十章 二話 過去を知る者
十章 二話 過去を知る者
一頻りの間を置いて、今度は誠司がイブラムに問い掛ける。
「ザタンさんが、気になったことっていうのは……」
「俺が引っ掛かったのは、シウバ将軍の身体が弱いという話だな」
「やっぱりそこですか……」
それには誠司も頷いて共感したが、ただ意外だったという驚きの他に意味はなかった。
「だけど、おかしな話ではありませんよね。肉体の強さと病弱な身体は、必ずしも矛盾しませんよ」
「たしかにな。だが、店主の様子が少しだけ口を滑らせたような風だった。つまり周知の事実ではあるものの、周知の事実ではないところがあるのかもしれない……と、俺の勘は言っているわけだ」
「ふわふわとしていますね。勘じゃないですか」
「クロノと同じさ。一見するとなんでもない事柄に、大きな秘密が隠れているのかもしれないだろ」
イブラムは顎をくいと動かして、誠司に市場の方へ引き返そうと提案する。
「市場ですか?」
「いや、市場じゃない。もう一人……心当たりがあるだろう?」
「心当たり?」
思い当たる節のない誠司は、黙ってイブラムの背中について行くことにした。
イブラムは市場を通り抜けて、町の外へと伸びる街道を歩いていく。
ここらには、この町に辿り着いたときに立ち寄った紹介所があったはずだが、
「あっ……なるほど」
イブラムの目的地に見当がつくと、誠司はわずかに顔を曇らせた。
ここの紹介所の主とは、一度取っ組み合いの喧嘩になっている。イブラムもその光景を目の当たりにしていた為に、挑発して情報を引き出すには打ってつけと思ったのだろう。
張本人としては争った手前、再び店に踏み入るのは足が重かったが、イブラムは馴染みの店のように扉を開いた。
「おーい! 俺だ! 店主はいるか?」
「なっ、あんたたちは……っ!」
店の主が二人を視界に入れる。
今にも塩でも撒きだしそうな殺気を醸し出してこちらを睨みつけていた。
「聞いてないのか? シウバ将軍とは和解したんだ。つんけんするなよ」
「ああ、そうですかい。で、何用ですか。町から出るための準備なら喜んで手伝いますよ」
「そいつは嬉しい提案だが……、生憎まだ用事があるんだ」
イブラムはゆったりと店の椅子に腰を下ろすと、店主を挑発するように足を組んでから、
「調べ物がしたい。シウバ将軍について……いや、この町の軍についての記録などがあれば持ってきてくれないか」
シウバ将軍の名前をわざと口にしてから、店主に軍の記録を要求した。
すでに警戒している店主に向けてのイブラムの要求は、挑発以外の何物でもない。
これには店主もあえて拒むようなことはしないが、意地でも余計な口を割らないという決意を固く持ったであろう。
だが、イブラムはあえて店主の警戒心を高めさせて、その上から殴りつけるようなことをしてみることにした。
店主がぶっきらぼうに軍事記録を運んで来たと同時、イブラムが告げる。
「ありがとう。ところで店主殿……、近く内戦が起こるかもしれないぜ。今より物品が高騰するかもしれない。町の人には、予め生活に必要なものを買い集めておくことをお勧めするよ」
それは親切のようで、唐突に店主を揺さぶるための一言であった。
突如、訳も分からずイブラムに国内で戦争が起こると断言されては、店主も胡散臭さを感じながら、自ら訊ねずにはいられなかった。
「内戦だって……? 誰と誰が戦うっていうんですかい」
「おたくの領主ロフィー公とクレス公が組んで……我が領主のコルドー公と、国王の御嫡男に当たるピエル様の軍と戦うだろう」
「カイトラ三騎と……王子の軍が? ははっ、バカな!」
空笑いを浮かべる店主の目は、まったく笑っていなかった。
嘘であると一笑しつつも、耳から入って来た一大事がするりと抜けてはくれない。
「俺をからかっているんでしょう? そんな重要なこと、こんな一介の町民相手に大っぴらに言えるわけがない! 話が本当だとすれば、シウバ将軍が貴方を黙って見過ごしたというのか?」
「ああ、見過ごしたよ。さすがの将軍も、王子に味方する人間には手を出したくはないのが忠義というものだろう。それに俺が大っぴらに話しているのは、もう隠す時期ではないからだ。近く耳の早い商人から噂は広がるさ」
店主は真っ直ぐにイブラムの瞳を見つめていた。近く内戦の噂が広まるのだと言うならば、店主を騙すにもわずかな期間しか効力を発しない嘘ということになる。
「つまり貴方は……、シウバ将軍を味方に付けるためにこの町に来たのか……」
「いいや、まったくの別件だよ。俺が今この町に来たのは、国内を騒がせているルティンの動向を追うためだ。とある情報筋から、シウバ将軍がルティンを匿っているとの情報が入った。その真偽を確かめるために来たのさ」
イブラムは虚実を交えて店主に語りかけた。
シウバ将軍がルティンを匿っているなどという情報は嘘である。それはあくまでイブラムが考ええた数ある中の可能性の一つであり、耳にしたという事実もない。
これはただ、店主の胸の内を探るために混ぜた一滴の毒であった。
だが、一つ前の内戦の話題が、こちらの嘘に真実味を帯びさせることになる。
店主はまさにその一滴が舌に触れたように、慌てふためいた。
「シウバ将軍がルティンを匿っているだと!? でっちあげだ!」
そんな店主の迫真の叫びは、イブラムにとって上々の反応であった。
「だからこうして軍の記録を調べている。モカツ砦の兵士たちは、神域への調査でルティンを護衛していると聞いた。実際に将軍も、顔見知りであることは認めている」
「顔見知りであることと、匿うことは別でしょう! 顔見知り程度で匿うというには、ルティンの罪は重すぎるじゃないか!」
「そうさ……。だから俺たちは、この町が隠しているシウバ将軍の秘密を調べているのさ。あんたも訳知りなら、吐いた方が身のためだぞ」
まるでシウバ将軍のためであり、町のためでもあるという風に誘導する。
しかし、その程度で割れる秘密であるならばハナから簡単に調べも付くだろう。
だからこそ店主は安い自己保身こそ口にはしなかったが、シウバを庇おうとする気持ちが言葉を揺らがせた。
「……将軍は、決して国を裏切るような方ではありません」
「今まではそうでも、ルティンを庇っていればそうはいかない。この国があと一月もルティンを捕まえられないでいてみろ。そうなれば大陸法によって、他国の精鋭軍がこの国を荒らし回りながらルティンを捜索し始めるんだぞ」
「だったらなおのことだ! それを分かっていながら、庇う理由はないじゃないですか!」
「うーむ……まあな」
イブラムは店主を見上げて首を傾げた。
ここの町民たちがシウバ将軍と何らかの秘密を共有していると仮定しても、現状この感情的な店主が名優でもない限りは、その秘密とルティンを庇うことには直接的な因果関係はないのではないかと思える様子であった。
必死に隠しているだけだと言われれば、そう捉えることもできるが。
イブラムが顎に手を当てて再び考え込むと、今度は誠司がぼそりと刺すように言った。
「あなた達の魔術信仰と関係あるんじゃないですか……」
誠司は前にもこの遣り取りで、店主とは取っ組み合いの喧嘩になってしまった苦い記憶があるが、やはりそこに触れることは店主の口調を荒らげるきっかけになってしまうようだった。
「俺たちは魔術信仰などしていないと言っただろうが!」
「でも神域の信仰はしていますよね」
「魔術の信仰と、神域の信仰はまったくの別物だ! この土地に古くから祖先を持つ人間であれば、神域を敬うことにおかしなことはない! 神域とはこの土地の脅威であり恵みなんだ!」
たしかに脅威でもあり、恵みでもある自然を対象として敬う古い教えは多い。
しかし、信仰は時に隠れ蓑を着ているのも事実である。
ふと誠司は訊ねてみたくなった。
「では魔術信仰ではないという根拠をください。経典はありますか」
「経典などない……。教えは代々親から子へと口伝されるだけで、あるとすれば神域を表したとされる木彫りの御神体くらいだ」
「御神体……ですか。では、その御神体というのを見せて頂けないでしょうか」
「かまわないが……」
店主は奥へと一度引っ込むと、両手で掬うような丁寧な持ち方で、木彫りの御神体というものを誠司たちの前に持って来た。
それはどこかの土産屋にでも並べられていそうな、拳大の木彫りの人形であった。
経年によって元の色は失われて、彫りが丸みを帯びて滑らかになってしまったが、灰色の猿のようである。
だが誠司は、店主の手に包まれた木彫りの御神体を見て、はっと息を呑んだ。
すでに色は失われていて、元の彩色は知れず、作られた当時の面影はなさそうな木彫りの猿であったが、誠司にはその木彫りの御神体の元あるべき姿がありありと脳裏に浮かんだのである。
白眉――。
神域の中で、誠司が偶然足を踏み入れることになったオスワの国。
そこでただ一匹、湖を見守るように佇んでいた白い猿のことである。
その猿が何者であるのかは、神域で住まうという一族の者から聞いた。
白い毛を持つ猿――白眉殿は、かつて『空間の魔術師』と呼ばれた古の魔術師であり、神域の一族たちの相談役であった者だったそうである。
だとすればこの町の神域を敬う人間たちの間で、こうして御神体として崇められていることにも不思議はないのかもしれないが、まさかこのような形であの白眉殿が認知されているとは思いもしなかった。
店主が信仰を魔術と関係ないと否定しながら、堂々とこの白眉殿をモチーフとした御神体を持ってくるのは悪い冗談に聞こえるが、反って無垢な信仰と知れた。
誠司は店主に礼を述べて、イブラムと共に軍事記録を調べ直すことにする。
二人で肩を並べて、一冊の分厚い本に目を通していく作業である。
やはり紹介所にある程度の記録では、誰もが知るような情報だけが記されていたが、シウバという人間の人となりを知るだけでも手掛かりの一端にはなってくれるかもしれない。
気になった部分を口にしながら、ここでの歴史を辿ってみる。
「シウバ将軍がモカツ砦の将軍に任命されたのは、573年のことみたいですね」
「もう十年以上前のことだな。あの実力だし、武功を上げるに苦労はないだろう」
「大規模な神域の調査は560年にあったみたいですが、将軍は参加したんでしょうか」
「まだ若い一兵卒だったかもしれないが、したんじゃないか? 基本的にカイトラの軍人ってのは、生まれた土地から動くことはあまりない」
「あとは隣国との戦争が68年ですね……。これはモカツ砦の軍は参加しなかったと聞きました」
「ああ、ここの軍は精鋭揃いだが……万一を考えると軽率に動かせないんだろう。とくに大規模な神域の調査で、大きな被害を出した後年のことだしな」
「自慢の精鋭が常に釘付けですか……」
誠司はもっともらしい理由に納得しかけたが、同時に湧いて来た疑問が拭えなかった。
「でも……、国の一大事にも精鋭を動かさなかったんでしょうか。基本的に軍隊というのは予備兵力というものがあるはずですよね。有事の時くらい、せめて遊軍としてでも多少なり戦場に駆け付けるべきだったんじゃないでしょうか」
ただ主戦場から離れ、自国の要衝に抑えの軍を配置しておくことが戦略上の常であることは誠司も知っていたが、問題は誰を置くかである。
これにはイブラムも首を傾げて、懐疑的な口調になった。
「加えて、今回の内戦にもモカツ砦は積極的ではないようだ。つまりシウバ将軍というよりも、そもそもここの軍がカイトラの国に非協力的なんじゃないか……」
疑念を抱くイブラムに、店主が額に汗を滲ませる。
これはイブラムが先も疑っていた、この町そのものへの疑いに他ならなかったが、
「そいつは違う……っ!」
店主は反射的に強く否定した。そして、逡巡する様を見せてやや間を置いてから、
「すでに……すでに昔のことだから教えますが……、このモカツ砦の軍は、スーガとの戦争に参加しているんです……」
明かすことが憚られる手札の内から、一枚の事実をこちらに差し出すのだった。