五章 三話 コルドー兄弟
五章 三話 コルド―兄弟
ルベダの足取りは速い。迷路のような暗い地下道を、迷うことなく進んでいた。
「この道が……お城まで繋がっているんですか?」
誠司ははぐれないようについていくだけで一杯だった。二人分の足音が不気味に響いている。
「出入り口は幾つもあるが、城に繋がる道は一つだけだ」
「もしものときの脱出経路ですよね」
「建前はな……。代々、多くは逢引に使われた」
「逢引……」
「我々の代まで、コルドー家は代々好戦的な一族だったんだ。たとえ殺し屋だろうとお客さん扱いでな。抜け道は町へとこっそりと繰り出すために使っていただけで、危機管理の意味合いは形骸化してしまっている」
「道さえ知っていれば、誰でも入れるってことですか……?」
「そういうことだな」
つまり、危険な地域の『馬宿通り』と、領主の住む『フィジー城』が地下で無防備にも繋がっているのだという。
誠司は大げさな表現じゃないかと疑ってかかったが、そのうちルベダが地下道の中にあった長い階段をしばらく上がると、扉の一つもなく地上に出た。
青々とした芝生に、星のような白い花が綺麗に植えられている庭だった。月明かりに、ぼうっと花弁が輝いている。
周囲を赤茶色の壁に囲まれて、背後に閂付きの立派な扉と、前方に飾り柱を設えた黄金の扉が見えた。
ルベダは、気軽に開けることすら躊躇われそうな黄金の扉に近づいて取手に触れた。
「ルベダさん……ここは?」
「弟の寝室だ。まだ明かりが見える。起きているのだろう」
無意味に辺りを気にする誠司をよそに、ルベダは領主である弟の寝室に入っていった。
開けた扉の隙間から、月明かりが差し込む。
中央に大きなシャンデリアが吊られていたが、その明かりは落とされている。一階は暗く、黄色の絨毯が伸びた先に二階へと続く階段が見えた。左右の壁に、黄土色の旗が飾られている。交差する稲穂に、大地を駆けている馬が描かれていた。
誠司はなんだか空き巣にでも忍び込んだような気分で、ルベダの後ろを歩く。
一方でルベダは堂々と階段を上ると、入り口の扉と同じように躊躇なく光の漏れる二階の部屋を開いたが、そこで一人の男とかち合った。入った途端、男のほうが驚いていた。
「なっ……、ルベダ、様……?」
「お前は、誰だ……?」
「いやっ……私は……」
男は慌てた様子で振り向いて、後ろに控えていた領主と思われる男に目で訴えかける。
「こんな時間に誰かと思えば……兄上ですか!」
「久しぶりだな、バセップ……。とある急用で訪ねさせてもらった」
男は道を譲って、部屋の隅へと立ち退く。
誠司に向ける目だけが警戒を研ぎ澄ませていたが、ルベダには敬意を持っているようだった。
バセップと呼ばれた領主の男は、誠司を一瞥してからルベダに問い掛けた。
「察しはつきます……。ですが兄上、どうして唐突に?」
「思った以上に事が大きそうなんだ。政には興味がないが、私の友人が窮地に立たされている」
「ルティンのことですね……? 私も配下を通して情報を集めていますが、未だに姿を暗ませているようです。兄上は何かをつかんだのですか?」
「まだ仮説に過ぎない……。むしろ外れていることを願うばかりだが……」
ルベダは部屋の隅に立っている男を意識して、すぐに話を進めようとしなかった。
「あれは誰なんだ……? しばらく来ていなかったが、昔からの家臣ではないな」
「あいつは十年前ほどに、私が拾って直臣にしました……。信頼はできる男ですが……」
「珍しいな。俺も知らない家柄の男を直臣にするとは。イブラムといい、あの男といい……お前もなにか企んでいるのか?」
ルティンのように――。それはルベダの質の悪い冗談であったが、バセップが言葉に窮した様子を見せたので、空気は重くなった。
「私も領主として……口に出せないことの一つや二つはあります」
「……まあ、そうだろうな。今更になって俺が、お前から何もかも聞き出すつもりは――」
聞き出すつもりは、なかった。
ルベダも家を捨てた身である。相手が実の弟とはいえ、今頃のこのこと城にやって来て、領地の政にまで口を出すのはお門違いだと知っていたが、
「ですがっ! 兄上には、話しておきたい!」
「……なに? 話してどうするんだ」
「それは……」
バセップは葛藤を含ませて迷った風だったが、この瞬間にルベダが訪ねて来たことを運命のように感じて、口を開いた。
「私が……危ない橋を渡っているからです……」
弟の口から聞かされる不穏な台詞は、なにか理由が潜んでいるようだった。
「危ない橋、か……。苦労しているようだな」
捉えようによっては、領主が私腹を肥やしていることも考えられる言葉を、ルベダはそんな可能性など最初から排除して返した。
「もし私が消されるようなことがあれば……やはり兄上が領主にお戻りください」
「物騒だな……。なにをしたら、誰に消されるというんだ」
バセップは言いにくそうにしながら、重たい口を動かした。
「ウェンスギー現国王……デール・アレクサンデル・ピエル王と、その側近に……」
「ウェンスギー……現国王だと?」
ここでもその名前が出るのは、もはや偶然ではないのだろう。
ルベダは自分の欲したものを見つけたように、バセップに興味の視線を注いだ。
「はい……ただ、これ以上を話せば兄上も無関係ではいられないかもしれません」
「かまわない、全部話せ。俺の命など、奪うほどの価値もない」
「まだそんなことを……。しかし、わかりました。覚悟があるなら、お話しましょう」
バセップは部屋の隅にいる男に目配せしてから、男の「近くに人の気配はありません」という言葉を確認すると、忍ぶような声で語り出した。
「ウェンスギーに送る米のうち……半分以上の産地を偽装しています。そして正当にこの領地で作られた米に関しては、賊軍に襲わせて幾らか回収しています」
「産地の偽造だと!? ……バセップ、本気で言っているのか!?」
ルベダは声にならない声で問い掛ける。
「本気であり、本当です。実はこれは王命でございました」
「なに、王命だと? なんの得があるのだ! ウェンスギーに知られれば、なにか企んでいると因縁をつけられてもおかしくない話ではないか」
「そうです……。密かに戦の準備は進められていたのです。シエドとカイトラ……この二国が同盟を組んで、ウェンスギーを叩く予定でした。このフィジーの町からウェンスギーに送る米の半分以上は、シエドの国で作られたものです」
「シエドも噛んでいるのか……!?」
「はい。しかし、この計画はカイトラ三騎のうち二つの家の裏切りによって崩れ去りました。そればかりか、王様は二つの家に主権を奪われる形に」
「ロフィー家とクレス家か。ウェンスギーの国についたということか?」
「そう考えるのが自然なのですが、両家は遥か昔から義理堅い武人気質でした。今頃になって欲に駆られて裏切るとは考えにくいのですが……」
白熱する議論の横で、誠司は置いてけぼりになっていた。
たまに部屋の隅から男の視線が誠司に刺さるのがわかった。やがてバセップも、突然の兄の来訪から落ち着くと、そこに金魚の糞のようにくっついて来た誠司に触れる。
「それより兄上……そこの青年は誰なのです? ただの召使いならば、聞かれていい話ではありませんよ」
「心配ない……。私の信頼している者だ。そして王様がウェンスギーを敵視しているように、我々も彼の国が裏で糸を引いていると考えてここに急いだ。突飛な話になるのだが、バセップ。お前は、ウェンスギー国内に魔術師の心当たりはないか?」
ルベダが明日の天気でも知りたがるように訊くので、バセップは一時の間を置いてから、遅れて驚いた声を返した。
「……えっ、魔術師ですか!? 兄上、そんな人物が存在すれば大事ですよ。もちろん、ウェンスギーにも魔術を担当する学術所の人間はいるでしょうが……、魔術を使用することは誰しも禁止されています。許されているのは、古代文字で書かれた術式の解読のみです」
「そんな常識的な建前はどうでもいいんだ。可能性の話を聞いている」
「可能性なら、学術所の誰かになるでしょう。しかし、魔術とは得体の知れないものです。魔術を知らずして、魔術師を断定することはできません」
「魔術なんぞ、古のおとぎ話だと思っていたからな。しかし、ルティンは実現に近づいたには違いないんだ。なにか手掛かりがないものか……」
そう呟いて、ルベダがふと思い出したように誠司に目を向けた。
「そういえば……クロノと言っていたか?」
目まぐるしい一日のなかで、誠司はまだ名乗ってもいないことに気がついた。
次の瞬間には驚かれることを知りつつ、誠司は禁句のようになっている自身の名前を口にする。
「黒野……、誠司です。あんまり良い名前じゃないらしいですけど」
「なに? 時の(クロノ)……、魔術師!?」
「たまたま響きが同じなんです。俺は、魔術師とやらじゃありませんよ」
「それは、そうだろうが……果たしてそれは偶然なのか?」
ルベダが誠司の名前に困惑していると、バセップが隣で何かを閃いたように手を打った。
「時の魔術師、ですか。そういえば兄上、古の魔術師は……四人でしたね」
ルベダは手をひらつかせながら、首を横に振った。
「あれは“アトン術式の限界四項”から噂された伝説だ。お前も知っているだろう?」
「アトン式が不可能とする四つの項目でしょう。アトン式は、時間、精神、生命に干渉できず、無から有を生み出すこともできない」
「そうだ。アトン式が魔法とも呼ばれるのは、あくまで法則だからだ。そして魔術が怖れられている理由は、その限界四項に干渉できると考えられているからだ」
ルベダは大きな溜息をつきながら、一人壁に向かって背中を見せた。
「これがルティンとの差だな……。俺では真実に近づけそうにもない」
「兄上も十二分に賢いですよ」
それはバセップの本心であったが、そんな賞賛に対しても、いつもルベダは自虐に使うだけだった。
「その賢さが役に立ったことがあったか? 地下で自分の研究をするばかりだ」
「領主に戻るなり、公の研究職に就くなりすればよろしいじゃないですか」
「ふんっ……疑わしい血だぞ。それゆえに力もない。堂々と表に立つことなどはできん」
「くだらない噂です。私は兄上を疑ったことはありません。父上も母上もそうです」
「私もそう思いたいものだな……。だが、貴族が貴族でいられる理由は、アトン式なのだ。脈々と受け継がれるこの血こそが、アトン式を継承するのに必要な要素なのだとすれば、私には領主になる資格がない。領民が認めないだろう」
壁に指していたルベダの靴先が、部屋の出入り口となる扉に向いた。
領主である弟のバセップからは情報を引き出したので、これ以上の用はないということだろう。
長居もせずに帰るという意志の表れだった。
「領主の資格が民に認められることなら、兄の資格は弟に認められることではないですか!」
バセップの声も虚しく、ルベダは逃げるように部屋から立ち去ってしまっていた。
「クロノ殿……、ザタンと一緒に兄上を頼みます」
続いて部屋を後にしようとする誠司に、バセップはそれだけを伝えた。
バセップに信頼を預けられるほど、ルベダと深い仲ではないのだが、自分にできる限りのことならという体で、誠司はわずかに振り向いてお辞儀をすると部屋を後にしたのだった。




