二章 一話 ノエル・マンシー
二章 一話 ノエル・マンシー
目覚めたときに、思わず携帯電話を探して手を伸ばしていた。
いつもは目覚まし時計の代わりにしている携帯電話のアラームよりも早く起きると、そのスイッチを切るのが日課になっていた。
しかし寝ぼけ眼で視界に映っている世界に、誠司は手を引っ込めて身体を起こした。
ここは住み慣れたアパートの一室ではない。実家から引っ越して迎えた、初めての朝の日を思い出した。
誠司は立ち上がって、窓の外に目を向けた。
白を基調とした街並みが、誠司の真正面から登ってきた太陽に照らされて輝いていた。
「気分の良い朝だ……。誘拐されるのも、たまに悪くないかもしれないな」
そんな冗談を口にしながら、すでに隣にはいなかったオッドを探して店の一階に下りる。
店は小さな飲食店のような内装だった。たくさんの椅子とテーブルが並んでいる奥で、カウンターの向こう側にある、一際立派な一組の椅子と机がオッドの指定席のようだった。
机の上には本や紙束が積まれていて、そのなかで埋もれるようにオッドがいた。湯気の立ったコップを片手に、昨日イブラムから受け取ったフリークエストの手配書を眺めていた。
「おはよう、オッドさん」
誠司が近づくと、オッドは手配書を置いて挨拶を返した。
「ああ、起きたのか! 適当なところに座ってくれよ。今朝食を用意する」
オッドは席を立つと、カウンターのなかの小さなキッチンで手際よく調理を始めるようだった。
「そんな! いいですよ!」
「いいってことあるかよ。どうせ一セリエだって持ってないんだろう?」
「お金ですか? それは持ってないですけど……」
「なあに、簡単なものだよ。ほれ……」
オッドは誠司が腰かけたテーブルの上に、パンとサラダと白いスープを差し出した。
「すみません、なにからなにまで……」
「いいんだよ、俺が約束したんだから! それよりも、どうすっかねえ……」
オッドが手配書を一緒に持ってきて、朝食を食べ始めた誠司を見つめた。
「どうするって……。ルティンってやつのことですか?」
「そうだ。なんせ一億セリエだからな。ただし、俺も店を空けるわけにはいかねえ。俺が犯せるリスクってのは、クロノを匿ってやることくらいだ」
「じゃあ、あのイブラムって人が探すんですか?」
ずずっ、とスープを啜りながら誠司が訊ねたが、
「あいつもあいつで忙しいだろう。イブラムを雇っている領主だって、ルティンを見つけて王様に恩を売っておきたいはずさ。だからあいつには、こっちの情報の操作やら、領主に流れてきた情報をこっちに渡してもらう役目がある」
「……と、なると……えっ!? もしかして俺にルティンを探させようとしてます?」
誠司は朝食を食べる手を止めたが、オッドは口を開けて大きく笑いながら、
「なっはっは! それは無謀ってもんだろう?」
「そ、そうですよね……!? だって俺は、ここらのことについてなにも知らないんです」
「そうさ……。だけど俺は、ルティン捜索の鍵はお前だと思っている! と、いうよりも、俺たちの優位性はそこだけだ。だからクロノにも捜索には加わってもらいたい。もちろん話をした通り、その間の衣食住は俺が面倒を見る! ……な、かまわないだろう? 一億セリエだぜ?」
オッドが近寄って来て、誠司の手をやさしく両手で包み込むように握ってきた。
その誠司を見つめる目は少年のように澄んで、たまにちらちらと朝食にわざとらしく目を落とすので、誠司は断りづらくて仕方なかった。
だが誠司も、1~2週間なら家を空けたってどうってことはない。
オッドがわざわざ衣食住の世話をしてくれるというなら、少し冒険じみた旅行のようなものだと思える気がした。
それに誰かに必要とされるなんてことは、ヒデにお笑い芸人に誘われた以来の出来事だった。
誠司は安易な気持ちで了承してしまう。
「オッドさんには、俺もなにか恩返しがしたい。俺にできることなら、手伝いますよ」
「そうかい、そうかい! ただ、そうなるとやっぱり大事なのはクロノのパートナーだな……」
「パートナー……? ああ、ルティン捜索の相方ですか?」
「ああ、迷いどころだ……。熟練の職人がこの話に乗ってくれるとは思えないし、素人に毛が生えたような人間を雇っても、元アトン学術所のエリート様を捕まえられるとは思わない」
オッドが首を捻って思案している。なんだか爽やかな朝に、子供が秘密基地で作戦を練っているような微笑ましい光景であったが、
「おはよう、オッド!! 今日こそ儲かる仕事は転がってないのかぁ!」
そんなゆったりとした時間は、壊れんばかりの勢いで開かれた店の扉の音に破られた。
誰かが扉を蹴飛ばして、店の中にずかずかと入って来る。
誠司は驚いて目を向けた。なんと女の子であった。
金色に波打つ綺麗な髪が揺れて、青い瞳が一瞬ばかり誠司を捉えて視線が合わさった。髪と同じ色の太い眉が眉間に寄せられていた。
誠司は呆気に取られてしまう。女の子の前触れもない登場だけでも驚いていたのに、彼女は誠司の隣まで近づいて来ると、許可もなくパンを鷲づかみにして口元に運んでしまった。
「おい、ノエル! まだ開店する時間じゃないぞ!」
「そんなもの待っていたら……、他のやつに良い仕事を取られてひまうらろう?」
パンを租借して食べこぼしながら、ノエルという女の子はオッドの手にあったルティンの手配書を奪い取って目を見開いた。
「おおぇ~~っ!? 特級のフリークエストじゃ~~ん! 何年振りのことだっけ!?」
ノエルは食べかけのパンを平気で誠司の皿に戻すと、手配書に釘付けになった。
「バカ、返せ! お前にこなせるクエストじゃない!」
「フリークエストじゃん! 誰が挑戦しようと文句はないんでしょう!?」
「なんのための等級だ! ルティンは元アトン学術所のエリートだぞ! お前なんかに――」
オッドは言いかけた言葉を止めて、ノエルに熱い視線を送った。
「どうした? 私に惚れたの!?」
目を細めて冗談を言うノエルという女の子に、オッドは吐き捨てるように告げる。
「お前に惚れるやつなんて、どっか頭がおかしいやつくらいだろうよ。ただ、そうじゃない。もしかしてお前なら、ルティンを捕まえられるんじゃないかと――いや! やめよう!」
だが、オッドは自分の愚かさを見直すように、首をぶんぶんと横に振る。
それに対しノエルは、太い眉を上げながら反論するようにオッドの肩を愉快気に揺らしたが、
「へえ、ずいぶんな評価なのね? この間も、山に逃げた大蛇を捕まえたのを忘れたの?」
「あれは生け捕りが条件だったろうが! どこのどいつがペットの捜索依頼で、飼い主に死体を持っていくんだ、バカ野郎!」
オッドは肩に回された手を振り払って怒鳴り散らした。
ノエルは舌を出して笑いながら、誠司のスープ皿にも手を伸ばして取り上げる。
「あれは近隣の村に被害が出ていたから、一刻も早く収束すべきだった案件ね! 村の人だって感謝してたじゃない? 謝礼だって貰えたわ」
「貰えたわ、じゃない! お前の依頼主は村人じゃなくて俺が仲介した商人だ! 10万セリエが水の泡になったどころか、二度と頼まないとまで言われたんだぞ!?」
「だけど、ほら……今回は死体でも1000万セリエ。何の問題もないでしょう?」
オッドに手配書を突き付けて、ノエルが笑っていた。
「死体でもって……冗談だろう?」
「まあね? 9000万セリエも逃す手はないからね」
「金の話じゃねえよ、バカ女! ……ったく」
オッドは溜息をつくと、置いてけぼりを食らっていた誠司に向き直った。
「どうだ……クロノ? こんな女だが、一緒にやれたりしないか?」
「えっ……」と、誠司は横取りされたスープ皿を苦々しく見つめながら、返事を躊躇った。
ノエルがテーブルに置いたスープ皿は、中身がすでに空になっていた。
しかしノエルは悪気もなさそうに、オッドに訊ねるのであった。
「誰なの、こいつは?」
口の悪さもさることながら、ノエルの目は誠司を歓迎していなかった。
「ルティン捜索の鍵となる男だよ……。まだ詳しくは言えないが、お前が俺たちと組むのならクロノも一緒ってことだ」
「鍵……? 情報屋かなにか? そうなると、私の取り分は4000万セリエってところ?」
「どういう計算をしたんだよ!? それと仲間はもう一人いる。2500万セリエだな」
「もう一人!? 1億が……2500万?」
ノエルは少しばかり不服そうに誠司を見下ろしながら、腕を組んで考える素振りを見せる。
「クロノっていうんでしょう? あんたさっきから黙ってるけど、紹介屋をやっているオッドが取り分を分けてまで仲間に入れる男には見えないわ。……何者なの?」
ド直球に言葉を突き刺してくるノエルに、誠司はただ飾り気なく答えた。
「何者でもねえよ。泊めてもらったお礼にオッドさんの手伝いをするのと、ルティンっていう男に文句があるだけだ」
「なるほど、ルティンの知り合いなのね? と、なると……あんたもカイトラの国のアトン学術所の関係者ってところ?」
「知らねえよ、そんなもの。俺はルティンって男だってよく知らねえんだ」
「はん……?」
ノエルは目を点にしながら、オッドに事情説明を求めたが、
「それは仲間にしか教えられない秘密ってもんだ」
「肝心な説明もなしに、仲間に入るか決めろっていうの?」
「そうだ! お前には選択の自由がある。俺たちが譲歩する理由はない」
ただし、とオッドは付け加えて、
「これは滅多に訪れることのない、星をつかむような特級のフリークエストだ。だから褒章は一億セリエってだけの話じゃない。幾千の職人に先んじて、ルティンを捕まえてみろ。その名声だけでも、生涯に渡って指名が舞い込んでくるだろうよ」
オッドは力強く語りながら、店の奥の事務机から紙とペンを持ちだした。
「無作法にも、朝一に来たのはお前の天運かもしれないな? 星をつかむんだ。俺も仲間にするってなら、実力より運のあるやつがいい。どうする……店が開くまで、時間がねえぜ?」
オッドが店の扉をちらちらと見ながら、ノエルに迫った。
店が開けば、今日もたくさんの職人がオッドの店に出入りする。つまり、店が開くまでの時間がノエルの優先権であった。
オッドも二人や三人と、これ以上仲間を増やしていくつもりはない。分け前が減ることはまだしも、情報が漏らされるリスクが恐ろしいからである。それだけに優秀な人間を一人だけ選ぶことが一番の望みであったが、そんな人間は曖昧なチャンスに迂闊に飛びついてはこないだろう。
だからこそオッドは、このノエル・マンシーの存在に大きな魅力的を感じていた。
ノエルには、職人にとって大事な推測能力が欠けている。色々な情報を精査して、ルティンに辿り着くことなど不可能に近い。ただ目の前の敵を殲滅する圧倒的な戦闘力だけが、ノエルの職人としての能力なのだ。
そしてノエル自身も、それを痛いほど自覚している。
だから過去には、一般の職人たちとパーティを組んでいた時期もあった。
しかし、酒癖は悪い、寝坊はする、気に入らなければ依頼主だろうということは聞かない。
そんなノエルに仲間は愛想を尽かし、悪評は広まり、今や誰も自分とは組んではくれないだろうな、ということも重々承知していた。
「うーん……今回は一人ってわけにはいかなそうだし……」
ノエルは苦い過去を振り返りながら、渋々オッドとの契約書にサインをした。
契約書というものに強制的な効力はないが、職人にとって“契約を破る”という行為は、自分の食い扶持に首を絞める行為に等しい。ある程度は、信頼の置けるものである。
そんなわけで晴れて仲間になったノエル・マンシーであったが、この女の子の仲間入りに一番割を食うのが自分であるとは、誠司はこのとき頭の片隅にも考えが及んでいなかった――。
二章から細かく分けて投稿します。