七章 五話 モカツ砦
七章 五話 モカツ砦
町から潜った門は徐々に小さくなって、市場の人々の声はほとんど届かなくなっていた。
大きな幅を持つ神域への山道は、わずかな上り勾配となって蛇行していた。左右を青々しい森林に挟まれており、ただ景色だけを切り取るのであれば歩きやすい散歩道に思えた。
時折聞こえる鳥たちの鳴き声も、山々が平和なことを教えてくれるようである。
この山道を唯一知っているイブラムも、今はなんの警戒もしていないように呑気な声で言った。
「もうすぐ近くにモカツ砦があるはずだ」
だが誠司が首を伸ばして先まで見渡してみても、砦のような建物は見えてこなかった。
「全然見えませんけど」
「いやあ、もう見えているんじゃないか。あれだよ、あれ」
「あれってどれですか?」
「あれだよ」
そんな遣り取りを幾度か繰り返して、誠司はようやくモカツ砦と呼ばれる施設を見つけた。
山道の左右に森林が切り開かれた一角があった。そこは山道の上り勾配に対して、あえて段差が生じるような切り崩しになっていた。段差は丸石を積んだ石壁が続いたもので形作られており、その前には逆茂木の乱杭が張り巡らされている。
乱杭は所々に隙間が置かれて、その狭間に鉄扉が設けられているのが分かったところで、誠司はここがモカツ砦なのだと理解した。
砦と言うからには建物かと思いきや、その正体は山に埋まった地下壕に近い。
「これが砦? 陰気な場所ね。籠るにはいいかもしれないけど」
誠司が言わないでおいた感想をノエルが口にして、イブラムが笑っていた。
「建物だと簡単に壊れてしまうからな。見た目とは違って、ここには高等術式が組まれた兵器や道具なんかも配置されているはずさ。だからそれを剥き出しにするような造りにはできない。相手は人間じゃないんだ」
「所詮は獣の類でしょ? 今までだってずっと被害は抑えられてきたじゃないの」
「ここの軍が優秀だからさ。あくまで噂話に過ぎないが、もし先代のスーガとの戦争でここの軍隊を動員することが可能だったなら、結果は変わっていたかもしれないと言われるほどだ」
「噂は噂よ。人数だってそんないないでしょう?」
ノエルは乱杭に近づいて行くと、疎ましそうに足蹴にした。
鉄扉は固く閉ざされていたが、イブラムが鉄扉の傍に取り付けられていた鐘を鳴らして、砦の人間にコンタクトを取っているようだった。
鐘が鳴り響いて間もなく、二人の男が両開きの鉄扉を内側から押して砦が開かれた。
「お前たちは何者だ。この砦になんの用がある」
砦の兵が一人、鐘を鳴らしたイブラムに威圧するように問い掛けた。
だがイブラムも臆することなく、領主から預かった書状を見せる。
「俺はフィジーの町の領主の使いだ。ここの砦を管轄する将軍シウバ殿にお目見えしたい」
「シウバ将軍に……? 要件はなんだ」
「イブラムが会いに来たとだけ伝えてくれ。それで門前払いなら、諦めて引き返そう」
「イブラム……?」
兵士は聞き覚えのある名前に眉を顰めて、軽蔑するような口調で仕方なしに了承した。
「貴殿がフィジーにいる流れ者の小間使いであったか……。コルドー公も、悲しいお方だ。他所からの拾いものでなければ、まともな人材が身内にいないと自ら公言しているようなものだ」
明らかな皮肉を込めた物言いだったが、イブラムは鼻で笑って兵士に返した。
「そういう貴殿は……えーと……申し訳ない。何分俺は流れ者故に、シウバ将軍以外の名前は知らないんだ。でもシウバ将軍の下で働く兵卒だ。伝言くらいはできるんだろう?」
手の平をひらひらと振って、羽虫を追い払うように兵士に伝言して来るよう促した。
兵士は分かりやすく拳を握りしめて、歯を食いしばっている様子だったが、イブラムは涼しい顔で爽やかな笑顔を浮かべていた。
むしろ誠司の方が、額に汗を滲ませる始末であった。
「歓迎されていないみたいですね……」
「半分は俺のせいだろうな。このカイトラという国は、元から余所者を好かない気風が強い。それに未だに古くからの有力領主の権力が強く、家柄というものが大事にされている。なんせ現国王が制定した、平民をアトン学術所に入学させるという政策ですら大きな改革と言われたほどだ」
「錬金術師が少なくなって来たから、でしたっけ……?」
「らしいな。まさしくルティンなんかはその政策の功罪を独り占めにした男だろう」
平民上がりの貴族、フェミマール・ルティン。
きっとその通称だけでは語り尽くせないほどの物語が、彼にはあったはずである。
誠司は自分の目的が家に帰ることではなく、何か大きな運命に突き動かされているような錯覚を覚えそうになるのであったが、同時に首を横に振って一人ごちた。
「いやいや、真面目に帰る手段も探さないと死ぬまで住み着くことになっちまう……」
それでも、首を突っ込んだからには変な責任感を持つのが誠司の性格の長短かもしれない。オッドから始まり、ノエルにイブラム、ハドリアにルベダと、彼らの役に立ちたいという気持ちにも嘘はなかった。
下手をすれば、今まで生きて来た中で一番に人との関わりを感じているかもしれない。
そう思うと、誠司は自分の人生が少し虚しくなって、勝手に悲しくなるのであった。
「どうしたクロノ。困ったような顔してるぜ」
隣にいたイブラムには、そんな表情に見えていたようである。
「困っちゃいませんよ」
自分が寂しい人間だと考えていただけです――とは素直に言えるはずもなく、
「ここに来て怖気づいていただけでしょ?」
ノエルに不名誉なレッテルを押し付けられて、さらに間の悪いことに伝言を頼んだ兵士が戻ってきたことで言い返すこともできなかった。
「とりあえず、俺たちに会う気は起きてくれたみたいだな!」
不服そうな兵士の背に案内されて、イブラムが先に砦の内部へと足を踏み入れた。
続いてノエルも入ろうとしたところで、誠司が彼女を押し退けるように横入りする。
「ちょっ……! なんのつもり?」
「おっとすまない。俺の奮い立つ勇気が、お前より先に足を進ませてしまったようだ」
「……はん? 頭でもぶつけたの?」
繊細な男の意地など、この女に分かるはずもない。
誠司は舐め腐った顔でノエルに向かって舌を出してやったが、無言でビンタをされたので舌を噛んでしまった。薄く涙目になりながら、黙って先に進んだ。
砦の内部は薄暗かった。光が乱反射するように加工されたガラスの中で、炎とも電灯ともいえないような光源が壁に吊り下げられていた。所々に通気口とも思われる格子付きの四角い穴があって、空気は淀んではいなかった。
床には光沢のある美しい白石が敷かれており、天井を支える柱には一本一本に金箔の飾りが施されている。
ここはまるで砦というよりも、山林の中に隠れて築かれた小さな宮殿のようでもあった。
そんな屋内を幾度か右へ左へと曲がっただろうか。ようやく案内する兵士の足が止まると、馬のレリーフが彫られたいかにもな両扉の前にやって来た。
「シウバ将軍、イブラム殿を連れて参りました」
兵士は扉越しに声を掛けると、ゆっくりと扉を開けて誠司たちを中に誘導した。
兵士は部屋の中に入って来なかった。
部屋にはただ一人、奥の壁際に一人の男が椅子に腰掛けて足を組んでいた。長い睫に縁取られた男の綺麗な瞳が、誠司たちに向けられた。
まるで人の外見ではなく、心を見抜いてしまうような美しい瞳であった。
男の髪は短く刈られていて、口元には髭の跡が残っている男らしい容姿なだけに、余計に瞳が際立っていた。
イブラムは男に向けて拳を胸に当ててつつ頭を下げると、軽く形式的な挨拶をした。
「シウバ将軍とお見受け致します。俺はフィジーの町の領主である、コルドー公の下で槍働きを任せられているイブラムと申します」
シウバは不気味なほどに黙ってこちらを凝視していたが、部屋に沈黙が訪れるとついに口を開いた。
「ここまで来て、まどろっこしい会話はいらないだろう。何を詮索しに来たんだ」
「お察しが良いようで助かります。単刀直入に言えば、私の主であるコルドー公は、国内で不審な動きをしている人間たちを調べ回っています」
「それでこのモカツ砦に足を運んだと……? 不審なのはコルドー公も同じだろう。イブラム殿を悪く言うつもりはないが……、コルドー公はこの国の生まれではない者や、出自の怪しい者を雇っては、こそこそと国内を嗅ぎ回っていると聞く。国王が表に出ていないこの時期に、そんな何の権限もないはずの一領主が他の領主に探りを入れるというのは、国内に混乱をもたらす行為と非難されても仕方ないのではないか」
「非難は覚悟の上でしょう。もはや現状を維持したい者こそ、この国の敵じゃありませんか」
「内乱を匂わせるような発言だな。とても領主のお考えとは思えん」
「ハハハ……何を馬鹿な。それではまるでこの国に内乱が起きていないように聞こえます」
「フフフ……何を馬鹿な。未だかつて、この国が一つにまとまったことなどありはしない」
シウバが言い終わると同時、対面していたイブラムが宙を舞うように背後へ吹き飛ばされた。
直後扉にぶつかると、その衝撃が銅鑼を鳴らすような音になって部屋に響いた。誠司は慌ててイブラムに寄り添って身体を支えると、シウバに叫びかける。
「なにをするんですか!」
「使者の一行は、モカツ砦に向かったが……そこで無残にも半神に襲われて命を落とした」
「え……?」
シウバは独り言のように呟きながら近づいて来ると、右腕から真っ直ぐ何かを伸ばした。
イブラムに手を貸しながら無防備な背を晒していた誠司は、シウバの粛々とした敵意に気づかず、代わりに神経を張り詰めていたノエルが身を挺して割って入った。
「領主からの使者を手に掛けようとするなんて、大事じゃないの」
「都合の良いことに、報告によればお前たちは三人だけと聞いているからな。それもイブラム殿が到着して間もなく砦へと足を運んでいる」
「つまりここで三人まとめて始末すれば、神域での事故だったと押し通せるってこと?」
「たとえ怪しくとも、理由さえあればコルドー公は黙って納得するしかないだろう」
「そう……じゃあ殺り合うってことでいいのね?」
ノエルが荒々しい息遣いで返した。
シウバの手には、突起のある金砕棒が握られていた。金砕棒はノエルの腹部を強打したが、ノエルは両の腕で抱えるように受け止めて離さなかった。
「いや、さすがに殺っちまうのはまずい」
それを見て、今度はイブラムが大きく振りかぶった拳を勢いよくシウバの胸に叩きつける。
さっきのお返しだと言わんばかりに、シウバを派手に後方に吹き飛ばした。素手で金属の甲冑を殴りつける生々しい音と共に、シウバは自らが座っていた椅子まで押し戻された。
先程まで腰掛けていた椅子は形を失い、浜辺に流れ着いた流木の木片のようになった。
「クロノ!」
「はい!」
イブラムが意気揚々とした口調で名前を呼ぶので、誠司は次の行動に備えて心の準備をしたが、
「完全に予想外の展開だな! すまない!」
「はい……っ! で、どうしますか!」
「今考えている! とにかくシウバの野郎に殺されないように気張ろうぜ!」
「……なるほど!」
どうやらノープランの状態から、この危機を乗り越えるしかないようだった。
誠司はちらりとノエルの方を一瞥してから、ゆっくりと息を整えた。
何か守りたいものがあると――勇気が湧いて来る。
一歩を踏み出して、覚悟を決めた。
どうか誰も死なないでくれと祈りながら、誠司は腰に忍ばせていた拳銃の引金を引くのだった。




