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レナルドと別れたあと、私は真っ直ぐハインリヒ様のデスクに向かった。ノックの後、ハインリヒ様の執務室に入ると珍しい人物がいた。
「あ······シュトライヒ公爵様!失礼致しました」
慌てて深々と礼をした。
「おや。ティアナだったかな。久しぶりじゃないか」
口や顎に豊かな髭を蓄えておおらかそうに笑う公爵様は私に片手を上げて挨拶してくださった。
シュトライヒ公爵様はこの魔術庁の長官でもある。公爵様本人は魔術は使えないが、この庁舎の最高責任者であり、スーパーお偉いさんなのだ。
「うむ。いつ以来だ?」
「冬です。年越し前に······事件に立ち会った後日、初めてご挨拶させて頂きました」
「そうか。君達には厄介事に巻き込んでばかりで申し訳ないな」
「いえ。私はハインリヒ様の弟子ですから」
公爵様は口元の髭を摘まみながらハインリヒ様に視線を合わせる。
「アレクシスには······先代当主には彼女が弟子に入ったことを言ってあるのか?」
「はい、弟子として取る前と後に手紙を書きましたから」
ハインリヒ様が困ったように眉を下げ笑った。
「そうか。ティアナ······何か欲しいものがあれば言ってくれ。私にはそのぐらいしか出来ないからな」
「何もいらないです。······しいて言うなら魔術師資格試験に落ちたら、ヴァンゲンハイム家にメイドとして採用してくださるようハインリヒ様を説得してください」
「メイドになりたいのか?」
「落ちたあとの就職口を確保したいだけです」
公爵様はポカンと口を開けた後、くっくっくと喉を鳴らして笑い始めた。
「いやはや、なかなか面白いなハインリヒ?」
「はあ······俺は何があってもメイドなんかにするつもりは無いと言っているのですが」
ハインリヒ様は困り顔のまま会話を続けた。
「弟子会での収穫はあったのか?ティアナ」
「はい。サミュエル・プレーガー魔術師のところでも同じように弱点を克服した魔物に出くわしたそうです」
公爵様は今度は顎髭を撫でながら目を細めた。
「報告はこちらにもあがっている。短期間で事件が広がりすぎだな。私が来たということは、どういうことかわかるか?ティアナ」
「······まさか、また?」
「『黒薔薇』がいた。午後に二人で王城に向かえ。既に報告はしてある。ハインリヒ、いつも通り資料は読んだら燃やせ」
シュトライヒ公爵様の言葉に私の表情が固まった。
午後になり魔術庁から馬車に乗り、王城へ向かう馬車の中で、ハインリヒ様は一言も発しなかった。口を真一文字に結んだまま腕を組んで外を見ている。
なんとなく心が落ち着かなかった。私は初めて立ち会ったあの冬の日を思い出していた。ハインリヒ様も何か感じているのだろうかと、黙ったまま私も窓の外を見た。
「ティアナ、大丈夫か?」
「······はい」
「嫌なら、家で待機してるか?」
「大丈夫です。それに、あなたには私が必要でしょう?一緒にいます」
前を向き口角をあげる。
「大丈夫です」
はっきりと口にしたら、ハインリヒ様は眉を下げて笑った。
馬車は美しく舗装された道程を進み、私達は王城の裏門から入った。
広く美しい廊下をローファーのカツカツという音が響き渡る。突き当たりを曲がり、しばらく細い道を行くと陰でハインリヒ様が魔法陣を展開した。次の瞬間、古語がびっしりと書かれた石のドアが現れた。
左右を確認してから二人でドアの中に入る。振りかえるとドアはガタンと音と共に既に消えていた。
私達は石造りの部屋にいて、隙間と言えるぐらいの小さな窓からうっすら外の光が見えたが、建物ではなく空しかみえなかった。
ハインリヒ様が頭を垂れる。私も一歩下がってそれに倣った。
「おいでになります」
どこからともなく男性の声がし、次の瞬間、目の前に二人の足が見えた。
「面をあげよ」
恰幅の良い体に髭を蓄え、冠と煌びやかなマントをした男性が私達を見下ろしていた。すぐそばには片眼鏡をした線の細い男性が控えている。
「発言を許す。『黒薔薇』がいたと魔術公安から報告が上がった」
低く響くような声に体が揺れた。
「審判を行え。治世を乱すな」
「畏まりました」
バサッとマントを翻す音がし、カツンと硬い靴音がしたが目の前の男性が歩みを止めた。
「日々に······不足はないか、ハインリヒ」
「勿体なき言葉にございます、国王陛下」
「余を恨んでおるか」
「いいえ。私は幸せですから」
「そうか······」
ガタンと音が聞こえると二人の男の姿は既になかった。
くるりと振り返りハインリヒ様はいつものように軽く笑って私を見た。
「大丈夫だったか?」
「それは私が言いたいんですが」
「俺は別に平気だ。それより」
「······はい」
「王命が出た。今夜、動くぞ」
ハインリヒ様の魔法陣で再び現れた石のドアから、二人で廊下に出て、彼はまた踵の音を鳴らし歩き始めた。
私はアイスブルーの長い髪に括られた深緑のリボンが揺れる様を後ろから見ていた。
かつては自分の家だったはずの王城で、誰にも見られぬ部屋でしか会えない父親に、息子はどんな感情を持つのだろうか。
私にはわからない。わかるだなんて考えること自体が烏滸がましい。
臣下に下った王子の気持ちなんて。




