五章 五話 ルティン 対 ノエル
五章 五話 ルティン 対 ノエル
突如姿を現したルティンは、初めて会った時とは別人のように穏やかで落ち着いていた。
誠司はルティンの真意を測りかねながら、探り々々言葉を引き出そうとする。
「俺を元居た場所へ戻すために来てくれたっていうんですか?」
ルティンはゆっくりと首を横に振った。
「空間式は繊細で高等なものだが、君一人を転移させることは不可能ではない。ただし問題は、転移させる先の空間軸がわからないことだ」
それは行き先についてなんの情報もない旅人を案内するようなものだと、ルティンは例えた。
「呼び出せはしたのに、返す場所がわからないんですか?」
「そう……。だから君が元の故郷に戻りたければ、元の故郷の空間軸を調べる必要がある」
「どうやって!」
「その記憶を持っているものから聞くしかない」
「記憶を……!? 俺でさえわからない帰り道を、誰が記憶してるっていうんだよ!」
「この世の全ての事象は過去から現在まで記録されている……。我々アトンの専門家は、それを“時の記憶”と呼ぶ。この宇宙で起きたすべての出来事は、この宇宙の時が記憶している。俺がお前さんを呼び出した、あの日の時の記憶を辿って調べ上げるんだ」
「時の……記憶?」
これもまた何かの例えなのだろうか。
ルティンは真面目な顔をしたまま、急に手に持っていた酒瓶を机に叩きつけて割った。
驚愕して身を引く誠司に、ルティンは冷静なまま口だけを動かした。
「たった今……酒瓶が割れた。今この酒瓶には、過去に強く叩きつけられたという記憶が眠っている。これは見た目にも分かりやすい例だが、なにも割れなくてもいい。触れられれば手の跡が記憶として残る。中身が温くなれば、その時の気温が記憶として残る。すべての出来事はどんな形であれ干渉し合いながら、その記憶を物質……それぞれのアトンに残すのだ」
「それぞれの、アトン? 物に記憶があると言うんですか?」
「そうだ。だがあくまで物は物。物言わぬ物……。だから眠っている記憶を、俺たちが引き出してやらねばならないんだが……」
ルティンが言いかけた時だった。ルティンがわずかに背後を気に掛けるように視線を向けた先、突風が吹いたような音と共に、何かが二人の座っていたテーブルを粉砕した。
「えっ……!? ええ!」
誠司は目の前にあったテーブルの足が折れて吹き飛んだことだけは理解したが、それが何故突然起こったのかまではわからなかった。
一足早く察したルティンが、突風の起きた方向に向けてぶつぶつと小声で唱える。
「それなりのが二人……か。相手をしないわけにはいかないな」
――闇よ、灯れ。
ルティンの呟きと同時に、辺りが光を失ったような真っ暗闇に変わってしまった。
月の光さえも消えて、誠司は自分が目を閉じたのかとさえ錯覚するほどの暗闇であった。
「なんだ! 何も見えないぞ!?」
しかし、かえって耳はよく聞こえた。轟々と鋭い風が吹く音ばかりがする。
時折、近くの建物の壁に何かが強くぶつかる音も聞こえた。
「なんだ、なんだ! 何が起きてるんだ!」
パニックになる誠司に、まだそこにいるルティンは平静に状況を伝えた。
「お前さんのお仲間が、俺に気がついたようだ。とくに二人のうち一人が、こちらに遠慮なしに攻撃を仕掛けて来ている」
ノエルか!
その風を切り裂く音は、ノエルが『超音速』で手近な物を射出している様相だった。
誠司は頭を抱えて身を低くしながら、物が飛んでくる方向へと叫ぶ。
「ノエル、やめろ! 俺に当たったらどうするんだ!」
「迷惑な女だな……。周りの被害はお構いなしか」
ルティンのごもっともな言い分のせいで、誠司もノエルが悪党に思えてしまう。
「まあ伝えられることは伝えた。俺もそろそろ去るとしよう」
「ちょっと待ってくれよ! 俺の帰る方法は!?」
「戻す方法は教えた。申し訳ないが、それを手伝ってやる時間はない」
「そんな無責任なことがあってたまるか!」
「俺もそう思うよ……。ただ今は、一人の男の悲劇に向き合ってやれる暇がない」
ルティンはもう一度だけ「時の記憶だ」と告げると、辺りが真っ暗で何も見えない誠司の近くで、繰り返し何かを呟き続けた。
「光もなく……音もなく……終もなく、受け入れろ」
ルティンが口を動かすと、ノエルの嵐のような攻撃が止んだように思えた。
相変わらず辺りは真っ暗闇で何も見えないが、少なくとも風の音一つなく静かになる。
ただ誠司が何も見えない中で視線を向ける先で、ノエルが舌打ち混じりに文句を垂れていた。
「あんなもの出すなんて、只者じゃないでしょ? やっぱりあの男、怪しいじゃんね」
「だからっていきなり攻撃することはないんじゃないか?」
一緒に隣にいたイブラムも、苦笑しながら徐々に誠司に近づいて来ていた。
「気づいてる? ここに来るまで空気中のアトンが妙に活性化してたの。あれはアトン流体学を学んだ人間しか展開できないような、いわゆる生体感知術式ってやつよ」
「流体学を理解できる人間で……なおかつ、なぜかこんな場所で生体感知を広域で展開している人間は限られるってことか?」
「そんな人間が下僕のような格好をしたクロノに近づいてるんだよ? なんの用で?」
ノエルは胸元から銀色に輝く三つの弾丸を抜き出すと、黒く濃い霧のような物体に叫びかけた。
「どこの誰だか知らないけど、怪しい者じゃないなら術式を解いて顔を出しなさい! ここにいる男は、この町の衛兵だから身分を確認する権利があるんだから!」
ノエルの声に応えるように、夜闇のもとで黒い霧が晴れた。
黒い霧の中にいた男が姿を現して、ノエルとイブラムに笑いかける。
「別に顔を隠すつもりなんかない。お前たちが物騒だから、町に迷惑が掛からないようにしてやっただけさ」
「ずいぶんと腕が立つみたいね……。名前を名乗ってもらおうかしら」
「フェミマール・ルティン、と言えば、わかってもらえるかな?」
ルティンが惜しげもなく自分の名を語るので、ノエルとイブラムのほうが冷や汗をかいた。
「冗談で言っているわけじゃなさそうだな。たまたま同姓同名ってわけでもないだろう?」
「どうかな? ここにいるのは手配書と違う顔の男だ。たまたま同姓同名なのかもしれないぞ」
「ははっ……。だったら確かめる手立ては、やっぱり腕を見るしかなさそうだ」
イブラムが言って、ルティンに突き進もうとした時だった。
それより早く、ノエルの握っていた弾丸がイブラムの横を抜けて撃ち出されていた。
しかし真っ直ぐ音速に近い速さで突き進む三つの弾丸は、ルティンの手前でぴたりと止まった。まるで弾丸が宙に固定されたかのように静止していた。
「人がいるかもしれない通りで、こんな物騒なもの撃ち出すんじゃない」
ルティンが喋りながら銃弾の軌道から回り込むと、弾丸はそれを合図にするかのように再び勢いを取り戻して誰もいない宙に放たれた。
「空間凍結……」
誠司が呟くと、ルティンが口角を上げて反応する。
「そうだ。術式の組み間違いでお前さんにも同じもんを共有してしまったが、本来は素人が扱っていいような生易しい式じゃない」
ルティンが説明する合間にも、ノエルは手当たり次第に目についた物を飛ばしてきているようだった。弾丸から始まって、穴の開いたバケツに電球、果ては釘から木片までがルティン目掛けて飛んでいくが、いずれの物体もルティンの眼前で宙に浮いたまま停止すると、ルティンが悠々と射線から外れてから指を鳴らした後に、標的を失って暗闇の先で家並みにぶつかった。
「無駄だ。見たところ物体を加速させるだけのアトン式だろう。マスタークラスですら俺を倒すのは苦労するぞ」
その言葉にノエルの顔が歪んで、ようやくルティンへの攻撃が止んだ。
「なら、とっておきもあるけど……見ておく?」
「とっておきなら、とっておくんだな。俺はかまわないが、町の人に迷惑だ」
「大丈夫。大勢を巻き込むようなものじゃないから……」
ノエルはそう言って二三歩後退していから、ルティンに向かって走り出した。
ルティンを始め、誠司とイブラムも見つめるなかで、ノエルの走り出す先に大きな赤い光輪が浮かび上がって現れる。
次の瞬間、ノエルがその赤い光輪に向かって両足を合わせて爪先から飛び込むと、ノエルの身体が急加速して矢のように放たれた。
「『すぐに飛んでけ(ビヒアナン)』!」
「何がとっておきだ……。物の代わりに自分を飛ばしただけだろうに」
「それだけのわけっ、あるか―――っ!」
呆れながらノエルの特攻を避けるルティンの胸座が、何かに引っ張られた。
ルティンは引きずられるように後ろへ吹き飛んで、無事に足先から着地したノエルとは裏腹に、土の上を幾度も転がることになった。
すぐに立ち上がるルティンの胸からノエルの指先に、きらきらと光る糸のようなものが見える。
「フフッ……小賢しいが、面白い手だな。なんだこれは? 丈夫な糸のようなものに細かい鉤……
なるほど、シエド鯨の髭に何か細工しているな」
「さすがに博識ね。シエド鯨の髭に、神域の森で生息する透明な蝉、スールゼミの抜け殻から取った鉤爪を結び付けたものよ」
「戦いはアトン式の数と知識では決まらない……。いつも入念な準備をした方が勝つ」
「そういうこと」
糸に絡まったルティンは、それを解こうとすることもなく不敵な笑みを浮かべていた。
ノエルも指先から伸びる糸を強く握って笑みを返したが、
「遊んでやるのはここまでだ……。そろそろお暇させてもらうよ」
糸から指先に伝わる感触から手応えが消えて、ぴんと張っていた糸が垂れ始めた。
それまでルティンであったものは、すでに誰の目にも崩れた泥の山に変化していた。そこに服が被さり、泥の中からアトン式の記述された小さな丸太が数本ほど顔を出していた。
「に……偽物? 噓でしょ?」
あまりに精巧に造られていたルティンの泥人形を前に、ノエルは驚きを通り越して恐怖を覚えているようだった。
イブラムがやって来て、物怖じせずに泥を手で掬う。
「精巧に造られてはいるが、流石に意志を持って勝手に喋ったりはしないだろう。どこか遠くから操作するということも考え辛いな。必ず近くにいたはずだが……」
イブラムは首を横に振って、大きな溜息を吐いた。
「今から本物を探し出して叩こうなんざ、現実的じゃない」
「近くにいるのに、諦めるっていうの?」
「もういないだろうさ。偽の泥人形を使っていたんだ。すでに本体は安全な場所に逃げているだろうよ。ここらの物陰や脇道でも探してみてみるといい。きっと逃げるために使った術式の痕跡でも残っているかもな」
「かもなって……。それがわかっていて黙って逃がしたの?」
「低ランクのクエストしか受けたことないのか? 相手はチンピラ紛いの盗賊や山の獣じゃないんだ。力でゴリ押せばどうにかなるってもんじゃない。まずは相手の手の内を知ることだ」
「それでこの先どうやって捕まえるつもりなのよ!」
「どうにかして、あの警戒心の固まりに奇襲を仕掛けるしかないだろうさ」
「奇襲? また居場所を探すところから始めなきゃいけないってのに無理じゃん」
「無理をどうにかするのが特級クエストだ。なあ、クロノ?」
イブラムが雑っぽく誠司に話を振った。
もちろんイブラムも、誠司がクエストについてなにもわからないのは知っていたが、この冗談じみた他愛もない会話はノエルに遮られる。
「なあ、クロノじゃないだけど? あんたもルティンだってわかったなら、なんで死ぬ気で引き留めないの?」
「引き留めるもなにも、俺が会話をしているところにお前がちょっかいを掛けたんだろう」
「会話ってなによ? 大人しく捕まってくださいとでも交渉してたわけ?」
「俺が元居た家に帰るための話をしてたんだよ!」
「そんなものは、捕まえてから幾らでも吐かせればいいでしょう?」
「いいわけあるかよ! 俺の目的は帰ることなんだ! お前が俺の会話の邪魔をしてルティンを捕まえようとしたことを責めるつもりはないけどな? 俺だって責められる謂われはないぞ」
お互いの視線がぶつかり合い、火花でも弾けそうなところに、イブラムが割って入った。
「おいおい、やめようぜ? たとえ俺たちの目的がそれぞれ違っても、力を合わせないとどうにもならないから手を組んでいるんだろう」
イブラムの言い分はもっともで、誠司は俯いて口を一文字に結んだ。
ノエルは背中を見せて、逃げるようにまた夜の町へと姿を消した。
ルティンを探し始めてから、今夜は一番ルティンに近づけたはずなのに――まるで旅立つ前よりも手の届かないものになってしまったように思えて来るのだった。




