3-10
体中の魔力が熱を出して動き出すと同時に、ネーレーイスからもらったイメージを頭の中で思い出す。
私の中の魔力がポコンと泡を吹いた。
辺りの空気から、水から、魔力の粒が溶け込むように体に入り、私の魔力が起爆剤となり体内で練り上げられる。
ゴポンっと水泡が弾ける音がして、私の中の魔力達があの海の魚のように躍りながら駆け巡り、翳された左手から放たれた。
その瞬間、魔力を浴びた海水が高々と2本の柱になって螺旋状に動き始めた。
「うわああああっ!!」
海が真っ二つに割れて、両側の波が大きな龍になった。私とハインリヒ様は無言で視線を合わせた。
「り······龍·····」
現れた水龍はコクンと頷く。
「お······踊れる?」
ゴクリと唾を飲み、おそるおそると二匹の龍に聞くと、波をザンザンと揺らし首でリズムを刻み始めた。
「わああ!高波になっちゃう!もーいーから戻って!」
龍はあっという間に波間に姿を消した。
ネーレーイスが教えてくれたのは波を操る魔法だった。今度クラーケンが現れたら海岸に打ち上げるのには使えそうであるが、津波も一緒に発生しそうだ。
「嘘だろ······何だあれは」
過去に私の使う魔法を見たことのあるハインリヒ様さえも驚いていた。魔法は魔術よりも魔力を消費するが、本質を理解すると自由な使い方が出来る。あんな龍が現れてダンスするとかふざけた魔力の使い方は魔術ではあり得ない。
思わすプッと吹き出してしまう。
「面白いね、この魔法。ねぇノエル、精霊がいるなら神様もいるのかな?」
「知らない。見たことない」
「そっか······」
ノエルはそっぽ向いたまま答えた。
そのまま海を見ていたら、今度は隣でハインリヒ様はくっくっと喉を鳴らして一人で笑い始めた。
「本当に、お前といると退屈しないよな。精霊にお目にかかるわ、龍が出る魔法を使うわ」
「悪魔を毎日見ているじゃないですか。今さら精霊が出てきてもおかしくないですよ。あと、魔法のことはいつもどおり皆には内緒ですよ」
「ああ、わかってるさ」
キラキラと光るイリスの海は波が穏やかだ。ネーレーイスが治めているこの場所はとても美しい。青い空を流れる雲の下で静かに揺れる波はあの宝珠のように輝いて見えた。
「ティアナ」
「はい、ハインリヒ様」
「昨日、言っていたこと······何故、『贄の魔女』達はヴァンゲンハイム家に手を貸し続けたか教えてもらえないだろうか」
靡くアイスブルーの長い髪の下で、濃紺の瞳が揺れていた。美しい眉はハの字を描いている。
私の余計な言葉はまたこの人を悩ませていたのだろう。
その顔を見たら言うべきか躊躇った。
でも例え今はぐらかしたとしても、私はいつか伝えるだろう。そうしなければ、ハインリヒ様は魔女に対してずっと罪悪感を抱き続けていくことになる。それ程までに、ヴァンゲンハイム家と魔女の思いはずれている。
「あくまで私の想像ですよ。それに今さら、過去をほじくり返しても結果は同じです」
「それでも、俺は知りたい。俺はずっとヴァンゲンハイム家が『贄の魔女』達を利用し続けたと思っていた。俺たちの役割を果たすために、ヴァンゲンハイム家のエゴのために、魔女を犠牲にしていたと」
ハインリヒ様は優しすぎる。優しくて真面目で、いつも一人で責任を背負おうとする。
「それはヴァンゲンハイム家側の思いであって魔女の思いは別だと思いますよ。それでも、共に魔術師達の記憶を奪い、両者で罪を共有しあった事実は変わりませんがね······」
「何故、魔女は罪だと判っていて手を貸した?」
「······人間に必要とされたかったから」
強いの風が一瞬二人の間を駆け抜けた。バサバサとローブがはためく。
「······私は、何度も生まれ変わり、何度も『贄の魔女』として生きてきました。悪魔であるノエルと『友達』のまま······ヴァンゲンハイム家しか知らない私の最大の秘密。あなた達と関わりはじめた頃の魔女がこの転生の秘密を共有することと引き換えに手を貸しました」
「ああ、シュトライヒ公爵も国王さえも転生の秘密を存じ上げてない。彼らは魔女ならば誰でも悪魔を呼び出せると思っているからな。全ての『贄の魔女』はお前ただ一人だけなのに」
「私·····記憶として残っているのは、ノエルと友達になった初代の『贄の魔女』の生涯だけなんです。だからヴァンゲンハイム家に手を貸し始めた頃の魔女としての記憶は全くありませんが」
私はしゃがんで砂浜の砂をほんの少し手にとった。
「ノエルの話を聞くと、私はどの生でも13才をすぎた辺りに魔女としての魔力に目覚めるそうです。大体その頃には漏れだした魔力を狙って魔物がわんさか押し寄せるので、古い時代にはだいぶ邪魔者扱いをされ石を投げられ、ノエルが私を迎えに来る頃にはだいたい魔物に喰われる寸前であったと」
砂はサラサラと乾いていて、指と指の間から簡単に落ちていく。
「それでも、最初の魔女の記憶がある私としてはどうしても人間を憎めない」
「何故だ?何度も酷いめにあっているんだろう?」
「彼女の······初代の『贄の魔女』の最後の願いが、『人間を愛し、愛されたい』だったからです」
手をパンパンと叩き、砂を払った。立ち上がり、ハインリヒ様の方を向くと、彼が泣きそうな顔をしているのがわかった。私はわざと口角をあげて笑う。
「誰でもいいから人間に必要とされたかったんですよ。だから私の力を必要としていたヴァンゲンハイム家の当主達の訴えに、優しいフリをしながら応えたんだと思います。秘密の共有?そんなの、あなた達を縛るための手段に過ぎない。理由なんて何でも良かったはずです」
「ティアナ······」
「ねえ、ハインリヒ様。私の魂は、ずっとずっと人間から嫌われて、おかしくなってるのかもしれないって時々思うんです」
「何を······」
「今でもたまに夢に見るんです。皆が私に石を投げて怒ってる。私、意思とは別に魔力が溢れて、魔物が押し寄せて、誤って魔法で人を傷つけて、『ごめんなさい』って言うんだけどもう何もかも手遅れで。私はいつも嫌われて、一人だった」
「······っ」
「だからこそ、魔女が手を貸したのは、ヴァンゲンハイム家が強制したんじゃないと思ったんです。過去の私は、人間と触れあいたかった。あなた達にただ求めて欲しかった。だから、自分のエゴのためにあの魔法陣を残したんですよ、きっとね。なんだか私の方が悪魔みたいですね、フフ」
距離はあったはずなのに、気がつくと私はハインリヒ様の腕の中にいた。 絹のような髪が私の頬に落ちる。長い睫毛が目蓋と共に閉ざされて、肩に顔を埋めた彼の表情は見えなくなった。
「そんな言い方するなよ····っ!必要とされたいと望んで何が悪い?愛されたいと思うことはおかしなことじゃない!」
「······ハインリヒ様?」
「お前がどんなに狂っていても、俺がお前に救われたのは紛れもない事実だ。それに歴代の当主達も······」
「······」
「俺だってお前の提案に自分のエゴで乗っかった。わかっていながらなお前とノエルを利用したんだ。それでも······お前が狂おうが、秘密があろうが、ただの人間でも悪魔でも······俺は、お前を手放す気はないぞ」
「魔術師資格試験に落ちても?」
「元々受かる気なんかないくせに」
「メイドの枠、確保してくださいます?」
「メイドにはしない!家人にしなくても一緒にいれるだろ」
「???そうなんですか?そんなこと出来るんですか?」
「これから考える」
「ふふ···っハインリヒ様ったら。なら、考えが纏まるまで、当面は師匠と弟子でいてください。私も初めて出来た人間の友達ともう少し一緒にいたいから。魔術庁に行かないと彼らに会えないんです」
ハインリヒ様は気が抜けたように笑った。
「そうだな。『楽しく生きる』のが目標だもんな。友達は大事だ」
ハインリヒ様につられて私も笑った。
突然、ノエルがヌッと私に顔を近づけた。
「ティアナ見てたらお腹すいたんだけど。昨日食べてないよ僕」
さっきまでそっぽを向いていたはずの不機嫌な悪魔は急にお腹が空いたらしい。急かされて、私達は一度王都に戻った。
昨日は一晩ノエルに我慢してもらったので、ハインリヒ様の配慮で午後は屋敷でノエルと過ごすことになった。
屋敷に戻り、着替えてすぐに自室のベッドに横たわり白猫を撫でる。
「ねえ、ノエル。私、初めて友達の役にたてたよ。明日にはもう友達じゃないって言われるかもしれないけど、私、人間の役にたてたよ」
白猫は小さく、にゃーと鳴いた。
「今世の私はラッキーだよね。私、今、幸せだな······」
目をそっと閉じる。目蓋の裏に見えたのは、古い過去の記憶の断片だ。 暖かな毛皮がすり寄るのを感じながら、私は意識を手放した。




