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──王都の外れの、崩れかけた教会の裏に中年の一人の男がいた。
辺りは民家が数件あるだけで、風と葉の音以外は聞こえない。
月も出ていない暗い夜、足元に展開された魔法陣の構築式は青白く発光し、その上には手のひらに入る収まるくらいの白い球体がふよふよと宙を浮いていた。
「こんばんは、ノルデンさん」
男の肩がビクンと跳ねた。
闇夜から真っ黒なマントを被り出てきた私に、ノルデンさんは眼鏡の片端を押さえながら、確かめるように何度も瞬きをした。顔が見えるようにフードを外すと、ノルデンさんはほっとため息を漏らす。
「······ティアナちゃん?なんでこんなところに」
「最近物騒ですから。民間人が怪我しないようにあちこち見回りしてました」
「そうか。君もまだ魔術師の卵なんだ。危ないから帰りなさい」
ノルデンさんは私から目をそらし、先程の球体に目を向けた。
「それを言うならノルデンさんも同じ弟子会の仲間ですよ。それ、その陣の上のやつ、ボールですか?下の魔法陣見たことないですね」
私がノルデンさんの足元に顔を近づけると、彼は口角を上げる。
「ねぇ、ティアナちゃん。魔術師の試験ってさ、馬鹿らしいと思わない?」
「試験?」
脈絡無く突然振られた話題に彼を見たが、ノルデンさんはぼうっと球体を見たまま薄く笑うだけだった。
「僕はさ、もう10年試験を受け続けている。たくさん勉強してきたんだ。でも、一向に受からない。ずっと弟子のまま。いい加減嫌になってきた」
「でもノルデンさん、魔術上手ですよ?」
「そう。僕は誰よりも技術がある。そんじょそこらの魔術師よりも。······この魔法陣はね、僕が作ったんだよ」
「なんの魔術なんですか?」
「一定期間魔物の弱い属性を克服する。すごく強くなるんだよ」
「これ、師匠は知ってらっしゃるんですか?もしかして代償とかあるんですか?」
「脳の回路が壊れる。使用された側にね。それに種の本能や、危機感、彼らを押さえつけているものを取っ払われる」
「魔物を強くして、いいことあります?魔術師が対処に困るだけじゃないですか」
「困ればいいさ。僕以外、魔術を使える人間がいなくなれば僕が一番だ。もう、試験も必要ない」
サアっと風が吹き、葉が擦れる音がした。
「······壊れてる」
私が呟いた瞬間、定まって無かった彼の意識が私に向けられた。悪意とともに睨みつけられる。
「壊れてる、だと······?誰がだ?僕がか?!ああ、壊れてるさ!」
顎を片手で掴まれた。思いの外強い力に頬が痛む。
「こんなに努力してきたのに!師匠だって僕を見てはため息しかつかない!前は、あんなに期待してくれていたのに!」
「ぐっ····!魔術師だけが生きる道じゃないわ!他の職を探すことだって······」
「今さら引けない!人生の殆どを魔術に費やしてきたのに!」
「弱虫!」
「······君のような若くて未来がある子に何がわかる·····はは······そうだ。君も壊れちゃえばいいよ。あちこちでだいぶ魔物には実験してきたんだ。でもね、この魔術、まだ人間に試したことないんだよね。君、実験台になってよ」
魔法陣の上に浮いている球体がふよふよと漂い、ノルデンさんは優しく摘まんだ。
「さあ、口を開いて。きっと魔物以上に······」
「僕の魔女に何しているの」
リン····と鈴の音がし、ノルデンさんの傍で逆さ吊りでノエルが顔を寄せた。
「ひっ······?!」
驚いたノルデンさんが、大きく後ろに下がった。
ノエルがくるんと回転して、私をチラリと見てからまたノルデンさんに視線を戻した。
「僕の魔女を傷つけようとした」
「な······なんだ、お前······?!」
「僕から魔女を奪おうとした」
「白い······体、······赤い目?」
「まて、ノエル」
私の後ろに立ったハインリヒ様は、全身真っ黒なマントでフードを目深に被り、真っ白な仮面をつけていた。
「真偽を探るのが先だ。魔物の弱点を変えたのはコイツか?」
「うん」
「その魔術は本当にそいつが作ったものか?」
「······掛け合わせてる。今の魔術と、······本を見た。うん、そいつが作った」
「いままでの魔物の弱点が変わった事件は全てコイツ一人の犯行か?」
ノルデンさんの歯がカタカタと鳴った。
「犯行はコイツ、一人」
「他に関与したのは?」
「フードを被ってて見えない······『鈴蘭』って何だっけ?」
ピクリとハインリヒ様が揺れ、静かにノルデンさんに近づいた。
「『鈴蘭』と何をした?」
「ひい······っ」
真っ青なノルデンさんはガタガタと震えた。
「ノエル」
「本を渡したのは『鈴蘭』て集団。コイツ、吹き込まれただけ」
「コイツは人を殺したか?」
「殺してない」
「審判を下す。あなたには二度と魔術を使わせない。魔術に関する全ての記憶を消除する。もちろん魔術庁への出入りも禁止だ。ノエル、記憶を消してくれ」
ハインリヒ様の声がフードの奥から闇夜に染み込むように広がって消えた。
「······コイツ、僕の魔女を傷つけようとした」
暗闇でノエルがユラリと一歩進んだのを、すぐに制止する。
「ノエル、お願い。従ってくれる?」
「ティアナがそう言うなら、いいよ」
「·····な、なんなんだお前!······魔女がどうしたって······ま、まさか······お前、悪魔か?嘘だろ?!だって、魔女も魔法使いも滅んだのに······!!」
その場に崩れて尻餅をついたノルデンさんは、ずりずりと地を蹴って後退りをする。
「はあ、はあ······!嘘だ······悪魔がいるなら、魔女か魔法使いが······魔女······魔女って、もしかして······」
ノルデンさんは、震えながら私を見つめた。
「君が魔女なの?ティアナちゃん······」
次の瞬間、ノルデンさんの黒目がひっくり返り、口から涎がとろりと零れた。
「がふ······っぐ······」
崩れ落ちた彼はそのまま意識を失った。
「私は『贄の魔女』なんです、ノルデンさん。もう、聞こえてないだろうけど······」




