四章 四話 ちっぽけ
四章 四話 ちっぽけ
そこからの出来事は瞬く間であり、イブラムという男の独り舞台であった。
「イブラムッ! クソッ、なんで戻って来やがった!」
丸鼻の男が動揺しながら、半ば自棄になってイブラムに襲いかかったが、
「ちょっと情報を吐かせるために人を小突いたら、半殺しにしちまったんだよ! 起きてもらわなくちゃ話も聞けないから、アトン鉱を譲ってもらいに戻ってきた次第だ」
丸鼻の男の拳が届くよりも早く、イブラムの長い脚が半月を描いて頬を捉えていた。
カウンターまで吹き飛ばされた丸鼻の男は、白目を剥いて泡を吹いている。
「よ、よお、イブラム! アトン鉱……っ! アトン鉱が必要なんだな!?」
鼻の高い男は慌てて自分の懐を探ろうとしたが、イブラムは会話も交わさずに、その脳天に踵を振り下ろして床に叩きつけてしまう。
「こんな状況を見せられて、アトン鉱だけで許して貰おうと思ってるなら、お前の頭は相当なお花畑だな?」
二人の男が気絶したあとで、イブラムは誠司を支えるように抱擁する。
「なんだよクロノ~~、ケンカするなら呼んでくれよな!」
誠司の死にかけた様子を見ても動じることなく、イブラムは鼻の高い男の身ぐるみを剥がしてアトン鉱を取り出した。
イブラムは店の奥に向かうと、カウンターの中からアイスピックを取り出して、アトン鉱を細かく砕いていた。それから適当な酒瓶の栓を一つ開けると、砕いたアトン鉱を酒の中に混ぜて上下に強く振った。
「即席だが、こいつで多少はマシになるだろうよ」
イブラムは戻って来ると、誠司の上半身の服を破り捨てて酒を浴びせかけてきた。
「イブラムさん、なっ……なにを?」
「アトン鉱を溶かした酒だ。浅い傷ならすぐに治るさ。自分で身体に塗り込んでくれ」
アルコールのせいなのか、身体が焼けつくようにひりついた。
だが、イブラムを信頼して言われた通りに身体に酒を馴染ませると、流れていた血の大半が洗い流されて止まり、重かった身体も軽くなったような気がした。
「すげえ……。これ、治ったんですか?」
「切り傷なんかはだいたいな。もっと知識のある人間ならしっかり治せるんだろうけど、俺はそういうのはよくわからないんだ」
「いいえ、ありがとうございます。だいぶ楽になりました」
イブラムは笑いながら席に着くと、何かを探すように辺りを見回して、
「それよりも、ノエルって女はどうしたんだ? オッドから連絡は貰ったが、クロノと一緒にノエルって女がこっちに来るって聞いてたんだが」
「あっ、そうなんです! ノエルを助けなきゃ……手伝ってくれませんか!?」
誠司は慌ただしくイブラムを連れ出そうとしたが、イブラムは落ち着いた様子でこれまでの経緯を訊ねてから、椅子に深く腰掛けたままに話を続けた。
「連れ去ったのはこの二人と一緒にいた太った男だろう? それなら心配いらないさ」
「なにが心配いらないんですか! マルコっていう男のもとに連れていかれたんですよ!」
「それなら不運なのはマルコのほうだな。オッドから聞いた話だと、ノエルってのは性格に難がある代わりに、腕っぷしだけは俺に引けを取らないそうだ」
「性格に難がある代わりにって……。でも、女の子ですよ?」
「関係ないだろう? そもそも攫われるときに抵抗してたのか?」
「抵抗……? それは、そう言われると……」
ノエルはあまりに呆気なく連れていかれたような気がした。
「だろう? たぶんわざとさ。マルコってやつがここを仕切ってると踏んで、攫われる振りをして案内させたのさ」
イブラムの経験から来る推測は、誠司の拙い混乱から生まれた考えよりも、遥かに説得力があって腑に落ちるものだった。
――あんたはそこで大人しくしてなさい! 余計なことしないように!
思い返してみても、ノエルの声色は自信に満ちたものだったように思える。
だとすれば、誠司がここで大人しく待ってさえすれば、いずれノエルは無事に用事を終えて戻って来るに違いない。
追いかけて探し出せば、自分から待ち合わせ場所を放棄するようなものだ。
「大丈夫、オッドが選んだフリーターだろ?」
イブラムにも諭されて、誠司もそういうものなのだろうと理解した。
ノエルも、オッドも、イブラムも、みんな自分より優秀な面々だ。
だから、もしみんなと意見が違えたなら、きっとみんなのほうが優秀な答えを出してくれる。
誠司も頭では理解したつもりであったが、
「はい……。でも……あの、なんて言えばいいのか……俺は……」
頑なに食い下がろうとしている気配を感じて、イブラムが椅子から立ち上がった。
「ハハッ! いいや、俺が間違ってたみたいだな! ノエル嬢を探しに行こう」
すぐに入り口の扉を蹴り飛ばして店を出ると、肩で風を切って外を歩きはじめた。
むしろ誠司のほうが出遅れてしまい、イブラムの背中を追いかける形になっていた。
「イブラムさん、いいんですか?」
「なにがいいんだ? ひとりでお姫様を救いに行きたかったのか?」
「そうじゃなくて……俺なんかのために……」
「なんだ、そんなこと気にするなよ。俺たちは出会ってこそ間もないが、立派な仕事のパートナーだぜ。まずは効率や賢明さなんてものは差し置いて、信頼を大事にしていこう。互いに不信感なんてものがあっちゃいけないだろう?」
イブラムは案内を引き受けると、真っ直ぐな通りを奥のほうまで進んでいって、誠司をとある店の前まで連れてきた。
そこは『ヘッドバット』と書かれた看板の店で、先程の『蹄』という酒屋よりも一回り大きい店構えだった。この通りでは珍しいことに店内の様子も外から確認できる。
「ここがマルコっていう男の居所なんですか?」
「ああ、そいつがやっている紹介所だ。まあ公には認可もされていない、表には出せないような犯罪まがいの仕事を紹介している裏稼業だな」
この通りにあって堂々と店を構えているのは、ここらを牛耳っている証拠なのかもしれない。
誠司はおずおずと木窓から中を覗き込んで、はっと息を呑んだ。
台風でも直撃したのかと問いたくなるような荒れた店内が目に飛び込んできた。
内装であるテーブルや革張りのソファが無残にも横倒れになって、床の赤い絨毯は捲れ上がり、壁に掛けられていただろう額縁の絵が落下して裏返しになっていた。
さらに、それらの物より目を惹いて、四五人の男たちが打ち捨てられた人形のように家具と一緒になって力なく倒れている光景が広がっている。
ついで誠司は、その中にノエルを攫った太った男を見つけると、荒れ果てた店内に駆け出して行って、男の服を引っ張り上げながら問い詰めた。
「おい、お前さっきのやつだろ! ノエルをどこにやったんだ!」
「おめえ……。あの女と一緒にいた召使いか?」
「誰が召使いだ! いいからノエルの場所を教えろ!」
「へへっ……二階にいるぜ? とんでもねえことになっちまったがな」
「とんでもないこと? どういうことだよ、おい!」
叫びかける誠司だったが、男は肝心なところで意識が途絶えたようだった。
「クソッ! 二階なんだな!?」
誠司は店の奥にある階段を上がると、二階の扉を片っ端から開けて回った。
倉庫のような部屋、書斎のような部屋と続いて、三つ目の扉が唯一つ両開きであることに気がついた誠司は、幾度か深呼吸を繰り返してから扉に体当たりするように部屋に突入する。
「ノエルッ! 無事かぁ――!」
そして入るや否や、外にまで響くような声でノエルに呼びかけたが、
「あら、どうしたの? よくここがわかったね?」
いらぬ気合に終わった。ノエルはすぐそこにいて、ソファで足を組んでくつろいでいた。
ガラスのテーブルを挟んで、向かい側には坊主頭の顎髭の男がソファに項垂れている。椅子の上で気を失っているように見えた。
「お前が、やったのか?」
「仕方なくね。それよりあんた、なんで裸なの? 怪我してない?」
「俺のことは……、いいんだよ」
誠司は緊張で震えていた身体の糸が切れて、その場に膝から崩れた。
すべてが空回りしている己が馬鹿々々しくて、全身の力が抜けてしまった。彼女にはこんな不安や落胆もないだろうに、ただ自分だけがノエルのことで揺れ動いているのだ。
ノエルのもとに駆けつけている途中、少しばかり自分をヒーローと重ねている節があった。しかし自分の妄想に裏切られて、心を痛めていることは惨めだった。
誠司がへたり込んでいるところに、イブラムが遅れて部屋に入って来る。
「ノエル・マンシー嬢か? 俺がザタン・イブラムだ。わずかな時間だが、カイトラの情報をかき集めておいた。ここからは国内を巡るにも、俺が不自由のないように取り計らおう」
ノエルはイブラムと握手をすると、誠司の労をねぎらった。
「そんなに急いでまで、わざわざ連れて来てくれたのね。ご苦労さま」
欲しかったものとはまったく別の形で、彼女に感謝の言葉が送られる。
それは“騎士”ではなく、“召使い”に対する感情に近いのだろうが。
とかく誠司は、自分勝手に自己嫌悪の泥沼に嵌りかけて落ち込んでしまうのであった。




