危機一髪での救出
強狂怖大森林の中域、生い茂っていた木々は薙ぎ倒され、むき出しとなった大地には巨大なクレーターが出来上がっています。
陽は傾き少しの時の経過で薄暗くなるでしょう。辺りを揺らす風はなく無風、しかし、強者の徒ならぬ気配が辺りに行き渡り大気を震わせている。
そんなピリついた空気の中に突如として、一陣の風が乱入してきたのです。
味方なのか敵なのかはこの時点では分かりませんが男性です。その男性、そのまま滅狐と戦闘を始めたのです。
結果的に滅狐は私達から視線がそれ助かりました。危なかった、あのままあと数秒でも遅れていればテルピュネに致命的なダメージを負わされるところでした。
あの男性には感謝しなくてはなりませんね。
我等古竜騎士団と滅狐との戦闘は、滅狐に軍配が上がり我々古竜騎士団の精鋭メンバーは成す術無く地に伏しました。
ですが、乱入してきた男性は我等を容易く地に沈めた滅狐と一人で互角にやり合っています。何者でしょうか?
————そして、更なる乱入者が現れたのです。一切の気配もなく滅狐の背後を取り、一撃のもとに倒したその乱入者は、怒った先の男性までも倒してしまったのです。男性は爆散し辺りに散っていきました。
真っ赤な髪を炎の様に波立たせ、黒に近い赤い瞳は殺意にまみれ、見たこともない衣装を纏った男です。
大した環境破壊もなく二人の強者を事も無げに倒した男は、クルリと踵を返しトコトコと歩き去ろうとしています。
このまま行かせてしまってもいいのでしょうか?
我々を助けに来てくれたであろう人物を、まるで只の虫を払い退けるように倒した男を見過ごせるでしょうか。否、ここで見過ごす訳にはいきません。
これは神の啓示?それとも叡智による予測なのか?確信に近い想いであの男を見過ごしてはならないと直感します。
この男を見過ごせば、必ず後の災いとなる。それは世界を巻き込んだ大きな災厄となり全世界を呑み込むことになるでしょう。
私は左手でむき出しとなった大地を握りしめ、傷ついた身体に鞭を打ち立ち上がろうと力を込めます。失った右腕から広がる痛みは全身へと行き渡り、歯を食いしばり堪え立ち上がろうと奮起します。
「女、動くな。動けば敵と見なし殺す」
心臓が跳ね上がり全身に恐怖の震えが走ります。可成りの距離があるにも関わらず、ハッキリと耳に届いた乾いた声。只、声を掛けられただけ、こちらを見てすらいない男の声に気力の全てを奪われるようです。
只の言葉に殺意が込められ、一瞬にして身体を支配されています。
情けない!この程度の殺意で動けなくなるような私ではない筈です。と、自分に言い聞かせ、意志の力で立ち上がろうとする、そんな私に仲間から声が掛かります。
「ダ、ダメですミネルヴァ様。動かないで下さい、殺されてしまいます」「そうだぜ、このまま奴を行かせた方がいい」「動いちゃだめだよぉ、ミネルヴァ様ぁ」「どうかそのままでいて下さい」
セシャト、マァート、ルナ、トモエの四人も意識を取り戻したようですね。
彼女達の必死の訴えは最もです。
自らを事も無げに倒した者を容易く殺した男からの忠告、本当なら声を出すことすら恐怖でしょうに。それでも声を掛けてくれた彼女達に言い表せられない程の愛おしさがこみ上げてきます。
私を案じ、掛けられた言葉は正しい。このまま見過ごせば私達には誰一人として死者が出ることがないのですから。私一人立ち上がるだけで、彼女達の命が危なくなるのです。
ですが、このことは生涯のシコリとなることは確実です。騎士としての誇り、また、人としての矜持を無視し、己の意志を殺してまでして助かりたいとは、私にはどうしても思えないのです。
ここで立たねば、私は騎士として死にます。今後戦う事自体出来なくなるでしょう。それは同じ誇り高き騎士である彼女達も同じことだと私は思います。
彼女達には本当に申し訳なく思いますが、後の為にもあの男はここで倒さねばなりません。例えこの身が朽ち果てようともあの男を見過ごすことは出来ないのです。
『我が敬愛なる戦神アテナよ、
脆弱たる汝の僕に正道を示し給え』
立ち上がる為に四肢に力を込めます。既に右腕を失ってしまいましたが、寝ている訳にはいきません。
『敵愾の意気に燃える猛き心を沈ませ給え』
血液を失い過ぎ足には力が十分に行き届かず、まるで生まれたての小鹿の様に震えてしまいます。
『立ち塞がる如何なる障害をもねじ伏せ』
神槍を顕現させ杖の代わりにし、何とか立ち上がることに成功しました。
『寄手を退ける廻天之力を我が手にお与え下さい!』
祈りの時間も終わり、アテナ神から神気を受け取り全身に行き渡らせます。
願うは廻天之力、この情勢を一変させる力。
分不相応の力を願えばそれだけの負荷が掛かります。今の私に耐えられるでしょうか?
いえ、耐えねばなりません。限界突破をも超える力をその身に宿し、神に匹敵するであろう相手に挑みます。
「へぇ、アテナか。あのゼウスを越える逸材だと聞く、どれ程のもんか試させてもらうか」
男の身体が私の方に向きます。只それだけなのに気圧される程のプレッシャーを感じ身が竦むのを感じます。
刹那の僅かな時間、気付けば男の拳が目の前に迫ります。秒に満たないホンの一瞬に、あれだけの距離をゼロにし攻勢に出られてしまいました。守りに入れば負けます。
「はあああぁぁぁぁぁ————!」
気力を振り絞り自らの身体から飛び散る血を無視して、渾身の力を込めて神槍を振るう。槍の間合いではありませんが強引に距離を開き、ねじ込む様に男の左胸を刺し貫きます。
「「「ミネルヴァ様ぁ————!」」」
当然ですが、男の腕のリーチよりも槍のリーチの方が遥かに長い。それでも拳圧により吹き飛ばされてしまいます。
槍は確かに男の胸に当たっていましたが、男には何の痛痒も無くは無傷、吹き飛ぶ私を追いかけて来ます!
『アテナよお力を!』
地を滑空するかの如く接近する男の足元から、鋭く先端を尖らせた大地が槍の様に次々と男を貫こうと隆起します。
大地の槍は瞬間的に男の動きを止めてくれますが、男が発した気合と共に掻き消されてしまいました。
叡智をフル稼働し最適行動を模索しますが、男の動きは超高速思考をも上回る速度で接近してきます。
「ははっ、さっきの男よりも貧相な力だが、アレよりマシな戦術じゃぁねえか!遊んでやるから簡単に死ぬんじゃねぇぞ」
言うや否や男は掻き消え背後に現れ、私の腹部に鋭い回し蹴りを入れてきます。
魔力障壁、あっさりと破壊、魔術による結界は無視が如く、神槍の盾、事も無げに押し返され、神気による筋力強化で漸く止まりました。
「ハァハァハァ————」
「やるねぇ、いいねぇ、面白いじゃねぇか。ふっ!」
男は止められた蹴りを強引に押し込み私を宙に浮かせ続けて殴りかかってきます。
滅狐に勝てなかった私が、この男に勝てる道理はありません。分かっています、ですが私の矜持が許さなかっただけなのです。
部下達には本当に申し訳なく思います。私の我儘で彼女達を死なせてしまうかもしれません。
男の拳が迫ります。
「くっ!」
速度は滅狐の方が遥かに速く、力は先程の男性の方が上なのでしょう。まるで本気を出していない攻撃、遊んでいるのでしょう男の拳に私を殺すだけの力は込めてはいません。
ですが、魔力障壁も魔術の結界も意味をなさなず、神槍を弾かれ体勢を崩された私には防ぐ術が有りません。
人を弄ぶような戦闘をするこの男に怒りの感情が沸々と湧き上がりはしますが、どうすることも出来ない。そんな自分にすら怒りを感じ感情のコントロールを失います。この様な状態では加護による転移すら難しい。甘んじて受けると覚悟を決めます。
男の拳が当たる瞬間、あとほんの僅かな距離、その僅かな瞬間に男の背後から立派なな爪を携えた大きな竜の脚が男を背後から捕まえ空に連れ去ったのです。
空を見上げれば、自らも血を流し痛みに苦しんでいるであろうテルピュネが、男を更に上空に放り投げるところでした。
「テルピュネ!」
テルピュネの|息吹は全てを崩壊させる分子崩壊砲。このブレスをまともに受ければ如何なる物質だろうと破壊が可能な筈です。
誰のものかゴクリと唾が喉を通る音まがします。
極光色のブレスが男を呑み込み、そして次第に消えてゆきます。息吹である以上息継ぎが必要になるからです。
目に映るのは大きく息を吸うテルピュネと、その眼前に腕を組み宙に浮かぶ無傷の男の姿、くっ、まったく効いていません!万物を崩壊させると言われる古竜のブレスを、まるで事も無げに防いで見せたのです。いえ、防いだのでは有りません、意に介していないだけです。テルピュネのブレスは男の素の防御力を突破することが出来なかったのです。
不味い!
「逃げなさいテルピュネ!」
男はゆっくりとテルピュネに掌を向け狙いを定め、禍々しく輝く赤黒い光線の様な物を放ちます。
ギリギリの距離で躱すテルピュネですが、迫ってくる男の次なる攻撃に対応出来ません。
ギャァーと悲鳴を一声上げて再び地面に落下するテルピュネに援軍がやってきます。セシャト達が飛竜に乗り駆けつけたのです。
「皆!」
「テルピュネはやらせない!」「吐きまくれアギオス!」「これで終わってよぉ」
セシャト、マァート、ルナの声が響きます。そして、
『天神地祇の名の元、死して尚統べる王』
トモエが魔法の祈りに入っています。
『八柱の雷神を遣わし男神に受けし恥辱を晴らせ、
大いなる男神を焼き払う雷焔にて、我が敵の魂までも焼き滅ぼせ!』
放たれるブレスの雨を無視し続けている男がトモエに宿る神気を感じ取り、初めて驚愕の表情をみせます。
「驚きだ。あの女が人に力を貸すとは!」
「喰らいなさい『火雷大神』!」
視界を覆いつくす眩い光を放つ雷撃は、小山程度なら軽く吹き飛ばす程力強く巨大な閃光を伴い男を捕えます。
トモエの信仰対象は【黄泉津大神】です。
黄泉津大神は黄泉の国の主宰神で、その身に八柱の雷神を宿し配下とし、トモエの力となってくれています。
神の力をその身に宿したトモエの全力の一撃を浴びた男の姿は雷撃に呑み込まれ視認することは出来ません。畳み掛けるように他の皆の魔術やブレスが男を襲い、私も地上から魔法の法撃を放ちます。
立ち昇った土煙に視界を遮られ、晴れるのを待ち、これで終わってくれ!と、皆の心の底からの思いが伝わってきます。
トモエ最大の魔法の一撃に加え、セシャト達の魔術、飛竜達のブレス、私の法撃とこれ以上ない大火力です。これでダメなら打つ手が有りません。
晴れる土煙に現れる男の姿、絶望の時、信じられないことに男は無傷でした。
誰の声でしょうか?「そんなっ」「うそっ」と呟く声が耳に届きました。持てる最大の力で放ったそれぞれの攻撃すらあの男には傷一つ与えることが出来ませんでした。
「逃げてください!ミネルヴァ様」
「ミネルヴァ様だけでも逃げれれば御の字だよぉ」
「ここはあたし達が足止めするから早く!」
「貴女は国に必要な人物です。テルピュネを連れて早くお逃げください。ここで貴女を死なせる訳にはいきません!」
「さぁ、早く!」と皆が言う。皆の気持ちは嬉しく思いますが、ここで逃げる事は出来ません。出来れば最初から勝負など挑みはしないのですから。
「申し訳ありませんが、それは出来ません。逃げるのは貴女達です」
この戦闘は私が始めたものです。今更ではありますが、皆を巻き込むのは本意ではありません。
皆を逃がし一人男の足止めをする覚悟など、疾うに出来ています。
そんな時————、
「あれ?時間軸がズレてるじゃん!師匠もいい加減な所があるなぁ」
男性の声が後方から聞こえてきたのです。皆が「え?」と、しかし男から目を離さずに疑問符を浮かべます。かくいう私も。
「でも、誰も犠牲にはなってないようだな。よかったよかった。ギリギリだが間に合ったか」
この声は有り得ませんが先程爆散した男性の声に酷似しています。気配は若干違和感を覚えますが同一人物でしょう。
「後は俺がやるから、団長さん達はこれでも食って休んでいてよ。回復するから」
男性は私の隣にまで歩いて来ると数粒の木の実を手渡そうとしてくれます。
「あ、あの……」
「口開けて、槍持ってたらコイツを持てないから一粒入れてあげる。はい、あ~ん」
男性は一粒木の実をつまむと私の口元に持ってきます。
ど、どうしましょう。男性の方に物を食べさせてもらうなど、この様な事は初めてです。
「ああ、これは回復アイテムだから食べても問題ないよ。もうすぐ君達の仲間も駆けつけるだろうから急いだ方がいい」
「な、皆が!」
驚きの声を上げた瞬間に男性は、私の開いた口に木の実を放り入れ思わず呑み込んでしまいます。
更に驚きの事が起こります。
立っているのもやっとだった状態の私の身体が、みるみる内に癒されていくのです。失ったはずの右腕さえも再生しています。
「テュポーンの欠片は俺が相手をするから心配しないでいいよ。チェスカ達が来たらそのまま拠点に戻ってくれていいから。後で落ち合おうか。それと、これは他の者達の分の木の実ね」
驚きで声が出ません。素直にこの貴重だろう木の実を受け取ってしまいました。それも飛竜の分まで含まれています。
改めて男性を見ると間違いありません、先程あの男に粉々にされた男性です。それも傷一つない姿で現れました。それもこの木の実の……、いえ、爆散していましたので食べることは不可能でしょう。では、どうやって復活したのでしょうか?
気のせいか体つきが少し引き締まったよな気がします。何より、気配が先程とは比べ物にならない程洗礼されています。先程は感じなかった鋭さが今の男性には有ります。
気になるのはそれだけでは有りません。チェスカの名前を口にした以上彼女達と会っていることになります。そして、彼女達がこの場に向かっていると。
叡智を働かせ、探ってみると確かに少し離れた場所に他の皆が空中で待機しているようです。
あの男の気配を感じ取っているのでしょう今はその場を動かずにいます。
「その実を皆にも配っといてね。それじゃあ行って来るよ」
「あ、ちょ、待って下さい」
男性はそれ以上口にせずに黙って男の方へと駆けていきます。お礼を言う暇も有りませんでした。
叡智によれば、この木の実は強狂怖固有の植物の実で覚醒の実というらしいです。その効果は絶大でどんな重傷だろうとたちどころに癒し、いえ、癒すのではなく再構築することで失われた四肢すら元通りに治してしまう。更に潜在能力を一時解放するという規格外な効能です。
こんな貴重だろう品、頂いてしまって宜しいのでしょうか?
いえ、今は彼の好意に甘えさせてもらいましょう。皆を早く回復させなければ、特にテルピュネは不味いです。
私は急いで皆の所に駆け寄り彼の事を説明しながら木の実を食べさせました。
皆驚きで声が出ないようですね。
彼を見れば今度はあの男と互角に渡り合っています。いえ、若干ではありますが彼が押してさえいます。
「ミネルヴァ様、彼は何者でしょうか?」
「どう見ても只者じゃないのは分かる」
「凄いよぉ、あの男が押されてるみたい」
「それにこの実は一体!?ミネルヴァ様の右腕も治してしまう程とは」
私はテルピュネに木の実を与えながら答えます。
「彼は先程滅狐と戦い私達を助けてくれた人物です。あの男が現れ殺されてしまったのですが、どうやってかは分かりませんが復活したようですね。この実は彼から頂いたものです」
木の実を食したテルピュネが元気よく立ち上がってくれました。安心からホッと一息漏れてしまいます。
この実の鑑定結果を説明しすると、やはりと言うか例外なく皆驚いているようです。
今の私達は万全の体勢です。彼に何かあれば直ちに助けに入れるように身構え、彼の戦いを見守ります。
「ミネルヴァ様ぁ、彼は勝てるんですかぁ?」
ルナが問い掛けてきます。
「きっと大丈夫ですよ。彼は先程とは比べ物にならない程強くなっているようですから」
洗礼されているように思えたのは間違いでは有りませんでした。彼は先程は一方的にやられてしまいましたが、今はあの男と互角以上に渡り合っています。
「あの実で潜在能力を開放したってことですか?でしたら時間制限があるのではないでしょうか?」
セシャトの問も最もですが、恐らくは違います。
「どうでしょうか?彼の力は物に頼ったものではなく、己の力を完全に把握しコントロールしているような感じです。正確には分かりませんが……、きっと大丈夫だと私は思います」
「ミネルヴァ様がそう仰られるのならきっとそれが正解です」
「そうそう、チェスカ達がそこまで来ています。彼は合流して拠点に戻っていいと言っていましたが、どうしますか?」
「このまま彼に全てを任せて良いのでしょうか?」
「いいんじゃないか、あたし達の出番はなさそうだし、ここで見ててもいい気がするな」
「でもでも、もしもの時は命を懸けてでも助けないとぉ」
「そうですね。この御恩は命を持って返したく思います」
マァート、ルナ、トモエも彼に好意的なようですね。
さて、あとは黙ってこの戦いの行く末を見守るとしましょうか。




