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クロノセージ ”時の魔術師”  作者: 葛西シロム
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八章 四話 オスワの国

 八章 四話 オスワの国



 霧が晴れるように、視界を覆っていた光はすぐに消えていった。

 瞑っていた目を開くと、景色をすり替えられたかのように誠司は知らない場所に立っていた。

 術式を構成していた虫たちは、光を失って方々に散っていった。

 ノエルの腕をつかんだまま、慎重に足を一歩踏み出してみる。

 足元には、苔むした石畳が真っ直ぐに伸びている。その左右には、蔓を垂らして生命力を溢れさせた太い幹の大木が並木道を作っていた。

 頭上には大木の広げた枝葉で覆われて、それが疑似的な天井のようになっていた。

 辺りは不思議と暖かい光が差して、誠司たちを照らしてくれていた。

「道があるってことは……人が来たことのある場所のはずだ」

 誠司が道を辿っていくと、そのうち朽ちかけた家並みが見えて来たので一度足を止めた。

 扉が外れて道に放り出されていた家が一軒あった。誠司たちはゆっくりとその一軒に近づいていくと、中の様子を窺ってみる。

 そこは久しく人の気が無さそうな民家であったが、遥か昔に人が住んでいたような形跡のある一軒家であった。椅子やテーブル、戸棚といった普遍的な家具が揃えられており、かつての生活の欠片を残していた。

 当然のこと、すでに数々の家具は老朽化して腐りかけているものもあったが、誠司は家の中に入っていって色々と調べ始めた。

 棚に置かれた一冊の本を手に取って、朽ちかけた机の上に広げてみる。

 本はすっかりと傷んでおり、頁をめくるだけで崩れてしまいそうなボロボロの紙を、丁重に摘まんで適当に捲ってみた。

 頁の大半はコミカルな絵で埋められて、文字は少なかった。

「オスワの精霊が、湖の中から姿を現しました。オスワの精霊は旅人に言いました。――この湖の水を飲めば、たちまち力を得ることができるでしょう。ただし飲み過ぎてはいけません」

 誠司は書かれていた一説を何気なく口にした。

 描かれた絵から察するに、疲れ果てた旅人の前に湖の精霊が現れて、湖の水を飲めば再び歩き出すことができると教えているようだった。

 ただし飲み過ぎてはいけません、というのは、昔話のよくある欲深さへの戒めだろうか。

「オスワの精霊……オスワ」

 誠司はその言葉に思い当たる節があった。

「オスワの国……。四人の魔術師が生まれた、古の伝説の国……」

 フィジーの町で声を掛けて来た老人との会話が脳裏に蘇る。

 誠司は額に汗を浮かべて他の戸棚も手当たり次第に調べてみた。

 長い時を経て中身が変色してしまった瓶や雑貨をひっくり返して、また数冊の本を見つけ出した。

 新たな本は過去に湿り気を帯びたのか、頁がくっついたりしていたが、どうにか読める頁を開いて書かれた内容を確認していく。

「塩が匙一杯に香草を加えて……これは料理の本か。こっちは季節の詩集、夏編……これも違う」

 ほとんどが暮らしを豊かにするような普遍的な本だったが、その中で見つけた一冊の本に誠司は手を止めた。

 表題は、『百科辞書』。

「これだ……っ!」

 誠司は可能な限りに色々な頁を捲って、その一つ一つの語句に目を走らせた。

「ちょっと、なにしてんのあんた? そもそも、この文字読めるの?」

 ノエルは未だこの地を不気味に思っているようで、時折誰もいないだろう背後を警戒して振り返ったりしていた。

「俺には読めるんだよ。きっとどんな言葉でも……。だからこの辞書に書いていることも内容がわかるんだ。そんで……この辞書には色々書かれているはずなんだけど」

「色々ってなによ?」 

「文化水準だよ」

「文化水準……? なんで辞書にそんなもんが書かれてんのよ」

「あった……!」

 誠司は古びた辞書に書かれていたとある語句に指を差した。

「あったって、なんて書いてあんの?」

「たとえばこの『蓄音機』……。今までどっかで見たことあるか?」

「蓄音機……?  ああ。見たことはないけど、貴族や商人が持っているって聞いたことあるわね」

「あんのかよ! じゃあ……他にはだな……『トベルコ病』は!?」

「トベルコ病? それは知らないけど、わたしだって物知り博士じゃないからね」

「説明の一文には、トベルコ菌によって起こされる病と書いてある」

「だからそれがなんなのよ」

「ここはどう見たって普通の民家だろう? そんな普通の民家にあった辞書の中で、一つの病に対して病原となる菌まで特定されて説明されているんだ」

 誠司は興奮しながら、ノエルの次の言葉を待つ前に自ら解答を出した。

「つまりだ! ここの地域は文化が発達していたことがわかるってことだ!」

 誠司は慌ただしく絵本と辞書を小脇に抱えると、民家を後にしてまた道へと繰り出した。

 ここが老人の言っていたオスワの国に違いない。ここが魔術発祥の地であり、ここにルティンの思惑を知る手掛かりがあるのだろうと、誠司の足は急いていた。

 ノエルがうんざりしたように後から追いかけて来て、誠司の足を引っかける。

 誠司はバランスを崩して、鳥が飛び立つように綺麗に転んだ。

「どわぁ! なにすんじゃい!」

「一人でどんどん進むんじゃないわよ。少しは用心なさい」

「用心たって……どこを見ても無人の町だろうよ」

「本当に無人だったら、ここに来れてないでしょ。何者かが私たちをここに呼び寄せたのよ」

「そりゃあ……、まあそうだな。でもよ、お前もここがオスワの国だと思わないか? 俺自身、少し興奮しているのは否めないよ。これってすごいことだろう?」

 高鳴る鼓動を自覚しながら、誠司は座り込んでノエルに話しかけた。

 ここがもしオスワの国なら、もし伝説の都であれば、ルティンのことや、目に見えない何者かの陰謀や、もしかして誠司の帰る手立てにも道筋が見えるかもしれない。

 ノエルだって、この仕事に人生を懸けているはずだ。

 だからこそ反って冷静に努めていたのかもしれないが、ノエルは黙ったまま返事をしなかった。

 ただ黙って、石のように固まって、道の続く先を凝視していた。

 その姿があまりにも視線の先にすべての意識を囚われていたものだったので、誠司もふと釣られるように同じ方向に目を向けたのだったが、

「えっ……」

 藍色の瞳がこちらを覗き込んでいた。

それは光を放っているかと疑うほどに、真っ白い毛を持った猿だった。

 幸いにも猿は一匹である。あちらも遠くからこちらを見つめているばかりで、敵意はないように思えた。

 誠司たちが逃げることも追うこともできないまま目を奪われていると、白い毛の猿はおもむろに自分の毛を毟って、たんぽぽの綿毛を飛ばすように口から吹いた息で自らの白い体毛を宙に舞い上がらせた。

 白い毛はひらひらと空に揺れると、なんと命が芽生えたように自在に動き始めたのだった。

 それはつい先程に見た光る虫と同じものに見えた。光る虫は猿の周囲を飛び回り、やがて強い光で猿を包んだ。途端に白い猿は姿を消したかと思うと、先にある道の突き当りに突如現れた。

遠くにいるのではっきりはしなかったが、気のせいか猿は歯を見せて笑っていた。まるで自身が光る虫によって誠司たちを呼び寄せたのだといわんばかりの行動であった。

 白い猿は、誠司たちを誘うように突き当りの道を右に進んでいく。

「あの猿……俺たちを誘っているのか」

 追いかけたい気持ちもありながら、罠ではないかという疑念もあった。

 しかし、ここに来てまで得た手掛かりの一端に、二人は手を伸ばさずにはいられない。

「慎重に……追いかけましょう」

「そ、そうだな……。いつまでもここにいたって仕方ないしな」

 二人互いに首を忙しく振りながら、白い猿の向かった方へと歩を進めていく。

 やはり居並ぶ家の数々は閑散としていて、どこにも人の気配はなかった。

 所々で、太い木々が家を貫いて成長していた。木々は二階建ての家もある中で、それよりも遥かに高く伸び、翼のように広がる枝葉は空を完全に覆い隠していた。

 空も見えない草葉の天井であるのに、町は不思議と暖かみのある光で溢れている。ただの廃墟と化してしまった町が、神々しく神聖な場所であるかのように思える理由であった。

「そういえば……オスワの国は魔術によって滅びたと聞いたけど、ノハラの村でハドリアさんに魔術師の話を聞いた時も、魔術師が太古の昔に大陸を激変させるほどの災害を起こしたと聞いた」

「そのせいで、この町が滅んだって……?」

「そう考えるのが自然じゃないか。だって……これだけの建物があるんだ。誰かが住んでいたのは明白なのに、今やもう誰もいない」

「まあそれが事実だとして、なんで誰もこの町のことは知らないの? そんなことがあったなら、歴史の一部として残っているのが普通じゃない」

「そうなんだ。魔術のことを隠すにしても、町の情報ごと消す必要はないはず――」

 そう言いかけて、誠司は追いかけていた白い猿が向かっていた先に、雄大で鮮烈な光景を目の当たりにすることになった。

 白い猿と同じくして、道の突き当りを右に曲がりしばらく行くと、木々の葉が覆う自然の屋根が開けて、天が高くなった。しかし、それでも未だ青い空は見えない。やはり開けたその先でも、天を覆うのはまた一層高い木々の葉の屋根であり、今度のそれは規模が段違いであった。

 まず視線の先に、大きな湖が広がっていた。湖面は天井の木々の葉を映して、穏やかな水面が緑に輝いて揺蕩う広大な湖であった。

 その広大な湖を包み込む、あるいは覆うように広がる木々の枝葉は、壮大な籠細工のように互いの枝を絡み合わせては調和して、まるで神話の中の聖域のようだった。

「すごい……なにこれ」

 ノエルは思わず息を呑んで、感嘆の声を上げる。

 もちろん誠司も同じ気持ちで、眼前の景色にしばらく声を失っていたが、その後に目に入ったものによって恐怖の声を上げた。

「湖に……なにか映ってるぞ!」

 美しい翡翠色をしていた湖面に、人の姿が映っていた。



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