八章 一話 巨人
銃口から放たれた弾は、シウバの身体を目掛けて一直線に飛んだ。
発砲音と同時に銃弾を知覚したシウバは、怯む素振りもなく上半身の鎧で弾丸を受け止める。
弾丸は鎧に触れると軌道を反らして部屋の壁を穿った。
「クロノ、鎧の上からじゃあだめだ! 生身の部分を狙って撃つんだ!」
イブラムの助言も虚しく、誠司は瞬く間にシウバに距離を詰められてしまう。自らが向ける銃口の先端がシウバの綺麗な瞳に定まったとき、引き金を引くことを躊躇ってしまった。
誠司にとって武器や兵器といった類のものは、相手への抑止力であった。それは真の意味での武器ではなく、自らを守るための盾であった。どこまで行っても、交渉の道具なのだ。おかしな話だが、たとえ引金を引いても誠司に相手を殺すつもりはないことが災いした。
すなわち相対する誠司とシウバの二人の戦いは、相反した目的のものになっていた。命を守ろうとする者と、奪おうとする者。まるで草食獣と肉食獣のような互いの関係性は、広いサバンナの上であればまだしも、この狭い部屋の中では逃げ場のない狩りに等しくなっていた。
シウバの迷いのない金砕棒の一振りが、誠司の左肩に直撃する。そのときになって、誠司はようやく二三発の銃弾をシウバに浴びせて反撃したが、狙いを定めるわけでもなく混乱の中で放たれた弾丸は、またしても鎧に弾かれて部屋の四方に飛び散った。
「クロノ! 落ち着け! 適当に撃っても弾の無駄だ!」
イブラムが急ぎ駆け寄って、振り上げた脚から踵落としをシウバに食らわせようとする。
しかし、シウバがそれを金砕棒で即座に防ぐと、まるで脚と金砕棒との鍔迫り合いのような体勢に持ち込まれた。
「こっちは三人だぜ、モカツの守護神さんよ!」
「三対一の状況に困るくらいなら、最初からこの場に精鋭を伏せておいている」
「ハハン。ようするに、俺たちは舐められているってことか?」
「冷静に戦力を比べただけだ。兵隊長が一人に、名前も知らない手下が二人……。苦戦するようでは、将軍という地位は軽すぎる」
「なるほど……だとすれば、優秀な斥候を新しく雇うことをおすすめするぜ」
イブラムの苦難と希望が混在したような微笑みと同時だった。部屋の中に複数の赤い光の輪が、シウバを囲むように出現した。
「アトン術式か……」
シウバは眉一つ動かすことなく、不意に出現した赤い光輪を観察している。
その光輪はノエルの仕業によるものであり、光輪を通過した物体を超加速させる術式であった。
「どきなさい、イブラム!」
ノエルは懐から布袋を取り出して、その中身を宙にばら撒いた。
撒き散らされた袋の中身は、黒色に鈍く輝く、大量の小さな金属の球であった。黒色の球は五月雨のように部屋に降り撒かれ、あるいは地面に落ちて、あるいは光輪を潜った。
突如、前後左右から赤い光輪を潜った金属の球がシウバに襲い掛かる。
だが、一番肝を冷やして仰天したのはイブラムかもしれない。
「おい、俺ごとやろうってのいうのか!」
その攻撃はイブラムをも巻き込み、ただ身体を丸めて弾丸の豪雨に耐える他ない状況に陥らせたのだった。
「ぐうおぉぉ~~!」
弾丸はポップコーンのように部屋の中を飛び跳ねて、誰彼構わずにそこにいる人間を襲った。
シウバは鬱陶しい蠅でも追い払うように、金砕棒を左右に振り回していたが、やがて不可解に動きを鈍らせた。
シウバはまるで見えないなにかに行動を制御されているように動きが止まった。
幾つもの黒色の弾丸が宙にぴったりと浮いたまま静止しているのを見て、ノエルとイブラムの二人は事態を理解した。
シウバだけが、宙に浮かんだまま動かない弾丸を見て困惑していた。弾丸は彼を釘で打ちつけるように周囲に留められている。
「なにかの術式か……。初めて見るが、だいたい理解はした」
だが、機転を利かせた誠司の策も、シウバには気合の発声と共に打ち破られる。
「ふんぬぅっ!」
シウバは身体の節々の関節や骨を見るに堪えない方向へと折り曲げてしまうと、次の瞬間には宙に留められた弾丸の合間を蛇のように抜け出してしまうのだった。
抜け出た後、元に戻ろうとする痛々しい骨の音が誠司たちの恐怖を煽った。まるで人間の形をした化け物を相手にしているようである。
さすがのシウバも脂汗を垂らし、呼吸が早くなっていたが、ついには何事もなかったかのように直立して四肢を身軽にぶらぶらとリラックスさせていた。
「無理矢理抜け出した……」
「難しいことじゃない。我々の軍人の多くは、怪我をしたときのために身体に修復の作用をもたらすアトン式を備えている。修復というのは、時に身体という部品を直すこともあれば、分解することもある。今のは、宙に留められた弾丸の数々から抜け出すために、必要なだけ部分を分解しただけのこと。思ったよりも負担は大きかったが、二度も三度もできる芸当ではないんだろう?」
シウバは今の出来事が偶発的なものだと見抜いて、笑っていた。
誠司は術式を解いた。慣性が戻った銃弾が再び部屋を虚しく飛び回り、やがて全て床に落ちた。
誠司たちはシウバの圧力に飲まれて、足を止めて出方を窺ってしまう。
それでもシウバは何発か銃弾を浴びていたはずだったが、すでに彼の身体には渇いた血の跡だけが残るばかりで、揚々と金砕棒を構え直していた。
こちらからもアクションを起こさなければ、一方的な暴力に見舞われてしまうだろう。
誠司も歯を食いしばって反撃の糸口を探していたが、誠司の持つ二つのアトン術式では陽動や搦め手を担うことで精一杯だった。
足りない攻め手をイブラムとノエルに補ってもらうとしても、事前の決め事もなくアドリブで連携をするのは姑息な手に過ぎず、きっと今のようにシウバにも通用しないだろう。
そうして誠司が逡巡している間に、どうにか弾丸の雨嵐を掻い潜ったイブラムが、身を挺するように半歩前に踏み出していた。
「クソ……。仮にも同じ国の領主に仕える人間から攻撃されるとは考えていなかったぜ」
その大きな体躯を一層大きく見せるように、派手な動作で弧を描くように蹴りを放ったが、
「イブラム殿。私の耳にも、千人力との噂は入って来ている。だが、得意なのは一対多の戦いであり、強者との一対一ではないそうだな」
シウバは金砕棒でイブラムの蹴りを打ち払うと、返しの所作で強烈な一撃を腹部に浴びせに掛かった。イブラムもそれに応じてもう一方の足の膝で金砕棒を受けるが、一歩二歩と、徐々に後退しては壁際に追い詰められてしまっている。
「たまたま強者とやり合う機会に恵まれなかっただけだ。そのケチのついた風聞も、今日を境に変わるだろうさ」
「そうだな。三対一でも勝てない男だと噂されるだろう」
シウバの視線が唐突にイブラムから外れ、次に振り下ろした金砕棒が起動を変えて誠司を襲う。
「クロノ!」
イブラムの驚いた声が、少し離れたところで聞こえた。誠司は初めて自分が金砕棒の強く打たれて、部屋の隅に吹き飛ばされたことに気がついた。
遅れて胸元に鋭い痛みが走り、呼吸をすると心の臓に太い針が刺されるような感覚がした。
「ふぅ……ッ!」
精一杯の無事を知らせるために、イブラムには掌を向けてシウバに集中するように示した。
イブラムはとりあえず誠司が無事だと見て取れると、シウバにお得意の口角だけが上がった笑みを向けて、
「本気でやろう」と、上半身の鎧ごと上着を脱ぎ捨てた。
そうしてイブラムが全身に力を漲らせると、驚くことに彼の身体が一回りずつ大きくなっていくのであった。
「なぁっ……!」
知り合いの突然の成長期に驚愕するノエルの横で、イブラムは天井に頭が届きそうなほどの大男になっていた。
「このアトン術式の名は『巨人の助け(グスタフ)』。あまりに単純だから説明してやろう。俺が大きく、強くなるだけのものだ」
「術式なんてものはシンプルな方がいいさ」
シウバが共感するように頷くと、彼の持っている金砕棒が呼応するように巨大になった。
「俺の術式も紹介しよう。その名も『巨人の武器』。ただ武器が大きくなるだけのものだ」
「フハハッ! 似た者同士だったか」
奇妙な偶然に二人は一頻り笑い合うと、どちらともなく自らの武器を振るった。
イブラムの大きな身体を柔軟に使った豪脚と、シウバの剛腕から空を切る金砕棒がぶつかる。
両者の激しいぶつかり合いは、一瞬で決着した。
巨人の身体が呆気なく宙に舞い、天井から地面へと叩きつけられた。
互いの脚力、膂力にそこまでの差はなかったのかもしれないが、イブラムの誤算が勝敗を分けた形となってしまった。
シウバが剛腕を振るう間に、みるみるうちに金砕棒が巨大化したのである。
イブラムの脚と金砕棒とが衝突する際には、すでに金砕棒はイブラムの体躯全体に劣らない大きさになってしまっていたのだった。
イブラムにしてみれば、牛だと思って突撃した相手が突然象にすり替わったようなものである。
「ザタンさん!」
今度は誠司が叫び、イブラムが親指を立てて無事なことをアピールした。それはイブラムの強がりだったかもしれないが、自分を構っている暇はないという指示でもあった。
しかし、イブラムのお陰で相手の手の内は知れた。誠司は『限定的空間凍結』のアトン術式を使って、シウバの金砕棒だけを宙に固定した。
シウバの表情が引き攣って、すぐに異変には気がついたようである。
「さっきから貴殿は、変わった術式を使うんだな……。物体をその場に留める力だろうか」
当たらずも遠からず。シウバは宙に固定されてしまった金砕棒をあっさりと諦めると、今度はその身一つで突っ込んできたが、
「『すぐに飛んでけ(ビヒアナン)』!」
ノエルが物体を加速させる術式により、自らを射出する戦法で、シウバの真横から砲弾のように飛び蹴りを食らわしたのだった。
壁に打ちつけられたシウバは、尻もちをついたまま口角を上げる。
一進一退の攻防に見える戦いだったが、少なからずシウバにはまだ余裕があるようだ。
ようやくイブラムも立ち上がるが、腕を庇うように押さえる姿は万全ではなさそうである。
――使うべきなのか。
『終わらない(ノフィニ・シュマイ)』
誠司には何が起こるかわからないと言われて、ルベダに託された“呪文”がある。
ここに来て、なぜルベダは欠片でも説明してくれなかったのかと恨めしく思えたが、博打の一手を残してくれたことには感謝するしかなかった。
唱えるべきか、否か。誠司はじりじりと後退しながら、背にした部屋で唯一の扉を押してみたが、やはり固く閉ざされており逃げ道はなかった。
そんな合間にも、ノエルは追い打ちをかけるように手持ちにある限りの弾丸を、十八番の術式でシウバ目掛けて連射していたが、やがて在庫がなくなってしまう。
必死の攻勢も、シウバは腕を交差して易々と弾丸の雨を凌いでしまった。
「並の兵士なら、蜂の巣になっていたな……」
それは褒めているのか、己には通じないことを誇示しているのか。手立てを失ったノエルに、シウバはまた一歩二歩と近づき始めた。
「ノエル! 金棒だ!」
誠司は呼びかけて術式を解くと、宙に留められていた金砕棒が、ノエルの眼前に重々しく落下した。
ノエルは急いで大きくなった金砕棒を拾い上げると、シウバに向けて射出しようとしたが、一瞬ばかりシウバの動きが先回っていた。
シウバの手に着けていたガントレットが巨大化して、大きな拳となってノエルを襲った。
「きゃあ!」
金砕棒だけが特別な武器だと思っていたノエルは、イブラムと同様に唐突な不意打ちを受ける形で打ちのめされた。
「一応、貴殿らを殺めてしまう前に訊きたいことがあるのだが……もう終わりでよろしいか?」
いかなる策も真っ向から叩き潰してやると言わんばかりのシウバの態度に、誠司は一人立ちはだかった。
「終わりじゃないさ。まだ俺が残っているだろうが」
誠司はその手に隠している賽の目を自分でもわからないまま、虚勢を張っていた。
追い詰められた鼠が猫を噛む状況というのは、こういう時なのだろうか。
「終わらない(ノフィニ・シュマイ)!」
奇跡を願う叫びと共に、誠司の目の前は真っ暗になった。




