七章 一話 神域を見張る町
七章 一話 神域を見張る町
そうして他愛もない会話に花を咲かせながら、馬を休ませること二度三度、木々の隙間から降りそそぐ陽光が少しずつ白く染まり始めた頃に、二人は山道を抜けた。
長らく頭上を覆っていた木の葉の屋根から、燦々と照りつける太陽が顔を出して、木陰に慣れていた目が一瞬ばかり眩んだ。
誠司がゆっくりと薄目を開くと、辺りには鮮やかな水田が一面に広がっていた。ぽつりぽつりと民家が並ぶのも見えて、いよいよ人里の気配を感じた。
ノエルは緩やかな坂を見つけると、そこを上って見晴らしのいい小高い丘の上に、一旦馬を落ち着かせた。
そこから望める広大な盆地は、遠くの景色を霧がかったようにぼんやりとさせていたが、遥か先までを映していた。
聳える山並みと力強い白雲を背景にして、粒のように小さくなった建物の群があった。その中でも一際目立つ薄紅色の場所を差して、ノエルが口を開いた。
「あれがカイトラの都、アゼリアの町ね。あの目立つ色をした建物がアゼリア宮殿。国王がいるはずの場所ね」
「国の王様が軟禁されているところか……。ここから見る分には何事もなさそうだな」
まるで水辺に一片の桜の花弁を浮かべるように、艶やかな宮殿が誠司の目に留まった。
はっきりと見えるわけではなかったが、ここからでも人々が長い時間をかけて整えた街並みは一つの大きな風景画でも眺めているようである。
ただし町の景色は国の政の実情を映すわけでもなく、ひたすらに穏やかに美しいままで、それが反って物悲しい印象を与えるのだった。
気の抜けたようにアゼリアの町を眺める誠司をよそに、すでにノエルは西方に顔を向けていた。
「それであっちの山並みの麓が、モカツ砦のあるシミャマの町ね。何があるってわけじゃないけど」
続けて誠司も視線を移した。アゼリアの町よりも近く、もう手の届きそうな距離に重なり合う山々の麓に、シミャマの町が見えた。
こちらは無骨な自然の町なのか、ここから見る分には色気のない風景であった。
「やっぱり都に比べると質素に見えるな……」
と、誠司はつい素直な感想を漏らしたが、
「手の込んだ建物を作ってもしょうがないでしょ。いつ半神に襲われるかわからない町なんだから」
「……なるほど。そういう事情もあるわけか」
もっともなことをノエルに言われて、しみじみと町というものについて思い耽った。
そこに暮らす人々の姿形が、村や町といったものなのだろう。それは食であり、災害であり、信仰であり、風土なのかもしれない。
ノエルがあらためて目指す先を確認してから、また馬を走らせ始めた。
新たな地域に自分の身体を慣らすように、心持ち馬の速度は山中の道より緩やかだった。
三つ四つ、村を過ぎていった後で、ようやくシミャマの町の端に触れたようだった。
「ここらから町の領土に入るのかしらね」
飾り気のない石積みの家が並んでいた。その間を割るように、草が禿げただけのような荒々しい道が町の奥まで続いているようだった。
ノエルはすれ違う町民に道を訊ねると、この先に紹介所があることを教えてもらった。
一度そこで馬を預けて、それから歩いて町を周ろうということになった。
馬の蹄の地面を駆ける音が小気味の良い音を奏でる。荒れ果てた土の道に平たい丸石が混じり出したようだった。すぐに二人は教えられた紹介所を見つけると、店の小間使いに馬を預けてから、店の中にあった白岩を四角に切り出したような椅子に腰を掛けた。
隣り合って座る二人の前には、これまた金属の四つ脚に、薄く円形に加工された白い岩のテーブルがあった。
店の人間がやって来て、石のテーブルに水の入った木製のコップを置いた。店員は気さくに声を掛けて来て、誠司たちにどこからやって来たのかなどを訊ねた。
「シエドから仕事でね。最近ここら辺が慌ただしいみたいだから助っ人よ」
ノエルが平然と嘘を混ぜながら、店の主に情報を聞きだそうとしているようだった。
「シエドかい、遠くから来たもんだ。たしかに最近はいくら人手があっても足りないくらいかもしれないな。なにせ……アレがねぇ」
「……アレ? 半神?」
「ああ、半神もそうだが……、その対応のために手薄になった近隣の町や村を賊が襲うことが多くなっただろ。ここはまだ大きい町だから自衛も効くけど、小さな村ではそうはいかないからね」
「汚いやり方じゃない。町の戦える人間が出払ったところを狙っているのね」
ノエルは本心かどうか、ただ会話を合わせているだけなのかもしれなかったが、主人の話に腹を立てたようにむっとしながら腕を組んでいた。
そんな事情を前置きにして、自然と話題は目当ての半神へと移る。
「半神の方は変わらず活発に出没しているのかしら?」
「ああ。なにが悪いんだか、せめてそっちが収まってくれればいいんだけどね」
「原因もまったくわからないのね。噂の一つや二つ流れていそうなものだけど」
「噂もあるっっちゃあるけどなぁ」
「ふうん。たとえばどんな?」
「よくある月並みな話だよ。国が秘密裏に神域を調査しているだの、半神同士の縄張り争いが激化しているだの、神域内で異常事態が起きているだのね」
それはたしかに具体性のない、世間の雑談の種のようだった。
ノエルは出された水を一息に飲み干すと、主人との話を切り上げて席を立った。
誠司も慌てて水を口に含んでから、店を出て歩き出した彼女に追いついて隣に並んだ。
「おい、そんなに急いでどこ行こうってんだよ」
「わかんない」
「わかんないってなんだよ? まだあの店の人から、なんか聞けたかもしれないのに」
ノエルの歩くペースは今にも走り出しそうな早足なのに、当の本人は行き先がないのだと言うのだった。
「別に。イライラするから歩いているだけ」
「イライラする? わけわかんねえな。何にイライラするっていうんだ」
「このクソったれの国によ。まるで水の腐った井戸の中で呼吸でもしているみたい」
「意味わかんねえよ!」
まったく意味はわからなかったが、ノエルが疲れ果てて町の一角に座り込むまで、誠司はその後ろをついて行くことしかできなかった。
気づいたときには、ずいぶんと街の中心までやって来ていた。
ひらけた場所に、番兵の見張る大きな門のある広場があった。門の左右には途切れることのない高い石壁がどこまでも続いていた。
その門前はいわゆる市場のような有様で、人々が各々に地面に敷物を広げては商品を売り買いしている。ある者は色取りどりの果実を並べてみたり、ある者はざるの上に盛られた幾つもの根菜で自慢気に客引きをしていた。
そんな市場の片隅に腰を下ろしていたノエルは、また思いつきのように急に立ち上がると、暇潰しなのか店の一つ々々を見物し始めた。
まるで連れなどいないかのように自由に振舞うノエルには、誠司も気が滅入ってしまいそうになるのだったが、それでも目を離したら平気で一人どこかに消えてしまいそうなので、自分の存在を虚しく思いつつも一緒に歩いていると、それはそれで時折楽しそうに話しかけてくるので、誠司の気持ちは複雑に絡まった糸のようだった。
ノエルは一頻り歩いてから、ある店の前でようやく足を止めた。興味をそそられたのか、店の人間に話しかけていた。
「売り物がないみたいだけど、ここはなんのお店なのかしら」
誠司も一緒になって覗いてみたが、たしかにノエルの言うように売り物らしきものはない。
ただ一人の店の人間が、売るものもなく店番をする不思議な店であった。店の人は、見た目三十前後の女だった。綺麗な白銀の髪を後で一つに束ねて、宝石のような藍色の瞳が特徴的であった。
白銀の髪の女はノエルに目を合わせてにっこり笑うと、おっとりとした口調で言葉を返した。
「私の売るものは言葉です。あなたの知りたいことを言葉にしてお教えします」
「知りたいことを、教える……? ああ、占いってことかしら」
ノエルは急に興味が失せたように、白銀の髪の女に失礼な言葉をぶつけた。
「悪いけど、当たり障りのないような、ありがたいお言葉を聞くのにお金は払えないわね」
「おい!」
誠司が慌てた風に、ノエルの背中を肘で突いた。これでは質の悪い冷やかしである。
店の人も気を悪くしただろうと、誠司は恐る々々頭を下げつつ様子を見たが、
「いいんですよ。ノエルさん……。むしろ怪しい情報に惑わされないことは、あなたのように厄介な依頼を受けることが多い人間にとっては大事なことです」
女性のそのたった一言が、周囲の喧騒を掻き消すほどに二人の耳にいやに響いた。
ノエルは背中に銃口を向けられたかのように振り向いて、すぐに女性を問い詰める。
「わたしがいつ名乗ったかしら? あんた、どこの人間なの」
「どこもなにも……。私は視えたものを言葉にするだけの人間です」
「へえ、わたしの顔に名札でも付いてるように見えるのかしら」
ノエルは不敵な笑いを浮かべると、女性の前に突き出すように誠司の腕を引いた。
「だったらこれの名前もわかるんでしょうね?」
「これって、お前なぁ……」
その言い方は置いておくとして、誠司も満更ではないように女性に向かい合った。教えてもいないノエルの名前を知る女性に、少なからず興味が湧いていた。
それにノエルの名前ならいざ知らず、誠司の名前は簡単に調べてわかることではない。
もしこの女性がペテン師であれば、曖昧な逃げ道を作って言葉を濁す以外に方法はなさそうだったが、さて、この占い師がどう出るのだろうか。
誠司はすでに勝ち誇ったように、頬を緩ませて女の出方を待ったが、
「いいでしょう。ただし視えた場合には、1000セリエを頂きますがよろしいですか」
女は強気に言葉を選んで、まるでこちらの心理を揺さぶるように商売を続けた。
これには誠司も驚いたが、なによりノエルが誠司を押し退かす勢いで反応した。
「1000セリエですって! たかだか名前を言い当てるだけで!?」
「別に……名前でなくとも構いませんよ。私の占いの値段が、一律1000セリエというだけです」
「なぁっ……! がめつい女ね」
――お前にだけは言われたくないだろう。
誠司はつい口に出しかけた言葉を飲み込んで、銀髪の女に思いついた質問を投げかけた。
「こちらの知りたいことであれば、あなたは何でも教えられるということですか」
「何でもではありませんね。あなたに関係のあることであれば……と申しましょうか」
「関係……ですか? ではたとえば、俺と関係のある人間の居場所を知ることも?」
「問題ありませんよ。関係の深さによりますが、恐らくは可能でしょう」
銀髪の女が事もなげに言うので、誠司はノエルに視線を送った。
しかしノエルは首を横に振って、二人の会話が聞こえることも厭わないように、
「ルティンの場所を聞こうっての? この女が適当なことを言っても、わたしたちには確かめようもないじゃない」
「そりゃあ、そうなんだけどさ」
「そんなんで情報がつかめるなら苦労ないわ。行くわよ!」
誠司は後ろ髪を引かれるような気持ちで、ノエルに腕を引かれながらその場を離れるのだった。
「すみません、お邪魔してしまって……」
誠司は去り際に謝りつつ、銀髪の女の顔を目に焼き付けるように見つめていた。
その綺麗な銀髪が装飾するかのように、女の藍色の瞳も妖しく輝いて誠司を見つめていた。
女は無礼な珍客だったろう二人を不満気な様子もなさそうに、不思議と魅力のある笑みで見送るのだった。




