻る不思議なレストラン。 時間の流れがおかしくても不思議ではない。
お土産のケーキボックスもしっかりと手に握られている、あの出来事はけっして夢などではなかった。
「さて、それはそれとして依頼人にはなんと説明しましょうかね……」
「ご主人」
「SICKへの報告書も問題ですよね、あの料理についてなんて書けばいいのやら」
「ご主人」
「うーん、悩みの種がたくさんです。 本当にあのレストランで解決されたんでしょうか……」
「ご主人、寮は逆方向だぞ」
「――――はい?」
再三タメィゴゥに声を掛けられたおかきは、そこでようやく違和感に気づく。
自分は寮へと向かっているつもりだった、しかし足の向く先はタメィゴゥの言う通り真逆だ。
ならいったい、この足は独りごとをつぶやきながらどこへ歩こうとしていたのか?
「ご主人、ダメだぞ。 その扉は開けちゃダメだ、我だけじゃ守り切れるかわからぬ」
「とび……ら……?」
おかきの手は、いつの間にかドアノブを握っていた。
ペンキがところどころ剥がれて年季の入った三毛ネコの絵が描かれたその扉に、おかきは見覚えがある。
瞬間、全身から冷汗が噴き出るほどの怖気が走る。
なぜ見逃していたのか、なぜ無意識にこの扉の前に立っていたのか。
忍愛が上げていた危険な部活のリストに含まれていた「ネコを崇拝する部活」と似たものを、おかきは知っている。
そうだ、この扉は――――あのネコカフェと全く同じ――――
「 … ざ ぁ ん ね ん 」
扉の向こうから人のものとは思えない悍ましい声が聞こえた瞬間、おかきはタメィゴゥを抱えてその場から全力で逃げ去る。
レストランは間違いなく、おかきの悩みを一つ解決した。
あの日から虎視眈々とチャンスを狙っていた怪異を退けたのだから。
様々な料理の匂いにまぎれたおかきの気配を追う術を、あのネコたちはもう持っていない。




