七章 二話 男たちの話
七章 二話 男たちの話
そうしてノエルのわがままは続いた。
腕を引かれて連れられたのは、年季のある木張りの床が香る、市場の近くあった風通しのいい飯屋であった。
「お腹が空いた」と、ただ一言、ノエルは一件の飯屋が目に入ると、吸い込まれるように店に入っていくのだった。
「ここはなんのお店かしら?」
知らずに入ったのは豪快なのか、物を考えない主義なのか。
だがフィジーの町の馬宿通りで食べ物の値段で吹っ掛けられていたことを思い返すと、後者なのかもしれない。
立派な黒髭を垂らした恰幅の良い男が、店の奥から顔を出してノエルに答えた。
「いらっしゃい。ここは豊かな山の幸を振舞っていた店だぜ」
そう言って男が差し出した目録には、たった二つの品目が書かれていた。
「なになに……ブッフォの乳粥、蒸し芋……」
ノエルは目を点にして目録を閉じると、とりあえず全部と注文した。
店の男はノエルの様子を察してか、深い溜息を吐いて自ずと言い訳をした。
「ここらの店は、他だってこんなもんなんだぜ?」
「町民は食べるのにも苦労しているんでしょう。別に文句を言うつもりはないわ」
だけど――と、ノエルは付け加えて、調理をするために店の奥に引っ込んだ男に訊ねた。
「フィジーの町の人は、もう少しマシなものを口にしていたようだけど」
店の奥の調理場から、陽気な男の声だけが返って来る。
「フィジーの領主は巧いことやっているみたいだな。うちの領主様は、金勘定はからっきしだ。戦争がなくなってしまえば、武人なんてものはただの堅物だってことだな」
しばらく鍋の煮える小気味良い音がしてから、料理を待つ二人の元に食欲をそそる香りが漂って来た。
店の奥から男が戻って来ると、二人のテーブルに料理を置いた。
飾り気のない木皿に、湯気立つ乳粥と、シンプルに芋を蒸したものが盛られている。
ノエルは乳粥をまるで飲み物のようにして、添えられた匙も使わず飲み干すように食すと、芋を鷲づかみにして豪快に頬張っていた。
「いずれこんな生活にも限界が来るんじゃない?」
歯に衣着せぬノエルの言葉に、店の男は首を横に振って笑っていた。
「もう逃げたいやつは逃げたよ。まだ残っているやつは、しぶといさ」
それは自身を含めた男の苦い冗談であったが、その双眸に未だ逞しさが宿っているせいか、場の空気は和やかなままであった。
誠司は匙でゆっくりと粥を口に運びながら、白色のスープに沈む、名も知らぬ小麦色の雑穀を一粒々々噛みしめる。
男の提供した乳粥は、豪華な食事とは程遠いものに違いなかったが、その素朴な味の中に力強く生きる町の人の命が吹き込まれているようだった。
「待ち続けることができるなら、きっといつか風向きも変わりますよ」
誠司はつい根拠もなく、自分でも小恥ずかしいと思える台詞を無責任に口にしていたが、店の男が豪快に笑ってくれた。
「おうよ! この町は先祖代々、神域を守って来た人々の集まりなんだ。最後には必ず神の加護ってやつが味方するのさ」
男は言いながら、誠司が咳き込みそうになるほどに背中をばしばしと叩いて来る。
「いつかまた町が活気付いたら、また来てくれよ。その乳粥一つにしたって、本当はカイトラの白い米で作るほうが何倍も風味が良いんだ」
「このままでも充分美味しいですよ。この穀物はここらで作っているんですか?」
「いいや、そいつはウェンスギー産のウマヤという植物の種子だ。栄養も豊富で災害にも強いが、味が少し落ちる。わずかに苦みもあって、好き嫌いも人によって分かれるんだ。そのせいかカイトラの白米とは、頻繁に取引の材料になっているんだ。腹を満たすだけなら、安定して多く取れるウマヤのほうが助かるってわけだが、美食家の上流階級にとってはカイトラ産の白米のほうがありがたい」
なるほど、と誠司は感心深く相槌を打ちながら、匙に掬ったウマヤをじっと見つめていた。
ノエルは小難しい話には興味がなさそうに、手品のようにテーブルの上の蒸した芋をあっという間に食べ終えると、神域の話題を切り出した。
「ここに店を開いて長いのかしら? 神域の近くなんて住みにくいでしょう」
男は食べ終えた皿を片付けながら、手際良く客との会話を楽しむタイプのようだった。
「神域ならではの問題は色々と起きるな。まあ、欠点ばかりではないさ。近くには常駐している兵が常にいるから、客が廃れることも少ないし、ここは特別領だから税が安いんだ。それはウェンスギーが幾らかの徴税権を以てしても有効だ」
「それじゃあ半神さえ頻繁に暴れなければ、比較的過ごしやすい領地だったのね」
「そういうことだな」
それから店の男には、お返しにシエドの国の世情を訊ねられたので、ノエルが料金を支払いながら一般的な市井の感想を述べた。
男がいつか行ってみたいと口にしたので、ノエルはシチーの町をおすすめしながら、
「そこの町の紹介所でわたしの名前を出せば、店主が喜んで世話を焼いてくれるわ」
オッドの店の名を口にして、意味もなく皆が迷惑するだろう嘘をついていた。
ノエルは両腕を上げて背中を伸ばしながら、誠司と二人店を出て心地のいい風に吹かれた。
わずかに歩いてから、広場にあった大きな門の、そこから町を守るように張り巡らされた壁を眼前にして、二人並んで見上げていた。
壁はレンガのような無骨な四角形の石材が積み上げられて造られたもので、その高さは誠司の背丈を二人分にしても届きそうもないものだった。
壁の向こうは木々の上部が見えるばかりで、山林の様子は窺い知れない。
どうにか向こう側が見えないものかと、誠司が首を振って辺りを見回していると、先で壁の修理をしている工夫が見えた。
丸太を組んで足場を作り、大きく崩れてしまった壁を修復しているようである。
ふらふらと工夫に近寄って行く誠司に、ノエルも言葉なく付き添った。
近づくと足元には幾つものレンガ形の石材が転がっており、それを工夫が樽に入った泥状の繋ぎで一つずつ積み上げている最中だった。
誠司は通りがかりの旅人を装って、気軽に工夫の男たちに話かけてみたが、
「こんにちは。これってやっぱり半神の被害ですか?」
しかし男たちは誠司を一瞥するだけで、言葉は返さなかった。黙々と作業を続けて、再び踏み込むには重苦しい空気になってしまった。
見かねたノエルが、服の内側のポケットから丸太の足場に何かを放り投げた。二階建ての足場の上で、放り投げられたものが太陽の光に照らされて輝いていた。
工夫の男の一人がそれを屈んで拾い上げると、驚き慌てて足場から飛び降りて来た。
「おい、これ貰っていいのか!?」
「口が利けるみたいね。だったらこっちの質問にも答えられるのかしら」
「ああ! なにが訊きたい? この町で知らないことなんてねえぜ」
男が顔色を変えて会話を始めると、それに気づいた他の二人の男も続々と駆け寄って来て、我先にと誠司とノエルを囲んだ。
誠司は現金な男たちの懐事情に同情しつつ、改めて会話を投げかけた。
「この壁は半神の仕業ですか?」
「そうだ! ここんとこしょっちゅうこんなもんだ!」
禿頭の大男が興奮したように言うと、
「俺は正確な数を覚えているぞ! ここ一ヵ月ですでに三回目だ!」
浅黒い肌の骨太の男が、それを押し退けて前に出ようとするが、
「旦那、数ってのは正確じゃなきゃいけねえ。壁が壊されたのが三回だが、襲撃が来たのは五回さ」
細身の白い髪をした出っ歯の男が、二人の隙を狙うように最後に訂正する。しかし、そのことで前の二人と言い争いになったので、ノエルが一喝して男たちを冷静にさせた。
「一ヵ月で五回も襲われたっての? この町は普段はどれくらいの頻度で襲われるのよ」
また一斉に言葉を返されると面倒なので、出っ歯の男に代表して返答させる。
「長年この町に住んでいるけど、襲撃なんてものは多くて三ヵ月に一度、それも壁の向こうのモカツ砦が対処してくれるから町にまでは来ないことがほとんどですぜ。それに見てくだせえ」
出っ歯の男が崩れた壁の向こう側を指差した。暗い影の差す森林の前に、壁に沿って掘られた深い堀が続いていた。
「半神はこれを超えて?」
「はい……。大概の半神はここで引き返しますけどねえ。獣なんてものは、越えられない崖を飛び越えようとはしないもんですから」
「この堀を飛び越えて、壁に突進してくるなんて異常じゃない?」
「そうですぜ。まるで迷いなく町を襲おうとしているようで不気味なもんですわ。町の人間はいよいよ神域の怒りに触れたと噂になってます」
「原因は誰にもわからないの」
「わかるわけありません。神域なんて誰も入りやしませんし、刺激もしません。それでも壁を作り直すことで、少しは効果があると思っていますよ。時間さえ稼げば軍の人間が半神を狩りに来てくれますからね。幸か不幸か……町民の被害自体はそこまで多くありませんですし」
男たちは顔を見合わせて、この現状を憂えるように眉間に皺を寄せていた。
誠司は壊れた壁に目を奪われたまま、次いで男達に訊ねた。
「この中で、この町に一番長く住んでいる人は誰ですか?」
男達は一瞬呆気に取られたあと、浅黒い肌の男が手を挙げて、一歩前に出て来た。
「俺は曾祖父の代からこの町の住人だよ」
「神域っていうのは、やはりこの町の人間にとって恐ろしいものですか?」
「当たり前だろ? 一番身近な天災だよ」
「天災、ですか。すると信仰の対象にもなっているんでしょうか」
「信仰……? ああ、神域って名前だからか? バカ言うなよ。名前こそ神域だの、半神だの呼ばれているけど、俺たちカイトラの民の神様は、豊作を運ぶ金の馬神様だけだ」
「金の馬神……。カイトラの国旗に描かれている、あの馬ですよね」
「そうさ。あの金の馬神様が青田を駆けることによって、秋には稲穂が黄金色に実ると伝えられているんだ。まあ実際は、錬金と馬の生産が生業だったカイトラのこじつけ神話だがな」
「山国なのに、お米の生産が盛んなのは昔からなのでしょうか」
誠司の質問が切り替わったと見て、今度は禿頭の大男が身を乗り出した。
「そいつは村のババアに聞いたことがあるぜ! 大昔からのことだ! 兄ちゃんの言うように、山国のカイトラは米作りに適さない事情が多い。実際のところ収穫量だけを考えるなら、冷害や水害に強いウマヤやシガラといった穀物のほうが食べるのに困らない。でも、俺たちは米じゃなきゃだめなんだ!」
「なぜお米ではないといけないんですか」
そこまで言い切るからには、なにか深い理由があるのかと思いきや、禿頭の大男はただ自らの愛郷心を押し付けてくるだけだった。
「それは俺たちがカイトラの民だからだ!」
「……なるほど」
誠司は苦笑いしつつ、崩れた壁の向こう側をもう一度近づいて眺めてみた。
生い茂った森林を穿つように、木々が惨たらしく左右に薙ぎ倒されて道ができていた。そこから半神が町に侵入して来たのは間違いなさそうであったが、その間には男たちの説明したように深い堀が張り巡らされている。幅と深さが共に三四メートル程だろうか。森を突き抜けて来た半神からすれば、この堀の先に壁があるのだから、そこに突進をしようというのはたとえ獣とはいえ狂気の沙汰のように思える。
誠司はしばらく壁と森林を観察してから、男たちに礼を言った。それぞれの男たちにノエルが情報量を支払って、二人は一度来た道を引き返した。
夜までにはイブラムがこの町にやって来てくれるだろうことを期待して、紹介所へと戻ることにしたのだった。
「あの人……不思議なことを言っていたよな……」
「……あの人って?」
ぽつりと独り言のように漏らした誠司の言葉に、ノエルは首を傾げていた。




