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策を練る満月⑴

 寝室に掛けられたカレンダーに、一つ、また一つとバッテンが付け加わっていく。「桔平と入籍♡」まで、残されたマスは3つのみである。


 そして、本日10月27日にも、蘇った僕にとって気が気ではないスケジュールが入っていた。


 「パパママとお食事」である。


 これも満月の丸文字であるから、ここでいう「パパママ」とは、当然、満月のパパママであり、生前の僕にとっての義父母ということになる。



 この「お食事」は、ただの「お食事」ではない。


 入籍予定の3日前に、義父母にわざわざ熊本から上京してもらうのには、重要な「目的」があるのだ。



「あれ? 見つからないんだけど……」


 レストランの予約時間から逆算すると、そろそろ家を出なければならない時間なのだが、満月は、化粧も半ばの状態で、タンスの引き出しの中をゴソゴソと漁っている。



「満月、何探してるの?」


「婚姻届」


「ああ、それなら僕のカバンの中にあるよ」


「さすが桔平、準備が早いね!」


 単に満月の準備がギリギリなだけなのであるが、いつものことなので慣れっこだ。満月との外出で、時間に余裕を持って出掛けられた試しがない。羽田空港行きのモノレールに間に合わせるために、何度駅構内を駆け回ったことか。



 僕がカバンに入れた婚姻届は、役所からもらってきた状態のままである。

 僕の署名押印もなければ、満月の署名押印もない。



 なぜ白紙の婚姻届をカバンの中に入れる必要があるかというと、今日、満月の両親に、証人欄のサインをもらうためである。



 婚姻届の提出のためには、証人2人の署名押印が必要である。通常であれば、新郎側と新婦側とでそれぞれ1人ずつ証人を出し合うのだが、僕の両親はすでに他界している。


 僕には兄弟姉妹もいないため、満月の父母双方に証人を依頼したのだ。




 30分後、ようやく支度を終えた満月が、「ほら急ぐよ」と言って、僕の手を引き、外へと急かす。



 言わずもがな、僕の気は重い。低気圧の影響による、どんよりとした曇り空よりもずっと。



 なんせ、今僕のカバンの中にある婚姻届は、義父母に署名押印をしてもらったところで、提出する予定のないものなのである。



 もっと早く手を打つべきだったのは間違いない。


 言い訳をするのであれば、レストランの予約は3ヶ月以上前から取ってあり、キャンセル料を取られる。

 そして、満月の両親が、観光も兼ねて熊本から東京入りしたのも、1週間前であった。


 だから、僕が焦り出した頃には、すでに食事会をキャンセルするタイミングを失していたのである。

 


 とはいえ、3日後に僕が満月との婚約を破棄するのであれば、この日の食事会は単なる茶番なのである。

 やる意味などどこにもないし、むしろ義父母に余計な期待を持たせないためには、やらない方がよい。


 頭では分かっていたのだが、僕はなかなか中止を言い出すことができなかった。


 どこかでまだ満月との結婚を「夢見ている」自分がいるのかもしれない。





「桔平君、こんなに気を遣ってくれなくても良かったのに」


 最寄り駅で待ち合わせ、予約をしていたレストランまで案内すると、満月の義母は、目を見開きながら、ぐるりと店内を見渡した。



「高かったでしょ?」


「まあ、それなりには……」


 本当はそれなりどころではない価格帯であるのだが、ここはマナーとして謙遜しておく。もちろん、今日はすべて僕の奢りである。




 通路側の席に僕と満月が、壁側の席に義父と義母が座る。


 義父と義母と会うのは初めてではないのだが、こういう場なので、やはり独特の緊張感がある。


 義父母がともにきっかりとスーツ姿で決めていることも、その雰囲気に拍車を掛けているかもしれない。

 僕と満月もフォーマルな格好で来れば良かったな、と後悔する。思えば2年前も同じ後悔をしたように思う。その「反省」を生かせるほど、今回の僕には心の余裕がなかったのだ。



 予約が取れないことで有名なイタリアンの名店である。おそらく店内は満員の客入りだと思うが、完全個室であることに、お洒落なBGMも相まって、あたかもこの4人以外には誰もいないかのような錯覚を受ける。



 橙色の間接照明のみが灯る薄暗闇の中、満月が目を細めてメニューを見る。



「子ウサギとアンチョビのソテー……私、これ食べたいかも!」


「満月、今日はすでにコース料理を注文済みだから、料理の注文はもう要らないよ。ドリンクを選んで」


 それになぜこの場でジビエ料理に挑戦しようとするのか。もう少しTPOを考えて欲しい。



「すみません。お義父さんとお義母さんもお飲物を選んでください」


「桔平君は?」


 

 僕は悩む。こういうフォーマルな場であるため、アルコールはやめた方が良い気もする。とはいえ、これからの辛い数時間をシラフで過ごせる自信もない。



「ビールにします」


「じゃあ、私もそうする」


 満月が僕に同調する。


 そして、満月の親族は基本的にお酒が強くないのだが、僕に合わせたのか、義父母もビールを注文した。


 そういえば、2年前は、誰もアルコールは飲まなかったような気がする。


 ここで僕がアルコールを頼んだことが、因果律に大きな影響を与えたようで、この後の会話はすべて、僕が記憶していた2年前のものとは違っていた。



 互いに一通りの近況報告をしたのち、話は徐々に「核心」へと近付いていく。




「いやあ、ついに満月にも引き取り手が見つかるとはな」


 ビール2杯ですでにできあがっているのか、義父の呂律は若干怪しい。



「しかも、桔平君のような立派な人がみっちゃんを引き取ってくれるなんてね」


 義母が話すのを聞きながら、僕の母親も「みっちゃん」呼びだったな、とぼんやりと思い出す。



「パパママ、2人して私を粗大ゴミみたいに扱わないでよ」


 「引き取る」という表現から、2週間前の件もあり、保護犬を連想していた僕は、満月のあまりにも自虐的な表現に思わず吹き出す。



「満月はゴミなんかじゃないよ。僕が手を挙げなくたって引く手数多でしょ」


「そうかしら。今までみっちゃんに近づいてきた男は、みんな尻尾を切って逃げてったわよ」


「ママ、それを言うなら、尻尾を『巻いて』だよ」


「それくらい命からがらということよ」


「なんで? 燃やすとダイオキシンが出るから?」


「だから、満月はゴミじゃないって」


 僕がツッコんでおかないと話がどんどんあらぬ方向に進みそうである。



「でも、桔平君、本当にみっちゃんで大丈夫なの?」


「ええ、まあ……」


 僕は言葉を濁す。


 2年前の僕であれば、「もちろん」と即答できただろうが、3日後に満月をフることを考えて、今更ながら予防線を張ったのだ。



 そんな僕の内心に気付くはずもなく、義母は、僕が「YES」と答えたものと解釈し、話を進める。



「みっちゃん、だいぶだらしないからね。桔平君がすぐに愛想を尽かさないか心配だわ」


「でも、その、満月のだらしなさが功を奏したんだろ?」


 僕は、義父がこの後に何の話をしようとしているのか想像がついた。



 案の定、義父は、僕の予想どおり、僕と満月の出会いについて話し始めた。


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