四章 三話 ザタン・イブラム
四章 三話 ザタン・イブラム
「お前を売り飛ばすまでは悪いようにはしねえよ。大人しく座っていることだな」
丸鼻の男は、鼻の高い男とテーブルに向かい合わせに座って誠司を見張っていた。
「俺たちだって手荒なことはしたくねえ。暴れるなら売り飛ばされた先でやってくれ」
脅しのつもりでテーブルの上に短刀を突き刺し、太った男が帰って来るまでの間、時間潰しに飲みかけの酒瓶を口に含みながら雑談をしている。
誠司はこっそりとテーブルに刺さった短刀を『限定的空間凍結』で動かないようにしてから、ゆっくりと辺りを観察した。
店の奥には、色々な酒瓶が並んだ無人のカウンター。店内にはテーブルが四つに、それぞれ椅子が二つの組み合わせで配置されていた。窓は塞がれて、緋色の淡い灯りだけが店を照らしていた。
ただでさえ二対一の状況である。力自慢でもない誠司にとっては、不意打ちでもしない限りこの状況を打開する術はなかった。
今は焦らず冷静に機会を待って、愉快気な男たちの会話に耳を傾けていた。
「マスター・ジオンと言えば、前に一度この国で大仕事をやってのけた野郎だよな?」
「うちの国は神域と接しているからなぁ。マスターに仕事を頼むことも多いだろう? そういう意味でも不遇だよな。なにを考えてご先祖様は、こんな山の中に住もうとしたんだか……」
「ハッハッハ、米が食いたかったんじゃないか?」
「どんな理由だ、バカ!」
丸鼻の男が冗談っぽく空になった酒瓶を投げつけた。酒瓶は鼻の高い男の腕に当たってから、誠司の前に転がった。
そこで二人の男は誠司の存在を思い出したかのように、捕らわれた哀れな男にも会話を振った。
「そういえば……もしかしてお前もマスター・ジオンの知り合いなのか?」
男たちは誠司の腕の身分印も確認して、誰しもがそうするように驚愕した。
「おいおい! 生まれもわからねえなんて、俺たちよりも不憫な生い立ちか! 親はどうした?」
酒臭い顔を近づけられて、頭を撫でられた。まるで子供のように扱われる。
誠司は無視してやりたい気分だったが、男たちに取り入ろうと仕方なく返事をした。
「訳ありなんだよ。ジオンなんて人間は知らないけどな……」
「そりゃそうだな! 訳なくも身分がない人間がいてたまるか。ただ……そうすると、あの女とはどういう関係なんだ? 身寄りのない立場を奴隷として買われたのか?」
鼻の高い男が誠司に興味を示して、矢継ぎ早に質問を飛ばしてくる。
「成り行きで一緒に行動しているだけだ! 会ったばかりだし、奴隷でも召使いでもねえよ!」
やはりこの格好がいけないのだろうか。誠司は極端に節約に走ってしまった自分を恨めしく思いながら、丸鼻の男のほうに目を向けた。
男は見る限りでは、身体は鍛え上げられているものの丸腰のようだった。
誠司と目が合って、憐れむように笑いながら次の酒瓶に口をつけていた。
「会ったばかりとは不運だったな……。もう少しあの女について知っていれば、一緒に行動することもなかったろうに」
「……あん? どういう意味だよ」
「フフッ……聞きたいのか? まあ興味もあるだろうな」
男はもったいぶりながら、悪意のある笑みを浮かべて酒瓶をテーブルに置くと、
「マスター・ジオンは基本的に単独でしか行動しない野郎だ。それが数年ほど前、一時期だけ女を連れて東地方を歩いて回っていた。これはあくまで、情報通だけが知るような噂話だったが……その女ってのがノエル・マンシー、さっきの女だってわけだ」
「ノエルが……? だけど、それがどうしたってんだよ」
「へへっ、青いガキだな。マスタークラスの男が、わざわざ足手まといを連れる理由なんざ数えるほどしかねえだろう? フリーターの女には、よくある話なんだよ。男に媚びて、仕事を回してもらうか、アトン式を恵んでもらうかなんてな」
鼻の高い男が、丸鼻の男に重ねて調子づいた。
「仕事を回してもらうなら可愛いもんだぜ。酷いやつになると、一食一晩なんて言葉もあるくらいだろう? もはや本職がなにかわかったもんじゃねえな!」
「どうせなら兄貴に会わせる前に、俺たちも楽しませてもらえばよかったかもな」
鼻の高い男が、誠司の隣にしゃがみ込んで気安く肩を組もうとしたが、
「おい、お前もまさかそういう関係だったか? どうなんだ、あのノエルって女の身体――は?」
誠司は男の腕を払って、拒絶を示した。
男たちからすれば、面白くない出来事である。すっかり酔いが冷めたように、自分たちが誠司の見張り役であり、絶対的な強者である立場に立ち返ってしまった。
ここで誠司が拳を振るおうものなら、二対一で正面から堂々と立ち向かわなければならない。
それは当初の想定を大幅に狂わせる、無謀ともいうべき蛮勇であったが、たしかにこの男たちの言うように誠司は未だ青いガキのかもしれない。
「掃溜めにあっても、綺麗もあれば、ゴミはゴミだな」
握り拳に力を込めて、立ち上がっていた。
「急にどうした? 冗談だろう?」
丸鼻の男も席を立つと、店の扉を背にするように誠司に立ち塞がった。
鼻の高い男は、机に刺した短刀が抜けないことにひとり慌てている。
「どけよ。俺は今すぐノエルを助けに行くんだ」
「娼婦まがいの女のために命を張るのはやめとけよ。痛い目を見るだけ損だぞ」
「うるせえ。なんで俺が小銭のために靴を舐めるような生き方をしなくちゃならねえんだ」
誠司はついに一歩踏み出したが、次の瞬間には悲痛な声を上げる羽目になった。
背後から強く頭を打たれて、床に膝をつかされる。いつの間にか鼻の高い男は、短刀を諦めて酒瓶を手にしたらしく、容赦なく誠司を殴りつけたのだった。
「勘違いするなよ、クソガキ。お前は小銭のためにじゃなく、命のために靴を舐めるんだ」
一転して男たちの態度は様変わりすると、足の裏で踏みつけられるように蹴り飛ばされる。
床を転がった先に、飲みかけの酒瓶を投げつけられた。アルコール度数の高い酒が上着を濡らして、その強烈な匂いに頭がくらりとする。
怒りに任せてノープランで喧嘩を売ってしまったが、今からでも冷静にはならなければならない。
誠司は一旦距離を取ると、部屋の隅で男たちとの間に椅子を挟んで身構えた。
「なんだぁ? それで身を守っているつもりだってかぁ!」
鼻の高い男は当然のように誠司を追い詰めて、椅子ごと蹴り飛ばそうとしたが、
「だあっ……!」
痛みの声を漏らして、膝を抱えて頭を垂らした。
蹴りつけた椅子がピクリとも動かなかったのである。誠司が『限定的空間凍結』によって、椅子をその場に固定してしまった為だった。軽いと思っていたものが重く、柔らかいと思っていたものが硬いとき、人は思わぬ反動をその身に受ける。
誠司はお返しとばかりに術式を解いた椅子を持ち上げてから、その頭に力の限り叩きつけた。
「悪く思うなよ。こっちに加減してやる余裕なんてねえん――」
だが、誠司が言い切る前に、目の前の視界一杯にテーブルが飛び込んできた。
避ける間もなくテーブルごと壁に打ちつけられて、死にかけの羽虫のように壁をずり落ちた。
「なんか面白いアトン式を使っているみたいだな? 高く売れるとありがたいぜ」
丸鼻の男が、別の席から持ってきたテーブルを軽々しく投げつけてきた。
鼻の高い男も巻き添えになっていたが、丸鼻の男は気にする素振りもない。カウンターの棚から酒瓶を抱えられるだけ抱えて戻ってくると、
「ほらほら、逃げてみろよ。面白くねえだろう?」
誠司を的にして酒瓶を投げつけ始めた。
やがて鼻の高い男も後頭部を押さえながら立ち上がって、丸鼻の男を真似して酒瓶を放る。
しばらくガラス瓶の割れる音が店の中に響いていた。誠司の倒れている床周りが、段々と鮮やかなガラス片で埋め尽くされる。
殺すつもりはないのだろう。酔っ払いの遊びだった。男がカウンターから持ち出した安酒が最後の一本になると、ようやく投げるのをやめて栓を空けて飲みだした。
「女のことで熱くなってたら損しかしないぜ?」
説教でもしているつもりなのか、丸鼻の男にそう吐き捨てられる。
誠司は意識を保っていたが、床に撒き散らされた大量の酒の匂いだけで酔っぱらってしまいそうになった。鋭く尖ったガラス片は、身体に細かい切り傷を負わせていた。
しかし身体よりも、心のほうが深い傷を負ったかのように痛んだ。
ひどく惨めで、弱い人間が粋がった果ての姿が自分のように思えた。数日前に出会ったばかりのノエルの悪口を言われて、なにをそんなに怒っているのかは自分でもわからない。
ただ、もし自分が賢ければ、もし自分が強ければ、男たちをやっつけて胸がすいたことだろう。
誠司は自嘲気味になって、壁にすがりながらどうにか立ち上がって呟いた。
「……拾って……なにになるってんだ?」
「おう……元気みたいだな? もう反抗しようなんざ思わないでくれよ?」
誠司の小さな声は男たちの耳に届いていなかったが、それでもひとり勝手に続ける。
「なあ……? どうしようもないほどバカで、どうしようもないほどに弱い俺の命なんて、小銭みたいなもんだろう? そんなもん拾って……なにになるんだ?」
部屋の隅からよろよろと男たちの元へと向かって、亡霊のように眺めていた。
男たちはテーブルに刺さった短刀が抜けないことを酒の肴にして盛り上がっている。
「なんで抜けねえんだろうな!?」
「なあ、変だろう? 俺はそんなに深く刺しちゃねえんだよ」
誠司は不思議そうにテーブルの上を見つめている男たちの背後から手を伸ばして、呆気なく短刀を引き抜くと、丸鼻の男が肘を置いて寝かせていた腕に躊躇なく突き立てた。
「うおっ! どわあああ!」
丸鼻の男の悲鳴が上がる。痛みよりも、その光景に驚愕した悲鳴であった。小さな短刀だが、刃がしっかりと男の腕を貫通して机に突き刺さっていた。
しかし、男の驚愕が迫真のものになっていくのはそこからだった。
「ぬ、抜けねえぞ! おい、早く抜いてくれ!」
「抜けねえんだ! 抜けねえんだよ!」
血が止処なく流れて、いよいよ男たちは慌てていたが、
「て、てめえだな! そういやさっきも椅子におかしなことをしてやがっただろ!」
鼻の高い男が、誠司を殴りつけて責め立てた。
「わかってんだよ! 早くあの短刀を抜けるようにしねえと、容赦なくぶっ殺すぞ!」
「へへっ、ぶっ殺す? 人を舐めてるからそういうことになるんだよ」
「なんだってぇ!? バカか! なんのアトン式か知らねえが、てめえを殺せば解けるんだぞ!」
立っているのが精一杯の誠司の胸座をつかんで、何度も殴打する。
男の言うように、誠司が死ねば短刀の柄に使った『限定的空間凍結』は解除されて、誠司の行いは無駄に意地を張った愚かな選択に終わるのだろう。
ルティンを探し出すという目的を見失って、見知らぬ土地で命を絶つ。
それは自己嫌悪に陥りそうになるほどの最悪の結果であったが、こんな男たちにノエルが笑われたかと思うと、血が沸騰しそうなほどに怒りが沸いてしまったのだから仕方がない。
「バカがよ、クソくらえ」
誠司は残りの力を振り絞って、目障りな高い鼻を殴り返してやった。
なんのことはない。余計に怒りを買っただけである。
「ハァ……ハァ……ッ! おい、このガキは売らずにやっちまおう」
テーブルが叩き壊される音がして、丸鼻の男も流血した腕を抱えながら近寄ってきた。
――こりゃあ、終わったかな。
誠司がすべてを諦観して、抵抗すらも虚しくなっていた時だった。
「おーい、お前らアトン鉱持ってないか? 持ってたらただちによこせ」
見覚えのある長身の男が、扉を壊さんばかりの勢いで店に入ってきた。
男は入るや否や誠司と顔を合わせると、満面の笑顔になって再会を喜ぶ。
「クロノじゃないか! ずいぶんと楽しそうな状況だな!」
その男の青天のような顔は、男たちにとっては悪魔のものであり、誠司にとっては天使が手を差し伸べるかのような笑みだった。




