勇者の……
ミネルヴァが朝日を浴びて南の空へと飛び立つ頃、城壁の外側に転がる勇者の遺体に一つの影が寄り添っていた。
影?……それは影と言うよりも数多の怨嗟が凝り固り一つとなった異様な塊だった。
その塊からはデスマスクの様な数多の獣の死に顔が隆起し、また沈んでいった。一つ一つの顔に苦しみ、憎しみ、悲しみ、怒りなどの負の感情が複雑に絡み合った表情をしていた。
その顔の一つが、どす黒い吐息を吐き出しながら勇者に問い掛ける。
————お前は憎くはないのか?
新な顔が、答えぬ勇者に問い掛ける。
————復讐したくはないか?
更に新たな顔が問う。死した勇者は答えない。
————力が欲しくはないか?
次々と現れる顔が問い掛け続ける。
————殺したくはないか? ————貶めたくはないか? ————喰らいたくはないか? ————略奪したくはないか? ————犯したくはないか? ————陥れたくはないか? ————蹂躙したくはないか? ————辱めたくはにか?
……ドクン、
矢継ぎ早な問いに、死した勇者の心臓が跳ねた。
ドクン……ドクン…ドクンドクンッ、
————戦いたくはないのか?
ドクンッ!
最後の問に一際大きく心臓が鼓動し、遂に死者が答えを返した。
(————俺は戦いたい!)
軍神を信仰する者にとって、戦いとは神聖な儀式の様な物、マーズにとっては戦いは存在意義を示すもの、生きた証。
彼の本能は戦うこと、その誘惑には抗えなかった。たとえ死してもマーズの本能が戦闘を欲していた。
————良かろう、お前に力を与えよう。何者にも屈せず、見るもの全てを薙ぎ倒す強き力を授けよう!
怨嗟の塊は、ボロボロになっているマーズの遺体に吸い寄せられる様に消えていった。
途端、マーズの体は激しく揺れ出し、暴れ出し、失われた部分から肉が盛り上がり、再生されていく。
激しい痛みを、死した体で感じるのか?遺体から呻き声が漏れ始める。
勇者の内側から何重にも重なる声が響く。
————目覚めよ!
勇者の遺体からは止め処なく苦し気な声が漏れる。
————目覚めよ勇者よ!
うがぁぁあああぁぁごぉぉぉぉ————————!!!
死んだ筈の男が声なき声で吠える!その声は次第に音を伴い口を動かした。
「ウオォォォォォォガアアァァァ————————!!!」
欠損し大破した勇者の肉体は元の通りの肉体美を取り戻し、まるで操り人形の様に勢い良く起き上がる。いや、起き上がると言うよりも跳ね上がる様に立ち上がった。
「オノレ、ミネルヴァアァァァ!オノレニンゲンドモォォォ!」
肉体は元に戻っていた勇者だが、先程とは違う個所があった。
一つは瞳。澄んでいた瞳は酷く濁った泥沼のように変色していた。
もう一つは心境。気高く純粋に力を求めた勇者は、今は見る影も無く怨念に取り付かれていた。
彼の口から出る言葉は妬みや恨み言ばかりになり、理性は剥がれ落ち、人としての気配は寧ろ獣の如く変貌していた。
今も尚、勇者の心の中で響く声は絶えず、怨嗟の念が垂れ流されている。
立ち上がった勇者の眼前には王都を囲う壁、そして結界。
彼は自らの称号に則り行動を開始する。
その称号の名は【城壁の破壊者】!
————バッコ————ン!!!
何だ!俺が牢に帰ろうとした直後、王都の外側からけたたましい爆音と大地を揺らす程の衝撃が走った。
「おいおい、何事だよ。さっきの勇者の仕業か?」
俺は音のした方角を凝視する。俺には遠見に関するスキルはないが反射的に見てしまった。
音のした方向へ意識を向けると何故だか見えてきてしまう。勇者が王都の防壁に向かって大剣を振り下ろすところが。只、気配を探るつもりで見ただけなんだけどな。
————バチッコ————ン!!!
奴は派手に壁を壊そうとしている。が、王都の結界は可成りの強度を誇っているらしく、勇者の破壊活動は順調とは言えなかった。
いくら結界が丈夫だからと悠長にしていられる状況ではないな。
俺は最速で奴の元へ辿り着くために身体強化を施し一気に駆けて行く。
王都の城下町は、朝早くから地震の様に揺れる大地と、けたたましく鳴り響く轟音により酷く混乱をきたしていた。
朝から働きに出ていた者達は、急いで建物の中へと非難し、未だ眠っていた者は飛び跳ねる様に目を覚まし、慌てて外の様子を見ようと窓から顔を覗かせている。
王城では王都を守護する騎士達が大慌てで迎撃準備を始めている。
俺は構わずに建物の上へと飛び上がり、混雑する歩道を避け、一直線に勇者の元まで駆け抜ける。
「おいおいマジかよ。勇者が闇落ちしてんじゃんか!」
防壁を飛び越えた先に見えたのは、怨嗟に呑み込まれ邪悪な気配を垂れ流すどす黒く染まった勇者の姿だった。
「ちっ、厄介な事になってんな!」
本当にアホかっ!
勇者が闇に呑まれてどうするんだよ。神敵を討つ者が神敵になってどうするよ!
ミネルヴァとの戦闘中に除き見た勇者のステータスと、今とでは随分と変っている。
先ず、称号Ⅳ:闇落ちした勇者(+呪怨、+オド・ドレイン)が追加されている。そして、【思考加速】が使用不能になり、呪いに関する耐性【呪殺耐性】【弱体化耐性】【病耐性】等が揃った状態だ。
【肉体強化】に加え【身体強化】【敏捷強化】【超速再生】も増えている。
【超速再生】は【高速再生】を上回る再生速度を誇る厄介なスキルだ。
このスキルの持ち主は簡単には死なない。傷を負った傍から再生してしまうからだ。
更に、魔術適性が闇と暗黒に変わり、上級スキル【暗黒操作】が追加されている。
そして最も注目しなくてはならないものは————、
状態:テュポーンの欠片(半憑依)、殺戮衝動、破壊衝動
だろう。
衝動の事は置いておいても、これは極めて厄介な状況と言える。
前に欠片を倒した時の俺の肉体は、師匠との修行で極限まで鍛えられ神と渡り合えるだけの力を有していた。が、今の俺の肉体は極めて貧弱だ。
ランクで言えばBランク程度、神能は一切使えず神を打倒することは不可能。
頼りの綱は神魂器だが、今の俺にどれ程扱えるかは疑問だ。
ゼウスが相手のときは、俺を消失させる気がなかったから良かったが、コイツは本気で俺を殺しに来るだろう。
希が有るとすれば名前破壊に由る欠片の剥離だ。名前破壊なら完全に憑依されていない勇者と欠片を切り離す事は可能だろう。
問題は切り離したら勇者がどうなるかだろうか?死ぬのか、そのまま生き続けるのか?
欠片は破壊、これは決定事項だ。だが、勇者がもし生き続けていた場合はどうしようか?
本来ミネルヴァが倒した勇者を俺が独断で助けるのは気が引けるし、殺すにしても問題が有る。勇者とは神兵だ、その神兵を一応は神である俺が殺せばマーズを勇者にした神から目を付けられるだろう。
それでも必要とあらば殺るしかない。まぁ、取り敢えずは欠片を引き剝がそう!
「にしても、加護を与えた神は何で未だに加護を授けてんだ?剥奪しなくていいのかよ!」
俺は文句を言いながらマーズに近付き、名前破壊を発動させる。
マーズと欠片の境目、奴の身体に走る黒い模様の様な物を、線に沿って斬ればいい。
「はあぁぁぁぁぁ!」
「ガァァァァロォォォォォ————!」
俺が燭台切光忠を抜くと同時に奴が吠えた。吠えたと同時にここら一体の地面から夥しい数の大地の杭が勢い良く迫り出して来る。
「ちぃ————」
慌てて後退するが、背後に生じた杭に貫かれそうになる。
————天漢無閃の太刀!
生れた傍から俺の神速にして無限の抜刀術により、周りの杭は粒子になるまで切り刻まれる。
「コ、コロス、コロスコロスコロスゥ————————————!!!」
コイツ、本気で正気を失っている。
「ハカイィ、ハカイハカイハカイィ————!」
またしても地面から生える杭、杭、杭。そして、その杭が突如として燃え上がった。あちちっ!
「コ、コイツ、さっきから失われた筈の魔術適性を平気で使ってきやがって!」
再度天漢無閃で薙ぎ払うと辺りに火の粉が舞い、視界を奪う。斬り開かれた空間から、目に視えない塊が火の粉を退けながら猛スピードで飛んできた。空気を極限にまで圧縮した砲弾だ。
あれを真面に受ければ俺の体など粉微塵だ!
急いで飛び退いたが、そこには既に奴が居た!気付いた時には大剣が振り下ろされている。これを躱すのは無理だ!
「くっ、リュルフ、トキミ!」
呼び声に応えた銀狼の兄妹が俺の中から勢い良く飛び出し、弾丸と化した勢いままマーズに突撃し、遥か彼方まで吹き飛ばした。その際に自ら生み出した杭を軒並み破壊していった為、体中から血液を撒き散らしていた。
『『グルルルゥ』』
喉を鳴らし威嚇する兄妹。吹き飛ばされたマーズはボロボロの体を跳ね上げる様に起こす。
所々千切れかけているが、みるみる内に傷が塞がっていく。【超速再生】の効果だ。
「グガァァ、コ、コロス、コロスコロス……、コ、コロ……コロコッロ……」
ん?なんだか様子がおかしくなってないか?壊れた玩具のようだ。
「コロ…ス、コロ、コロ……セ、コロセ、…オレヲ……コロセ……、オレをコ、ころ、殺せっ!」
なっ!コイツ、正気を取り戻したのか?
「こ、こんなものは————、こんなものは俺の戦いじゃない!俺を殺せ————!」
どうする?……も何もない。名前破壊を叩き込むだけだ!
即座に駆け出し光忠を抜く。
「俺は、俺は誇り高き軍神に召喚されし勇者だ————!」
「見事だ、軍神の勇者よ!」
欠片の呪縛を自ら破るとはな。心からの賛美を送る。
俺は接触すると同時に名前破壊を発動、マーズと欠片の切り離す。
名前破壊が決まると同時に、マーズの体から悍ましい塊が飛び出し頭上に浮かんだ。アレがテュポーンの欠片か!
————おのれ冥王の眷属め! ————憎き敵め! ————邪魔な男め!
悍ましい塊が何か言ってるが無視して破壊しよう。
「やかましいわぁ!————星落一閃の太刀!」
星落一閃の太刀、星すら落とす次元斬撃。
光忠を振り抜くと同時に世界が割れ、ズレる。錯覚ではなく実際にズレているんだが、次の瞬間には標的以外は元通りに戻っている。
どういう仕組みになってんのか未だに分からん技だなぁ。が、威力は正に星落とし!
「やったか!」
『……いや』
『直前で逃げられたようです』
「くそっ、何処に逃げたんだ!?」
『分からん』
『やはり神能がなければ欠片とは言え、神を倒す事は不可能でしょうか?』
『せめて神気が使えればな』
「無い物ねだりしてもしょうがない。ところで勇者はどうなった?」
勇者を視れば倒れずに立っていた。
傷は全て塞がっている。呼吸もしているようで死んではいなかった。
どうやら加護が死からコイツを護っていたらしい。剥奪しなかったのはその為か。
『こ奴、意識を失ったまま立っているとは見事だ』
『お兄様が敵を褒めるのは珍しいですね。明日は雨が降りそうです』
『トキミ、お前は兄をどう思っているんだ?』
などと会話を楽しむ兄妹は置いておいて、俺はマーズを優しく寝かしてやる。
状態を視ると、ステータスも元に戻っているし傷も癒えている、問題はなさそうだ。
さて、このまま勇者をほっとく訳にはいかないし、敵である彼を王都に入れる訳にもいかない。
ふと王都を見ると、門からワラワラと騎士達が総出で出て来たところだった。
勇者を騎士に預けると、恐らく処刑されてしまうだろう。生かされたとしても帝国との交渉材料にされる。取り敢えずは牢にぶち込まれるだろう。つまりお隣さんが増えることになる。が、あの牢は機能が停止してんだよな。魔術封じもスキル封じも機能してない。俺か燿子が壊したっぽい。
ってことで、勇者を王都には入れられない。どうしたもんか?
「おい勇者、このままだとお前、捕まるぞ」
意識のないマーズに、ボソッと言ったら返事がきた。起きとったんかい!
「ふん、俺は捕まる訳にはいかん。このまま退かせて貰おう」
そう言ってマーズは立ち上がった。
「一言、礼を言わせてくれ。助かった、感謝する」
マーズはそれだけ言うと空へと飛び去っていった。
それをボーと見ていたら騎士達が俺を取り囲み言った。
「貴様、何故ここに居る!ここで何をしていた!」
「大人しくしろ!さっきの音は貴様の仕業か!?」
「どうやって牢を抜け出た!」
あ!そうだ、俺ってば囚人だったじゃん!
やべっ、また捕まった。俺が捕まったじゃんか!
こうして、俺は再び牢へと投獄されるのだった!




