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クロノセージ ”時の魔術師”  作者: 葛西シロム
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二章 四話 超音速

二章 四話 超音速(スペルソニー)



やがて誠司たちを乗せた馬車は、山間を縫うようにカイトラの国の国境を目指していた。

 山の森林が陽光を遮ることが多くなっていた。鬱蒼とした木々の隙間を涼しげな風がよく通る。

「間もなく関所が見えてくる頃だけど、お前さんたちはその前の村で一泊するんだろう?」

「ええ、カイトラの人間と待ち合わせているの」

 そんな会話が聞こえてくると、商人は山道の途中、家並が揃う場所で馬車を止めた。

「こんなところで待ち合わせかい? 俺の記憶だと……ここは木の伐採やら加工、流通を担う木こりたちの集落だったはずだけどねえ」

 商人が躊躇するほどに、そこは辺鄙な山中の村のようだった。

 辺りには丸太を組み上げたような外壁の家が十数件ほど並んでいて、あとは深い山に覆われた、小さな田畑がわずかに目に入るだけの小さな村であったが、

「ここでいいの。依頼にはそう書いてあったから」

「そうかい、それならいいんだ。気をつけてな」

 ノエルは迷うことなく返すと、馬車を降りて商人を見送ってしまった。

 誠司ももちろん一緒に降りて、ゆっくり歩き始めたノエルの隣に立って訊ねる。

「なんだよ、依頼って? そんなもの、俺は聞いてないぞ……?」

「ハァ? そんなもんあるわけないでしょ。朝一でオッドの店を出てるんだから」

「えっ……? だけど、俺たちの目的はカイトラって国だろう? ここでなにするんだ?」

「はぁ~~っ!」

 ノエルは当てつけるように大きな息を吐き出すと、誠司の左腕を強く握りしめる。

「わたしはいいの! わたしは!」

 そう言って、自分の右腕をノエルが見せつけてくる。

 ノエルの右腕に、瞬く間に赤い文字が浮かんで薄っすらと光っていた。

「わたしは身分がはっきりしてるから! 仕事があると言えば通行料だけ払って、商人と一緒にカイトラの国に入れるよ!? でも、あんたは!? 身分はないくせに、怪しいアトン式だけは左腕にぶら下げてるでしょ!」

 凄まじい剣幕で詰め寄られて、誠司は山道から外れて歩くことになった。

「わ、わかったよ! だけどさ、ここでルティンの情報を集めるのか?」

「集めるわけないでしょ! 集められると思うの!?」

「思ってないよ! だからどうするって訊いてるんだろう!」

「そんなもの、関所を迂回してカイトラに入るしかないでしょう!」

 ノエルに段々と山中に押しのけられる。誠司は枝葉を踏み潰しながら、

「関所を、迂回……?」と、顔をきょとんとさせた。

 なんだ、そんな簡単な方法があったのか――。

 少しくらい遠回りしたって、なんのことはないじゃないか。

「カイトラかぁ……。前に一度来たっきりだから、あんまり自身がないんだけどね……」

ノエルの不安をよそに、誠司は楽観的であった。そんなことを言っても、一度通ったことのある道ならばそのうち思い出すだろう。

「大丈夫だろ? むしろ道が少ないんだから、かえって迷うことなんてないさ」

誠司は安易な考えでノエルの背中を押してしまった。

「うーん……そういうものかな?」

「そういうものだよ。それに最悪迷ったら引き返せばいいだけじゃないか」

「そっか……そうだよね」

 ノエルが無邪気に笑って見せて、そこらに落ちている木の棒を拾った。

 傘くらいの長さのあるその棒切れを振り回しながら、木々を掻き分けて山深く入っていく。

 木々は生い茂り、足元には獣道のような草木の禿げただけの道しるべが続いているだけだった。

「あんまりちゃんとした道じゃないんだな……」

「木こりたちの仕事道だからね。普通の人は歩かない――っと、わあっ!」

 ノエルが木の根につまづいて、転びそうになった。

 誠司は慌ててノエルの手を引くと、崩れた体勢を整えてやった。

「おいおい、気をつけろよ」

 どこか抜けていそうなノエルに微笑みながら、その後ろをついていく。

 ノエルの波打つ金色の髪が目の前で揺れていた。

 彼女と出会ってまだ日は浅いが、それだけに印象というものはころころ変わっていく。

 このときまではノエルの粗暴な一面ばかりが目立っていたが、こうして二人で一緒に過ごしているうちに、可愛らしい一面というものも見えてくる気がした。

 オッドは彼女を頭がおかしいと罵っていたが、それはあくまで彼女の一面であり、そっと角度を変えて覗き込めば、彼女だって立派な女の子だと思えてくるものだ。

 とくに人生のなかに異性という要素が抜け落ちていた誠司にとって、この瞬間々々は愛や恋などという大げさなものでなくとも、新鮮で面白おかしいものだった。


 ――そんな風に思えていたのは、果たして何時間前まで遡ればいいことだろうか。

「なあ、ノエル……。いったいいつまで歩けば、カイトラってところにつくんだ?」

 誠司が頬に汗を伝わせながら呟いた。あれから長いこと山中を歩き回っていた。

 呼吸は浅くなって肩で息をしている。衣服は土や植物で土臭くなり、町を出る前にオッドに貰った靴は片方が行方不明になっていた。

なにせ歩き回っている、というのは優しい表現だ。

 思い返せば、崖のような山の斜面を登ったり下ったり、ときにはずり落ちたり。川が流れていれば脛まで浸かって横切り、その流れに足を掬われて溺れかけたりもした。

「ふんっ、ふんっ! ふんっ、ふんっ!」

 今は道なき道を進んでいる。

 ノエルが必死になって棒切れで草木を薙ぎ倒しながら道を開いていた。

 非常に逞しい光景であったが、非常に不安な光景でもある。

「ふんふん、じゃねえよ。俺の質問に答えろ」

「うっさいなぁ! もうカイトラには入ったわよ!」

「へえ、ここがカイトラかぁ。じゃあルティンの情報を集めようぜ……、熊か鹿にでも聞けばいいのか?」

「ッ……! なに? 文句あるわけ?」

 ノエルが舌打ち混じりに顔を寄せてくる。

 ぎらぎらと燃え滾るような双眸が誠司を突き刺し、彼女も額に滝のような汗を流していることが近くに寄るとはっきりわかった。

誠司も責めるつもりはなかったが、ここまで連れ回されると遭難という二文字も浮かぶ。

 もういい加減、枝葉に身体を引っ掛けては擦り傷も増えてきた。ここらでせめて開けた場所にだけでも出たいところであったが、

「……ん? あっ、ほらぁ! 川が見えたじゃん!」と、ノエルが唐突に声を上げた。

 手にしていた棒切れを投げ捨てて、その身で草木を押しのけながら、誠司の手を取って走り出した。

 轟々と石を打つ水の音が誠司の耳にも届く。

ついには木々の連なりが途絶えると、日の光が強く差して二人を照らした。

 視界が広がり、陽光に輝く水面が目に映る。

 ここが目的地のはずでもないのに、二人は陽気に川へと駆け出すと、水を蹴ってはしゃいだ。砂漠の真ん中でオアシスでも見つけたような騒ぎようであった。

 ノエルは川岸の岩に腰かけて、足を水に浸けていた。

「この川を渡ったら、開かれた土地にでるわ。そこが私たちの目的地。ノハラの村。ルティンの生まれ故郷ね。オッドが朝一で調べてくれたみたい。ただこれ以上の情報はわからないから、あとは私たちが自分で調べるしかないね」

 ――ルティンの生まれ故郷。

 それなら知人の一人や二人はいるだろう。

 誠司は川の水で顔を洗いながら、ノエルの話に耳を傾けていた。

 ルティンの思想や性格を聞くことができれば、その足取りに一歩でも近づけるかもしれない。もしかして国を出る前に、立ち寄っているという可能性もありそうだった。

「まあ、ルティンを捕まえようって人間に、故郷の人間が情報をくれるとは思えないけどね。そこは工夫と駆け引きでどうにかしましょう」

 誠司が濡れた顔をシャツで拭いながら、水面から視線を上げた。

「プハァッ! こんな苦労までして、手ぶらじゃ帰れないもんな?」

 髪から垂れた雫が瞳を潤す。

岩に座るノエルが二人に見えて、誠司は二度三度と手で水気を払ったが、

「……ノ、ノエルッ! 後ろ! 後ろだ!」

ようやくその目に鮮明な景色が映ると、同時に叫んでいた。

「……ハァ? 後ろ?」と、ノエルが呑気に振り返る。

 なにを呆けていたのだろう。ノエルの背後には、大人の人間よりも遥かに大きなイタチのような生き物が二本の前脚を高く掲げて今にも彼女に襲い掛かろうとしていた。

 イタチの掲げた前脚の爪は、口に揃えた牙は、ひとつひとつナイフのように大きく鋭い。

 誠司は考えもなしに走り出していたが、水中では足が器用に動かずとても間に合いそうにない。

 おまけに焦りのせいか、川底の石に躓いて転んでしまった。

 巨大なイタチは、二本の脚で立つことが得意でないのだろう。すでに前掛かりになる形で前脚を振り下ろしていた。

 振り返ったノエルは、抵抗もできずにその前脚の爪に引き裂かれる寸前であった。

「ノエ……ッ! オボエェッ!」

 誠司は情けなく水面に顔から突っ込み、その瞬間さえ確認することができない。

 ただ水中でもがきながら、近くで大きな飛沫の上がる音がしたことだけが理解できた。

 ノエルに違いない。ノエルがイタチに引き裂かれて、川に沈んだのだ。

「ノエルッ! ノエル~~ッ!」

 誠司は四つ脚になって、川底を這うように水飛沫の方向へと突き進んだ。

 村はすぐそこだとノエルも言っていた。すぐに助け出せば救えるかもしれない。

 人間死に物狂いになれば、普段には見られない力が発揮されるものである。

「ノエルッ! ノエルッ!」

誠司は水底に沈んだノエルを抱きかかえて、力一杯に引き上げた。水を含んだ身体がやたらに重くて、どうにか腕に抱えた頭を水面に上げると、誠司は顔面が蒼白になった。

「ノエル……ッ! ノエル――じゃ、ない!?」

 大切に抱え上げていたその頭部は、イタチのものであった。

「ノエルじゃねえっ!」

 誠司は半狂乱になって、巨大なイタチを川に投げ出す。

 急いで岸に駆けていくと、そこに本物のノエルが立っていた。

「ハァ……ハァ……! ノエル、大丈夫なのか!?」

 彼女は怪我の一つもなく、誠司を呆れた顔で見下ろしていた。

「あんたが大丈夫……? とくに頭とか……」

 誠司はパニックになりながら、皮肉の意味もわからずに自らの頭を撫で回した。

「頭……? 俺、頭になにかされたのか!? あれ血が……いや、水だ……水だ」

 頭から流れ落ちる水の滴りを、流血だと勘違いしてノエルに後頭部を叩かれる。

「落ち着きなさいよ! なにもなっちゃいないから!」

 ノエルに窘められて、誠司は冷静になろうと努めた。

 だが、未だ危機は去っていない。巨大なイタチは二人を警戒しながら川を上がると、四つ脚で様子を窺うようにゆっくりと周囲を回っていた。

 二人は山への退路を防がれてしまう。川を背に巨大なイタチと向かい合ったところで、互いに睨み合うような時間が訪れた。

「ど……どうする? 一か八か、二手に分かれて逃げるか?」

 しかし、ノエルが狙われてしまっては置いて逃げることもできない。

 誠司はそこに考えが行きつくと、目いっぱいの勇気を振り絞って、

「いや、違うな……。俺がおとりになろう。その間にお前は――」

 逃げてくれ。と、言いかけたところで、ノエルが笑って頷いた。

「いいね、それ」

「ええっ! いいのかな、それで!?」

 誠司は自分で言ったのにも拘わらず、あっさりとしたノエルの返答に躊躇した。

 せめてもっと名残惜しく、仕方なしに賛同してほしい場面であった。

 ただし、誠司も男である。今頃になって別の案を出すような女々しさは見せたくなかったので、

「そんなに時間は稼げないからな……」

川辺に落ちていた流木を拾って、覚悟を決めた様子でイタチに一歩にじり寄った。

 勝機があるとすれば、あの鋭い牙の奥にある無防備な喉だ。そこを流木で一突きにできれば、いくら大型の獣といえどのたうち回ることは必須である。

誠司は流木の切っ先をイタチの口元に向けて構えた。イタチの双眸も誠司を捉えて、あとはどちらかが動き出すかの問題だったが、

「だああぁっ!」

 誠司が巨大イタチを一喝した。足は踏み出さなかった。

 ただ誠司の狙いは、イタチを威嚇して挑発することである。静寂した均衡が続いていたなかで発せられた誠司の一声は、彼の目論見通りにイタチを前に突き動かした。

 怒りに満ちた野生のイタチは、脇目も振らずに真っ直ぐ突撃してくる。

 それは誠司の計算通りの動きであり――計算外の速さであった。

「くっ……こんにゃろう!」

 誠司が明らかに遅れて突き出した流木は地面を抉る。

 イタチはすでに跳び上がって、なんの備えもない誠司の頭部にその牙を向けていた。

 やっちまった。死んだかもしれない。

 後悔する間もなく訪れた危機だったが、意外にも悲鳴を上げたのは巨大なイタチであった。

「キャウッ!」と、まるで子犬のような弱々しい鳴き声を上げながら、巨大なイタチは川岸から山中に押し戻されるように吹き飛ばされた。

「なっ……なにが……!」

 誠司は、恐ろしげに首を後ろに返した。

 刹那の間に、なにかがイタチを山の中に吹き飛ばしたことだけはわかった。

 なにかがイタチを――しかし、誠司の後ろにはノエルしかいないこともわかっている。

「クリーンヒットしなかったなぁ……。まだこっちを窺っているみたいだけど」

 ノエルは山林に視線を釘付けにしたまま、川岸の小石を二個ほど片手でお手玉していた。

 小石は、こぶし大のものを足元から適当に拾い集めたものだろう。

 すると、この光景から考えるに、ノエルが投石でイタチを追い払ったのだろうか。

「おい……まさかお前が、イタチを吹き飛ばしたんじゃ、ないよな……?」

 誠司は半ばノエルに否定して欲しくて、疑問を投げかけたが、

「ハァ……? あんたが注意を惹いて、わたしがぶっ飛ばす手はずだったでしょう?」

 ノエルは当然のように言い放つと、山林の草木が揺れる場所に細めた目を向けた。

「川を渡っている最中に、後ろから襲われたら面倒ね。ちゃんと追い払わないと」

「その小石で、か……?」

 かえって怒らせるだけじゃないだろうか。

 誠司がか細い声で呟いた不安を、ノエルは太い眉を上げて笑い飛ばす。

「……脅すには充分でしょ? もっと大きいほうがいいってこと?」

 心配性ね、とでも言いたげに、ノエルは二つの小石を捨てると、今度はスイカくらいの岩を左手に抱えて、右手は宙に掲げた。

 ノエルの左腕が赤く薄っすらと光る。右手の指先から、宙に真っ赤に光る輪が飛び出した。

 赤く光る輪の周りを、誠司の見慣れない文字が沿うように羅列している。

 ノエルがその文字を操るように触れると、文字もノエルの指に反応して光を強めたり、指の動きに呼応して移動するようだった。

 まるで機械を操作する過程のようである。

 ノエルは慣れた手つきのあと、ひとり満足した様子を見せると、いよいよその赤い輪を潜らせるように左腕に抱えていた岩を持ち上げた。

 次の瞬間、誠司の両目がこれでもかというくらいに見開いて固まってしまう。

小さな岩は赤い輪を通り抜けると、風を切り裂く高い音を鳴らしながら爆速で山林に吸い込まれていき、幾本もの木々を薙ぎ倒してから砕け散った。

 穏やかだった山が騒ぎ立てる。木の上に休んでいた鳥たちは空に羽ばたき、土は舞い上がって無残に土地の形を変え、木々が倒れゆく音は余韻となって余波を引いていた。

「へへッ! ほらぁ、やりすぎだったでしょう?」

 誠司の背中をばんばんと叩きながら、ノエルが腹を抱えて笑っていた。

 誠司は必死に噛み合わせようとしていた常識のパズルが、彼の思い描いている絵と全く別の形で完成されていることに気づき始めた。

「なにかが、おかしいよな……」

歯車のずれは、どこから始まっていたのか。その根本的な原因を、やはりルティンという男に求めなければいけない気がしてならなかった。

「すべてを打ち倒す、わたしの独自アトン式……名付けて『超音速(スペルソニー)』」

 ノエルの陽気な声が、誠司の不安をますます搔き立てるのであった。


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