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クロノセージ ”時の魔術師”  作者: 葛西シロム
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十章 五話 眼

十章 五話 眼


 言葉売りの女は別れの言葉もなく、誠司たちの傍から霧のように消え去っていた。

 まるで女がいたことを掻き消すかのように、市場は忙しなく騒めいているのだった。

 ただ――、どうやら市場を賑わかしているのは、普段の陽気な活気とは違うようである。所々から漏れ聞こえる声に、戸惑いの色が浮かんでいるのがわかった。

 誠司が気になって耳を澄ませてみると、人々は似たようなことを話題にしていた。

「なんだ……術式が使えなくなったぞ」

「アトンが枯渇しているのか?」

「落ち着け。たまにある一時的なことだ。すぐに戻るさ」

 ――アトンの枯渇。

 それは、誠司の知るところでいう停電のようなものなのだろう。

 誠司は戸惑う市場の人々を眺めながら、呑気にイブラムに訊ねた。

「ザタンさん……。アトンの枯渇って、たまにあることなんですか?」

「たまに、な。まあ、ほとんどの原因はアトンの使い過ぎだ。とくにこういった人が集まるところや大規模な施設がある場所では、起きないこともないが……」

 イブラムは女が消え去った方に視線を定めながら、含みのある言い方をする。

「ないが……、なんです?」

「ああ……。高等術式を使うことでも、起きることがあるのさ。ただし、そういったアトン術式を使う施設などでは、あらかじめアトン鉱などを用いて枯渇現象が起きないようにしているものなんだ」

 つまりは消費に足る必要な分を、そのアトン鉱という資源で補う方法があるのだろう。

 ただしイブラムの様子から察するには、その原因が先程の言葉売りの女だとでも言いたげな表情であった。

 女は結局のところ何者かもわからずに、言葉と怪しさだけを残して消えた。

 誠司ですら“何者”かと追及したくなるのだから、イブラムにとっては山林で血の匂いを漂わせる獣のような者に思えただろう。

 胡散臭い占い師というレッテルは、もはや彼女を言い表すのには適していなかった。

 彼女自身も“言葉売り”と名乗っているように、あれは占いというよりも、見えないはずの何かをはっきりと見ているかのような口振りだったからである。

「さっきの女性……やっぱり只者ではないですか?」

「少なからず、行きずりの占い師ではないな……。あえて言うなら情報屋だろうが、こんな形で表で堂々と商売をしているなら、あんな女すぐに噂になっているはずだが」

 あの力を持ちながら、人々の好奇心に晒されながら噂にならないわけはない。

 訝しむイブラムのもとに、そっと一人の男が近づいて来て、一緒に女の消えた方を見ながら笑いかけて来た。

「おたくも騙された口で……?」

「おたくも……ってのは、どういうことだ?」

 同類を憐れむように不意に近づいて来た男に、イブラムは興味を持って言葉を返した。

「さっきあんた達が喋っていた女……言葉を売るとかなんとか言って、小銭をせしめて来たんでしょう?」

「あんた……あの女のこと知っているのか?」

「ここの市場によく顔を出す連中なら知っているよ。たまに現れては、事情を知らない旅の人間を相手に商売をしているのさ。しかし、いくら占いにしても適当なことを抜かす女だよ。商売の風向きから、失くし物に探し人と、誰一人として役に立ったと聞いたことはないね」

 男は笑いながら、イブラムの肩を慰めるように叩く。

「ただし占い師としては三流だが、顔立ちも良いし、取られた金もせいぜい50セリエだろ? 気にすることはないさ。誰にでもある旅の勉強代ってやつだ」

「50セリエ……ね。まあ、安いもんだよな」

 桁が一つ違うのは、まさかこの男の言い間違いでもないだろうと、イブラムは苦笑を浮かべながら男に訊ねる。

「ところで、女の素性は知れているのか?」

「さあねぇ。連日は見ないから、近くの町々を渡り歩いて獲物を探しているんじゃないか。まさかあんたら、探し出して文句の一つでも言おうっていうつもりでもないんだろう?」

「馬鹿言うな。ちょっと美人だったもんで気になっただけさ」

 それらしい嘘をついて、イブラムと誠司は男の元から離れた。

 誠司たちは男の言も含めて、あらためて女について語り合うことになる。

誠司は、あの初対面から奇妙であった女との出会いを口にした。

「俺は、あの女の人に狙われていたんでしょうか……」

「最初に出会ったとき、あの女から話しかけて来たのか?」

「はい。ノエルと一緒にあの市場を歩いているときに……。たしかに地元の人間には見えなかったかもしれません。紹介所を出入りしているところを見られたのかも」

「いや……、それでも偶然だろう。あの女はよく市場にいるそうじゃないか。何が目的かは知らないが、旅人に目を付けることはあってもクロノ個人を狙うようなことはしていないはずさ」

「じゃあ俺は……、偶然にも質の悪い値段を吹っ掛けられたんですか」

 先ほどの男の話によれば、言葉売りの女は普段は50セリエで商売をしているとのことだった。

だとすれば、誠司からは意図的に1000セリエを請求したと見えるが、不思議なのはどうして誠司なのか、ということだった。

 誠司としてはその価値に見合う情報は貰ったとは思っているが、そうなれば普段は三流の占い師と呼ばれるあの女に特別扱いされたということだ。

「うーん……。あの女の中で何かを条件にして、値段を釣り上げた相手には相応の情報を売っていたのかもしれない」

「初対面ですよ。なんのために」

「顔が好みだったんじゃないか?」

「それは否定できないですけど」

 顔を引き締めながら、黄昏れるように言ってみる。

だが、話している相手がモデルのような彫りの深い男であるせいか、途端に誠司は自分勝手に虚しくなってしまった。

 イブラムが言葉を継ぐ前に、慌てて否定する言葉を差し込んでいた。

「いえ、それはないですね。そもそも好みってなら、安くしてほしいもんですよ」

「そうか? そっちの方が現実的なんだがな……」

「え……っ、そ、そうですかね……!?」

 誠司はてっきり褒められたという風に聞こえて、声がわずかに弾んだが、

「そうさ。そうでなければ、あの女は人の心を完全に覗き込む魔術師ってことだ」

「ああ……、そっちですか」

すぐにつまらなそうに吐き捨てた。

それは自身の容姿が意外にも高く評価される世界線なのかと誠司が勘違いしたせいだったが、その平淡な返事には、イブラムの方が面食らっているようであった。

「なるほどってなぁ……。こいつはとんでもない大事なんだぜ? 事実なら国家的な犯罪者が平気で市場をうろついているわけだ」

 イブラムの口調はあくまで世間話の体であったが、彼の視線はずっと町のあちこちを彷徨いながら、わかりやすくこの町に気味の悪さを感じているようだった。

 それがこの世界では、禁忌と呼ばれる魔術への共通的な嫌悪なのだろう。

 誠司にとってはアトン式と呼ばれるものがすでに超常的なものであるから、それが魔術とどう違うのかがいまいちつかみ切れないではいるが、興味は常にあった。

「もしあの女の人が、本当に誰かの心を覗いたりすることができるのであれば、彼女は魔術師なんでしょうか」

「俺も詳しいことはわからないが、その可能性は否定できないな。アトン術式では、人の心や記憶に干渉することができないことは知っているだろう?」

「だとすれば、あの女の人が、ルティンの敵にあたる魔術師ということはありませんか」

 もちろん、そんな人物がわざわざ誠司の眼前に現れて、あまつさえ助言を与えるとは思えないが、魔術師も筍のようにぽんぽんと生えているわけでもないだろう。当人でなくとも、まったくの無関係ではないかもしれない。

 誠司は足先で道端の石ころを動かすと、足元に三つの小石を寄せた。

「ルティンはそういう学校の出身ですよね。それにルティンの敵に……あとは神域ですね」

「ん……魔術の出所か?」

「はい」

 イブラムは察しよく頷いてから、誠司が足元に集めていた小石を二つ払うように蹴り飛ばした。

「ややこしく考えるな……。結局、全部同じだろ?」

 そう言って、細長い顎先で神域を指し示した。元も子もない言い草ではあるが、たしかに出所は同じ神域なのだろう。

 ただそうなれば、言葉売りの女も例外ではない。

「だとすれば……、あの女性も神域の関係者と見るべきですかね……」

 誠司は唸りながら、女の印象的な容姿を思い返していた。

 彼女は宵の口のような藍色の瞳に、その夜空に浮かぶ月のような白銀の髪を煌かせていた。

 すでにここまで千種万様の見た目にも慣れた誠司にさえ、あの吸い込まれるような藍の瞳は他に類を見ない独特の印象を残していったが、何かが引っ掛かる。

 ただ、その喉に刺さった魚の骨のようなもどかしさを、イブラムの何気ない一言が洗い流してくれた。

「でも、今は誰もいないんだろう? 白い猿以外は……」

「そう……ですけど……」

 誠司は口に手を当てつつ言いかけてから、はっとイブラムを見上げた。

「よく考えると、似ているかもしれません……!」

「似ている? 何にだよ?」 

「その白い猿に」

「白い猿?」

 イブラムは誠司の小難しい表情を凝視しながら、正気かと訊ねるのをやめる代わりに、しばらく一旦の思考を巡らせてから手を打った。

「毛の色か?」

 それは当たらずも遠からずといったところか。

 間違ってはいないが、誠司にはもっと気掛かりなものがあった。

「毛もそうですけど……どちらかと言えば “眼” ですかね」

「眼……? そうか、眼かぁ!」

 イブラムは呟きながら、まるで悪巧みを聞かされたように意味深に笑うのであった。


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