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クロノセージ ”時の魔術師”  作者: 葛西シロム
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七章 三話 普通の店主

七章 三話 普通の店主



 市場のある広場以外では、町は良く言えば閑静であり、悪く言えば閑散としている。

 活気がないのはフィジーの町も同じであったが、この町はそれに加えて経済的にも落ち込んでいるというのだから、仕方のないことなのだろう。

 ノエルは紹介所に戻ると、安い宿を探して来ると言って一度別れることになった

 暇になった誠司は、店の人間に許可を貰うと、棚に置いてあった一冊の本を開いていた。

表題には、『カイトラ国内地図』と記されている。

 その地図にはシエドからこのモカツ砦までの道程、周囲の村から川や山地の情報までが詳しく書かれていた。ただやはり神域だけは“神域”とだけ記されていて、凡その範囲だけがわかるだけのものだった。

 地図に夢中になる客が珍しかったのか、店の主がまた紅い色のお茶を差し出してくれて、声を掛けて来た。

「お客さん、シエドから来たと言っていたかな。たしかこの町へは、人手不足の手伝いに来たと聞かされたはずだったが、本当のところは違うんだろう?」

 店主はあっさりとノエルの嘘を見抜きながら、怒る様子もなく笑っていた。

 誠司も見破られた嘘を貫き通す意味もないので、正直に白状する。

「すみません、悪気はないんです。あいつはいつも意味のない嘘を言うんですよ」

「いや、謝られるようなことじゃないさ。クエストを生業にしているんだろう? 自分のことを正直にベラベラ喋るようなやつは二流ってもんだ」

「そうなんですか? 俺はフリーターってやつじゃないからわかりませんけど」

「フリーターじゃない? だとすると……なんのためにシエドからこの国に?」

「ちょっと神域のことが知りたくて」

「神域だって? 珍しいな。どこかの学者さんかい……」

 店主の声色が、わずかに低くなったのを感じた。

 誠司は依然本の地図に目を落としていたが、刃物を向けられたような鋭い警戒心が背中に刺さるようだった。言葉を間違えれば、今にも隠された敵意が襲って来そうであった。

しかし、誠司にはふと湧き上がって来る一つの疑問があった。それを晴らすために、一歩踏み込むのであればここしかないと思って嘘を重ねてしまう。

「学者ではありませんね。ただ神域を信仰している人間の一人ですよ」

 本から目を離して、店主の方に振り向きながら言ってみた。

 確信のない、些細な心の引っ掛かりであったが、店主に鎌をかけてみた。

 だが、その結果は、誠司が思うよりも巧みに、店主の胸に突き刺さるもののようだった。

 店主が誠司の肩を強くつかんだ。

「おい、そんなことは易々と口にするな。魔術信仰と捉えられてもおかしくないぞ」

 それは語気こそ強いものだったが、明らかに警告というよりも、親切心を多分に含んだ物言いであったが、

「僕は魔術信仰なんてしていませんよ」

「そういう問題じゃない! お前だけでなく、この町の……っ!」

 だが、言葉が止まった。じっと誠司の心の深奥を探るように瞳を見つめられる。

「待て……おかしい……。お前、本当にここの町の人間なのか?」

「なにを今さら。俺はこの町の人間じゃあないですよ……」

「そういう意味じゃないんだよ。お前は……余所者だ」

「なにが言いたいんですか。」

 時間稼ぎにもならない問答に、男の態度は急変した。

 男の右腕が赤く光る。次の瞬間には、誠司の胸座をつかんで店の外に投げ飛ばしていた。

 唐突な出来事に、誠司は抵抗する間もなく地面に身体を打ちつけて転げた。

 男にまだ強い殺意はなかったが、明確な敵意を向けられていた。

 恐らく何かが良くなかったことだけはわかるが、今はそれを遡って考えられるほど悠長な状況ではないようだ。

「とりあえず左腕の身分印を確認させてもらおうか!」

 問答無用に男は駆け寄って来て、距離を詰めようとする。

誠司は殴り掛かることに躊躇いがあったので、慌てて立ち上って男と取っ組み合いになった。

 前掛かりになって、男を投げ飛ばそうと試みる。しかし予想外なことに、男の方は殴ることに躊躇がないようで、誠司が律儀に組み合っている最中にも、男の拳が二度三度と誠司の頬に容赦なく振るわれた。

「だあっ! クソ……! あんた、ずるいぞ! 俺は……っ、殴ってないだろうが!」

 誠司もついには苛立ちが勝り、男の頬に自らの拳を突き立ててしまった。

 渇いた音と共に、男の身体が宙に浮いて後方に吹き飛んだ。

「あ、しまった……! 」

 呑気に心配をする誠司だったが、喜ぶべきか否か、男は何事もなかったかのように立ち上がる。

 こうなってしまうと逃げるのも一つの手であったが、ノエルがここに戻って来る可能性を考えると踏み切れなかった。

 どうにかして男を安全に抑える方法はないだろうかと考えたが、そんな過信ともいえる油断が、誠司をさらに危機に曝してしまうのだった。

「近くには……、誰もいないようだな」

男は周囲に視線を散らせて、誰もいないことを確認するように呟いた。

市場のある広場を除いては、この町は人通りが少ないところばかりである。

 なにかを仕掛けて来ようとする男に備えて、身構える誠司だったが、

「いぃっ!」と、間の抜けた声と共に、構えた身体が硬直してしまった。

 ただの店主だと思っていた男が、突如猪のような速さで誠司の胸元に突進して来たのである。

 呼吸を整えて吸い込んだ息が、男の突撃によってすべて肺から押し出された。風船から空気が抜け出るような情けない声を出しながらも、どうにか誠司はその場に踏みとどまった。

「なにぃっ……! たかだかフリーターに、俺の突撃が止められた……だとぉ?」

「ぬぐぐ! たかだか店主のくせに、こんな怪力な人間に言われたかねえ!」

 そうして再び取っ組み合いになったが、形勢は誠司が徐々に悪くなっていた。

 男の腕力が、時間の経過と共に増していくような気がした。誠司の足元に轍のような跡が出来て、力では押し負けていることが表れていた。

 誠司はフィジーの町でルベダと出会ってから、身体に施されたアトンの術式によって常人よりも遥かに身体が頑強になったはずなのに、それでも店主の男はそれを上回る怪力で誠司を押し出している。

 只者じゃない――。力比べでは負けてしまうだろう。

 誠司は集中しながら瞬時に頭を閃かせる。すると、足の裏に小さな石ころが転がっている感触があることに気が付いた。その石ころをわずかに後ろにずらすと、急いでその石ころに『限定的空間凍結(リム・クロノーズ)』の術式を掛けた。

これで誠司の足裏にはストッパーの役割を持った足場が作られた。わずかに押されていた力比べは、均衡した状態になる。なるはずだったが、

「なぁ……ん、でだ……っ」 

 男の力はまるで留まることを知らぬように、誠司の浅知恵を力で薙ぎ倒してしまった。

 男はなんの駆け引きもなく、誠司を真っ向から押し倒した。あまりの圧力に、小石を支えに踏ん張っていた足の方が先に根を上げた。

 男の犬歯が剥き出しになり、誠司を噛み殺さんばかりに力づくで地面に組み伏せる。

 店主の男は誠司の左手を握り潰すように強く掴み、この大陸のすべての人間が持つとされている『身分印』を確認した。

「どこの回し者かは知らないが、場合によっては無事では済まされないぞ」

 鋭い爪が右腕の肘に食い込んだ。瞳孔の開かれた男の眼が、存在するはずの『身分印』を見逃すまいと忙しく動いていた。

 だが、誰しもが驚くように、この男も例外なく困惑することになるのだった。

「なに? 身分印がないだと……」

「そうだよ! あんたに名乗る名前はねえってこった!」

 誠司は一瞬の動揺に乗じて、力の限り男を蹴り上げる。

 巴投げのような形になって、男は宙で一回転した。男が背中から綺麗に受け身を取ったときには、すでに誠司は距離を置いていた。

「くそっ! 神域に探りを入れようって人間だ。只者じゃねえってことかよ」

「どうでしょうね! ただの店主が大きな秘密を持っているなら、ただのフリーターが大きな秘密を持っていてもおかしくないんじゃないですか」

「ははっ……。どちらにせよ、目的を知らずに放っておくことはできなさそうだな」

 男が薄笑いを浮かべながら、上着のシャツを脱ぎ捨てた。逞しい身体が晒されたと同時、胸元から段々と身体を侵食するように獣のような体毛が男を覆い始めた。

「まるで野獣だな。取っ組み合っても勝てないわけだ」

 誠司は苦笑いをしながら、辺りを見回した。人気のない通りであったが、少し歩けば市場のある広場にも続いている。

 いい加減、力比べにも限界が来ていた。ならば男の言動を思い返して、少し揺さぶってみることにした。

「うわあああ! いきなり何をするんですか! やめてくださいよ!」

 誠司はわざとらしく腹底から大声を出すと、店主の男の様子を窺った。

 男は誠司の意図をすぐに察して舌打ちすると、その場に釘付けにされてしまう。

「この野郎……。誰かしらの注目を集めようってのか」

「そうですよ。果たして疚しい人間は俺なのか、あんたなのか……。はっきりしますね」

「バカ野郎。疚しいかどうかは知らねえが、怪しいのはお前だ! 身分印がない人間なら身柄を拘束されるだろうよ。それに俺は、お前の顔を覚えたぜ。たとえここでお前を逃がしたとしても、これ以上この町でなにかしようとするのは無理ってもんだ」

「あなたのような人間が、何人かいるようですからね」

 誠司の断定した物言いに、男は沈黙した。それは半ば答えのようなものだった。

 店主には何かしらの思想を同じくする仲間がいて、それはこの町独特の文化に根付いている人間たちのようである。

 ただ、そこまでは推察できても、重要なのはそこからなのだが、

「おーい、クロノォ! お前はどうして見つける度に愉快なことになってるんだ!」

 水を差される形で、馴染みのある声が耳に届いた。見覚えのある二足の獣が、地面を踏みしめて疾走しながら近づいて来ていた。

「ザタンさん! やっぱり来てくれたんですね!」

「当たり前だろう? ちょっと準備に時間が掛かっちまったけどな!」

 遅れて登場したイブラムは手綱を引いて、誠司たちの前で龍馬(ドラム)を止めた。

 二足で駆ける巨大なトカゲのような生き物が、誠司の視界一杯に存在感を放っていた。この大陸では馬の中の一種類として扱われているらしいが、その鋭い爪や牙を携えた獰猛で野性味あふれる風貌とは打って変わって、人によく飼いならされる生き物のようである。

「紹介所の主だな? こいつを頼むよ」

 イブラムは誠司と対峙しているのが紹介所の店主だとわかると、とくに深入りもせずに龍馬(ドラム)を預かってくれるように頼んだ。

 店主はイブラムのことを知っているのか、訝しそうな目つきで了承しながらも、つい口を噤まずにはいられないようだった。

「なにも聞かないんですかい……」

 だがイブラムはきょとんとしながら、いつものわざとらしい笑顔で答えるだけだった。

「なんだ? なにか聞いてほしいことがあるっていうのか?」

「別にないならいいですよ。むしろ、こっちから聞かせてもらいたいくらいですがね。そこの男はいったい何者なんでしょう」

「このハンサムな男のことか? 俺の友人さ。それ以上でもそれ以下でもない」

「……そうですか。でもね、いくらカイトラ領主の家臣だからって、他人の領地に土足で気安く踏み込むのは感心されませんよ」

「知ったこっちゃない。俺は元々この国の人間でもないしな」

 イブラムにとって、他人の忠告などコバエ飛んでいる程度にしか思っていないのかもしれない。

 ただなぁ――、とイブラムは付け加えてから、

「今頃一人二人、土足で踏み込む人間がいたって変わらないだろう? 一昔前なら、流れ者の俺が重用されることなんてなかったはずさ」

 と、事実が皮肉になることほど虚しいものはない。

 イブラムは店主を言い負かすつもりなど更々なかったが、店主には返す言葉がなかった。

 店主の男は預かった馬を引いて店に戻りながら、一度だけ振り返り、誠司の顔を目に焼き付けておくかのように鋭い双眸を向けるのだった。

 イブラムは店主が店に引っ込むのを見届けてから、誠司に訊ねた。

「どうしたんだよクロノ。まさか自分から吹っ掛けた喧嘩じゃないんだろう?」

「そりゃもちろん。ところでザタンさん……少しご飯でも食べに行きませんか?」

「ご飯……? なんだクロノ、健気に俺を待ちすぎてお腹が減ったのか?」 

誠司は伏し目がちに小首を傾げながら、この町で唯一訪れたことのある料理店に、イブラムを誘うのだった。

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