死闘
私はミネルヴァ・ニケ・スリアンヴォス。インペラートル王国最速を誇る竜の騎士です。
私と騎竜であるテルピュネが揃えば、自他ともに認める最も優れた騎士だと呼ばれています。
その為、私を快く思わない人物は多く、その一人に騎士総長エナス・ダ・イボコミスがいます。
彼は自らの地位を脅かす者に一切の容赦なく、非常な手段で排除してきました。
エナス殿は南の海を渡った大国ヴァンチトーレ帝国と繋がりがあり、ユピテル国王陛下ですら手が出し辛いのです。
此度の強狂怖大森林への調査、我が古竜騎士団が選ばれたのは彼の仕業だと思って間違いないでしょう。
本来であれば、精鋭とはいえ団員数40名と極めて少ない古竜騎士団ではなく、2000名もの団員を抱えるグリフォン騎士団の役割となります。40名では見える範囲があまりにも小さく、そして危険だからです。そう、危険なのです。
「「「ミネルヴァ様————!」」」
部下の一人が突貫を試み玉砕、彼女を庇った私は崩狐の放つ破壊を伴う衝撃波をまともに受けてしまいます。
ですが、
「————問題ありません!マァート、一人で突っ込まない。連携を取りなさい!マァートはセシャトと共に後方から極大魔術の準備を、ルナは二人の補佐を任せます。トモエは私と時間を稼ぎます。行きますよ!」
咄嗟に魔力障壁を張った為、何とか防ぐことに成功しました。
私の魔力障壁の強度なら、あの程度の魔術を無効化できるからです。ですが、マァートや他の皆ではそうはいかないでしょう。彼女達に今の魔術が向かないように気を付けなければなりません。
マァートとセシャトは上空から魔術を放つために騎竜で上へと上昇していきます。
一撃の威力の高さに定評のあるマァートと、魔術全般を得意とするセシャトに大火力の魔術を放ってもらいます。その間私とトモエで接近し時間を稼ぎ、ルナは中間で護りと補佐を担当させます。
崩狐は全身を漆黒の体毛に覆われた巨大な狐の魔物です。3mの身長と1tを優に超える体重、無尽蔵とも思えるマナを持ち、体力も底なしと可成り厄介な魔物です。
私には、戦女神アテナ神から授けられた加護が有ります。その名は【叡智】、知恵の女神でもあらせられるアテナ様から授けられた加護です。
【戦神アテナ】……全知全能神ゼウスは、最初の妻【叡智神メティス】が産むとされる我が子に、自らの地位を脅かされると予言され、懐妊したメティス呑み込んでしまう。胎児はゼウスの頭の中で成長し、ゼウスの頭から生まれた。この胎児がアテナである。
知恵、芸術、工芸、医術、戦の女神、都市の守護神でオリュンポス十二神の一柱。
【叡智神メティス】……叡智、思慮、助言の女神。ゼウスに呑み込まれてからは体内でアテナの武装を作り与えた。アテナが生まれてからはゼウスの体内で善悪を予言している。
ある意味究極の夫婦と言える存在である。
全知全能と叡智の娘で知恵の女神でもあるアテナ神。両親の力を受け継いだアテナ様が、私に授けて下さった加護が【叡智】だったのです。
そんな【叡智】の権能は凄まじく、高度で幅広くあります。
《“叡智”多重演算、超速思考、深淵に届き得る知恵》
《“空間支配”空間転移、亜空間、空間に対して強制力を働かせる》
《“超空間認識”探知、空間解析、半径20㎞圏内の全てを認識可能》
《“完全記憶”記憶保存、意志貫徹、決して忘れることのない記憶》
《“叡智界”超感覚世界》
この加護の力を使い、崩狐の位置を割り出し、戦力を分析し予測を立て、空間を越えて奇襲をかけたのです。
《種族:崩狐
名前:なし 加護:なし ランク:A
魔術適性:大気、大地、回復
種族スキル:【霊力】【受肉】【霊魂存続】【幻影】
固有スキル:【獣聚蟲卒】
上級スキル:【地脈吸収】
スキル:【俊足】【天駆】【吸収効果上昇】》
これが崩狐のステータスです。
生存することに長けたスキルを多く持ち、倒しきるには魂を破壊しなくてはなりません。
【霊力】はオドを使用し、肉体強化、回復、攻撃と使い勝手のいい力です。しかし、マナではなくオドを使用する為使い切れば死にます。
ですが、崩狐は上級スキル【地脈吸収】により、大地から無尽蔵にオドを吸収することが可能です。
さらに【霊魂存続】により、肉体の死は死ではなく魂のみで生き続け、【受肉】により肉体の復活が可能。と、生存に特化しています。
奇襲は成功しましたが、倒すには至らず瞬く間に回復を許してしまいました。
それからの攻防は激しく、どちらも互いに隙を見せないように立ち回り、お互いに相手に致命傷を与えられずにいました。
戦力が拮抗し決定打の打てないままでは固有スキル獣聚蟲卒を持つ崩狐に分があります。
今それを使わないのは、何かしらの制約があるからでしょう。クールタイムが必要なのかもしれません。
短期で崩狐を沈める為に大火力の魔術が必要になります。マァートとセシャトにはその魔術を放ってもらいます。
魔法を使う手もありますが、魔法は信仰する神との信頼関係がものを言います。行使した魔法が期待通りの効果を発揮しない事はままあります。神とは気まぐれな存在なのです。
はい?それでは使い物にならない?
そんなことはありません。神は確かに気まぐれではありますが、確かな信頼があるのなら救ってくれるのが神なのです。無闇矢鱈と力を貸してはくれませんが、ここぞという時には必ず力になってくれるのです。
では何故期待通りの効果を発揮しない時があるのか?それは使い手の行為が神から見て間違っている場合です。
神にとって都合の悪い、また結果的に自身の為にならない場合には力を貸してはくださりません。
故に信頼がものを言うのです。神が彼なら大丈夫だと、信頼し得る者からの願いなら、快く力を貸してくれるでしょう。
私が今、魔法を使わないのは信頼がないからではありません。単純に崩狐が祈りの時間をくれないからです。
魔法の発動条件は、信仰する神に届く祈りを捧げることです。ですが、崩狐は私とトモエが魔法を使えることを見抜き警戒を怠らないのです。ですからマークされていないセシャト達に止めの一撃を任せるのです。
この場に赴く前、魔法による限界を超える力を全員が授かってきました。
叡智により予測は出来ていましたが、限界突破して尚ギリギリの戦いです。
鑑定では崩狐はAランク上位の実力の持ち主です。
同じAランクの私とトモエは辛うじてAに判定されますが、崩狐は比べるもなく強者なのです。その差を埋める為の限界突破でしたが、それでも足りなかったようです。
「きゃあ!」
今もピートゥリアの背に乗るトモエが崩狐の魔術を防ぎ損ない、龍の背の上から弾き飛ばされてしまいます。
ピートゥリアはテルピュネを除く他の団員の騎竜である亜竜の飛竜とは違い、細長い身体をした本物の龍です。
テルピュネと同様にまだ幼く、階級は天災級ですが今はまだBランク程度の実力しかありません。
主を弾き飛ばされたピートゥリアは、地面に落下しないよう空中でキャッチしています。その隙を見逃す崩狐ではありません。空を駆けるスキル、【天駆】を用いて追撃を仕掛けたのです。しかし、その追撃を許す私でもありません。
大きな牙で喰らいつこうとする崩狐の背に私の神槍、女神の劾槍の一撃が突き刺さります。
————————————————!!!
派手に飛び散る崩狐の血液が雨のように地上に降り注ぎ赤黒く染めていきます。
脊髄を狙った一撃でしたが、致命傷を避けられ脊髄破壊とはいきませんでした。
ですが、神槍によるダメージは肉体のみには止まらず、霊魂にまで及びます。
脊髄を逸れはしましたが、肺には達した深い傷は、魂をも傷つけ大きなダメージになった筈です。
魂のダメージには魔術の回復などでは役に立ちません。これで少しは動きも鈍るでしょう。
そして戦線復帰したトモエと共に畳み掛けていきます。
「はあぁぁぁぁぁ————!」
トモエの龍王長薙刀が崩狐の右後ろ足を狙い斬りつけ、同時に上空から降り注ぐ雨の様に連射される魔力を纏う光の矢、ルナの放つ弓術です。
崩狐は障壁を張り防ぎますが、先程までの反応速度は無いようで、僅かに障壁展開が遅れ、トモエの一撃が脚を傷つけ、ルナの矢が背中に何十と突き刺さっていきます。
「今です!放ちなさい!」
————!吠える崩狐に魔術が止めを刺します。セシャトとマァートの極大魔術です。
「裁かれなさい『死神の断頭』!」
セシャトの魔術が発動し、崩狐の背後に影のように佇む死神の姿が現れます。その死神、巨大な鎌を持ち、暗く深い黒のローブを纏い、闇の気を発し、見る者に死のイメージを与えます。
死神は一振りの巨大な大鎌を両手に持って、崩狐の頸目掛けて振り下ろします。
!!!!!!!!!
声に出せない叫び声、スッパリと斬られた頸は辛うじて繋がってはいますが、致命傷で間違いありません。生きる力たるオドが急速に失われていくのが分かります。
崩狐は地面に落下、ですが、これで終わりではありません。
「骨も残さず灰と化せ『太陽の塔』!」
正に止めの一撃、巨大な崩狐の身体を完全に覆い隠す程広い範囲で聳え立つ炎の塔。
天を見上げる程高く太い炎塔の内部温度は4800℃を超え、生物では到底耐えることの出来ないダイヤモンドの沸点に相当する超高温、マァートの切り札の一つに挙げられています。
大規模高性能な魔術で広範囲に殲滅級の攻撃を行いますが、炎塔の外側には一切被害を出すことはありません。外側には一切の温度変化がないのです。
「よっしゃー!なんだ、厄災級つっても大したことなかったな!はぁはぁはぁっ」
「やったね、マァートぉ!」
喜ぶマァートとルナ、空を優雅に飛行し器用に飛竜の上からハイタッチをしています。
一方でセシャトとトモエは空中で静止し、深刻な表情で崩狐のいる炎塔を見下ろしています。
当然ですね。先の魔術では止めを刺すのには至らなかったのですから。
悔しいですが魔術では傷を与えられはしても、止めを刺すには火力が足らなかったようです。
当然だったのです。相手はAランクの厄災級で高い霊力を持つと言われる野狐の一種なのですから。
案の定、
————————————————————————!!!
「———————障壁を張りなさい!」
咆哮と同時に吹き消される太陽の塔。
内包した熱が辺りに飛散し植物達を燃やしています。
吹き荒ぶ熱波の中、目を凝らせば見えてきます。炎塔の跡、溶けた大地に佇む一匹の獣が!
「ちっ、ダメなのかよ!」
「ウソッ!マァートの切り札なのにぃ」
「ご丁寧にセシャトが斬った頸まで元通りかよ!」
見た目は無傷の状態です、見た目はね。
「マァートさん!崩狐には魔術適性に回復魔術がありました。あの炎の中、魔術で回復したのでしょう」
トモエの言は正しい。正確には魔術と霊力とスキルの合わせ技といったところでしょう。
怒りに燃える形相を見せる崩狐の上空を旋回しながら様子を窺います。
「どうしますか?あの規模の魔術が通用しないとなると直接攻撃するしかない様に思えますが?」
怒りを溜め込むかのような崩狐の沈黙。
「そうですね。トモエとマァートで攻めます。セシャトは牽制の魔術を、ルナは守りに徹して下さい」
「「「はいっ!」」」
急降下する私達に視線を向け一気に天駆を用いて駆け上がってきます。
迎え撃つはトモエの薙刀とマァートの銀剣、二人は崩狐の脇を刃を押し当てすり抜けるようにして通り過ぎます。
崩狐の正面には私が女神の劾槍を構え待ち受けます。
神槍を警戒しているのか、崩狐が眼前で急な方向転換をし私に背を向け二人を追います。
二人も既に臨戦態勢に入っており正面から迫る崩狐に魔術を放ちながら二手に別れます。
「こちらです!『ダークネス・フィア』!」
「いんや、こっちだ!『ファイアボール』!」
二人ともまるで鬼ごっこをしているようですね。
ですが、崩狐は彼女達よりも格上の存在です。決してふざけてやっているわけではありません。二人は私の下に崩狐を誘導するように移動しているのです。
『願わくは神の慈悲をお与えください。
救われぬ非力なる貴女の子等の願いを聞き届け、どうかお守りください。
子等の前に立ちはだかる乗り越えがたき巨大な壁を、
阻を打ち破り前へ進む勇気をお与えください。
貴女に与えられし神なる槍に、
全ての邪悪なる存在を滅ぼす力をお与えください!』
崩狐の失念、魔法を使う為の祈りをアテナ神に捧げる僅かな時間。
その僅かな時間は崩狐の命運を分ける。
怒りで理性が低下しているのでしょうか?
崩狐はその時間を私に与えるべきではありませんでした。
鬼ごっこは続き、二人は魔術を放ち離れていく、を繰り返し行っています。
ですが、流石に気付かれましたね。不意に崩狐がこちらを凝視し駆けてきます。
セシャトとルナによる援護射撃を物ともせずに突貫する崩狐ですが、少し遅かったですね。
祈りは終わり、大いなる力を授かった私に突進する崩狐、女神の劾槍の一撃が眉間を狙います。
この一撃は神の一撃、当たれば我々の勝は確定するのです。
神に捧げた祈りは覆滅、完全なる滅びです。
振るわれる女神の劾槍に自ら突進して来る崩狐に、こちらの方が戸惑いを覚える程の無謀さに嫌な予感を覚えます。
ですが、テルピュネの牙と爪が崩狐の突進を止め、槍の穂先が崩狐の眉間に突き刺さります。
————————————————————————ッ!!!!!!
確かにこの腕に伝わる崩狐を貫く感触と、深々と刺さる神槍の視覚的な情報に一瞬の脱力。
——————魔術!
断末魔と同時に崩狐の命を賭した渾身の一撃。
しまった!完全に油断していた為に障壁が間に合いません!
「「「ミネルヴァ様ッ————————!!!」
部下達の叫び声は届きません。
崩狐の渾身の魔術は私の魔法を受け尚、命を奪い取りに発動します。
魂すらも消し飛ぶのではないかと思われる程の衝撃、気付けば私はテルピュネの背から弾かれ大きく吹き飛ばされていました。
私一人に集約された必殺の最後の一撃は、私ごと空間を裂き、森の木々を消し飛ばし、地面にクレーターを形成し、更に地面を削りながら引きずられ大木に激突して漸く止まりました。
体中の肉と骨の至る全てが悲鳴を上げています。
命を落とさなかったことは最大の幸運でした。ですが、意識は朦朧とし立ち上がる力は皆無。
視界は霞み崩狐の姿は確認することは出来ず、立ち上がることはおろか指一本動かすこと叶わず、只々その場で寝そべるだけ。
仲間達が急いで近寄ってくることさえ気付きませんでした。辛うじてテルピュネが覆い被さったのが分かりました。
護ってくれるのですね、テルピュネ。
「ミネルヴァ様————、今回復します!動かないで下さい」
よく聞こえませんがセシャトでしょうか?
誰かが何かを言った気がした直後に暖かな力が私を包み込むのがわかりました。
「ミネルヴァ様やだよぉ~」
「ルナ!取り乱さないで再生してください!私では回復がやっとです、が貴女なら癒せる筈です!」
「ルナ!頼むよ、速くミネルヴァ様を治してやってくれよ」
「う、うん!まかせて、絶対に助けるんだからぁ!再生の光よ彼の者を癒せ!『レナトゥース』!」
「————ッ!ルナさん、ここは貴女達にお任せします。マァートさん、崩狐の様子を確認してきましょう。様子が変です」
「なっ、まだ生きてんのかよ!分かった、行こうトモエ。セシャト、ルナ、ミネルヴァ様を頼むぞ」
「ええ、任されたわ。貴女達も気を付けて」
「………………」
「ルナさんの集中は凄いですね。行きましょうマァートさん」
「おう」
意識を手放したミネルヴァをその場に残し崩狐の異変を確認するべくその場を離れるトモエとマァート。
二人が目にしたものは、眉間に槍を生やし尚立ち上がろうと藻掻く一匹の大きな獣の姿。
大地からオドを吸い取りながら懸命に生きようと藻掻くその姿は正しく生きる者の姿だった。
だが、ここでこの獣の命を奪わなければ彼女達の尊敬にやまないミネルヴァの命はないであろうことは明白である。
「しつけーんだよ!やれアギオス『ファイアブレス』!」
「ミネルヴァ様の仇です!ここで散りなさいピートゥリア『雷咆』!」
彼女達の後方で微かに紅玉の様な瞳を開けるミネルヴァ、霞む視界に映るのはトモエとマァートの飛竜による炎と雷のブレス、そして傍で二人の部下が施す癒しの魔術。
セシャトの回復魔術にルナの再生魔術。ん?と疑問に思う、再生魔術?
回復魔術とは、対象者の治癒能力を活性化させ傷の治りを劇的に早くする魔術。
対して再生魔術は、対象者の欠損部位をマナを肉体の代わりに物質化させ、元通りに再生する魔術。
何故再生魔術を使うのか?知れたこと、欠損部位を補うためだ。
必死に崩狐を見るミネルヴァの視界に映る炎と雷に焼かれる崩狐、その額には今でも深々と神槍が突き刺さっている。
目を細め視覚のピントを何とか合わせると、神槍に何かが付いているのが確認できた。
今も尚、確りと神槍を握りしめる己自身の利き腕たる右腕が……。
一瞬の驚愕、されど今も尚自身を包む暖かな力に、信頼する二人の仲間が必死に施す治癒の魔術に、安心感を覚えるている。
しかし、それも一瞬のこと、突如として崩狐が目も眩む程の光を全身から発したからだ。
驚く女性騎士達、トモエとマァートの二人は攻撃を激化させ崩狐を攻めるも光はその強さを増すばかり。と、同時に膨れ上がる崩狐の存在感。
だが、セシャトとルナは光る崩狐にすら気付くことなく治療に集中している。
「ふ、二人とも……、私はも、もう十分です。今直ぐに、逃げなさい!」
ハッキリとした意識と声を取り戻すだけ回復したミネルヴァが傍らの少女達を逃がそうと立ち上がろうと力をいれる。
「まだダメだよぉ。動かないでミネルヴァ様ぁ~」
「いけません!今動かれては傷が開いてしまいます」
「二人とも逃げなさい!これは命令です!アレは進化しよとしています!」
「「なっ!!!」」
そう進化です。
魔物は時として進化を果たすのです。
進化した魔物は前と後とでは比べ物にならないほど強力な存在に生まれ変わります。
進化条件などは分かっていませんが、命の危機に面して進化するのでしょう。今目の前で行われているように。
崩狐の実力は我々と互角でした。ですが、進化後はそうはいきません。
「そ、そんな……。マァート、トモエ止めを急いでー!」
「「言われるまでもない(ありません)!」
二人は危機感に駆られて極大魔術を使用して止めを刺そうとしますが、少々遅かったようです。
進化の終わりを感じさせる一切強烈な光を放ち、突如光は弱まり萎んでいきます。
「————!二人共逃げなさい!!!」
ア゛あ゛ア゛ァ゛ぁ゛あ゛ァ゛————————!!!
崩狐の放つ怨嗟の叫びだろうか、魂を震わすような、萎縮するような濁った爆音とかした叫び声。
「~~~~~~~~!」
「うぅ~、何も聞こえないよぉ~」
「な、なんなんだ!」
「マァートさん、一旦引きましょう。進化後の実力は予測出来ません」
「お、おう」
二人が飛竜に乗って戻ってきます。
その間も徐々に弱まる崩狐の光、目を凝らせば崩狐のシルエットが見ることが出来ます。
膨れ上がる圧倒的な存在感は今もまだ増幅中です。反して3mもあった筈の身長はみるみる縮み今は人と同等程度の大きさに見えます。
ァァァアアァアアアアァァァ————!!!
崩狐の叫びと共に完全に光が収束し、確かに見える崩狐の姿。
それに伴い放たれるプレッシャーは今までの比ではありません。
只そこに存在するだけで心の臓を破壊されるかのように、激しく繰り返される鼓動、奴の放つ圧だけで肌が切り裂かれるような錯覚に陥ります。
3mもの身長は今や150㎝程でしょうか?
手足は長くほっそりとした瑞々しい肢体、男が見たら喜びそうな豊満な胸に括れた腰、整った顔立ちに長い髪は黒く艶やか、頭の上に狐の黒いミミ、長いまつ毛に漆黒の瞳と、一言で言えば絶世の美女でしょうか。体毛もなく、身に着けるものも無く裸です。
そう、狐の魔物は人の姿で進化を遂げたのです。違う点を挙げるのなら耳と尻尾でしょう。
「そんな……、進化してしまいました」
セシャトの驚愕。
「ウソだろ!なんで人の姿してんだよバカにしてんのかよ!」
マァートの怒り。
「どうしよう。勝てるのかなぁ。すごく強くなってるよ」
ルナの不安。
「どんな姿でしょうとも、どれ程強くなろうとも負ける訳には参りません」
トモエの決意。
私の傷は塞がりましたが、失った右腕は再生には至りませんでした。
途中で崩狐のプレッシャーを受けた為魔術が完成しなかったのです。
ですが、気にしている場合ではありません。
アレは既に崩狐ではありません。強さの次元が違います。
最早我々だけでは勝算はありません。何故ならば……、
《種族:|滅狐
名前:なし 加護:なし ランク:S
称号:Sの壁を越えし者(+全能力補正・大)
魔術適性:大気、大地、回復
種族スキル:【大霊力】【受肉】【霊魂存続】【幻影】【気配感知】【気配遮断】
固有スキル:【獣聚蟲卒】
上級スキル:【地脈吸収】【霊魔障壁】
スキル:【獣体術】【俊足】【飛翔】【吸収効果上昇】》
崩狐は滅狐となり、人には到達不可能と言われるSランクに達したのですから。
せめて部下達だけでも逃がしてやりたいのですが、祈りを捧げれば瞬間に殺されるでしょう。
トモエやマァートまで体の震えを隠しきれていません。皆悟ったのですね、勝ち目どころか逃げ筋すら見えないことに。
私は立ち上がり、そばで心配そうに顔を押し付けてくるテルピュネに声を掛けます。
「テルピュネ、もう一度お願いできますか?」
キュウゥと一声上げ体を伏せ背中を見せるテルピュネ。
具体的に説明しなくても分かってくれる私の姉妹。ごめんねテルピュネ。共に死んでもらいます。
「せめて拠点に残る者達にこのことを知らせ、この森から撤退させます。我々はその間の時間を稼ぐことになります。命が助かる保証はありませんが、共に参りましょう!」
「「「はっ!!!」」」
皆の決意に満ちた瞳を見て覚悟を決めます。
「では来なさい【グラウクス】!」
私の左腕に顕現する一羽の梟。
金の瞳は眼光鋭く全てを見通し、純白の羽毛は一切の穢れもなく、鋭利な爪に捕らえられたものは逃れること叶わず。その嘴から紡がれる言葉に嘘はなく、真実のみを口にする。
これが純白の神鳥グラウクスなのです。
「このことを皆に知らせてください。決して助けに来ない様にお願いします」
私はグラウクスに、ふぅーっと息を吹きかけます。
息吹が掛かると、まるで連続するシャボン玉のように、積み重ねられた紙束が一枚一枚風に舞い上がるかのように、吹き掛ける息吹に合わせて無数に分裂を繰り返すグラウクス。
どれか一羽でも彼女達の元に辿り着ければ、あの娘達は助かる確率が上がります。
それを見た滅狐の瞳に光が宿り漸く動き出します。
「皆、来ます————!」
「「「!!!」」」
気付けば滅狐の姿が目の前に現れました!
同時に腹部に信じられない程の衝撃を受け、再度吹き飛ばされてしまいます。
皆が滅狐に襲い掛かり、テルピュネが私を追いかけ飛翔します。
ですが、皆が瞬く間に制圧され、次の瞬間にはテルピュネの背の上に現れます。
滅狐は背の上で大きく片足を上げ、踏み抜くようにテルピュネの背を蹴りつけます。
凄まじい速度で落下し地面に激突するテルピュネは、大地に巨大なクレーターを作り上げています。
これで意識を保つ者はこの場で滅狐だけになってしまいました。
ああ、神よ、願わくは部下の命だけはお救い下さい……。