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クロノセージ ”時の魔術師”  作者: 葛西シロム
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五章 四話 酒場の男

 五章四話 酒場の男


 ルベダはすでに中庭に出てしまっていた。誠司も早く追いかけようと小走りになりかけたが、階段の途中で肩になにかが触れて足が止まった。

 部屋の隅に立っていた男が、隣に並びかけていた。

「あなたは……。バセップさんの臣下の方ですよね」

「ああ……。一言、謝っておこうと思ってな」

「謝る……? なにをですか」

 まさか誠司を訝しむような視線を送ったことだろうか。

 だが、それは自然な反応というものである。いくら主君の兄が連れて来た人間とはいえ、部屋の中にまで奴隷じみた半裸の男が入って来れば警戒するのが普通だ。

 誠司は苦笑いしつつ、なにも気にする必要はないと立ち去りかけたが、

「俺の名前は……、マルコ・ラッツィ。馬宿通りを取り仕切っている者だ」

 二三歩踏み出したところで、聞き覚えのある名前に背中を刺されたような衝撃を受けた。

 ただ、恐々と覗き込んでみた横顔に、見覚えはなかった。

「俺の記憶違いでなければ……その名前は、悪人のものだと聞いています」

 マルコ・ラッツィ――イブラムの話では、裏稼業の元締である。

 誠司は震えた声で弱々しく問いかけたが、マルコは否定することなく堂々と頷いた。

「ああ、そうだな。俺は顔と名前を幾つも持っているが、悪い人間なのは間違いない」

「冗談でしょう? そんな悪い人間が、領主の下でなにをしているんですか……」

「秩序を守りたい」

マルコは階段の手すりに寄り掛かり、なにを考えているのか形容しづらい顔で淡々と語る。

「脅しから始まり、詐欺や強盗、人の売り買い、酷いときには殺しも請け負う外道の世界だが……それでも秩序というものがある」

「……秩序?」

 マルコの闇に光る瞳は、不気味な魅力を纏って誠司を覗き込んでいた。

「そう、秩序だ。若い君には信じられない話かもしれないが、人間というものはある程度の悪は放っておく生き物だ。仕方がないものだと割り切って生きている。だから秩序なんだ。行き過ぎた悪というものは、反感を買って滅亡に向かう。恐怖の対象から、憎悪の対象になる。私の仕事は、悪というものの均衡を保って、悪を道具とする生業だ。悪を行うには、平和が必要なのだ。悪が溢れ返っては、それはその国の日常となる」

「悪行するために……平和を作る手伝いを?」

「おかしいか?」

 後退りしそうになる誠司に、マルコは真顔で続ける。

「フフッ……。貧する者に恵み、弱き者に手を差し伸べる……。たったそれだけのことができない世界で、悪も正義もあったものじゃないだろう? 富や権力などという絶対的な力を以て格差を作ることは許されるが、いざそれが無法によって脅かされると人はそれを“悪”だと罵る。吐き気がしないか? 悪なんて言葉自体が、人の作った都合ではないか」

 そう語ったマルコには、奇妙な魅力があった。

 もちろんそれが悪者の屁理屈だとは思わないでもなかったが、ここで誠司が青臭いことを言っても虚空に話しかけるような徒労である。マルコには響きはしないだろう。

 ただ誠司が黙って耳を傾けていると、マルコもはっとしたように話題を戻した。

「……おっと悪い、ルベダ様を待たせるわけにもいかないな。馬宿通りに足を踏み込んだとはいえ、無礼を働いたことを詫びようと思っていたんだ」

 ここで誠司は、マルコの謝罪の内容が理解できた。こんな仕事をしているのだから、情報の早い男なのだろう。誠司がこの男の手下共によって痛い目に遭わされたことを知っているようだった。

 しかし、そのことに誠司が不満を口にしようものなら、輪をかけて格好がつかない。

「気にしないでください……。ザタンさんが助けてくれましたから……」

 それだけ言って去ろうとする誠司だったが、

「一つだけ、良いことを教えよう」

 マルコが再び呼び止めて、詫びの代わりといわんばかりに言葉を差し出した。

「君の追いかけているルティンのことだが、実は学術所から逃げた人物は三人いるんだ。これは表には出回っていない情報だが、すでにルティン以外の二人は死体として見つかっている……」

 わずかに眉を顰めるだけで、点と点を線に結べない誠司に、マルコは丁寧に続けた。

「わからないか……? いくらルティンと言えども、学術所の監視から逃げ出したあと、たった一人で魔術を行うことは極めて困難であった、ということだ」

 マルコは誠司の耳元で囁くように会話する。

「つまりルティンがもう一度動くなら、どこかで協力者を集めないといけない。したがってバセップ様は、首都であるアゼリアの町に網を張っているのだ。魔術を使えるような高等なアトン式を扱える者は、学術所にしかいないだろうからな。そこでルティンを見つけて捕まえる予定だ」

「……捕まえてどうするんですか」

 こと現状に至っては、捕まえることよりもその後が重要だと誠司は思ったが、

「かくなる上は、ルティンに被れるだけの泥を被ってもらうのだ。もし魔術を使えるなら、利用できるだけ利用もしよう。後は歴史の大罪人として公に裁かれてもらう。あの男も国のためなら喜んで悪人になるだろう」

「ルティンに協力するつもりはないんですか! 敵はルティンではないでしょう? 自分たちに都合が良ければ禁止された魔術も使い、罪はルティン一人に被せるんですか!」

「バカを言え。最初からルティンもそのつもりだから、一人で行動しているのだ。我々はそれを秘密裏に手伝ってやるだけ。政治には善も悪もなく、嘘も誠もないのだ。常々九の民を活かすために、一の民に死んでもらう判断をひたすらに下していくのだ」

 マルコは言い終えると、野良犬でも追っ払うように手を振った。

 誠司は暗闇の中で不気味に光るマルコの瞳にもう一度振り返ってから、ルベダの元に急いだ。

 屋敷の象徴のような重厚な金の扉を、身体一杯で開閉してから中庭に出る。

 ルベダが先に出て待っていた。その双眸は月光に照る白い花弁に向けられていたが、表情から察するに美しい花のことなど頭の片隅にも無いように思い詰めているようだった。

「すみません、お待たせして……」

 誠司は追いついてから、自分が驚愕したマルコの正体をルベダに教えたが、意外にもルベダは驚く様子がなかった。

「家を出たとはいえ、監視の目が無くなるとは思っていなかったからな。なにせ、領地についての情報を持ちすぎている。ただその役目はザタンだけかと思っていたが、マルコというあの男もそうだったのか」

 イブラムがマルコと領主が繋がっていることを知らないのは、領主の保険だろうとルベダは言ったが、たった今その事実が明かされたのはそれぞれの胸中の変化だろうか。

 自分の周囲でさえ他人の心がわからない誠司にとっては、他人の周囲などフィクションの世界に似たものである。

「久しぶりに会ったんですよね……。こんなにすぐに帰るんですか?」

 聞きたいことだけを聞いたら、逃げるように帰ろうとしているルベダに問い掛けたが、

「他の人間に見られないうちに帰るのが気遣いというものだ。妙な噂が流れては、お互いにとって良いことがない」

 ルベダがそれらしい言い訳を口にしたが、本音が違ったところにあるだろうことは、誠司にすら容易に読み取れた。

 実家に対して負い目のような感情がある誠司にとって、ルベダの気持ちは察せられる。理由をつけて帰っては、理由をつけて出て行くのである。自分で帰っておいて、居心地が悪いのだ。それは人情のようでもあり、義務のようでもある行為なのかもしれない。

 そんなことを考えながら、行きと同じく地下道を辿って、ルベダの地下室を通り過ぎると、馬宿通りまで戻って来た。

 てっきり地下室に戻るのかと思いきや、考えもなくルベダの後をつけていたら、初めに地下道へと繋がっていた部屋にまで戻っていた。

「外に出るんですか……?」と、唯一の出入り口である窓から馬宿通りに出る。

「もう用事は済んだろう? ザタンはその部屋からしか地下へと入る道を知らないはずだ。ここらで待っていれば、いずれ姿を見せるはずだ」

 ルベダはそれだけ説明すると、しばらく一人になりたいと言って、誠司を置いてどこかに消えてしまった。

 唐突に手を差し伸べてくれたり、帰りたくもないはずの実家に乗り込んだり、かと思えば途端に独りでどこかに消えてしまう。やる事が傍から見ると突飛な性格に思えるのは、変わり者なのか天才ゆえの思考回路なのだろうか。

 とにかく誠司はひとりになってしまったので、近くで目に入ったオープンテラスのある店の前でしゃがみ込んで、いつになるかわからないザタンの帰りを待つことにした。

 誠司の背後では、扉のなくなっている店内からわずかな明かりが外に漏れているのがわかった。

 客はいないようだが、店は経営しているのかもしれない。やがて一人の男が誠司の横を通り過ぎて店の中に入っていくと、外のテーブル二つの酒瓶を置いて誠司に声を掛けてきた。

 どうやったのか、男は指先でテーブルの上に釣り下がった壊れた電球に白い光を灯した。

「暇なら、話でもしないか……?」

 辺りに人影はない。誠司は驚きながら男に振り向いて、まさか自分に話しかけたのかと、鼻先に指を当てて視線を送った。

「そうだ。他に誰がいるというんだ」

 改めて男の顔を覗き込んで見るが、初めて見る顔であった。

「……暇つぶしですかね? 失礼ですが、初対面ですよね?」

 とりあえず向かいの席に座った誠司に、男は不思議なことを返す。

「ふふっ、どちらとも言えるな」

「どちらとも……? どこかでお会いしましたか」

 念のため聞いてみたが、誠司には目の前の男が見たことのない人物だと確信があった。

 男は褐色の肌に、深い青の長髪を目元に垂らしていた。顔に大きな特徴はないとはいえ、やはり誠司の記憶の中には存在しない。

 ここの国々にやって来てから、出会った人物などたかが知れている。どこかですれ違った程度の面識で、この男はこんなことを言っているのだろうか。

 戸惑う誠司の前で、男はさらに驚くことを話し出した。

「こっちも切羽詰まっている状況だ……。しばらく放って置いてしまったことは多めに見てほしい」

「……放って置いた? なにをですか?」

「君のことに決まっているだろう。クロノ・セージ殿……」

 名前を呼ばれたことに、まず驚いた。こちらに来てから、他人に名前を語ったことなど数えるほどしかない。誠司は目の前の男に食いつくように、質問を投げかける。

「どうして俺の名前を知っているんですか!? 俺は、あなたに会ったことなんて――」

 誠司は言いかけて、全身から凍るような冷たい汗が噴き出すのを感じた。

 もし――もし、目の前の人物が、誠司が自分から名前を名乗ったことのある人物だとするならば、それは口にするのも恐ろしくて憚られる、一つの可能性が頭に過る。

「あんたは……」

 いや、しかし、それはあまりにも堂々と。あまりに大胆に。まるで町中でたまたま見かけた友人に声を掛けるような気軽さだった。

「あの時はパニックになって逃げだしてしまってすまない。天才などと言われようと、所詮は俺も人の子なのだ」

 あの時は――その言葉は、過去を共有するときにしか使われない台詞だろう。

 言葉を失う誠司に代わるように、男は惜しげもなく自分の名を明かすのだった。

「改めまして、自己紹介させてもらおう。俺の名前は……フェミマール・ルティン。現在国を揺るがしている元凶であり、魔術の術式を持ち出した大罪人だ」

 逃亡中の身であるために、顔は変えさせてもらっている。

 ルティンが付け加えて話したが、誠司の耳にはもはや届いていなかった。

 ただ呆然とルティンを見つめながら、じっと動けずにいた。目の前の男を見つけ出して、果ては捕まえるために苦労していた矢先、自分の目の前に目的の男が座って話しかけて来ている。

 ――どうすればいいのだろうか。腕づくで押さえつけるべきか。そもそも押さえられるのか。何の目的でここに現れたのか。

 とめどなく溢れて来る思考の波を堰き止めたのは、ルティンの口にした言葉だった。

「巻き込んですまなかったな……。あいにく俺は、お前さんがどこの誰だか知らないが、ただ君を元居た場所に戻す方法があることを伝えに来たんだ」

 静寂の闇夜に釣り下げられた白い電球の小さな光が、地獄に垂らされた白い糸のようだった。


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