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料理をする満月⑵

 満月は、「料理をしているところは桔平に見られたくない」と言った。

 僕が、「どうして? 鶴にでもなるの?」と訊いたところ、満月は、「そうだよ。恩返しだからね」と上手に返してきた。


 そんなわけで、僕は、珍しく残業をしてから家に帰ることにした。


 家に帰ると美味しい肉じゃがが待っている、ということは、正直、全く期待していない。

 満月に期待してることといえば、せめて家が火事になってないといいな、とかその程度のものである。

 その期待すら裏切られそうで、僕は気が気ではなかった。

 



 満月に指定された時間である20時ちょうどに、僕は帰宅した。

 少なくとも、自宅のあるアパートは無事なようで、ひとまずホッとする。



 しかし、安心したのも束の間、台所は大惨事に見舞われていた。



「満月、一体どうなってるの!?」


「桔平、お帰り! ほら、肉じゃができたよ! じゃーん!」


 たしかにテーブルの中央には大皿が一つ鎮座していて、たしかに肉じゃがらしきものがお皿に入っている。


 ただ、僕の視線は、どうしても別の方に向かってしまう。



「ねえ、満月、どうすればこんなに散らかせるの!?」


 台所は、まるで、野生の猿が侵入して、荒らしたい放題荒らした後のようになっていた。

 ジャガイモの皮は流しにとどまらず、コンロの方にまで散乱しており、さらに菜箸やヘラが文字通り四方八方を向いて、あちらこちらに落ちていた。

 床には茶色い水溜りもできている。



「まあ、気にしないでよ。後で片付けるからさ」


 満月の「片付ける」宣言は半信半疑、いや、疑わしさの方が勝っていて、僕はすぐにでも台所を片付けたい衝動に襲われたが、冷めないうちに肉じゃがを食べてもらいたいという満月の気持ちも汲んで、テーブルについた。



 近くで見ると、肉じゃがのようなものは、やはり肉じゃがのようなものに過ぎなかった。

 

 つまり、断じて肉じゃがではなかったのである。

 

 じゃがいもとにんじんは、包丁で真っ二つに切られているだけである。これは象あたりを基準としない限り、到底一口大とは言えない。

 それから、お肉として用いられているものは、おそらく缶詰の焼き鳥だ。あまりのも手抜きだし、そもそも肉の種類が違う。



 僕は、形式上、手を合わせて、いただきますをしたものの、目の前の料理に口をつけることは躊躇われた。



「満月、失礼だけど、これ食べられるの?」


 僕は、試しにじゃがいもを箸で突いてみたものの、全く箸が通らなかった。

 煮えていないのである。



「はじめての料理だからさ。大目に見てよね」


「いや、だから、それ以前に食べれるのかどうかを訊いてるんだけど」


「そりゃ食べれるでしょ」


 そう言って満月は、じゃがいもを箸で掴み、大きく開けた口に放り込む。


 案の定、次の瞬間には満月はオエッとじゃがいもを吐き出していた。



「……ごめん。ちょっと火が足りてなかったかも。レンジでチンするから待ってて」


 立ち上がり、大皿を持とうとする満月の腕を、僕は慌てて掴む。



「満月、もう大丈夫。ありがとう。気持ちだけで十分だから」


 僕は大皿を台所まで運ぶと、中身をそのまま圧力鍋の中に移し替えた。

 大皿に残った汁を少し舐めてみると、コクがない割には塩味だけは異常に強かった。

 ここから肉じゃがとして「再生」するのは至難の業だろう。

 僕は、圧力鍋の中に、トマト缶と水を入れる。



「桔平、何してるの?」


「内緒。満月は自由に過ごしてていいよ」


 満月はようやく自らの失敗を認めたらしく、トボトボと寝室へと歩いて行った。





 30分後、満月の作った肉じゃがのようなものは、無事カレーへと生まれ変わった。


 カレーを煮込んでいる間、台所の片付けも完璧に済んでいる。



 スプーンでカレーを口に運んだ満月は、目を輝かせた。



「桔平、すごいよ! カレーだ!! 肉じゃががカレーになった!!」


「具材はほぼ一緒だしね。味付けもスパイスと塩さえあれば成立するし」


「桔平はやっぱり天才だよ!」


「料理の天才?」


「それもそうだけど」



 スプーンを動かすのをやめた満月が、僕の目をじっと見る。



「桔平は、私をフォローする天才」



 だって、と満月は続ける。



「私はいつもミスばっかりだけど、そんな私をいつもフォローして助けてくれるの。半人前の私だけど、桔平がいてはじめて一人前になれるんだ。今回だって、私のダメダメな肉じゃがを、桔平がこうして美味しいカレーにしてくれたわけだし」



 満月がそのように言ってくるのはもちろん嬉しい。ただ——



「私、桔平と出会えて良かったよ。桔平が助けてくれないと、私、生きていけないからさ」



 満月の両手が、僕の両手をギュッと握りしめる。



——やめてくれ。これ以上は言わないでくれ。



「桔平、これからも私のことをずっとよろしくね」



 僕は言葉を失った。


 僕は、少なくとも9日後には、満月をフっていなければならないのである。

 こんなことを言われてしまったら、ますます満月から離れがたくなってしまうではないか。

 これから先もずっと一緒にいたくなってしまうじゃないか。



 僕が、目に涙を浮かべた状態で何も言い返せなくなっているのを、どのように解釈したのか、満月は、


「9日後、結婚するのが楽しみだね」


と言って、テーブルに乗り出し、僕の頬にそっとキスをした。



 僕は思わず、


「そうだね。楽しみだね」


と返してしまう。



 神様にできることが、時間を巻き戻すことではなく、時間を止めることだったらよかったのに。


 時間を止めて、ずっと満月のそばにいられたらよかったのに。


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