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4/20

悪びれる満月⑴

 背中を強く押されるような衝撃があり、その後に目を開けると、景色が一変していた。



 そこは「天国」ではなく、僕が住み慣れた家の寝室だったのである。


 

 僕はダブルベッドの中央に大の字で仰向けになっていた。


 1週間前まで使っていたベッドである。


 そのためか、生き返ったことの感動よりも先に、天井にかかっている蛍光灯が切れかかっていることへの心配が僕を襲った。替えの蛍光灯が家にあっただろうかとふと考えた僕であったが、さすがに2年前のストック状況までは記憶していなかったので,考えるのをやめた。



 僕はベッドから起き上がり、立ち上がると、寝室の様子を隅々まで観察した。

 住み慣れた家の寝室であるといえども、2年前の寝室なのである。

 直近の記憶とは異なっている点がいくつもあった。


 とりわけ僕の目を引いたのは、カレンダーである。


 2年前の年号が書かれたカレンダーには、満月が、マジックの手書きで、色々と予定を書き込んでいる。


 その一つに、「桔平と入籍♡」という記載があった。


 それは「10月30日」の欄に書かれている。


 この日は、僕と満月が交際を始めた記念日でもあった。



 僕は机の上に置いてあった僕の携帯で今日の日付を確認する。



 10月10日であった。


 つまり、今日は満月と結婚をする20日前なのである。


 僕は,今日から20日以内に、満月と別れを切り出さなきゃいけないということだ。

 

 だからといって、20日の猶予があると考えるのは良くないだろう。


 善は急げである。僕の人生ほどではないが、満月の人生にだって、同じように限りがあるのだ。1日でも早く満月を僕から解放してあげた方がいい。



 そんなに広い家ではないので、寝室はリビングをつながっている。

 満月が寝室にいないということは、きっとリビングにいるに違いない。


 僕は、大きく深呼吸をすると、リビングの扉を開けた。




 しかし、そこには満月の姿はなかった。



「おかしいな」


 僕は呟く。


 本日10月10日は日曜日である。

 

 同棲を始めた頃から、日曜日は、満月と一緒に出かけるか、もしくは、2人で家で過ごすと決めていたはずである。

 そもそも、甘えん坊で、一人行動が苦手な満月が、一人で出掛けるということ自体珍しい。



 念のため、トイレやお風呂場も確認したが、やはり満月の姿はなかった。



 僕は、入籍から20日前である今日に何があったのかを必死に思い出そうとする。満月が一人で出掛けるようなイベントが何かあっただろうかと。



 しかし、何も思いつくことはなかった。


 ということは、それは大したことではないということだろう。



 僕は、リビングのソファに腰掛けると、ふぅとため息を吐いた。



 正直、内心ホッとしていた。



 それが最善の行動だとは分かっていても、愛する女性に別れを切り出すのには、やはり色々と心の準備が要る。



 満月が帰ってくるのを待つ間、僕は思考を巡らす。



 どのような言葉で別れを告げるのが一番良いだろうか。



 僕が満月に嫌われるのは一向に構わない。

 それどころか、満月が1日も早く心を切り替えるためには、僕が悪者になった方がいいかもしれない。


 とすると、「ごめん。他に好きな人ができたんだ」というのが良いだろうか。


——いや、と僕は首を振る。


 学生時代に付き合っていた彼女に、浮気をされ、同じことを言われたが、そのときに僕はかなり傷付いた。

 

 「他に好きな人ができた」と告げることは、「あなたよりも良い人がいる」という意味なのである。


 今の時点で、満月とはすでに約2年間交際している。

 それにもかかわらず、満月よりも良い人がいることを僕が告げることは、約2年間にわたり満月が僕にしてくれたことを全て否定することにはならないか。

 満月の自信を喪失させ、満月から前向きさを奪うことにならないか。



 では、何か別のフり方があるだろうか。


 「実は僕には大きな病気があって、もう余命わずかなんだ。だから、別れて欲しい」というのはどうだろうか。


 これは現実にもそれなりに即しているし、これならば満月のこれまでの貢献を否定することにはならない。

 

 とはいえ、これを言われた満月は、果たして僕と別れてくれるだろうか。


 ポジティブな満月のことだから、「桔平くんなら大丈夫だよ!」とか「きっと来年くらいには新薬ができるよ!」とか言いそうな気がする。

 それに、病気であることの証明として診断書などを求められるようなことがあれば、もう太刀打ちはできない。



 しばらく考えてたが、なかなか名案は浮かんで来なかった。




 そうこうしているうちに、窓の外は一気に暗くなる。


 10月はまだ秋であるとはいえ、日は短く、まだ気温も低い。



 僕は未だ帰って来ない満月のことが徐々に心配になってきた。


 30分以上前に、「いつ帰ってくるの?」と送ったLINEには,既読すらつかない。



 僕の記憶する限り、満月が誘拐されたり、事故に巻き込まれたりということは一度もなかったから、僕の心配は杞憂なのだろう。


 とはいえ、僕が「やり直し」をしたことによって、何らかの因果に影響を与えてしまい、「風吹けば桶屋が儲かる」みたいに、満月の人生に変更が加わっている可能性もゼロではない。


 たとえば、先ほど僕が送った「いつ帰ってくるの?」というLINEを見てたら車に轢かれたとか。





 ガチャリと鍵が開く音がして、満月が帰ってきたのは、ちょうど僕が上着を着て、満月を探すために玄関から出ようとするタイミングだった。



「ただい……あれ、桔平、どうしてそこにいるの?」


 狭い玄関で鉢合わせをする2人。


 1週間ぶりの満月との再会が、あまりにも近い距離だったので、僕はドキッとする。


 「穴」から覗いてたときには見えなかったリップのツヤとか毛先の一本一本の動きだとか、そういったビビッドな情報が僕の脳に流れ込んでくる。


 わずか1週間の間に薄れてしまっていた感覚が蘇ってくる。


 そうだ。これが満月なんだ。


 これが僕の愛する妻なんだ。



「もしかして、桔平がワンちゃんになっちゃったの? 玄関まで迎えに来てさ」


「いや、そういうわけじゃ……」


 僕は恥ずかしくなって、満月から目を反らす。


 その様子を見て、満月は、うふふと笑った。




 リビングに上がった満月は、灰色のロングコートを羽織ったまま、先ほどまで僕が座っていたソファに沈み込んだ。



「外から帰ってきたら上着は脱ぎなよ」


「だって、桔平だって上着着てるじゃん」


「そうだけどさ……」


 僕は満月の方に手を差し出す。


 満月が脱いだコートを受け取ると、自分の上着と一緒にハンガーに掛け、クローゼットにしまう。


 こうした小さな世話が、とても懐かしく、そして愛おしかった。

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