黒き化け物=ジャック!
突如としてその群れは現れた。逃げる王国軍と追う帝国軍の丁度中間地点に姿を現した。
一体は黒く雄々しく逞しい体躯、節ばった八本の脚、鎌の様な手にハサミの様な口、幾つもの複眼を持ち、人よりも若干背の高い魔物。
もう一体は白く丸みを帯びたフォルム、滑らかな八本の脚は槍の様に鋭く先端が尖り、黒い巨体の魔物より若干背が低い。
そして、その二体に付き従う数えるのも馬鹿らしい程のバスケットボール大の同種がワラワラと戦場に乱入してきた。
それは蜘蛛の魔物、見た者に畏怖の感情を問答無用で叩き込んでくる強者達だった。
その蜘蛛の魔物達が現れた事で状況は一変した。一斉に帝国の兵士達に襲い掛かった。
何故だか王国兵を無視するように帝国兵だけを狙う魔物達。帝国側からしたら悪夢の様な出来事だ。あと一歩で王国軍を追い詰める事が出来たものを、ここぞとばかりに邪魔が入ったのだから。
恐るべきは大きな二体の蜘蛛だろう。
この二体は、竜の咆哮を連想させるブレスを使い広範囲に渡る殲滅を行っている。この攻撃で、数えきれない程の帝国兵が命を落としていった。
その子供達だろうか?小型の蜘蛛達ですら一般の兵士では苦戦する程の強さを見せている。
その数は既に万に届くのではないか?と、思う程膨れ上がり、帝国兵を追い詰める。
「急に何なんだ!王国は魔物を飼っているのか?————えぇい、魔術師部隊はどうした!アポロ様とディアナ様は来ていないのか?」
「まだ到着致しておりません。魔術騎士団の方々は未だ遥か後方です」
「くそっ、だからガキを連れてくるべきではないと言ったんだ!」
「ですが、アポロ様もディアナ様も歳は幼くとも帝国随一の魔術の使い手で御座います!」
先頭を走る帝国兵の指揮官たる上級騎士の一人が、エンキ・ナイツの到着が遅れていることを愚痴り、部下がそれを宥めている。
普段からアポロの態度が気に入らないこの騎士にとって、肝心な時に不在である彼等に極めて強い怒りを感じてしょうがなかった。
「それにしても、あの魔物は何なのでしょう?異常な強さを持っています。小さな個体にしても、恐らくはランクⅮ、最悪Cに達していると思われます。あの巨大な二体に至ってはSランクに届くかと……。どうなさりますか?」
「Sランクが一体でもいれば終いだ!二匹も王国側に付けば、我々帝国の勝利は危ぶまれる。いや、ハッキリと無理だと断言できる。……アポロ様とディアナ様に抑えて貰うしかないだろうな。小さい蜘蛛共なら何とでもなるがな、デカい方は無理だ。くそっ、撤退も視野に入れなければならんか!」
Sランクの魔物が一体居るだけで国の大惨事となる。
そんな魔物が、本国ではなく敵国に現れたのは僥倖と言えなくもないが、決して他人事ではない。
「せめてマーズ様が居られれば良かったのですが……。アポロ様とディアナ様の二人でもSランクは抑えきれるかどうか?……撤退致しましょう!」
「マーズ様か、居ない者を当てにしても仕方がないな。全軍に通達!アポロ様の元まで後退する!」
決心を固めた騎士が撤退の号令を出す。
撤退を開始する帝国軍を見て歓喜する王国軍だが、一概に喜べる状況ではないと直ぐに気付く。あの魔物達が味方であるとは限らないからだ。
「あの魔物達は我等の味方なのか?」
帝国軍を追って遠ざかる蜘蛛の化け物達を見て、マルスが思わず口にする。
「まさかアレがヴェルエムロードのSランクの魔物なのか……?そう何体もSランクはいない筈だ、誰かっ!あの魔物の鑑定を成功させた者は居るか!」
マルスの問に応える者が居た。多くの隊の一つであるユリウス隊の隊長ユリウスだ。
ユリウスは均の取れた恵まれた肉体を持ち、魔術の扱いにも優れ、剣の腕も確か。メキメキと頭角を現す若き隊長だ。
ユリウスはマルスの前へと出て、跪き報告する。
「殿下、我が隊の鑑定師が鑑定に成功しました!あの蜘蛛の魔物はヴェルエムロードの魔物で間違い御座いません。種族名を“ギルティアラ”、個体名までは分からなかったそうです。大きな二体の個体はSランク、小さい方はⅮからCランク、数体Bランクも確認されました」
「とてもではないが手を出していい存在ではないな。……ギルティアラか?聞いたことがない名だ。新種なのか?」
「そこまでは分かりません。ですが、アレ等が此方に向かってくる様な事があれば国の存亡に関わります。ここは手を出さず、静観するが得策かと愚考致します」
「そうだな、我等もミーレスまで後退するぞ!」
「ははっ!」
再度、それは突然としてやって来た。
帝国軍を追い払った蜘蛛達が広げた空間内に認知されることなくソレは立っていたのだ。
————————!!!
一見全身を鎧で覆われた人物に見えるが、よく見ると鎧には血管の様な物が浮き出ており、兜には口だけが大きく裂け、笑っているよにも見える。
それはまるで悪がそのまま形を成したかの様な、又、怨念や怨嗟といった負のエネルギーが一ヶ所に凝り固まったかのような存在だった。誰もが一目見て邪悪な存在だと認識する容姿、纏う気配も禍々しく誰一人動ける者は居なかった。
その人物は次第に黒い闇の様な粒子を身体全体から発しだし異様さに磨きをかけていった。
身体の奥底から溢れ出す言葉に出来ない程の恐怖。全騎士全兵士が死を直感させられた瞬間だった。
「な、何者だ奴は、何時からあそこに立っていた!?ユ、ユリウス、先程の者に急ぎ鑑定を頼め!」
アレを放置してはならないと、マルスの本能が告げていた。
ユリウスが慌てて下がり一人の兵士を連れて来た。
「も、申し訳ありません殿下!だ、駄目です。アレを鑑定することが出来ません!少なくともSランクより上位の存在とだけしか……」
「くっ、天災級より上位の存在、……幻想級、或は神話級と言うのか!……国が亡びる事になる!何としても、何としてもここでアレは倒さねばならん。たとえ我々が全滅することになったとしてもだ!でなければインペラートル、いや、世界の破滅だ!」
「ですが、アレが敵とは決まってはおりません。先の魔物同様、下手に刺激すれば此方に牙を向くやも知れません!」
「たわけっ!アレは歴とした敵意を此方に向けているのが分らないのか!?背を向けた瞬間に襲って来るぞ!」
これまでのインペラートルの歴史の中でSを越える幻想、神話級が強狂怖大森林の外に現れた記録はない。結界を張る前に僅かに存在した記録しが、幾つもの国を滅ぼした存在として残っている程度だ。
その為に知識として脅威であることは知っていても、実際の力を知る者は誰一人としていない。
人は未知に惹かれるものだが、同時に恐怖する者でもある。
王国軍は黒き塊=ジャックに恐怖し、同時に僅かな奇妙な興味が湧き上がっていた。
俺達の力はどこまで通用するのか?
どこまで進むことが出来るのか?
将来、結界が破れたとしてもやっていけるのか丁度良い実験になるのではないか?
恐怖を感じながらも、麻痺した思考が危うい行動を引き起こす。
目の前の恐怖により思考が麻痺しかかっている為に起きた無謀な挑戦。寧ろここで戦力を失えば後に対抗出来なくどころか、傾いた国を立て直す事すら不可能となる。だが、そのことに思考が行き渡らない。
ジャックは既に帝国を相手取るよりも危険な存在だと分からなくなっていた。
何故なら、それこそが、ジャックがテュポーンの欠片に憑依された際に得た加護【獸王之憤怒】の権能だからだ。
【獸王之憤怒】の権能は、
《思考誘導、極自然と相手の思考を支配し此方に敵意を誘導させる》
《思考妨害、相手の思考を麻痺させ正しい行動を制限する》
《神威、神の威を借る者。神の威圧、弱き者はそれだけで心臓の鼓動を止めてしまう。相手に強力なデバフを掛けると同時に、自身に強力なバフを掛ける》
《破滅、自然と相手を破滅に導く》
である。
この加護から逃れるには、同じく神の加護が必要になるだろう。
「よし、全魔術部隊は準備に掛かれ!歩兵、槍兵は全面に出よ!騎馬隊は先制をするぞ。我に続けぇ!命を捨てよ!その覚悟を示せ————!」
マルスが命令を掛け、自ら最前線に立つ。
その上空では、古竜騎士団が蒼い顔で地上の様子を見ていた。
「ちょ、ちょっと待って、殿下はアレと一戦交える気でいるのですか!?」
セシャトが驚きの声を上げる。
彼女達古竜騎士団は、キララの仲間意識の中に居るため、彼女がプルートから授かった加護【絶対力】の影響を受け【獸王之憤怒】から逃れる事が出来ていた。
セシャトの声にビックリしながらルナが口を開く。
「本当だぁ、嘘でしょ~!?アレは無理だよ~。アレはミネルヴァ様を呼んで来ないと勝ち目がないよぉ~」
「いえ、アレは団長でも無理ですわ。Sランクを越えていますもの……」
ミネルヴァは強狂怖でSランクの滅狐に勝てず辛酸をなめている。
ヤクラの言葉にマァートが悔しながらも同意を示す。
「確かにな……。くそっ、次から次へと化け物が出てきやがって!勝ち目が無いなら逃げるしかないけど、マルス殿下を放っても置けないよな!?さっきの蜘蛛といい何なんだよ、まったくよぉ!」
マァートとて出来る事ならこの場で不安要素は排除しておきたい。しかし、眼下の敵は古竜騎士団総出で挑んだところで勝ち目がないと理解している。
「ええ、殿下を置いていくことは出来かねます。殿下が戦うお積もりなら、ここで逃げれば敵前逃亡になってしまいます。敵前逃亡は重罪ですから出来れば避けたいですね」
トモエが沈んだ声音で言う。勝ち目が無い相手にどう対処していいものかが分からず、国の皇太子をどう救出するかが思い浮かばない。
が、その背後に居るキララから明るい声が掛かる。
「なら、アレは私が一人で相手するよ。倒す事は出来なくても、時間稼ぎ位なら出来ると思うからね。その間に皆は殿下を逃がしてやって。私は死ぬことが無いから大丈夫だし、もし敗れてもそのことが主に伝わるから……。そうすれば主が動くし、主が動けばあの黒いのも問題なく倒してくれるよ。ねぇ、何の問題もないよ。心配無用で御座るよ!」
キララの明るい言葉に皆が顔を上げる。
キララの主であるフヅキの現在の身体能力は所詮はBランクでしかない。
それでもジャックに勝てると確信しているのは、フヅキ自体が神であること、冥王からの加護【絶対神力】が有る事、女神流の使い手であることが大きい。
キララ自身神魂器のため、たとえ敗れたとしても死ぬことがない。少しの間、プルートの中に戻るだけだ。しかし、それを知らない仲間からは大ブーイングを受ける事となる。
一人で勝ち目のない相手に挑もうとするキララにマァートが怒りの声を上げた。
「死ぬことが無いってっ、そんな訳ないだろ!ふざけたこと言うなよ!たとえそうだとしても、怖ぇもんは怖ぇし、痛てぇもんは痛てぇ!キララがどれだけ強くたっても、仲間を一人で戦わせる訳ないだろ!」
「そうだよぉ。負けること前提なら行かせられない!それだけは出来ないよぉ」
「そうです。たとえ行けば死ぬと分かっていたとしても、仲間を一人で死地へなど送りません!行くのならば全員でです!」
ルナやセシャトが強い口調で嗜める。
既にキララは客ではなく、仲間として認識されているようだった。
「有難う。でも、駄目だよ。アレはアノ森で出会った化け物と同じ存在。皆じゃ攻撃を受けたらそれで終わっちゃうよ。でも、私なら時間を稼げる。この国の王子様を助けないといけないでしょ?それが可能なのはこの場には私しかいないから……。皆の気持ちは嬉しい、嬉しいけど、それでも私は一人で行くよ」
皆がキララの名を呼ぶ。だが、現状ではキララの案に乗るしか方法が思い浮かばなかった。それでも、仲間を死なせることに抵抗を感じ声を掛ける。
「ですがキララさん、それは私達が仲間を見捨てる行為に等しい。私達に仲間を見捨てろ、とそう仰るのですか?」
「それでも、だよ。こうしている間にも兵達が命を落としてる。一人でも多くの兵を助けないと、この戦に勝ったところで立ち行かなくなる!大丈夫、私には絶対な加護があるから、私に任せて!決して死に急ぐような事はしないから」
地上では決死の覚悟でジャックに挑むインペラートル軍。しかし、成果は果たせず無駄に命を散らせるだけだった。
皆を代表し、副団長たるセシャトが決断を下す。
「分かりました。キララさんに頼ることとします」
「セシャト!!!」
「ですが、見捨てる訳にはいきません。ので、キヤーナ!」
「————?、……ははははいっ!」
予期せぬ指名に一瞬キヤーナが自分の事ではないと疑問符を浮かべ、一拍置いて返事をする。
「私達の中で最速を誇るのは貴方の竜です。急ぎミーレス城へと赴き、ミネルヴァ様を呼んで来て下さい!」
「わっ、私のオーヒがですか?そそそれはっ、か、買い被り過ぎででです!」
「いいから急ぎなさい!出来ればフヅキさんも呼んで来てくれると助かります」
「ははははいっ!」
セシャトの命を受け、急発進するキヤーナ。実際にキヤーナの騎乗する竜オーヒは、飛翔特化型の古竜騎士団最速の竜である。
「良い判断ですわ。彼女はまだ幼く、この様な所で死なせるには惜しくありますから」
キヤーナを見送るヤクラがしみじみと言う。彼女にとってキヤーナは妹の様に可愛い存在だった。
死なせたくないキヤーナを、この場から遠ざけたセシャトに感謝の念を送る。
「有難う御座います、感謝いたしますわセシャト様」
「いえ、これが最善だと判断したまでです」
一言返し、
「では、作戦を伝えます!」
セシャトが古竜騎士団全員に伝わる様に声を張り上げる。
「これより我々は、あの黒い鎧の化け物からマルス殿下を救出し、出来る限り多くの兵を連れて撤退します。その際、殿をキララさんに、私とトモエ、マァートとルナはキララさんの補佐を務め、ヤクラ、貴女は先頭に立ち撤退の指揮をしてください。チェスカ、アルパ、ザラの三名はヤクラの補佐を頼みます。キヤーナがミネルヴァ様を連れ戻り次第、私達はキララさんに殿を任せて撤退します。以上です!」
「まぁ、それしかないか!?」
「うん、妥当かな」
「では、急ぎ作戦を開始してください!」
「「「おおおおっ!」」」




