三章 五話 フィジーの町
三章 五話 フィジーの町
顔に投げつけられた下着を穿いて浴室から出ると、カボチャパンツとキャミソールだけを身に纏ったノエルが、店のハンガーラックから服を選んでいるところだった。
色気もへったくれもなく、もはやこうも堂々としているノエルを見ると、男ながらに疚しい気持ちも起きそうになかった。
「俺も勝手に選んでいいのか……?」
誠司も男物のハンガーラックの前で、とりあえず下に着る服を選び始めた。
「どうせオッドのお金だから、好きに選んでいいよ? 丈夫なのが理想ね」
「丈夫な服か……。そうだな」
誠司は素直に頷いて、生地の厚さと丈夫さで服を手に取ってみる。
ここまでの山道や、恐ろしい生き物たちとの戦いを思い浮かべれば、それが合理的なのかもしれない。ファッションセンスが役に立つことはなさそうだった。
ただオッドの支払いということを聞かされて、気持ち控えめに服装を選んでみたが、亜麻色の上下に、焦げ茶色の革の靴という格好に落ち着いた。
すぐ傍にあった鏡で、己の全身像をふと覗いてみたが、
「お、おぉ……」と、なんとも言えない声が出てしまう。
歴史の教科書、弥生時代の項目の挿絵に、こんな農民の姿が載っていたような記憶がある。または商船に乗せられた奴隷と言うべきか、とにかく貧相なのは間違いなかった。
しかし、オッドの支払いで贅沢はするべきではないと、横をちらりと見たが、
「フッ、フフッ……なんか、脱走してきた囚人みたいな格好をするのね?」
ノエルは口に手を当てて、笑いを堪えた様子でこちらの服装に対する感想を口にした。
しかし、自分でも同じようなことを思っただけに、そこに腹が立つようなことはなかったが、
「おい……ノエル? お前はそれ、自腹なんだよな?」
「は~ん? そんなもんオッドが払うに決まってるでしょう?」
誠司とは反対に、ノエルはいかにもよそ行きの格好でそう言い放った。
ノエルは綺麗な空色に染められた、傍目にもわかる滑らかな生地のワンピースを着ていた。袖口と裾にレースが施されていて、胸元のボタン一つにさえ細かい模様が描かれている。
女店主は、二人の服が選び終えたことを確認すると、指を折りながら、
「良いもん選ぶんだねぇ? 二人分、追加で2000セリエだけど、これもオッドに付けとけばいいのかい?」と、苦笑い気味であった。
「よろしくお願い!」
ノエルは微笑ましく返事をするが、誠司は女店主の発した言葉を聞き逃さなかった。
「2000だって? 今おばさん、2000って言ったよな!? お前がさっき色々と注文したものと、ほとんど同じ値段じゃないか!」
「そうだけど? なにかおかしいことがあるの? 仕事によっては、身なりを整えることを求められることだってあるんだから、時には高い服だって必要なのよ」
「それはっ……そうなのかもしれないけどさ、いくらなんでも高くないか? ノエル、お前、オッドさんが払うからって、必要以上に高いものを選んでないだろうな?」
「おばちゃん、ありがとう! 縁があったらまた来るから!」
「おい、答えろよ! 無視するんじゃねえ!」
誠司の追及は聞こえていないかのように、ノエルの足はハドリアの家に向かっていた。
家に戻ると、すでに起床したハドリアが二人を迎えてくれた。
「紹介所ですか? ずいぶんと洒落た格好になりましたね」
先に入ったノエルに言葉をかけてから、ハドリアは次に入ってきた誠司を見て、一瞬ばかり言葉を失っていた。
「クロノ君は……、控えめな服装ですね」
「へ、変でしょうか?」
「変とまでは言いませんが、ノエルさんと見比べると質素に見えますね」
「あいつは他人のお金だからって、遠慮というものを知らないんですよ」
誠司が知り合いの紹介所に支払ってもらっている旨を伝えると、ハドリアは驚いた様子で、
「それなら私に代金を請求するように後で言っておきましょう。昨日に言ったように、この村で必要なものなら私が代金を持ちますよ」
「そんなつもりじゃあ! あいつも、あれですし……」
そう言って二人で視線を向けた先で、ノエルがまた昨日の残り物を口に運んでいた。
「いいんです、お金なんてものは。この国においては価値が不安定なのですから。それより残り物なんて食べてないで、旅立つ前に新しく朝食を用意しましょう」
ハドリアの親切な提案だったが、ノエルが席を立って誠司の服で口を拭いながら断った。
「なにすんだよ、汚いだろ!」
「あら、ごめんなさい。わたしの綺麗な服を汚したくなかったから。それよりも、もうすぐにフィジーに向けて出立するから、朝食は遠慮しておきます」
「えっ、もう出るのかよ?」
「日のあるうちにできるだけ行動したいの。フィジーはここと違って治安が良くないから」
そうしてノエルが馬を持ってくる間に、誠司は準備を整えなければならなくなった。
ハドリアに握り飯を入れた弁当包みを手土産に渡されて、別れの挨拶を交わした。
「色々とありがとうございました。ルティンのことは、なにかわかったことがあれば伝えるようにします」
「こちらこそありがとう。ただ、無理はしないでください。このノハラの村と、クララという村以外は、ノエルさんの言うように治安が良くないですからね」
ハドリアとはまた会うつもりで、あえて誠司はあっさりと手を振って別れた。
家先には、馬を回してきたノエルがいた。
今度の馬はトカゲのような頭部ではなく、誠司のよく知る馬の顔を持っていた。四つの脚は軽快な蹄の音を立てて、艶のいい青鹿毛の身体が光っている。
「後ろに乗って」
ノエルはその背に跨りながら、銜に繋がれた手綱を巧みに操って誠司に呼びかけるが、
「乗ってって、言われてもなぁ……」
誠司はノエルを見上げながら、必死に馬の尻にしがみついた。
なにせ大きな馬なので、鞍を乗せる背の高さが誠司の身長を超えている。
やっとのことでノエルに引き上げてもらうと、腰に手を回すように指示を受けた。恥ずかしいやら格好悪いやらといった複雑な胸中に赤面してしまう。
そんな姿をハドリアに見送られながら、ノエルが馬腹を蹴って馬が駆け出した。
身体が投げ出されそうになると同時に、もの凄い速さで景色が後ろに流れ始める。
「と、飛ばしすぎじゃないか?」
馬の力強い蹄が大地を引き寄せて、山林を切り開くかのように疾駆する。ハドリアがもう豆粒のように小さくなっていた。
誤って振り落とされた日には、無事では済まなそうだ。
「しばらく人通りも少ない広い山道だから飛ばすけど?」
だが誠司の心配などよそに、ノエルは紹介所で買った地図を器用に鞍上で広げながら手綱を取る。
比べて誠司は初めての乗馬であったが、楽しむ余裕など微塵もなく、ただ落馬しないことだけに注意を払いながら時を過ごしていた。
誠司が馬上に慣れて、周囲の景観を眺めることに意識を向けることができたのは、馬が駆け出してから一時間を超えた頃だった。
快晴の空のもと、山滴る道を超えて新緑が目に馴染んだ頃合いに、大きな湖が現れた。
ノエルが手綱を引いて馬を止め、湖畔で二人して下馬した。
馬を散歩させるように歩きながら、まずはここらにあるという紹介所を探していく。
「ここがフィジーの町か……初めて来たけど、綺麗だね」
ノエルが遠くの対岸まで見据えるように湖を見ていた。
手前には、紫色の小さな花弁をたくさんつけた花が隙間なく並んで生えている。
風の少ない初夏の日だった。湖面には、対岸の先にそびえる大きな山がくっきりと、まるで一枚の完成された絵のように美しく映える。
「そうだな。とても平和な場所に見えるよ」
誠司はハドリアの忠告を思い出して、正直な感想を漏らしたが、
「まだここは町外れだから、安心しないほうがいいけどね」
ノエルは釘を刺して、近くにいた紫の花を摘んでいる少女に声をかけた。
短い栗毛の、まだ十代にもならないような小さな女の子である。
「あなたは、この町の女の子?」
少女は手を止めて驚きつつも、ノエルの整った身なりに警戒心を緩めた様子だった。
「そうです……。あなた達は?」
「シエドの国から来たの。この辺に紹介所があるって聞いたんだけど、どこかな?」
「ああ、シエドの……。それなら……」
と、少女が指を差しかけた時だった。
「余所者かい? 紹介所なら、ちょうど俺も用があるんだ。案内しよう」
背後から、大きなトカゲの顔が誠司の真横に現れると、その上から声がした。
「うおっ! 化け物っ……じゃなくて、龍馬だっけか?」
馬上の声は、若い男のものだった。
黒い目深帽子を被って、首には派手な金細工のネックレスを着けている。怪しげな見た目とは裏腹に、明るい口調で気軽に話しかけてきた。
「カイトラは龍馬の名産地だよ。馬といえば龍馬だ。かつての竜騎士団は今は昔の話だが、今でも馬を手足のように扱える人間は他国よりも多い」
男は名前をユリウス・セザールと名乗り、こちらの返事を聞く間もなく勝手に案内を始めた。
「町外れは危ないから、花を摘んだら早めに帰ったほうがいいよ」
ノエルは女の子にお礼を言うと、ユリウスの方へと馬を引いた。
ユリウスは湖畔から離れて、山林を縫うような道を選んで進む。ノエルと二人、少しの距離を空けながらその背中についていっていたが、誠司の顔はわずかに曇っていた。
囁くような小さな声で、ノエルに耳打ちする。
「なあ、どんどん町から離れてないか?」
「町といっても、湖を囲むように広がっているのよ。回り道をしないといけないこともあるでしょ」
「いや、だけどさ……」
誠司は言い淀みながら、ユリウスという男を不審に思っていた。
先程に湖畔で出会った少女、その女の子がノエルに訊ねられたとき、指を差し示した方向はユリウスが今案内している場所とまったく食い違っている。
そのことをユリウスには聞こえないように指摘したが、ノエルはただ笑って、
「大きな町には紹介所がいくつかあるからね。同じフリーターなら、近場より良い紹介所を教えてくれても不思議じゃないよ」
誠司に馬の曳き手を預けながら、ユリウスに話しかけた。
「セザールさん、ここら辺でいいんじゃない?」
ユリウスが振り返り、眉を上げて訊ねる。
「ここら辺……? 紹介所は、まだ先だよ」
「そんな山奥まで連れていかれたら、戻るのが面倒でしょう? お友達と落ち合う予定だったなら申し訳ないけど、こっちが付き合う義理もないから」
戻るのが面倒、お友達――なんの会話だろう。
誠司は示し合わせていたかのような二人の会話に首を傾げたが、
「へえ……」と、ユリウスが不敵に笑い、ゆっくりと腰に帯びていた剣を抜いたところで、ようやくこの場の不穏な流れに気がついたのだった。
ユリウスは帽子と同じ色をした、漆黒の諸刃の剣をその手に握りながら、
「上等な服を着ているもんだから、てっきり良いとこの娘さんが紹介所に依頼を持ち掛けに行くものかと勘違いしちまったよ。召使いまで連れて、えらい手の込みようだな?」
「召使い……? ああ、これのこと? フフッ……そうね。手が込んでるでしょう?」
ノエルはあからさまに誠司を見て笑みを浮かべると、
「と、いうことで、召使いのあんた。ちょっと危ないから離れててくれる?」
「誰が召使いだ! でも、そうしたほうが良さそうだな。ただノエル、あとで話がある」
「あとで話? なに、こんなときに。愛の告白?」
「アホか、俺の服についてだ!」
「……服? ああ、心配しなくても似合ってるから大丈夫よ」
「ふざけんな。召使いと思われる服が似合ってたまるか」
誠司は文句を垂れながら、茂みのなかに馬を引き連れて木の幹に綱を結びつけた。
離れていろとは言われたものの、これから起こることを考えれば、いざというときには身を投げ出さなければならない場合もある。下手に加勢して邪魔にならないようにしながら、ノエルを見守っていた。
ノエルは物騒な事態に慣れているのか、笑みを絶やさないままでいる。
「そっちこそ、身なりがいいのね。こういったやり方で荒稼ぎしてるのかしら?」
ユリウスは胸元で金細工のアクセサリーを握りしめながら、打って変わって顔を歪ませた。
「服はともかく、金はカイトラの魂だ……。たとえ貧しく、明日に食べるものがなくとも、身に着けて死ぬことを誇りとする」
「金はカイトラの魂ね。それこそ、今は昔の話じゃないの」
「黙れ! 王侯貴族が腐ろうと、金色の魂が腐ることはない! 今一度、金色の馬の御旗が諸国を震え上がらせる日は近いのだ!」
ユリウスは叫びながら、龍馬を突撃させる。
諸刃の切っ先をノエルに向けて、勢いのままに突き出した。
しかし刃は空を突き、ノエルを捉えることはなかった。それは刹那の出来事である。
ノエルは仰向けに倒れて刃の切っ先から逃れると、地面に寝転んだまま指先から赤い光輪を宙に出現させ、そこから目にも留まらぬ速さで何かを発射してユリウスの足を撃ち抜いた。
「あーあ……。服を汚した分は、高くつくからね?」
ノエルの溜息が漏れる方に、ユリウスの悶絶の声と落馬して倒れる音が聞こえた。




