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クロノセージ ”時の魔術師”  作者: 葛西シロム
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二章 二話 アトン

 二章 二話 アトン



 オッドに送り出されて、誠司はノエルと一緒に町の外を歩いていた。

 町の外は遠く山々の連なりを背景に、平野は広く、川が流れ、道はどこまでも続いている。

 昨日、誠司も少しばかり町の外を走り回っていたが、緑が生い茂っていることを除けば、土地勘のない誠司にとっては砂漠を歩くのも等しい行為であった。

 今は手前に金色の髪を靡かせたノエルが歩いているが、不安は拭えない。

その金色の髪が揺れる背中に声をかけてはみるが、

「なあ、ノエル……。今はいったい、どこに向かってるんだ……」

「オッドの野郎に騙された……」

 ノエルはこればかりを呟いて、会話にならなかった。

 二人で町を出てから、最初のうちは誠司もここまでの経緯を話したりしたものだったが、ノエルは誠司がルティンに攫われただけの被害者だと知ると、その怒りをオッドに向けていた。

「なぁ~~にが! ルティン捜索の鍵になる男なの……!? ただの迷子じゃない、ねえ!?」

 ノエルは振り向いて詰め寄ると、誠司の胸に指を突き刺した。

「痛ぇな……俺だって好きで攫われたわけじゃないんだよ」

「そうでしょうよ? そうでしょうけど、自分が鍵になるなんて言われたときに、反論くらいするべきじゃないの?」

「仕方ないだろう!? 俺には事情がわからなかったんだ!」

「ハァ~……。これじゃあ、足手まといを抱えて捜索するだけだと思うのね」

「足手まといとはなんだ。俺は、あれだぞ……わりと体力とかはある」

 自分でも情けなくなってくるアピールポイントに、誠司は語尾が小さくなっていた。

 ノエルはそれを聞いて溜息を吐くと、誠司の左腕をつかんで舐めるように観察し始めた。

「あんた……身分はわからないくせに、生意気にアトン式のストックはしてるのね?」

 腕を持ち上げられて、顔を寄せられた。

 長い睫に憂いを帯びるような大きな瞳が、じっと誠司の腕を見つめていた。

 誠司はドキッと心臓を鳴らして、腕を引っ込める。

「なっ、なんだよ!? 人の腕なんか見て!」

「だって気になるじゃない……? 身分印もないんだから、腕のストックで職業や出身がわかるかもしれないじゃん?」

 ノエルは引っ込められた腕をつかみなおして、また自分の元に引き寄せた。

 身分印――オッドが町を出る前に、ノエルに誠司のことを少し説明してくれた。

 どうやらこの国なのか、この地域なのか。とにかくオッドが知る限りでは、子供が生まれたときには最低でもその右腕に、出身と身分を“身分印”として記すことが親の義務なのだという。

 それは捨て子だろうと養子だろうと例外はない。むしろ誠司のように大きくなってからも身分印がないような人間でさえ、教会に一年過ごして奉仕すれば、その教会が身請け人となって身分印を記してくれるシステムがあるだけに、大人になっても身分印がない人間というのは、今日この世界に生まれたか、なにか奇想天外な事情を抱えている人間のどちらかであるらしかった。

 だが、そんなことを言われても無いものは無い。

 ただ電話すらない技術水準の国のようだから、文化の違いというものが理解できないのだろうと、誠司は抵抗をやめて傷一つない綺麗なはずの左腕を差し出してやったが、

「二つか……少ないな」

 ノエルの独り言に、誠司は一緒になって自身の左腕に目を落とした。

 そして二人は声を重ねながら、別々の理由で驚愕の声を上げる。

「「んんっ!?」」

 誠司の左腕に、赤い文字が浮かびあがっていた。それは腕章のように腕を一周して、わずかに光っているようにも見える。

 昨日に、オッドが初めて見せてくれた身分印というものに似ていた。

 ただ誠司は、この国の生まれではないし、こんなものを入れた覚えすらない。

「これっ……どういうことだよ!? お前がやったのか!」

慌てて訊ねた誠司を制して、ノエルはより強く誠司の腕をつかんだ。

「ちょっと落ち着いて! 今わたしが展開するから!」

 そこから誠司はしばらく声が出なかった。言われた通りに、落ち着いたわけではない。脳みそが目の前で起きている出来事を追いかけることに精一杯で、質問なんてものは二の次になった。

 誠司の腕の赤い文字は腕のなかでぐるぐると周回し始めると、次には幾つかの文字が文章となって空中に舞い上がった。

 何もないはずの空間に踊る赤い文字は、そこに透明の黒板が存在しているかのように、やがて文章の羅列が宙に張り付けられると、二人の目の前を真っ赤に埋め尽くしていく。

 一つ一つの文字が五センチほど。それが文章になると、畳にして二十枚ほどの量で宙を埋めた。

 なにが書いてあるのかは誠司にはわからない。しかし、異様に並べられた文字の量が、膨大な情報として示されていることだけは察することができた。

 ノエルは、まだなにも言葉を発しなかった。

 ただ眉間に皺をよせて、赤い文字の羅列に向き合いながら、ときおり指をなぞらせる。

 ノエルが喋ったのは、それからしばらくしてのことだった。

「あなた……本当にルティンの知り合いじゃないの!?」

 そして口を開いたかと思えば、唐突にルティンとの関係を再確認された。

「知り合いじゃないよ。なんで俺を攫ったのかさえわからないんだから!」

「ルティンに記憶を消された、とかじゃなくて? もしかすると……、本当はあなたもアトン学術所で一緒に研究していたとか……」

「攫われる前の記憶はしっかりとあるよ! そんなところにいたことはない!」

「じゃあ……これを書いたのは、ルティンっていうこと!? アトン学術所にいたってだけで天才なのはわかるけど、とんでもない男なのね……」

 ノエルは一人で圧倒されながら、赤い文字をひたすら目で追っているようだった。

 誠司はノエルの袖を引き、文章の内容について訊ねる。

「なにが書いてあるんだよ?」 

「かなり高等なアトン式……ってことだけは、わたしにもわかるかな」

「アトン式……? なあ、それって呪いとか病気じゃないよな?」

 誠司は自分の腕に記されているだけに、その存在の善悪が気が気でなかったが、

「アトン式だって言ってるでしょ!」

「アトン式ってなんだよ! なんの式だよ!?」

「アトン式なんだから、アトンの式に決まってるでしょ!」

「まずアトンってなんだよぉ! 鉄腕か!? 鉄腕アトンなのか!?」

「ハァ!? アトンだっつってんでしょ! 鉄腕でぶっ飛ばされたいの!?」

 しばしの間、世界一くだらない言い争いが続いたあとに、

「俺はなぁ! なにも! 知らないの! お前らの文字も、文化もな!?」

「知らないことを誇らないでくれない? わたしだってろくな生まれじゃないけど、知らないことは自分で学んできたの!」

「俺がいつ誇ったぁ! 教えてくれって言ってるんだ! お前だっていつまでもなにも知らない足手まといを連れて歩くより、そっちのほうがいいだろう!?」

 誠司が地団駄を踏んで喚くので、ノエルのほうが折れることになった。

 誠司としては芸人時代に染みついてしまったオーバーなリアクションであったが、そんなことを知らないノエルにとっては頭のおかしい男だと思ったことだろう。

 ノエルは非常に厄介なものを見るような眼で誠司を見ながら、地面に小石で落書きを始めた。

 小石が柔らかい地面を削り、ただの小さな円が一つ描かれた。

「アトン……世界を作る、目に見えないほどの小さな小さな粒ね。人も町も自然も、存在するものすべてがアトンから構成されている、いわば万物の素材。これくらいはわかるでしょう?」

「いや、知らん」

「……コホン。でしょうね!」

 ノエルはわざとらしく咳払いをすると、続けざまに小さな円に向かって三つの矢印を描いた。

「アトンは三つの力が複雑に作用して、様々な物質に変化するの。その三つというのは、一つが“根源の力”、一つが“崩壊の力”、一つが“光の力”ね」

「ふぅ~~ん……」

 まったくわからん。

 誠司は口にこそ出さなかったが、その小首を傾げた間の抜けた表情が、彼の胸中を物語ってしまったのか、ノエルに小石を投げつけられて図解の説明は終わってしまった。

「ようするにね! アトンにその三つの力がどれぐらいの量、どのように作用しているのかを記したものがアトン式だってこと!」

 ノエルは宙に浮かんでいる赤い文字の並びを指差して言い放った。

「まあ、いいよ! なにか専門的なことが書かれているんだろう? だけど、それがなんで知らぬ間に俺の腕に書かれてるんだ?」

「だからそれよね、クロノ……。あんたに身に覚えがないっていうなら、これは紛れもなくルティンっていう男が書いたものってこと。だってこんな難しくて複雑な式は、そこらの人間には書けないだろうから」

 ノエルがそう言いながら、誠司の腕をすっと撫でると、宙に浮いていた赤い文章の数々が即座に霧のように消えてしまった。

「あれ……どこいった?」

「閉じた。だって邪魔じゃん?」

「閉じた……? 閉じたり、開いたりできるのか……?」

 仕組みはわからないが、誠司の左腕に記されたものも同時に消えた。

 まるで赤い文字を映していた映写機が電源を落としたようで、誠司にはそれが超能力のように不可解であったが、ノエルにはそんな自分を不可解な珍獣のような眼で見られてしまう。

「あんたってさぁ……どんなド田舎に住んでたの? 今まで山奥に籠って、その身一つで狩りでもしながら生きてきたの?」

「んなわけあるか! 俺だってそこそこの都会で生まれ育ったよ。少なくとも、こんな野山に囲まれた地方じゃない!」

「本当に……? だとすると、ますますあんたのことがわからないわ。ルティンはあんたを攫ってなにをしようとしてたんだろう」

「俺だってそれが一番聞きたいところだよ。俺は別に家が金持ちなわけでもないし、攫って得をするような人間じゃない。どこにでもいる、ただのフリーターだったんだ」

 それに聞く限りでは、ルティンという男はアトンという学問のエリートらしい。そんなエリートが自分に用事があるというのなら、人体実験のサンプルにでもするのか、悪い仕事をさせて金儲けでもするのか――誠司の浅い考えではその程度のことしか思い浮かばなかったが、

「フリーター? へえ、あんたもフリーターだったの?」

 ノエルは意外なところに反応して、声の調子を上げた。

 誠司もルティンのことが頭から離れて、ノエルの反応に食いついた。

「あんたも、って……なんだ。お前もフリーターなのかよ?」

「そりゃあ、わたしはそうでしょ。専属だったら、朝から紹介所になんか行くわけないじゃん」

「ああ、なるほどな……。でも、いいのかよ? 悠長に懸賞金目当ての人探しなんてやってて。金に余裕があるわけじゃないんだろう?」

「そうだよ。余裕がないからこそ、ここらで一発でかい仕事を熟さないといけないの。じゃないと一生フリークエストか、低級クエストで生きていかないといけないじゃない?」

「そういうもんか……」

 誠司は呟きながら頷いて、ノエルの人柄を探るかのように、その横顔を眺めていた。

 オッドはノエルのことを頭がおかしい風に語っていたが、誠司から見た彼女は案外根が真面目なのかもしれないと思った。

 フリークエストだの、低級クエストだの、詳しい事情はわからないが、恐らくあまり割の良い仕事ではないということだろう。ノエルはそんな自分を変えようと、このルティン捜索という大仕事を達成することで人生を変えようと思っているに違いない。

 国や文化は異なっても、誠司は年端の近いだろうノエルに親近感が湧いた。

 今日を前向きに生きようとする彼女に、なにか自分が手助けできればいいとすら思った。

「それで……今はどこに向かってるんだ?」

 そんな会話を挟んだせいか、誠司もまるで自分の人生が懸かっているかのように、ルティンという男を探してやろうと意欲を燃やした。

 手順ややり方はノエルに任せるしかないが、男の自分が必要な場面もやって来るだろう。

 そうして誠司は眉を凛々しく上げると、彼女に胸を高鳴らせながら訊ねたが、

「……うーん。まあ、まずはルティンの情報を集めることから始めないといけないから……」

「うんうん」

「……考えるべきは、密入国の方法だよねぇ……」

「うんうん……うん?」

 誠司はなぜか、顎がしゃくれてしまった。

 凛々しく吊り上がった眉が、彼の驚愕と困惑が混ざった感情を面体に表していた。



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