六章 五話 シミャマの町へ
六章 五話 シミャマの町へ
再び来た道を、忙しく返す。
ノエルの待つ紹介所に戻ろうとする誠司は、裏道に面した窓が唯一の出入り口となっている建物から飛び出て走り出そうとしたが、そこで誰かに肩を叩かれて振り向いた。
「やあクロノ、朝から元気そうだな!」
「うわあ! ザタン……さん? びっくりしましたよ。なんでここに?」
身体をびくりとさせて見上げた相手は、悪魔のように口角を上げているのに、目元だけは笑っていない、見慣れたイブラムの笑顔であった。
「朝一で俺の教えた宿に行ったんだが、もう誰もいなかったもんだからな。昨日のこともあったし、ルベダに会いに来ているのかと思ったんだ」
「そうだったんですか、すみません。ザタンさんには、この後で別に挨拶に行こうと……」
「いいや、そんなことで探しに来たんじゃないさ。クロノに頼みがあって来たんだ」
馬宿通りを無事に出て、二人紹介所を目指しながら頼みについて訊ねる。
「頼み、ですか?」
「ああ、俺をこの先のルティン捜索に連れていってほしいんだ。なんでも領主様からの御命令でな。昨晩クロノと別れたあと、馬宿通りで独り飲んでいたら使いの者が来た。俺に二人の協力をさせながら、クロノたちが手に入れる情報を共有してほしいんだろうさ」
「それは助かりますけど、ザタンさんはいいんですか?」
「もちろんさ。元々今回のことに関しては、俺たちはチームだしな。ただ当然のこと、クロノの了承は必要だと思っているからこうして頼みに来たんだよ」
「了承って……俺に断る理由なんてないじゃないですか」
「本当か? せっかくのノエル嬢との二人旅だろう? 俺の存在が無粋だってことくらい、考えなくてもわかるさ」
ザタンはからりとした笑い声を上げる。
誠司はわかりやすく動揺して、ひび割れた道の石畳に躓いてよろけた。
「かっ、勘弁してくださいよ……。今はそれどころじゃないんですから」
「色恋にそれどころもなにもないだろう? まあ、それはそれとして、ルベダに挨拶しに来たってことは町を出るんだよな。これからどこを目指すつもりなんだ?」
「シミャマの町です。そこら一帯で半神の出没が多くなっているみたいなので、その原因を調べに行きたいと思っています」
「ほお、半神……? またなんで半神なんだ。ルティンと関係があるのか」
「関係があるかと言われると、微妙なところなんですけど」
誠司はノハラの村で半神の声が聞こえたような気がしたことを、イブラムにも打ち明けた。
「半神の声が……? クロノ、ついに狂ったか!」
イブラムは両手を広げてから、わざとらしく頭を抱える素振りを見せた。この演技じみた拙い仕草には、その口振りほどに驚いていないことは見え透いていたが、
「いや、面白い。行こう、シミャマの町へ」
「いいんですか? 俺の直観みたいなもので行先を決めてしまっても」
「正攻法なら、別の誰かがやってしまうさ。俺たちは別の切り口から攻めるべきだ。半神の騒ぎとルティンの逃亡、何か関係があるのか調べてみよう」
「あとは、シミャマの町から神域の様子を窺いたいんです。神域には昔、魔術発祥の国があったとも聞きました。こちらは根も葉もない噂話かもしれませんが、少しでも魔術に関する情報を集められればと思っています」
「……なんだって? 神域の国? おいおいクロノ、正気なのか。神域はさすがにヤバいぜ」
いつも飄々とした表情を浮かべているイブラムの顔が、途端に固まってしまった。
相変わらず口角は上がって笑ってこそいるものの、それが石膏のように固められた仮面であることは明らかだった。
「やっぱり、神域ってヤバいんですかね?」
「ヤバいな。まあ運が良ければ、百歩や二百歩ほどなら入っていけるだろうが」
「百歩や二百歩ですか……」
「そのくらいなら度胸試しに足を踏み入れるやつもいるが、あるかもわからない国を見つけようとするなら、散歩するくらいじゃあ手掛かり探しにもならないだろう?」
それは暗に、神域への詮索を諦めたほうが賢明だろうというイブラムの助言だった。
誠司は途方に暮れながら、ついには紹介所のある通りまで戻って来ていたが、そこにはすでに店の前に髪馬を回して、その鬣を解かすように撫でるノエルの姿があった。
今にもフィジーの町を出立しようとしているノエルに、誠司は戻って来るなり、イブラムの事情を伝えた。誠司は当然のこと、彼女が快く首を縦に振ってくれるものかと思っていたが、ノエルは馬に跨りながら、
「ついて来てくれるのは嬉しいんだけど、私たちの行先を知っていて言ってるの?」
鞍上から手を伸ばして、誠司を馬の背に引き上げながらイブラムに問い掛けた。
ノエルの口振りからして、その行先とは、シミャマの町を指しているのではなく、神域のことを言っているのだろう。
「ノエル嬢……、過去には各国の精鋭を集めた大規模調査ですら、神域ではたいした成果を上げることができなかったんだ。なにか成算はあるのか?」
イブラムは否定も肯定もしないで、ノエルに問い返したが、
「あるわけないでしょ。女々しいこと訊かないでくれる?」
ノエルはきっぱりと言い放ってから馬腹を蹴ると、颯爽と髪馬を走らせてしまったのだった。
「一緒に来るつもりなら、シミャマで待ってるから! じゃあねっ!」
荒んだ町に爽やかな風を吹かせるように、髪馬が道を駆けてゆく。
「おっ、おい、ザタンさんはどうするんだよ! 」
誠司は遠ざかっていくイブラムを振り返り見ながら、馬に振り落とされないようノエルにしがみついていた。
「一緒に来るつもりなら、シミャマで合流するでしょ。そもそもこの馬に三人は乗れないから」
ノエルはもっともらしく自分勝手に馬を走らせながら、その手綱を引く様子はなかった。
誠司は慌てながら仕方なしに、腹の底からイブラムへと届くように、
「ザタンさん! また後で会いましょう!」
来てくれるものだと決めつけて、懸命に叫んだ。
遥か後ろで、苦笑いを浮かべながら拳を掲げるイブラムの姿が、去り行く町と共に遠ざかっていった。また次の町を目指すべく、誠司は流れる風景に身を任せて道を進む。
やがて街路を抜けて景色が広がると、町を彩る大きな湖が視界に現れた。
朝日を受けてきらきらと光る湖面が、ゆっくりと揺れる水面が、穏やかな一日を知らせているようだった。湖の縁を飾るように、紫色の花が長々と行列をつくって咲いているのが見えた。
「街中じゃわからなかったけど、綺麗なところだったんだよな」
「そうね。いつか仕事じゃなくて、休暇にでも寄りたいところだわ」
ノエルも心なしか馬の速度を緩めて、湖を目に焼き付けるように首を横に向けていた。
やがて山裾を縫う道が二人の視界を遮るまでは、とくに会話もなく、馬の蹄が地面を踏みしめる音だけが耳に心地よく響いた。
涼しく薄暗い、鬱蒼とした木々の連続に飽く頃に、ようやく誠司が口を開いた。
「ザタンさん……。置いて行くような形になっちゃったけど、追いかけて来てくれるかな」
「ザタン? ああ、あの男のこと? 領主の頼みなんでしょ。ついて来るんじゃない?」
「ああ、でも巻き込みたくはなかったな。神域へ行くなんて聞いてなかったろうし」
「あんたが言い出したんでしょう? まっ、わたしは一緒に行ってあげるけどね!」
ノエルは嘲笑するように言ってから、途端に真面目な声を作って、
「まあ意外だったけど。あんたが神域にこだわるなんてね。いつもなら止めそうじゃない。ノハラの村での出来事が、よっぽど気掛かりだったのね。そんなに半神の鳴き声がはっきりと人の言葉に聞こえたっての?」
「それは……もしかしたら気のせいかもしれない。確証を持っているわけじゃないんだけどな」
ただ誠司には、胸のなかで徐々に膨らんで、いつか風船のように破裂してしまいそうな不安と焦燥感があるのだった。
中途半端に首を突っ込んでしまったがために、降りられなくなった列車の中で、自分が帰るべきホームをずっと心の片隅で探しているような気分が続いているのだ。急いで帰ろうなどとは思っていなかった楽観的な事実は本心だったが、もしかして一生帰れないんじゃないかという可能性がふと頭に過って来ると、胸が苦しくなって来る。
だから何かに縋って、手探りのなかで必死に自分の帰り道を見つけようとしていた。
もちろん、神域がそれを教えてくれるかはわからない。わからないのだが、誰も知らない誠司の帰るべき道を教えてくれるのは、同じく誰も知らない禁足の地に思えて来るのだった。
そのことに根拠などないし、そう思わないとやっていられないのかもしれない。だが何かに身を投じているうちは、焦燥感も薄れてくれる。
「ようするに勘なんでしょ? なのに意気込んじゃってさ。あんたも中々のアレよね」
しかしながら、ノエルに指摘されると、改めて自分の行動が間違ったものにも思えて来るが、
「アレってなんだよ。ああ、男前ってことか?」
「ちょっと違うかな。バカだって言いたかったんだけど」
「そうか、ちょっと惜しかったみたいだな」
誠司は強がって冗談を吐きつつ、ノエルにも同じことを訊き返した。
「だけどよ、お前だって最初は止めてたろう。結局行くんなら似た者同士じゃねえか」
目の前に揺れる金色の髪が波のように流れて、彼女の横顔から青い瞳がこちらに向いた。
ノエルはすぐに答えることはせず、一時の間を置いてから、
「特級の……フリークエストだからね。次にこんな好機が訪れるのは、十年後か二十年後かもわからないもの。ここを逃したら、十年以上は死んだも同然の生活なのよ」
「死んだも同然ってのは、いくらなんでも大袈裟だろ」
誠司は笑って流してしまおうとしたが、長い月日を燻って過ごす気持ちがわからないわけでもなかった。誠司にしろ、ただ目標もなく生きていく日々に嫌気が差していたからこそ、あのとき友人に誘われて、自分の知らない世界に踏み込んだこともあったのだ。どこの世界でも、人間なんてものは同じような悩みを抱えて生きているのだから、誠司は最初に彼女に出会ったとき、親近感も湧いたし、応援したいとも思ったのである。
誠司は少し寂しげに感じられたノエルの背中に、陽気な調子で言葉を掛けた。
「俺もいるんだし、少しは大船に乗ったつもりでいてくれてもいいんだぞ?」
それは不器用な誠司なりの、精一杯の励ましのつもりだったが、
「そうね。今は少し、あんたを天からの授かりものだと思えるようになったわ」
ノエルには素直に受け入れられて、驚きに声を上擦らせてしまった。
「はぁ? ど、どうしたんだよ急に……」
てっきり毒の一つでも吐かれて、笑い飛ばしてくれるものだと考えていたが、なにかいつもと違った雰囲気が二人の間に流れているように感じられた。
彼女が今どんな顔をしているのかはわからない。ただ今までと違うのは、昨夜に馬宿通りでノエルを助けたという事実があることである。なにかその一件で、彼女の自分を見る目が変わったのではないかと、誠司は口では平静を装いつつも、次の言葉に淡い期待を寄せずにはいられなかったが、
「まあ、なんにしても……。ようやく俺がパートナーだと認められたってことかな?」
わずかにでも純真な反応を求めていた自分が、いかに愚か者であったかと思い知らされる。
「役立たずなパートナーと組まされたからね……。そう思わないとやってられないのかもしれない」
「……んー、ポジティブに考えるのはいいことじゃねえかな」
誠司のか細い声が掻き消されそうになるほどに、ノエルの大きな笑い声が山林を騒がせた。神妙な空気から一転して、ノエルは馬から転げ落ちそうになるほどに腹を抱えて笑っていた。
「安心なさい。あんたはぼーっとしてるだけで大金が転がってくるんだから!」
愉快気に馬を飛ばし始めたノエルを見て、誠司も一緒に笑いが込み上げてしまう。
いつも事の始まりは楽観的で、後々酷い目に遭うことは承知していている。だがいつからか、教室の片隅でじっと座っているよりかは、人前で稚拙な芸を披露して鼻で笑われる人生の方が、些かマシな生き方だと思えるようになったのだ。
――願わくば、我に七難八苦を与えたまえ。
そんな大層なことを言うつもりはないが、誠司はわざわざ己からリスクに飛び込もうとしている自分に、我ながらおかしくなってしまうのだった。




