料理をする満月⑴
平日は、僕も満月も互いに仕事をしている。
僕は法律事務所で事務員として勤務している。
自分で言うのも難だが、かなり優秀で、他の事務所から引き抜きの誘いは絶えないし、弁護士先生は、君なら絶対に受かると言って、司法試験の受験を勧めてくる。
もっとも、僕はこの職場が気に入っていた。
給料が悪くなかったこともあるし、何より、必ず定時で上がれることが最高である。僕は仕事よりもプライベートを優先したいタイプなのだ。
ゆえに、この職場から離れる気は一切なかったし、現に死ぬまでこの職場で働いていたのである。
満月はというと、いわゆるフリーライターであった。
たしかに満月は普段は抜けているところがあるが、文才は間違いなく持っていた。
そして何より、人懐っこい性格を生かした取材力が群を抜いていた。
どんなお堅い相手とも、すぐに友達のように打ち解けてしまう才能は、多分誰にも真似できない。僕が、満月を尊敬するところの一つだ。
僕が「やり直し」を始めてから、すでに10日が経過していた。
まだ満月に別れ話を切り出すことはできていない。一人でいるときは早く別れなきゃと考えているものの、いざ満月と相対すると、そんなこととは程遠い世界に連れて行かれてしまうのだ。
これもまた満月の才能かもしれないな、と僕は自分自身に言い訳をする。
今日も定時で仕事を上がった僕は、駅前のスーパーで食材の買い出しを行ってから、家に帰った。
いつも通り、満月は、寝室に置かれたデスクで原稿と格闘していた。格好はとてもラフなモコモコのパジャマである。
「満月、今日はオムライスでいい?」
「いいね! 大好物だよ!」
僕はやや猫背な姿勢でデスクトップに集中する満月の肩を後ろから揉むと、台所へと直行した。
「やり直し」が始まってから、僕は生前以上に料理に力を入れていた。
こうして満月に料理を振る舞うことができることももう数えるほどしかないからである。
さすがに甘やかしすぎかと思いつつも、ここ数日のメニューはすべて満月の好物ばかりである。
事情を知らない満月は、「毎日がスペシャルデーだね!」などと言って盛り上がっていた。
台所に立って料理を作っていると、色々な感情が湧き上がってくる。
タマネギをみじん切りしているせいではなく、涙も込み上げてくる。
作業工程が進み、どんどん料理が出来上がっていくにつれて、出来上がってしまうことが惜しくなってくる。
満月にはもっともっとたくさん美味しい物を食べさせてあげたかった。
「わあ、すごい! こんなオムライスはじめて見た!!」
僕が作ったオムライスを前にして、満月は目を丸くした。
決して大げさな反応ではない。
満月に振る舞う最後のオムライスなのだから、一皿に僕の叡智のすべてが結集している。
卵は黄身の大きい品種を使い、さらに、泡立て器を使って泡立てることにより、ふわふわとろとろとなっている。ソースは、デミグラスとトマトの2種類で、それぞれ半分ずつかけられている。無論、ソースもすべて手作りであり、トマトソースの方は果肉感もしっかり残してある。
「これは五つ星だわ」などと言いつつ、満月はあっという間にオムライスを平らげる。
そして、ニターっと幸せそうに笑う。
この表情を見ることが僕にとって何よりの報酬だった。
2年前に比べて僕が異様に料理に力を入れているからか、2年前にはなかったイベントが発生した。
「ねえ、桔平、明日は私が料理を作るよ」
「え??」
僕は耳を疑う。
生前、僕は満月が料理を作っているところなど一度も見たことがない。バレンタインデーのチョコレートだって、満月はデパ地下で買って済ませていたのである。
「だって、桔平、最近私にたくさん美味しいものを食べさせてくれてるからさ。恩返ししなきゃって思って」
「いいよ。無理しなくて。明日も僕が作るから。満月は仕事してなよ」
「ダメ。決めたの。明日は私が作るって。作るものも決めてあるんだ」
「何?」
「肉じゃが」
僕は「天国」にある「穴」から見ていた光景を思い出す。満月がじゃがいもを洗わず、皮も剥かずに包丁で一刀両断しようとしていた例の光景である。
思わず僕は身震いをする。
「満月、やめてよ」
「やめて!? 酷くない!?」
「いや、そういう意味じゃなくて、そんなに満月が食べたければ僕が肉じゃがを作るし」
「嫌なの。たまには私にも人肌脱がせてよ。もしかしたら隠れた才能があるかもしれないし」
そんなものは一切ないことは十分承知しているのであるが、最終的に、僕は満月の熱意に負けた。
人生ではじめて、満月の手作り料理をいただくことになったのである。