表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/20

絶望する満月

 僕が死んでから1週間が経ったが、「天国」の僕は相変わらず「穴」から満月の様子を覗き込む毎日だった。



 僕に前を向かせることをすっかり諦めた母は、朝と晩に1回ずつ僕のところに来て、挨拶代わりに、「随分と愛妻家なのね」と嫌味を言う以外には、あまり僕に絡まないようになってきた。

 それは僕の満月観察にとって好都合だったことは言うまでもない。



 1週間が経っても、僕の方は相変わらずだったが、満月の方はそうではなかった。



 日に日に痩せていき、見るからに弱っていき、ぼーっと物思いにふける時間が増えたのである。



 今日に関しては、満月は、目を覚ましていながらも、一度もベッドから出てきていない。律が喚くように泣いているにもかかわらず、である。



「満月、大丈夫かな……」


 僕は独り言を言う。

 僕が生きている間は、満月は、その名前のとおり、常に明るくて、天真爛漫な子であった。塞ぎ込む場面などほとんど見たことがない。


 満月がこのようになってしまったのは、間違いなく、夫である僕が早死にしてしまったせいなのである。


 僕は満月のことがとても心配であり、また、満月に対して心から申し訳ない気持ちになった。




 満月が最悪の選択をしたのは、その日の夕方だった。



 ついにベッドから出てきた満月は、ベビーベッドで泣いている律を抱きかかえると、台所に向かった。



 そして、シンクの下の引き出しから、ガスの管を取り出すと、あろうことか、それをハサミで切断したのである。



「おい! バカ! やめろ! 早まるな!!」


 ハッとした僕は「穴」に向かって叫んだが、もちろんいくら大声を出しても、「この世」に声が届くわけがない。


 満月は、大泣きする律を抱えながら、しゃがみ込むと、そのまま目を瞑って動かなくなった。



 満月は、律と、心中を図ったのである。



 満月の目から大粒の涙が溢れる。



「私、桔平がいないと生きていけないよ……。桔平待っててね。今行くね」


 言わずもがな、僕は、「天国」で満月と律と再会することなど、少しも望んでいない。


 僕は、満月には、僕なしでも生き抜いて欲しいのである。


 再婚したって構わないし、僕のことをサッパリ忘れてくれても構わない。


 とにかく律とともに強く生き続けて欲しいのだ。



 そんなものはないとは分かっていつつも、僕は、何か手段はないかと思索する。

 なんとかして、死んでいながらも、「この世」に影響力を行使する方法はないかと。

 

 満月は知らないようだが、現代の都市ガスには一酸化炭素は含まれていないし、安全装置もあるため、ガスを吸い込んで死ぬことはできない。


 とはいえ、満月と律が安全かというとそうではない。

 ガスが充満した状態で、もし何かのきっかけで火が点いてしまえば、大爆発が起きる。

 そうなれば、2人は無事ではいられないだろう。


 満月には、部屋を換気した上で、一刻も早く部屋から出て欲しかった。



 死んだら何もかもおしまいなのである。

 生きてればまた希望を見つけられる。



 しかし、いくら叫んでも僕の声は満月に届くわけではないし、僕が満月に代わって119番通報をできるわけでもなかった。


 僕にできることは、律を抱きしめながら震える満月をただただ見守ることだけだった。部屋が大爆発しないことを祈りつつ。





 結果としては、満月も律も無事であった。


 なぜなら、満月の「ミス」で、部屋の戸締りがしっかりされておらず、1箇所開けっ放しの窓があったからである。


 その窓の近くを通った近隣住民が、ガスの異臭に気付き、警察に通報してくれたのだ。


 僕は、満月のおっちょこちょいなところに、このときばかりは心から感謝した。




「危うくみっちゃんと律君もここに来ちゃうところだったね」


 事態が収束してから、母が僕を冷やかしに来る。



「よほどの仲良し夫婦なのね。わざわざ天国まで夫に会いに行こうだなんて」


「やめてよ。冗談じゃない」


「本当は桔平もみっちゃんに会いたかったんじゃない?」


「母さん、僕をからかうためだけに来たんだったら、さっさと帰ってよ」


 僕は、母に向かって、手でシッシとやる。



「違うわよ。ちゃんと桔平に用があって来たのよ」


「用? 何の用?」


「実はね、神様が桔平のことを探してるのよ。それで神様に頼まれて呼びに来たの」


「神様?」


 この「天国」には神様がいる、ということは、なんとなく聞いていた。

 もっとも、僕は会ったことも見たこともないし、一体神様がどういう存在なのか分かっていなかった。おそらく相当偉いんだろうくらいの想像はつくが。



「神様ってどういう人なの? っていうか、人じゃない何かなの?」


「さあ。私も初めて見たからよく分からないんだけど、見た目は人だったわ」


「で、その神様が僕ごときに何の用なの?」


「さあ。私は何も聞いてないわ。とにかく行っておいでよ。そこにいる天使が道案内してくれるって」


 僕は母が指差した方を見ると、たしかに天使が待っていて、僕と母とのやりとりをじっと見ていた。

 天使も初めて見たが、見た目は完全に人間だった。



 満月と律は、今、警察に保護され、大きい病院に連れて来られている。ひとまずは、目を離していても平気な状態だろう。



 僕は立ち上がると、天使の方へと小走りで向かった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ