七章 四話 度胸試し
七章 四話 度胸試し
夏の日差しは傾いてもなお人々を刺すように照りつける。
木枠の窓に、涼やかな風が通り抜けていた。
「それで……なんでまたここに来たの?」
窓際の席に座って、退屈そうに外を眺めながらノエルが誠司に訊ねた。
安宿探しの旅から戻って来たノエルも連れて、先程訪れた飯屋に再度訪れていた。
改めてイブラムも含めた三人で乳粥を堪能しよう、という趣旨ではない。
店主は今しがた食事を終えた人間の来客に驚きながらも、快く歓迎をしてくれた。
イブラムが一旦は客として、実質選びようのない食事の目録を見ながら、
「こいつは迷うなぁ……。そうだ、全部くれ!」
と、ノエルと同じ注文をした。
誠司も何も頼まずに居座るのは心苦しいので、お金は支払うからと、乳粥に使っているミルクだけを温めて出してくれるように頼んだ。
湯気立つミルクに口を付けながら、まずはイブラムとの再会を喜ぶのだった。
「やあ兄弟、何百年振りだろうな!」
「どうでしょう。数えてなかったですけど、ザタンさんが変わらないようで安心しました」
「はっはっは! 俺はいつだって俺のままさ!」
イブラムは運ばれてきた乳粥の皿で乾杯してくると、匙で一口分を掬ってから、その高い鼻で犬のように匂いを嗅いでいた。それから慎重に口へと運び、目を見開いて大きく頷きながら店主に親指を立てた。
「大将、こいつは最高の味だぜ!」
「ありがとさんよ、フィジーの町の大将さん」
「俺のことを知っていたのか! 光栄だ! このザタン・イブラムが、この店に勲章を送ろう」
イブラムは店主と冗談を交えながら、誠司に向き直った。
「良い店を教えてもらったな。この町に活気が戻れば、ぜひまた足を運びたい」
一見店を褒めたようなイブラムの言い方だったが、これは遠回しな会話の振り方であった。
それは誠司がこの店を指定して連れて来たことに対しての問い掛けでもあったが、
「店主も気さくな方なので、ザタンさんも気に入ってくれると思ったんです。なんでも先祖代々この町で暮らしているんだとか。そうですよね、店主さん」
「少なくとも6代目までは名前が遡れるそうだ。まあ、今とはずいぶんと町の姿形は変わっていたんだろうけどな」
「景色や建物が変わっても、店が今日まで残り続けていることが凄いんじゃないですか」
「へへっ、そうだな……。当たり前のようで、簡単なことじゃないかもな」
「お店だけじゃないですよ。先祖代々神域も守って来たんですよね?」
店主に向けられていた誠司の視線が、いざ答えを示すようにイブラムとかち合った。
「お……おう。神域というか……なんだ。この町を守って来たということになるのかな」
誠司は言葉を濁すような口振りの店主を逃がさず、あえて追い詰めるように言った。
「この町に古くからいる人々は、神域を守る一族なんですよね。もしかして魔術を信仰している人間ということですか」
それはあくまで誠司の予想の領域を出なかったが、紹介所の店主が自ら口にしたことも合わせれば辻褄が合いそうである。
「ど、どこでそれを……」
店主は元来素直なせいか、額に脂汗を垂らして肯定とも取れる反応をしてしまった。
「心配しなくても大丈夫です。誰にも何も話すつもりはありません」
「俺を揺すろうっていうのか!」
「揺するつもりなんてないですけど……」
「だったら何が目的だ! それに俺たちは魔術の信仰などしていない!」
「魔術については知りませんが、神域を信仰しているのは間違いないんでしょう?」
「……くっ! そうだ! それがどうした! 信仰にまで口を出される筋合いはない」
しどろもどろになった店主は、どうするのが正解であるのか、一人迷っているような受け答えになっていたが、
「俺はこの国の現在の騒動がすべて神域に関係してならないような気がしているんです。だから神域について知っていることがあるなら教えてほしいんです。ただそれだけです」
誠司は自らの誠実さを示すために、馬鹿正直に答えを求めた。
しかし、いくら混乱した店主といえども、どこの馬の骨ともしれない人間に情報を差し出すほどとち狂ってはいない。
平行線を辿りそうな会話の流れに、状況を把握したイブラムが助け船を出した。
「店主のお方。これはフィジーの町の領主たっての願いでもあるんだ。コルドー公は、この国の現状を変えようと色々な情報を必死で集めている最中だ。あんたらの信仰を邪魔するつもりはないが、そのせいで国益に反するようなことがあれば俺も黙ってはいられないぞ」
イブラムの物言いは半ば権力を盾にした形になってしまったが、弱気になった店主には飴と鞭のように響くのであった。
「待ってくれ……言いたいことはわかる。しかし……、俺一人では……判断しようもない」
「だったら誰に聞けばいいって言うんだ」
「シウバ様だ。モカツ砦にいる守将、シウバ様に直接訊ねてくれないか……」
「シウバ……。モカツの守護神、シウバか。あいつがお前たちの大将ってことだな」
「俺から言えるのはそれだけだ。これだけでも俺たちにとっては重大な秘密なんだ」
「そんなことはわかっているさ。ただお前たちの信仰のためにこの国が犠牲になるなら、そんなもんはクソ以下だって話だ」
イブラムは吐き捨てるように言いながら、合わせて食事の礼をした。
「また来るよ。料理が美味かったのは本当だ」
「ああ……。できれば次は、普通の客として迎えさせてほしい」
肩を落とした溜息まじりの店主の本音が、重苦しい別れの挨拶となった。
三人はすぐに店を出て、そのままの足でモカツ砦に向かうことになる。
「うちの領主に貰った一筆があれば、モカツ砦自体には行くことができる。ただ会えるかどうかは難しいところだな」
モカツ砦は広場にある門の先に、神域を見守るような形で構えられている。守将のシウバはそこに常駐しているはずだが、会えるかどうかはイブラムにもわからないとのことだった。
「どうしてよ? そこにいるはずなんでしょう?」
ノエルが真っ直ぐな疑問をぶつけるが、誠司も同じことが気になって顔を上げた。
「いくらでも理由を付けて会わないことはできるってことさ。いくら領主の頼みといっても、ここは同じカイトラ三騎の管理する領地だ。王様の命でもなければ、他の領主に余計な詮索をされる筋合いはないからな」
「でも後ろ暗いことがありそうなのはあっちじゃない。私たちが騒ぎ立てたら困らない?」
「困りやしないさ。たしかに魔術信仰は禁忌に違いないが、それを土着の信仰と結び付けて非難するのは難しい。なにか秘密は抱えてそうだがな」
それでもシウバを訪ねるのが一番情報を得られるだろうと、三人は広場の門にやって来た。
イブラムが番兵に領主の家紋が押印された手紙を見せて、すんなりと門は開かれた。
これにはノエルも感心した様子で、初めてイブラムのことを仲間と認めたようであった。
「あんたこの国ではそれなりに役に立つみたいね。わたしはてっきり、どこかからバレないように侵入するのかと思ったわ」
「フハハ! 最後はそうなるさ。砦までは許可が出ても、その先の神域にはどうやったって許可は下りない」
笑いながら大胆なことを口にするイブラムに、誠司はふと何時ぞやの記憶で訊ねた。
「昔イブラムさんは度胸試しに神域へ入ったんですよね。そのときはどうやって?」
「モカツ砦の周囲には、各所に神域を見張るための物見塔があるんだ。だいたい十人くらいを一組として人員が配置されるんだが、その人員を定期的に募集している。衣食住に加えて給金も貰えるからけっこう人気なんだが、俺も今より適当に生きていた頃に、応募したことがあったんだ」
「仕事で神域に入ったんですか?」
「仕事じゃないさ。見張りと言ってもほとんどの日が暇なもんだから、そのうち仲間内で度胸試しが始まるんだ。目の前に危険なものがあると言われたら、覗きたくなるのが人の性だろう?」
「散々やばいって言ってましたよね」
「若い頃の無茶ってやつだ。思い出したくもないけどな」
「思い出したくもない、ですか……」
唾を飲み込んで恐々とする誠司に、イブラムは口角を上げて答えた。
「度胸試しのルールがあってな、自分が進んだところまで布で印を付けるんだ。自分より先に行った組の布を回収して、その組よりも奥に布を置いて来ることができれば成功。その日の晩飯なんかを賭けにしてな。だがあるとき、俺を含む三人組はとうとう外れくじを引いちまった」
イブラムは苦笑と共に後頭部を撫でながら、首を横に振りつつ語る。
「その日は調子に乗っていたんだ。今までは何度か無事だったものだから、一気に記録を伸ばしてやろうと、いつもより深くまで足を踏み入れてしまった」
そしてイブラムによれば、神域を見張る物見塔の周囲は、まだ通常の山林とそう変わらないらしい。つまり通常の山林と神域には明確な境界線はなく、徐々に奥深くになるにつれて神域の気配が色濃くなっていくのだそうだが、
「事態は突然だった。いきなり頭に弾丸が当たった気がしたんだ。そのとき幸いにも俺は防具を付けていたんだが、そいつは弾丸なんかじゃなくてただ飛んでいた虫だった」
「虫……?」
「なんの虫かはわからなかった。ただ頭がクラクラする中で俺が見た光景は地獄だったぜ。次の瞬間には、仲間の一人が大蛇の口に咥えられていた」
「ええっ! そんな大きな蛇に気づかなかったんですか?」
イブラムが両腕を上下に広げていた。どうやらそれは蛇の口の大きさを表現しているようで、身の丈一杯に口が開く化け物のような蛇と遭遇したのだろう。
「気づかなかったし、もう手遅れだった。仲間は飲み込まれて、俺の繰り出した短刀は蛇を傷つけることなく、関心すら向けることができなかった。依然として宙には弾丸のような虫が数匹飛び回っていて、いつまた突撃を食らうかもしれない。俺にできるのは、恐怖で腰の抜けたもう一人の仲間を抱えて必死で逃げることだけだった」
誠司は聞きながら、モカツ砦に赴く自分の足取りが重くなっていくような気がした。
しかし、そんな胸中に追い打ちをかけるようにイブラムの話は続いた。
「ただ、そこで終わりじゃなかった。何かが追いかけて来る足音が聞こえたんだ。俺は恐怖に震えながら、後ろを振り返ったよ。すると背後には、赤い目をした黒い猿のような生き物が五匹、愉快気な鳴き声を上げて俺たちを追って来ていた。そこからは悲惨だったさ」
イブラムはどこを見るわけでもなく、虚空に漂わせた目で過去を振り返るようにしながら、
「どうにか物見塔まで走って戻った俺だったが、なんの解決にもならなかったよ。慌ててモカツ砦には応援要請をしたが、援軍が駆け付けるまでの短い間に仲間のほとんどが死んでしまった。肝心の猿共の方は、応援が来るや否や自分たちの不利を察知してすぐに神域へ戻ったよ。猿共の方がよっぽど賢いじゃないかって、しばらく落ち込んだもんさ」
努めて明るく語るのだったが、たとえ一時的な仕事の関係とはいえ、目の前で仲間を失ったことは簡単に忘れ去れる過去ではなさそうだった。
誠司はなんと声を掛ければといいか迷ってしまったが、ノエルが先にあっけらかんとイブラムに言い放った。
「じゃあ一度は捨てた命なのね。今度はわたしたちの度胸試しに付き合いなさいよ」
その歩調は、意気揚々とモカツ砦へと向かっていく。
もはや神域へ行くことを考え直そうなどと、言い出せる雰囲気ではなくなっていた。
イブラムはそんな誠司の複雑な心境を察してか、前へと促すように背を叩いてきた。
「なあに、クロノは幸運な男さ。俺が保証する」
そんな笑ってしまいそうなほど根拠のない一言に縋りながら、誠司は勇気を奮い立たせるしかないのであった。




