部活ウォーズ ②
「おかきー、朝よ。 起きなさーい」
「むぅ……おはようごじゃます……」
翌朝、甘音に布団を引きはがされたおかきはまだ寝ぼける頭で起床する。
一時期は栄養失調まで追い込まれた体調は一晩で回復しており、地獄のカーチェイスによる疲れもほとんど残っていない。 若さゆえの回復力とは素晴らしい。
ただおかきは朝に弱かった。
「ご主人よ、今日は学び舎へ赴かねばならぬ日だ。 ペットとしてみすみすご主人を遅刻させるわけにはいかぬ」
「あんたそういう自覚あったのね。 まあいいわ、私がおかきの髪セッティングしてる間に着替え準備しといて」
「あい分かった」
甘音がまだ意識が覚醒していないおかきを化粧台に座らせる間に、タメィゴゥはゴロゴロ床を転がりながら通学に必要なものを取り揃えていく。
すでにタメィゴゥという存在を受け入れた甘音は、この部屋に増えた人手を完璧に使いこなしていた。
「もー、髪長いんだがら寝るときはまとめなさいっていつも言ってるでしょー! タマゴ、そこの棚から霧吹きとクシ取って!」
「タマゴではない、我が名はタメィゴゥである」
「じゃあ今からあんたのあだ名はタマゴよ、そこの霧吹きとクシ取って」
「あだ名か、それは良い……あい分かった」
慣れた手つきでおかきの髪をセットする甘音の横で、うまく言いくるめながら忙しなく動くタメィゴゥ。
視界の端でタマゴの奥から名状しがたい触手のようななにかが伸びているような気もしたが、甘音は深く考えないことにした。
「よし、あとは自分で支度しなさい。 私も着替えるから」
「あいぃ……タメィゴゥはこっちです」
「むっ、なぜ風呂場で着替えるのだご主人?」
「色々複雑な事情で甘音さんの着替えを覗くわけにはいかないと言いますかなんというか」
「別に私は気にしないんだけどね」
ようやく頭が冴えていたおかきはタメィゴゥを抱えたまま、部屋備え付けの風呂場に入る。
カフカの自分が女子と同じ空間で着替えるわけにはいかない、というおかきの希望から始まった苦肉の策だ。
「……そういえばあなたは性別どちらなんですかね?」
「我もまだ生まれてないからわからぬ」
「おかきー、先行ってるわ。 早く着替えないと遅刻するわよ」
「むーん……すみませんタメィゴゥ」
「むぎゅう」
つい風呂場に持ち込んでしまったが、視線が気になってしまったおかきは、脱いだパジャマをタメィゴゥにかぶせて素早く着替える。
そして先に準備を終えた甘音を追いかけようと、通学カバンを持って扉に手を掛けた。
「タメィゴゥ、留守番は頼みます。 私たち以外の人間が来ても扉を開けちゃダメですよ」
「ご主人、我も行きたい」
「……タメィゴゥ、わがままはよくないです」
「我も行きたい」
「うーむ……」
タメィゴゥの意思は固い、説得できたとしても時間がかかる。 ゆえに悩ましかった。
仮に納得しないまま留守番を任せたとして、それはタメィゴゥという存在を安全に収容できているといえるだろうか。
独りでに部屋を抜け出しておかきを追いかけないとも限らない、それなら初めから手元で監視していた方が安全だ。
「タメィゴゥ、あなたの存在は少々……いやかなり特殊です、他人に正体がばれると大変なんですよ」
「我はどこからどうみても普通のタマゴ」
「普通のタマゴは喋らないし動きません、怪しまれるような行動はしないと誓えますか?」
「うむ、大船に乗ったつもりで任せよご主人よ」
「不安だなぁ……」
――――――――…………
――――……
――…
「……想像以上にすんなり登校できてしまった」
「おかきちゃんおっはー、ってなにそのタマゴ?」
「キモカワ系だねー、かわいいー」
チャイムが鳴る教室の中で、おかきはタメィゴゥを抱えたまま席に座っている。
寮から路面電車に乗り込み、校舎までたどり着く間もずっとタメィゴゥを抱えていたが、悲しいことに誰一人異常に気付く人間はいなかった。
ここは赤室学園、多少のクレイジーは日常に飲み込まれて消えてしまう。
「おかき、そいつ連れてきたんか? なんというか、なんという……うん」
「ウカさん、せめて何か言ってください」
「やっぱり変なぬいぐるみ抱いた小学生にしか見えな……」
「甘音さん」
「はいはーい、もうチャイム鳴ってるからみんな座ってねぇ。 ホームルーム始めちゃいまーす」
あわや同室の絆にひびが入るという寸前、空の一升瓶をぶら下げた飯酒盃が教室へと入って来る。
彼女は一瞬だけおかきの手に抱かれたタメィゴゥに視線を向けるが、とくにリアクションもなくこれをスルー。
そのまま教卓に着くと黙々とホームルームの支度を進めるのだった。
「さすが飯酒盃ちゃん、プロやな。 突然のタメィゴゥに一切動揺してへんで」
「いやあれ気づいてないか酔っぱらってるだけじゃない?」
「はいはい私語は慎むようにー。 えーと、まずは皆さん学園祭お疲れ様でしたー」
「「「「「「うぇーい」」」」」」
気の抜けた飯酒盃のねぎらいに、気の抜けた学生たちの返事。 皆が皆大きなイベントを超えて肩の力が抜けていた。
だがこれからは冬休みまで特に大きな行事もない時期、多少の脱力も致し方ない。
「とりあえずこの前の小テストを返却しまーす、前の席から後ろに回して言ってねー。 あと藍上さんにはこれも回して」
「私だけ? なんだろ……」
前の席から採点済みの小テストとともに渡されたのは、クリップで止められた一纏めの用紙だ。
それぞれの紙面には「入部届」「入会届」と書かれ、下部には記入スペースが広く取られている。
「藍上さんは部活も委員会にも未加入よね、強制ではないけど希望があったらその用紙に書いて私まで提出してー」
「そういえば忘れてましたね、いろいろとバタバタしていましたから」
部活動と委員会、学生ならばどちらも切って離せない存在である。
おまけにこの学園ではAPの収入源としても大きい、強制ではないが加入したほうがお得だ。
「先に釘を刺しておくけど、全員無理やりな勧誘はしないようにね。 破ったらスピリタスをダースで空けた先生がダル絡みに向かいまーす」
「「「「うわあ面倒くさそう」」」」
「おかき、どこに入るか決めてるの?」
「いや、特に決めてはいないですね。 なので放課後は見学しながらゆっくり考えようかと」
テスト期間も学園祭も終わり、SICKの仕事もひと段落ついている。
おかきにとってはこの学園にやってきてから、はじめてゆっくりとした時間が取れるいい機会だった。
そして同時に、他の学生たちからしても幼気な新人を部活へ突き落す絶好の好機でもある。
この日、後の赤室学園史に名を遺す「部活ウォーズ」が始まった。




