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クロノセージ ”時の魔術師”  作者: 葛西シロム
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四章 五話 ザタンの兄貴

 四章 五話 ザタンの兄貴



 ただ、時は心の整理を時は待ってくれなかった。

 イブラムと落ち合ったなら、仕事の話を進めるのが自然な流れである。

 どこで話そうか、という話題になって、ノエルはここでいいとソファにふんぞり返っていた。

 気を失っている坊主頭の男を部屋の隅に寝かせて、誠司も含めた三人で椅子に腰掛けた。

 手始めにノエルが、坊主頭の男を指して訊ねる。

「あれがマルコ? ずいぶんと弱い男ね」

 イブラムは男を一瞥してから、わざとらしく口角を上げた笑顔で首を横に振った。

「顔つきは、あれだと思ってくれていい。ただし、こんな通りで仕事を引き受けている人間だ。滅多に人前には姿を現さないんだ」

「なに……、影武者ってこと?」

「そんなようなもんだな。あの男には、首から上だけ姿を変えるアトン式を使っているはずさ。末端の手下どもは、本物だと思っているみたいだが、マルコはもう少し背が高い」

「用心深いのね。やっぱり一筋縄じゃいかないか」

 ノエルは足を組み直して、肘掛けに頬杖をついた。イブラムに会ってからここまでの間、なにか彼に向ける視線が不満を宿している風だった。

「それよりも……あんた。もしルティンを捕まえたら、賞金の四分の一を貰っていくつもりなのよね? それだけの役には立つの?」

 明らかに挑発的な物言いだったが、イブラムは笑って受け流す。

「そのつもりだが、オッドだってバカじゃないんだ。俺があいつの店に手配書を届けることになったのは幸運だと思ってほしい。今のカイトラは人手不足なせいで、俺があちこち走り回らなきゃいけないことが多い。小さな村の婦女の噂話から、色々な領主の愚痴まで幅広く耳にする。情報量ならマスタークラスにも負けやしないつもりだ」

「へえ、ぜひとも2500万セリエの愚痴や噂話があるなら、聞かせてほしいものね」

「ははっ、手厳しいな!」

 イブラムは手を揉みながら、この時まで穏やかだった顔つきを引き締めた。

「カイトラ三騎のうち――うちの領主を除いた、二つの領主に王は軟禁されている」

 小さく低く、絞られた声は、事情がわからない誠司にも事の重大さを教えてくれた。

 ノエルも前のめりになって、ひそひそと言葉を返す。

「……軟禁? 王様が!?」

「正確には首都の隣に領を持つロフィー家が実行して、クレス家がそれを黙認している。表向きには病床に伏せる王に代わって政治の指揮を執るという名目だが、やってることは強盗そのものだ。王の私兵は、内乱が起きないように王様自らが行動を抑えさせている状態だ」

「そんなこと……なんの得があるの?」

「ロフィー家とクレス家は、先の時代に負けたスーガの国との戦争を王族の責任だと考えている。そのせいで援軍を送ってもらった報酬にウェンスギー国へ徴税権を渡した土地は、三騎の領も含んでしまっているんだ。恐らくロフィー家とクレス家は……、王家を取り潰して得た土地を、失った土地の補填とするつもりだろう」

 イブラムは淡々と語っているが、その内容は脈々と続いてきたカイトラ王家の歴史に終止符を打つことである。たとえ愚鈍であれ、王族というものは領主とは違って特別なものだ。民や文化や風習など、その国のすべてを入れる器と言ってもいい。

 現状、いくら政治の失策として日々の生活が苦しくとも、民はそれを理由に家臣の反乱を許すほど積み重ねてきた歴史は浅いものではない。

 ノエルは他国の人間とはいえ、通常の感覚としてそのことをイブラムに述べたが、

「そのことなんだが……王はなにか国を、民を揺るがすほどの秘密を抱えているらしい。さすがにその内容までは俺の領主も知らない様子だったが、事は単純じゃなさそうだ」

 これは俺の勘だが――と、イブラムは付け足して、

「このタイミングでルティンが逃げ出したのは、偶然のわけがないだろう。いや、なんならルティンが一番この事態の真相を知っている……そんな気がしないか?」

 まるでロマンチックな夢を口にするように、イブラムの顔が穏やかな笑みに戻った。

 それからは、あーだこーだと互いの知る限りを語り合っていたノエルとイブラムであったが、肝心の真相に近づくための鍵は霧の中に隠れたままだった。

 話が煮詰まらないとみると、ノエルは棚のガラス戸の中に並べてあった高そうな酒を手に取り、栓を開けて勝手に飲み始めてしまう。

「自由な女だな! でも嫌いじゃないぜ!」

 自分の家で冷蔵庫を漁るように、イブラムも幾つかの酒を吟味して好みのものを選んだ。

「クロノも飲もう! 大げさだが、せっかくの再開だ!」

「俺は……」結構です、とも言い切れず、誠司も嫌な予感がしながら適当な酒を受け取った。

 当然のことながら嫌な予感とは、隣に座っている女のことである。

 いかにも高級なお酒を口に含んで、燻した木のような香りが鼻から抜けるのを感じながら、隣の女に目をやった。今日もノエルは酒の妖精に人格を乗っ取られて、大変ご機嫌なようである。

「てか、あんたさぁ!」と、半裸の素肌をバシバシと叩かれながら始まった。

「なんだよ……」

「怪我してるでしょう! 大人しくしてろってのに、まさか戦いでもしたんじゃないでしょうね?」

 身体の傷よりも、胸のうちの傷を抉られるような言葉だった。

「こっちも大変だったんだよ。お前が攫われてから、男たちに袋叩きにされて、イブラムさんが来なかったらどうなってたかもわからなかったんだ」

 袋叩きにされたのは自分のせいだったが、そこを掘り下げるにはあまりに格好がつかないので黙っておいた。

「だからマルコとかいう男を引っ叩いて、すぐに戻るつもりだったのよ?」

「そもそも俺たちの目的はイブラムさんと会うことだったろう? お前が思いつきで動くから、俺が混乱しちまったんだ!」

「ふーんっ……! まっ、一理あるかもね! わたしは一人でいることが長かったから、他人のことまで頭が回らないんだけど、たしかにあんたを一人で置いていったのが軽率だったわ」

 悪気はないのよ。そう言ったノエルに悪気がないのは、誠司も知っている。

 つい語気が強くなったせいか、誠司が置いて行かれたことに不満を漏らしているのだろうと勘違いされてしまったが、そんなことは微塵も問題ではなかった。

 問題なのは――自分自身の情けなさである。どうにか自分がノエルを心配していたことを伝えたかったが、結局はイブラムに助けられただけで、ノエルも無事で、行き所のない気持ちだけが強い語気となって出てしまった。

「夜まで空けるわ。紹介所で準備や手続きを済ませておいて、ルティンの情報が出回ってないか調べてくるから」

 ノエルは酒瓶の中身を一気に飲み干すと、熱くなった喉を冷ますように長い息を吐き出した。

「一人で行くのか? 俺は……」

「あんたはイブラムと一緒にルティンについて考えておいてよ。わたしはそういうのが苦手だから、動きやすいようにしておくから」

「そ……そうか」

 なんだか寂しいのも、自分だけなのだろうと誠司は思った。

 ノエルは効率よく仕事を進めたいだけに違いないが、それを侘しく感じるのは否めない。

 誠司は物思いに耽るような顔を、イブラムに笑われてしまった。

「どうしたクロノ、悪いものでも食べたような顔してるぜ?」

「えっ、いや……なんでもないです」

 目は口ほどに、ならば顔は心を曝け出すほどにものを言うのだろうか。

 イブラムは何もかもをお見通しとでもいうように、

「言うじゃないか! たかだか惚れた女のことなんて、なんでもないってか!」

「ほっ……惚れた女? 違いますよ」

「それだけ心を痛めるのに、他人なわけがないだろう?」

「他人とは言いませんけど……惚れるとか、そんな甘い感情じゃ……会ったばかりですし」

「会ったばかりでなにが悪い? 本当に好きかどうかなんて、後々わかることさ」

「後々……」と、誠司は言葉に詰まってしまった。

 たしかにノエルのことを異性として見ていなければ、この落胆した心情に説明はつかない。

 好きではないと、自分に言い聞かせている幼稚な部分を、イブラムには見抜かれたのかもしれなかった。

 イブラムは窓の外の景色を眺めているようで、その実虚空を見つめながら、

「人間なら、いずれ醜い部分や、受け入れがたい部分が見えてくる。そんなとき、恋が冷めれば幸せなものさ。しんどいのは、冷めないときだな。相手の醜い部分と向き合って、受け入れがたいものを受け入れないといけない。それに受け入れたところで、見向きもされなきゃ苦しいものだし、実らない恋は胸が張り裂けそうだ。自分がちっぽけに見えて、天にも見放されたような気持ちで、こんな思いをするくらいな出会わなきゃ良かったとさえ思う。なのに、それでも明日はやって来るし、ちっぽけな自分を鏡や水面で見つめながら毎日を過ごして、ああ“俺は彼女さえ隣にいてくれるなら他になにもいらない”と天に祈ってみても、お空の上の神様はそんな俺をバカにするように何も叶えちゃくれないもんだ。しかも酷い時には、見たくもないのに、他の男と歩いている彼女を目にしたり、噂を耳にしたりもする」

 ――なあ、俺たちはなんで恋なんてするんだろうな。

 イブラムは途中から自分のことを話しているかのように、憂鬱な顔を浮かべていた。

 過ぎ去った昔の恋を思い出しているのだろうか。

「イブラムさんでも……そういうことがあるんですか?」

 誠司は単純に、興味を口にしたが、

「俺でもってなんだ? 俺がモテそうに見えるのか?」

 そう言われて、まじまじとイブラムを見てしまった。

 イブラムは頭一つほど背丈が誠司よりも大きく、高い鷲鼻を持っていて、スマートな顔をしている。黒々としたくせ毛の長髪のも似合って、まるで絵本のなかの騎士のようだった。

 そして何よりも、強くて逞しい男である。色恋に女々しく心を痛めるとも思えず、誠司はそんな男が自分と同じ目線で語ってくれているが不思議であった。

「俺みたいな人間よりは、卑屈に生きることも少ないでしょう」

「雇われの傭兵をそんなに高く買ってくれる人間も珍しいな。フリーターみたいなもんだぜ? 貧しい家に生まれて、まともな定職に就くこともない人生だ」

 イブラムは、憂鬱な雲を吹き飛ばすように溜息吐くと、糸で口角を釣り上げたようないつもの笑顔を取り戻してから、

「ただな、俺は最後の最後には自分が天命に打ち勝つと信じている。信じているからこそ、最後に勝つまでの敗北や挫折ってのは、その過程に過ぎないもんさ」

 穏やかだが、確かに芯のある声だった。

「それは……現実にいる小さな自分自身を知っていても、ですか?」

 誠司は声をか細くして訊ねた。誠司だって、イブラムのように前向きに生きていたい。

 だが、それをさせないのが水面に映る自分というものではないだろうか。変に希望を持っていると、それが折れたときに二度と立ち上がれないのではないかと怖くなる。最初から諦めているという在り方が、いわば心の平静を保つための自己防衛なのではないかとさえ思ってしまう。

 誠司は口にこそ出さないものの、そんな胸中は雰囲気で伝わってしまったのか、イブラムはガラスのテーブルに酒瓶を叩きつけるように置いて、大きな声と身振りで思いの丈をぶつけてきた。

「勝利が約束されていなきゃ、戦うことすらできないのか?」

「いや……分相応って生き方が、俺には似合ってるんじゃないかって……」

 イブラムの圧力から逃げるように、誠司は思わず首を振りかけたが、

「クソみたいな人生で、勝てそうな勝負だけを選んで生きていくのか? 俺たちはいつだって、一生のなかの一瞬を生きているんだぜ。いつだって、今この瞬間にすべてを捧げる価値があるんだ」

 手に持っていた酒瓶を取り上げられる。

 決して真面目な話をしているから、というわけではなかった。イブラムは単純に手持ちがなくなったので、一番近くにあった誠司の酒を自分の物として説教を続けた。

「すべてを捧げるってのは、文字通りこの瞬間だけのことだ。だから過去を悔いたり、先の未来に頭を抱える余力はない。ただ目の前のものに必死になってみろ。そんなときにだけは……卑屈な自分を忘れられるものさ」

 八分目まで中身の残っていた酒瓶が、また空になって机に並んだ。

 それでも飲み足りないのか、イブラムは再び追加の酒を棚に取りに向かっている。すでに陽気な様子で、身体は温まっていた。

 誠司もそんなイブラムの背中を見て、身体が芯から熱くなった。酒のせいかはわからない。

 ただ今だけは、少しばかり勇気が湧いた。イブラムの言葉が後押ししてか、勇気は奮い立っているうちに使わなければもったいないとすら思えた。

 ほとんど無意識に、酒を物色するイブラムに声をかけていた。

「イブラムさん……頼みがあるんです……」

「頼み? 待ってろ! 酒なら今持っていくぜ!」

「酒じゃないです! 俺……具体的にはよくわからないけど、強くなりたいと思いました!」

「なにぃ? クロノ、酒に強くなりたいのか?」

「酒じゃないです! お酒じゃないんです! 俺自身が強くなりたいんです!」

 イブラムは幾つも抱えようとしていた酒瓶をすべて棚に戻すと、やっぱり名残惜しそうに一本だけ手に取ってから、

「なんだ、安心したぜ! 他人を酒に強くする方法なんて聞いたことなかったからな!」

 誠司のいるテーブルには戻らず、表に面した窓に足を掛けて手招きした。

「だけど、強くなりたくて獅子に教えを乞うのは正しい判断だ!」

「イブラムさん……」

「ザタンと呼んでくれ! 今から俺は、お前の師となり、兄となろう! ハハッ!」

 イブラムは窓から飛び降りると、外から元気な声を張り上げて誠司を急がせた。

「クロノも飛び降りろ! お前が振り絞った勇気に比べれば、たいしたことじゃないぜ!」

「……はいっ! ザタンさん!」

 誠司も考え無しに、勢いよく窓から階下へと飛び降りていた。

「ぬわあぁぁ~~!」

 しかし、結論から言えば――普通に足を挫いたのだが、意外にも後悔はなかった。

 イブラムに背負われながら、彼の目指す場所へと一緒に連れられて行く。


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