六章 一話 夜の酒場で
六章 一話 夜の酒場で
一層夜は深まり、煌々と月が光っていた。
意気消沈する誠司に、イブラムは近くの酒場にでも行こうと誘ってくれた。
イブラムは吟味することもせずに適当な店に足を運ぶ。店の前の看板は半分に割れていて、元々描かれていただろう木彫りのコップが木の桶のように見える店だった。
ただ以外にも驚いたのは、店に入ると多くの人で賑わっていたことである。数ある座席は埋めつくされて、なかには床に座り込んで酒をあおる客が幾人か見かけられるほどだった。
「ずいぶんと人が多いですね……」
「夜がこの馬宿通りの本当の姿さ」
イブラムは言いながら、当たり前のように店の奥の席にいた先客をテーブルから退かしていた。
先客の三人の男たちは、いずれもがっしりとした身体の持ち主だったが、イブラムの顔を見かけた途端、まるで自分から席を譲るように机の酒を手にして出て行ってしまった。
イブラムに促されて、誠司は奪い取った部屋の席に居心地悪そうに座る。
「色々あったみたいだな……」
さっそく問い掛けられて、誠司は離れていた間の数々の出来事を話すつもりでいたが、
「ここで話すんですか?」
それがおおっぴらな大衆酒場でするような話ではないことくらいはわかっていた。
躊躇する誠司に、イブラムは「ここがいいんだ」と念を押してから、理由を語った。
「適当に入った店の奥の席。張られている可能性はほぼ無い。店内はある程度の喧騒があって、他の席からは少しばかり離れているから耳を澄ましても聞こえやしない。それにこちらからは他の客の席がよく見える。不自然なやつがいれば一発でわかる。むしろ個室や密室だと思って安心していたら、盗み聞きされていたなんてよくある話だからな」
イブラムは得意の悪人じみた笑みを浮かべつつ、誠司にカウンターで受け取った果実酒のボトルを丸ごと一本渡した。
世間話でもしているように話せばいい、とでもいうかのようである。
誠司も気軽に一口、果実酒を喉に通してから語り始めた。
それはルベダの城への訪問から始まり、他国にルティン以外の魔術師がいるかもしれないという可能性や、マルコという男が領主の下で働いていること、そしてルティンから説明された誠司が帰るための手掛かりであったが、
「時の、記憶?」
イブラムも特に興味を惹かれたのか、そこだけは誠司の話に割って訊ねて来た。
「ザタンさんも知らないんですか」
「その言葉さえ、聞いたことがないな。だが、ルティンがわざわざくだらない嘘を言うために、クロノに会いに来たとは思えない」
時の記憶か——と、イブラムはロマンチックなものにでも思いを寄せるように呟くと、それはそれとして現実に戻ったかのように話題を変えた。
「マルコのことは正直驚いたが……、かえってすっきりしたよ。今までは正体も、情報源もつかめないような不気味なやつだったが、俺が知らないところで領主とつるんでいたなら納得だ」
「納得って……、それだけですか?」
悪の元締めともいえる男と、領主が組んでいるという事実を前にして、イブラムの態度はあっさりしすぎているように思えた。
「うん? それだけだな。なんならマルコが少し可愛く思えたくらいだ。型に嵌った悪党なら、別に怖いことはない。それよりも他の国に魔術師がいるかもしれないっていうほうが、よっぽど恐ろしいな」
「まだ決まったわけじゃないですけどね。やっぱりザタンさんでも、魔術は恐ろしいんですか?」
「ああ、恐ろしいな」
イブラムの口調は平淡であったが、反って嘘がなく聞こえて来た。右手で自分の背後を親指で差すと、左手に持った果実酒を口に運びながら続ける。
「クロノは神域って場所、ここに来るまでに少しは耳にしたか?」
誠司はわずかに目を細めてから、はっと口を開いて頷いた。
この世界のすべての物質を作る、一番小さな粒。それが“アトン”であり、そのアトンの濃度が高い場所が“神域”であるらしい。誠司の記憶では、その神域から半神半獣という生き物が稀に人里に下りて来ては、人間に害をなすとハドリアに聞いていた。
「神域ってのが、アトンが濃い場所だってのはその通りだ。アトンは基本的に濃い方が良い。全ての生き物を活性化させる。神域に近い地域のほうが、寿命が長いなんて調査結果もあったくらいだ。それにアトン鉱という、非常に加工しやすくアトン式で変化させやすい鉱物もよく取れる。これはどの国にとっても大事な資源だし、実際にアトン鉱の産出地は国々の争いの種にもなりやすい」
ともなれば、神域というのは魅力的な地上の楽園にも聞こえるが、この口上が前置きであることは誠司にも理解できた。
そんな理想郷に国が興らないわけがないと、イブラムに問い掛ける。
「でも、人が住んでいませんよね」
「ああ、そうだ。誰も住んでいない。人間には住めたもんじゃない」
「どうしてですか」
「あそこでは人間が弱い生き物だからさ。まず神域の大部分を占める山林だが、切っても燃やしても毒を撒こうとも切り開けたもんじゃない。土を掘り返してから家を建てても、半年もすれば木々が建物を突き破ってそこは元通りの森になってしまう。しかもそんな山林の中には神獣と呼ばれる非常に知能の高い動物たちがはびこっていて、小さな羽虫までが人間の命を脅かすんだ。今まで色々な国が軍を伴った調査隊を送ったこともあるが、深くまで立ち入った者はほぼいない」
「未開の土地なんですね。だけど、それが魔術師とどんな関係があるんですか?」
なんだか話が逸れたようで、誠司には神域と魔術師の関係性がわからなかった。
イブラムは笑みを返して、楽しいネタバラシでもするように度々酒瓶を傾けながら話を進める。
「今や昔のおとぎ話になってしまっているが、かつてこのヌン大陸は神域を中心として国々が栄えていたとされているんだ。それも高度な文明を持ち、今よりもアトンの研究は進んでいたんじゃないかとさえ言われている」
「高度な古代文明……ですか。よくある噂話じゃないですか」
誠司にはそれが、月並みな都市伝説に聞こえた。
失われたロストテクノロジーは歴史のロマンだが、オーパーツしかり、大概はどこかの誰かが話を創作して伝聞されたものである。
「ところがどっこい。とある調査団がたった一度だけ、神域のなかで大変なものを発見したんだ」
「大変なもの……?」
「土に埋もれかけた人家だ。わずか数軒だったが、人が住んでいた痕跡が残っていたらしい」
「だったら住んでいたんじゃないですか。環境の変化で住居を移動したのかもしれません」
「ああ、そうだな。だが調査団が驚いたのは、神域に人が住んでいたかもしれないという仮説なんかじゃない。そこにあった調度品の数々だったんだ。灯りや調理器具、水道なんかが、俺たちが常日頃使っているものと似ていたんだよ。現代のアトン式とは違う、謎の術式と共にな」
「ほう……」
誠司は興味が出て来たという風に、肘を机に投げ出すと、
「おとぎ話になっているような遥か昔の技術が、現代のものと酷似していたんですか」
「そうだ。そしてここからが壮大な噂話になるんだが、その調査団が帰って来た後に、少数の国々で莫大な国費が使途不明金として国庫から消えたと文屋が吹いて回ると、市井では魔術の研究費に大幅な投資がされたんじゃないかという噂話が広まったんだ。果たして調査団が持ち帰った情報は、本当に古代の人々の生活様式だけだったのか。何か見てはいけない、持ち帰っては危ないようなものを持ち帰ったんじゃないかと、当時どこの国でもその話で持ち切りだったそうだ」
「そうなると、怪しいのかもしれないですね」
「つまり魔術師の起源は、神域と予想されているってわけだな。ちなみに俺も若い頃は度胸試しに何度か神域に足を踏み入れたことがあるが、あそこは洒落にならないぜ。怖くて泣いたのはあれが最初で最後だろうな」
イブラムは冗談っぽく話したが、きっと本当のことなのだろう。
ただここに至っても、誠司は魔術については不透明な見識しか得られなかった。
みんなが恐れていながら、みんなが正体について知らない。そんなものをみんなで恐がっているのは、まるで神様か悪霊の類である。
しかしながら、そんなものを各国で牽制しながら厳重な秘密にして研究しているというのであるから、存在することは確かなのだろう。
しばらくイブラムとくだらない雑談を交えながら、誠司はぽつりと口にした。
「だけどルティンは、なぜ一人で無茶をするんですかねぇ……」
酒が少し回って来て、ゆったりとした話し方になっていた。
「そりゃあ、敵味方がはっきりしないからだろう? 信頼できる人間が少ないのさ」
酒に強いイブラムは、すでに三本目の瓶に口をつけていた。
「王様を亡き者にしようとする理由も分からないですねぇ……。もし敵がウェンスギーという国であるとすれば、余計におかしなことをしている」
「そこだけは俺も、不可解な点だな……。ルティンがもし魔術で人を殺めることができるなら、やるべきは敵側の人間になるはずだろう」
「だとすると、王様は敵ですか?」
「ルティンについて詳しいわけじゃないが、表向き王と確執はないはずだけどな。平民のルティンを重職に就けたのも王様のはずだし、恩すら感じているはずだぜ」
「だとすればぁ……、何もかも一からやり直しなんですかねぇ。ルティンの考えがわからないんじゃあ、行先だってわかるはずがないんですから」
「なあに、焦りすぎだよ。俺は半年くらいは覚悟していたぜ。そういうクエストさ……」
「半年……」
そんなには付き合ってはいられない。
誠司はそう思いつつも、やはりそれくらいの難題なんだろうということを改めて知った。
それも半年で見つかれば幸運なのだろう。半年というのは、恐らく諦めの分水嶺になる期間に違いない。
イブラムが三本の酒瓶を飲み干す間に、ようやく誠司の酒瓶が一本空になった。
それでも誠司の身体がふらふらと揺れていたので、イブラムはまた明日にでもこれからのことを考えようと、今日のところは別れることなった。
一枚のメモと、一握りの銅貨を手渡されて、誠司は店を後にする。
メモには、イブラムが記してくれた手頃で気のいい店主の宿が書かれていた。
もたつく足で通りを歩く誠司だったが、すれ違う人々の目つきが悪かったり、肩で風を切るような野郎ばかりだったので少し酔いが冷めた。
変な人間に絡まれないうちに、通りを抜けようと思った。心なしかこんなところを歩いていると、視線を向けられるだけで自分が品定めされて狙われている気がしてならなかった。だが、もうあと五十歩も歩かないうちには、通りを抜けて普通の街中に出られる。
まるで逃げるようにそそくさと歩く誠司だったが、
「くそ……。こんなことならザタンさんと一緒に店を出るんだった」
その足を止めたのは、誠司に厄介事を持ち込むトラブルメーカーだった。
「もう一度だけ言ってあげる。お酒は飲んだけど、お金を払うつもりは、なぁい!」
聞き覚えのある声に振り向かされると、見覚えのある女が男たちと諍いを起こしていた。
男の方は、鉄製の分厚い胸当てをした背丈の高いのが二人。その男たちに挟まれるように、長い赤髪と、髪と同じ色をした蛇のような眼の男が一人だった。
どうやら見覚えのある女は酔っぱらっているようである。たまには痛い目でも見ればいいと、わずかに思わないこともなかったが、誠司は道を引き返して男たちとの間に割って入った。
「こいつと何か揉め事ですか?」
男たちからすれば見知らぬ男の唐突な登場だったが、蛇の眼の男は冷静に揉み手を作って詳しい状況を語る。
「ほうほう、お知り合いでしょうか?」
「知り合いですね。こいつがなにかご迷惑を?」
「迷惑というほどでは。私どもも、飲み食いした料金を支払って頂ければ何も文句はありません」
誠司と話しながら、男の蛇のような眼は獲物を逃がさないようにノエルを捉えていた。
男の話を素直に信じるなら、ノエルがどこかの店で飲み食いした料金を踏み倒そうとしている最中のようだったが、
「二三杯の酒と、一皿二皿の料理で22000セリエも請求されたのよぉ? 黙って払えっての?」
「いえいえ、七杯のブドウ酒、四杯の穀物酒、十二皿の料理を平らげております」
「はあぁん? そんなもん誤差じゃない。どっちにしろ法外な値段には変わらないでしょ」
「法外とは心外ですね。あなた達がどこの町から来たかは知りませんが、その土地にはその土地の相場というものがあります」
二人の言い分を聞きながら、誠司は指を折って料金が妥当なものか考えてみたが、大なり小なり料金を吹っ掛けられているかもしれないことしかわからなかった。
とにかく仲裁をしなければ水掛け論である。
気乗りはしなかったが、誠司は唯一ともいえるこの土地での伝手を使ってこの場を治めようとした。
「わかった。だったら少しだけ待ってくれないか。俺たちにはこの通りで顔が利く、ザタンさんっていう知り合いがいる。もしその人に訊いてみて、料金が妥当だと言うならどうにかして払うよ」
「ザタンだと……? ザタン・イブラムのことを言っているのか?」
その名前に赤髪の男は顔を顰めたので、誠司は頷いてほっと一安心しかけたが、
「その人で間違いない。あんた達も知っているというなら、呼んでくれれば、俺たちもザタンさんが来るまで逃げずにここで待って――」
「断る」
「いる……え、断る?」
「当たり前だ。お前たちがあいつの知り合いだっていうなら、やることは料金の踏み倒し以外にないだろう?」
「馬鹿言うな! 妥当な料金なら支払うって言っているんだぞ!」
「誰が信じるものか。それに勘違いするなよ。この通りに吹っ掛けるなんて言葉はない。取れるやつからは取る」
「取ろうとしたって、ないやつからは取れないだろうが!」
「心配するな。どんなクズだって、命一つあれば値段の付けようはあるもんだ」
蛇の眼の男が口角だけで笑ってから、上着に隠れていた腰回りから何かを取り出して、闇夜を切り裂くような破裂音が鳴った。
「ぐぅっ……!?」
誠司が反射的に腹部を押さえた時には、すでにゆっくりと血が滲み出していた。痛みが後にやって来てから、ようやく蛇の眼の男が向けて来ている銃口が目に入った。
「ぐずぐずしていたら、お仲間のイブラムが探しに来るかもしれんからな。すぐに引き払うぞ」
蛇の目の男は付き人の男たちを促して、誠司を肩に担がせた。
「ちょっ、と……待ちな、さいよぉ……」
ノエルも抵抗せずに、呆気なくもう一人の男に担がれてしまう。
ぐったりと力が抜け落ちているようで、それが悪酔いのせいではないと気が付くのは、今になってからだった。
「強力な睡眠薬を酒に混ぜてやった。そろそろ意識が飛ぶだろう」
男の一言を最後に、ノエルはそこで記憶が途切れた。
誠司は担がれながら撃たれた腹に手を当てて、心臓が強く脈を打つのを感じていた。
だが一方で、一時に身体が千切られたような激痛が嘘のように引いていた。今は打撲のような鈍痛だけが腹部に残っているばかりである。
撃たれたと思ったが、弾は腹をかすめただけだったのかもしれない。
そう思って、誠司は掌を背の部分に当て替えたが、やはり背にも血が滴り鈍痛がある。弾は確かに腹部に当たり背中まで貫いたはずだが、なぜだか思ったほどの傷ではなかった。
男たちはどこかの建物の扉から、誠司たちを抱えて地下に下りている最中だった。
「知っているか? ここの町は戦時のために地下に長く張り巡らされた地下道があるが、今やそれを一番有効に使っているのは、俺たち馬宿通りの人間だ」
蛇の目の男が語るのは、恐らく誠司も使った城にも繋がる地下道のことだろう。
どうやら迷路のように張り巡らされた地下道の一部に連れられているらしい。
誠司は軽い身のこなしで撃たれて抵抗もできないだろうと考えていた男たちの隙をつくと、付き人の男の手から逃れて地面に足を着けた。
「なっ!? まだ動く元気があったのか!」
獲物を取り逃して慌てる男を前に、誠司は背中を向けて真っ暗な地下道を逃げ出した。
追って来ないということはあるまい――と、初めに目に入った右側の通路を急ぎ曲がった。
そこですぐにしゃがみ込んでから、慌てて追いかけて来ている男の足音と声を頼りに、曲がり角へとタイミングよく足を伸ばしたのだった。
「どわあぁっ!」
突如曲がり角に仕掛けられた足に、追いかけて来た男は見事に転げてしまう。
――よし、上手くいったぞ。
頭で咄嗟に描いたものが、目の前に実現されていた。誠司はあまりの嵌り具合に頬を緩めずにはいられなかったが、このわずかな合間にも晴れ々々とした表情が一転して曇ることになった。
誠司の策では、転んだ男の腹部に思い切り蹴りを入れてやるつもりであったが、迂闊なことに男が金属製の胸当てをしていることを失念していた。
金属製の胸当ては男の丹田までをしっかり覆い、誠司の助走をつけた脚が行き場を失くした。
「姑息な真似をしてくれたな! しかしそれがどうした!」
男はすでに体制を整えて、その大きな身体と装備で誠司に突進しようとする寸前であった。
できれば顔を蹴り上げることはしたくなかったと、手緩い躊躇をしているうちに、男は眼前に金属製の籠手を交差させて、腕を突き出しながら低い姿勢で突っ込んできていた。
「ええいっ、食らいやがれ!」
半ば自棄になった誠司の蹴りは、男の下から胸当てを直撃する。
思ったよりも男が素早く、意を決して顔を狙った蹴りも虚しく胸当てを捉えてしまうのだった。
結果として、男の経験値が誠司の稚拙な策を上回ることになったと思われたが、
「ぐぅ……ぉ……」
誠司の眼前まで迫って来ていた男の腕が、ずるずると下がって、やがて地面に落ちた。
男は当然のこと、誠司も驚きに驚いていた。
「なんだ……ただ、蹴っ飛ばしただけだぞ……?」
考える間もなく、もう一人の男の足音が近づいて来ていた。
今はただ、目の前の相手と戦うしかなかった。




