六章 二話 目覚め始めた力
六章 二話 目覚め始めた力
誠司は急ぎ倒れ込んだ男を曲がり角に押し転がした。
もう一度、迫り来る男を転倒させることができればと思ってのことだったが、そう何度も同じ手を食うほど男たちも甘くはないようだ。
曲がり角の向こうで男の足に逡巡の色が見える。細かいペースを刻んでいた足が、ゆっくりと水滴を垂らすようなものに変わった。
不気味な静けさに、明らかに警戒していた。不意打ちは諦めるしかなさそうだ。
再び姿を隠したいところだったが、その間に蛇の眼の男にノエルが連れ去られてしまえば、こちらが敵を見失うことになってしまう。かといって、また正面から武装した男を倒せる自信は微塵もなかった。
もう間もなく、男は曲がり角から顔を出すだろう。そうなれば策も何もない。
誠司は追い詰められて、走馬灯にも似た記憶の欠片が頭に過った。
――相手が大軍で、こっちが寡兵だったら、選択肢は二つしかないわな。籠城するか、相手の急所に奇襲を仕掛けるかだよ。まあ、普通は籠城を選ぶと思うよ。寡兵での奇襲ってのはさ、失敗したらお終いだから。
過去の言葉が脳裏に過った瞬間、誠司は勢いよく走り出していた。
追手の男と曲がり角で対面したが、慎重に身構えていた男とは異なり、誠司は躊躇いなく突き進んだために、男を置き去りにして横を通り抜けることに成功した。
「なっ……どこへ行くつもりだ!」
さすがに重装備の男と布切れのような服装の誠司では身軽さが違った。互いの身体が交差する際に捕らわれなければ、あとは自然と引き離すことは容易であった。
誠司の視界が蛇の眼の男を捉える。
ノエルは地面に寝転がるように放置され、その傍らに蛇の眼の男が突っ立っていた。
「おや……逃げたかと思えば、勇ましく突っ込んで来ましたか」
蛇の眼の男の独り言は誠司に聞こえていなかったが、男が驚いていないことだけは遠くからでも読み取れた。
「五分五分ってところか」
誠司の呟きも、蛇の眼の男には聞こえていない。
追手の男を出し抜いたのは誠司の利であったが、蛇の眼の男に動揺がないことは誠司の誤算であった。
奇襲とは、相手が動揺しないことには効果が薄れてしまう。さらに蛇の眼の男が動揺していないということは、たとえ腕に覚えのある付き人がいようとも、彼自身が弱いわけではないことの証明に近かった。
願わくば、蛇の眼の男は頭が冴えるだけの華奢な男であってほしかったが、
「うおおおおっ!」
誠司は振り上げた拳を今さら引っ込めるわけにもいかず、ひたすらに真っ直ぐ突っ込んだ。
それは無謀な突撃にも見える行動であったが、その双眸には微かな希望を宿らせている。
一歩二歩と、距離が縮まるうちに、蛇の眼の男が腰から拳銃を抜いた。
先刻、誠司を撃ち抜いた拳銃である。誠司は身構える間もなく撃ち抜かれてしまったが、その一瞬の間に目にした光景を忘れていなかった。
蛇の眼の男が握る拳銃には、撃鉄が備えてあったのだ。撃鉄とは、引き金を引くことで作動する拳銃の発射装置である。一般には撃鉄が雷管を強打することで、銃身から弾丸は発射される。
つまり言い換えれば、撃鉄が動かないことには銃弾は発射されないのだ。
誠司は蛇の眼の男が引き金を引くよりわずかに速く、右の手で撃鉄を指差した。
『限定的空間凍結』
これは賭けである。激しく動きながら、他人が手に持つ物を対象にするのは、決して簡単なことではなかったが、
「……ッ!」
蛇の眼の男の眉間に、ようやく動揺が広がった。
確実に弾丸を当てるため、ぎりぎりまで誠司を引きつけたことが裏目に出た。
体当たりにも等しい誠司の前蹴りが炸裂し、男を大きく後ろに吹き飛ばした。握られていた拳銃だけが、その場で何事もなかったかのように宙に浮いていた。
誠司は術式を解くと、拳銃を自分のものにして後ろを振り返った。誠司に出し抜かれて、慌てて戻って来た大柄の男に拳銃を向けて威嚇する。
「近寄るな! お前らが手を引けば、俺に戦う理由はない!」
銃口を向けられ、戦意を失くした大柄の男に、誠司は再び曲がり角まで後退するよう伝えた。
誠司に引き金を引く覚悟などなかったが、その鋭い双眸には、そんなことを感じさせない胆力があった。
あとはノエルを抱えて、来た道を引き返せばこの窮地を切り抜けられる。
大柄の男が曲がり角まで後退したことを確認しつつ、ノエルを背負い上げると、誠司はここから去ろうとしていた。
緊張の糸が緩んできたのか、今頃になって足が震えていることに笑えてしまう。
「とんでもないことになったけど、なんとかなるもんだな……」
地上への階段を上りながら、やがて屋内に繋がっている扉の隙間から明かりが漏れているのが見えて来た。
だが、誠司の口から安堵の息が漏れて、扉のノブに手を掛けた時である。
拳銃が手からするりと抜けて離れたかと思うと、背後で二発の銃声が鳴り響いた。慌てて振り向いた誠司は、階段の下で大柄の男の叫び声を耳にした。
「安心するのが早いのよ……ったく」
耳元で文句を垂れる迷惑な女が、誠司の手元に拳銃を返す。
「お前……っ、起きてたのかよ」
「起きてるってほど、本調子じゃ、ないわね……。大概の毒物なら身体がすぐに異常を感知して排出を始めるんだけど、薬だとそうもいかないみたい」
ノエルは気怠そうな声で、背後を気にかけながら続ける。
「弾は当たったみたいだけど、どうかしらね……。まだ追いかけてくる元気があるのかしら」
誠司は一度後ろを振り向いてから、珍しく弱っているノエルを力強く背負い直してから、
「たとえ追いかけて来ても、俺が守るよ」
そんな台詞を何気なしに口にしたが、自分で照れくさくなってしまい沈黙した。
てっきりノエルからは、なにを偉そうにと、罵詈雑言でも浴びせられるかとも思ったが、
「そう。じゃあ、お願いね。私はちょっと……休ませてもらうから」
意外にも素直に、ノエルは誠司の背中に頭を乗せて眠るように休み始めた。
とても可愛いとは言い難いいびき声が耳元で聞こえていたが、なんだか誠司は安心した。
かといって、油断するわけにもいかず、誠司は地下に繋がっていた一室から外へと出ると、今度こそ袖を引かれることもなく馬宿通りを後にする。
来るときに出入りした家屋の裏口を通るとき、初めてここを通してくれた男と出会った。
男は椅子の上に胡坐をかいている。誠司のことを、覚えていたようだった。
「おう、無事に出て来たみたいだな」
「結果的には、そうなりますね」
誠司の握る拳銃を一瞥して、男は色々と察したように話を続けた。
「そりゃあ、一つや二つ問題事は起きるさ。ここは『馬宿通り』で、ほとんどの人間は顔見知りだ。新顔が来れば、すぐに分かる。裏の世界で顔が利かない人間なら、なおさらだ」
「カモにされるってことですか?」
「優しい言い方をすればな」
「でも、収穫もあったと思います」
「そういう場所だ」
男が楽しそうに言って、誠司は苦笑を浮かべて軽く頭を下げた。そうして、いよいよこの無法地帯から足を踏み出そうとしたが、
「……ん?」
安全な街中へと戻る扉の前で、立ち止まって男に振り返った。
「なんだ、忘れ物か?」
「ここの人間は……ほとんど顔見知りなんですか?」
「別に仲良しってわけじゃないぜ。ただここに何度も足を踏み入れられる人間は、嫌でも顔を覚えられるんだよ」
「だったら、浅黒い肌をした青い髪の男がここを通らなかったですか?」
「浅黒い肌をした、青い髪の男……?」
男は少し思案したあと、首を横に振ると、
「人探しか? 悪いが『馬宿通り』は必ずしもここを通って入るわけじゃないからな。三つある組織が管理するどれかの地下道からも入ることができる。あくまでここは一般の出入り口ってところだ」
「三つの組織、ですか? 俺の探しているやつは、たぶんどこにも属していないと思いますけど」
「ああ、そうなのか? まあ三つの組織ってのも、王族にマルコ一家、シエドの豪商シルヴィオーニの手の者たちだし、どちらにせよ深く詮索しないほうが身のためだぜ。それに、通りにこっそり入るのも不可能じゃない。俺が言えるのは、ここは通ってないってことだけだからな」
誠司は素直に納得すると、ついでにと男からイブラムから教わった宿の場所を訊ねて、今度こそ疲れた身体を休めるために宿に向かうのだった。
薄気味悪い『馬宿通り』と打って変わって、温かみのある街灯に導かれるように、宿まで歩いて行く。
石造りの二階建て、白い壁の宿が見えた。
扉から入って、受付にいた眠たげな店主と挨拶を交わす。手持ちの銅貨で二名分の料金を支払って二階の部屋に案内された。人数分の固いベッドが部屋狭しに配置されているだけの、質素な造りの部屋だった。
ただ今は、一畳ばかりの寝床さえあれば文句などない。
誠司はわざと投げ捨てるようにノエルを片方のベッドに放ると、自らも電池が切れたようにベッドに倒れ込む。
どっと疲れていたせいか、目を瞑ると同時に意識は夢のなかへと誘われるのだった。




