三章 四話 紹介所
三章 四話 紹介所
東の空から昇って来る赤い日が雲を焦がすと、人々は一日の始まりを迎える。
普段は目覚めることもない早朝であったが、床から伝う物音に起こされて誠司は瞼を開いた。
寝ぼけ眼で昨夜の客室に向かうと、昨日の残り物の紅白餅を手づかみで食べているノエルに出くわした。
「あっ、おはよう。飲みすぎてないでしょうね? 今日も朝から忙しく動くけど」
ノエルは昨日のことがなかったかのように、澄ました顔で誠司に訊ねてくる。
忘れているのか、気にもしていないのか。どちらでもよかった。
誠司も根に持つつもりもなく、むしろ人と積極的に関わってこなかったせいか、いつも周囲からの評価が不明瞭な人生だったために、はっきり物を言うノエルはわかりやすくて助かる。
ただ、酒の席のことが彼女の本音だとすれば、今のところはずいぶんと残念な評価を下されているようだが、それでなにもかも否定された気持ちになるほど卑屈な性格でもない。
「お前に飲みすぎの心配をされる筋合いはねえや」
笑いながら返して、真似するように残り物の餅を頬張った。
餅はすでに硬くなっていて、石鹸でも齧っているような食感である。
「一二時間で仕度をしたら、すぐにフィジーの城下町に向かうけど?」
ノエルは硬い餅を平気な顔で噛み砕きながら、初めて聞く町の名前を口にした。
「フィジーの城下町? また別の場所に行くのか?」
「ここからだと南西ね。公道を西に向かって行くと二手に分かれる道にぶつかるんだけど、北西がカイトラの首都になるアゼリアの城下町、南西がフィジーの城下町に続いているの」
「首都じゃないんだな。あえてフィジーとかいう町に行くのはなんでだ?」
「そこの領地にイブラムっていうわたしたちの仲間がいるのよ。イブラムの持つカイトラ国の情報と、わたしたちの持つ情報を合わせてルティンの目的と居場所を予想するの」
「イブラム……あっ、あの人か!」
誠司はオッドの店で出会った、長身の兵士を思い出した。
鎧を身に纏い、大きな身体が威圧的であったが、話せば気さくな人柄の男だった。
オッドとイブラム、そして誠司とノエルを合わせた四人で、ルティンを捕まえた際の報酬を分け合おうというのが今回の話である。
そしてイブラムは、カイトラの国の領主に雇われている兵士だと言っていた。恐らく話の流れからは、フィジー城下町の領主に雇われているのだろう。
「オッドがすでに手紙を出して、イブラムに話は通してあるはずだから」
ノエルは言うと、餅を咥えながら家の外へと出かけようとしていた。
「ノエルっ! どこへ行くんだよ、ハドリアさんが起きるのを待たないのか?」
「紹介所に行くだけだよ。あんたもくれば?」
「俺も?」
誠司は小首を傾げながら、とりあえず誘われたので好奇心から一緒に家を出た。
畦道を抜け、昨夜に一騒動が起きた、荒れている溜池も通り越していった。
朝の涼やかな風が、木々の香りを運んでいる。これが昼過ぎともなると、土の蒸れたような匂いが強く混じるが、早朝の山林は朝露が木の葉を濡らした爽やかな空気が流れていた。
「紹介所に行ってなにするんだ? オッドさんのお店と同じところだろ?」
「ん~~? 準備をしなくちゃいけないでしょう?」
ノエルは気分良さそうに、鼻歌を歌いながら歩いていた。
その際に見せた表情が、向日葵が咲いたような笑顔だったので、誠司はこれが昨日の酔っ払い女と同じ人物かと思うと、人間というものが恐ろしくなる。
「準備って……なにを準備するんだ?」
「いくらでもあるでしょうよ? 着替えとか、日用品とか、いくらでも」
そんな話をしながら、二人が行き着いたのは大きな一軒のログハウスだった。
年季の入った渋い丸太組のその家は、二世帯の家族が住めそうなほどの広い敷地を擁している。
家の前には一つ看板が立てられていて、文字の読めるようになった誠司は、その看板に『ノハラ村―紹介所』と書かれていることを確認した。
「オッドさんの店よりもずいぶんと大きいんだな」
「大きい町にはいくつか紹介所があるから、紹介や手続きだけを専門にしているところも多いの。ただこういう小さな村だと、一つの紹介所が色々な役目を一手に引き受けているわけ」
ノエルは正面口の扉を幾度か叩いて、店内に叫びかけた。
「おはよ~~ございま~~す! ノエルで~~す! ノエル・マンシーです!」
「おい、まだ誰も起きてないんじゃないか?」
こんな早朝、オッドも店を開けていたのは九時を過ぎた頃だったように記憶していたが、
「昨日のうちに頼んであるよ。仕事によっては早朝や深夜に出ないと行けないこともあるから、町や村に来たらまず紹介所に挨拶して準備の協力をしてもらうの」
「へえ、お前……昨日は裏でそんなことしてたんだな。俺はてっきり、昼から酒でも飲み回っていたかと思ってたよ」
「そんなわけないでしょ!? それに情報収集だって、基本的には紹介所で調べることのほうが早いことが多いのよ」
「なんだよ。だったら最初から二人でここに来ればよかったじゃないか」
「そんなことないよ。ハドリアさんを見つけたのは、お手柄だったじゃん。紹介所で得られる情報はすでに出回っている共有のもの。そこからじゃ、他人を出し抜くことはできないでしょう?」
ノエルは手をピストルの形にすると、誠司の胸を突いて銃を撃つ真似をした。
「どぉ~ん!」と、冗談めいた声色で胸を撃ち抜かれる。
それはノエルの他愛もない悪ふざけだったが、誠司は本当に胸が銃弾で撃ち抜かれたように心臓が跳ねたのを自覚していた。
悲しく、寂しい、男の性だった。どんなにボロクソに言われようとも、こんなことで、誠司はいとも簡単に心が揺らいでしまうのである。ちょろいとはこのことだ。
もちろんノエルはこちらの気も知らず、ノックに応じて開かれた扉から、ひとり店の中へと先に入ってしまっていた。
誠司も撃たれた胸を擦りながら、店へと足を踏み入れる。
店内に入って、辺りを見回した。ふと右に顔を傾けると、布のほつれたソファに、長年の黒ずみに汚れた木目のテーブルがあった。壁際のハンガーラックには様々な衣服が掛けられて、それをオレンジ色の灯りが照らしている。
左を見てみれば、たくさんの棚が並んでいた。本もあれば鍋やら食器やら、空瓶もあれば、得体の知れない薬品が入った瓶もある。
オッドの店は小さな飲食店のような内装だったが、ここは雑貨屋のような雰囲気である。
誠司は古めかしいソファに腰掛けて、扉を開けてくれた恰幅のいい女店主とノエルの会話を、朝のぼうっとした頭で聞いていた。
「女物の服はそこにあるだけ? 今着ている服は、下取りできる?」
「できるっちゃできるけど、汚れているねぇ? たいした値段にはならないよ」
「いいよ。捨てるくらいなら、安い値段でも。あと頼んだものは?」
「昨日の今日だから、無いものは無いね。用意できたのは、ここらの地図とアトン鉱に弾丸、簡単な薬品類に包帯、それと馬は髪馬を用意しといたよ」
「だいたい揃えてくれたのね。鳥銃は?」
「あんた、うちは武器屋じゃないだから、そんなもの一晩で用意できないよ。弾丸は何でもいいっていうから、村の人に譲ってもらったけど」
「そっか、ありがとう! あとは二人分の浴室料で、合計おいくら?」
「品物が2000セリエに、お急ぎ料金、早朝料金を合わせて、締めて2200セリエだね」
「そんなもんか……。じゃあ、請求はシチーの町のオッド紹介所に付けといて!」
ノエルは当然のように女店主に告げると、渡された二つの木桶を持って誠司に近づいてきた。
「いいのかよ……? 勝手にオッドさんに請求して」
会話を聞いていた誠司は、ソファから立ち上がって女店主に軽く頭を下げた。
「いいのよ。あんたの面倒はオッドが見るって約束だから。それよりこれ、あんた昨日からお風呂に入ってないでしょう? あっちに浴室があるから、綺麗にしなさいよ」
木桶を手渡されて、ノエルの向かう先についていく。
店の奥にある木戸の向こうに、二つの個室があった。四方を板で区切っただけの、誠司が両手を広げることもできない小さな個室の中には、ぼろい金具に釣り下がったシャワーが取り付けられている。唯一の扉は中から小さなフックを掛けるだけの錠で、誠司の肩から膝丈くらいまでしか隠れていない、開閉に軋んだ音を鳴らす木戸であった。
ただ誠司は、その浴室の機能や快適さに文句を垂れるつもりもなかったが、すぐに隣から平然とお湯が壁を打つ音が聞こえてくると、慌てて声を荒らげた。
「えっ!? お前まさか、シャワーを浴びてるのか!?」
「そうだけど、なんで?」
ノエルは呑気な声で、お湯を浴びながら答えていた。
「えっ……えっ! お前、今っ、裸なの……?」
「ハァ? あんたバカなんじゃないの?」
「あれ、違うの?」
ここは服を着たままシャワーを浴びるルールなのだろうか。それならばノエルの平然とした反応も頷ける。
誠司は扉をわずかに開けて、隣の個室の扉を少しだけ覗いてみた。
ノエルの使っている個室の扉には、ノエルの着用していた衣服が掛けられていた。
やっぱり服は脱いでいるようだった。ノエルは裸ということで、間違いなさそうだ。
誠司がパニックになった頭で変な冷静さを取り繕っていると、隣の個室の扉の上から、突如顔を出したシャワーヘッドが誠司の顔にお湯を浴びせかけた。
「ぎゃあっ! 熱いっ、熱いぞ!」
思った以上に熱い湯を顔に掛けられて、誠司は自分の個室でのたうち回った。
「熱いぞ、じゃないんだけど? そんなところに顔を出してなにしてんの?」
「なんでしょうね……。でも、覗くつもりはないんですよ……」
「バカなこと考えてないで、早く身体を洗って出なさいよ」
「クソがぁ……。バカなことなんて考えてねえ。バカなことになっちまっただけだ」
身を起こして、自棄になった誠司も素っ裸になってやった。
木桶の中身を確認して、小さな巾着袋のようなものを手に取って叫ぶ。
「この布の袋はなんだァ!?」と、無意味に声を大きく張り上げていた。
「それで身体を洗うのよ。中に石鹸が入ってるでしょ?」
「なるほどなァ!」
これでもかというほどに、誠司は自分の身体を憎むかのように隅々まで洗い流した。
昨夜は臆病者だと罵られたのに、まさか今日はスケベの烙印まで押されるのではないかと思うと悲しくなってきた。
最後に頭を濯いで、手探りで扉に掛けていた衣服を探したが、
「あれ……落ちたのか?」
「いや、下着だけでいいよ。どうせ着替えるし」
「うん? ああ、そうなの?」
扉に掛けていた衣服は、ノエルが自分の物と一緒に脇に抱えていた。
誠司は下着だけを顔に投げつけられて、自分の個室の中を平気で覗いているノエルと、しばらくじっと見つめ合ってから、
「み……見てたのか?」
「うん。だって遅いから」
「だって遅いから……? 頭おかしいんじゃねえか、お前はっ!」
シャワーヘッドをノエルに向けようとしたが、ノエルはすでに店のメインフロアへと戻ってしまっていた。
「ぐっ……! お嫁に行けねえだろうがっ!」
誠司の声が、虚しく浴室に響いていた。




