依存する満月
今度こそ「善は急げ」で、僕は満月にすべてを告白した翌日、満月と一緒に役所に行き、婚姻届を提出した。
僕は、満月の戸籍を汚したくはなかったので、「事実婚でも構わない」と言ったが、むしろ満月は、「私の戸籍に桔平の名前がいつまでも載っていた方がいい」と言った。
「そっちの方が心強い」と。
さらに、夫婦の名字に関しても、僕は満月の姓である谷田にすることを提案したが、満月の希望により、僕の姓である安永とした。
役所からの帰り道、僕は、婚約破棄をする以前の予定通り、満月を、回らないお寿司に連れて行こうとしたが、満月は拒絶した。
「どうして? 満月、お寿司嫌いなの?」
「好きだよ。でも、私、同じようには行動したくないの」
「同じように? どういう意味?」
「だって、桔平にとっては、2回目の私との結婚生活なわけでしょ? 律を産むことはともかく、それ以外は1回目と同じように過ごしたくないの。そうじゃないと、桔平が2回も生きる意味がないでしょ?」
ベッドの中で僕の舌を噛んだ満月は、僕に対し、「桔平は、残りの人生を、桔平自身のために生きるの!!」と怒った。
その意味が、まさにこれだったのである。
満月は、僕にとっての2回目の結婚生活を、僕にとって有意義なものにするべく、1回目との重複を避けたかったのである
そうすれば、僕から見れば、元の2倍である約4年間分、結婚生活を満喫することができるだろう、と満月は考えたのだ。
この満月の考えに基づいて、僕にとっては2回目、そして満月にとっては最初で最後である、2人の結婚生活は幕を開けた。
1回目の新婚旅行は、ハワイだった。
そのことを満月に伝えると、満月は、「じゃあ、2回目は別の場所にしよう」と言って、旅行代理店からたくさんパンフレットをもらってきた。
とはいえ、僕は、満月がハワイでの新婚旅行に憧れていることを十分知っている。
だから、僕は、ハワイ島に行くことを提案した。
キラウェア火山に代表されるように、自然溢れる島である。
1回目の新婚旅行では、同じハワイ州でも、観光都市であるホノルルのあるオアフ島に行ったため、これならば場所は重複しない。
満月は、僕の提案を快く受け入れた。
そして、ちょうど新婚旅行で一番良いホテルに泊まった晩が、律を授かれる日だった。
まん丸の月が浮かぶ夜、僕は満月の身体に、僕の遺伝子を注いだ。
1回目の結婚生活は、フォトウェディングで済ませてしまっていたため、2回目の結婚生活では、ちゃんと式を挙げることにした。
「どうせすぐ死んじゃうから」と僕は遠慮し、わずかな親族だけを招こうとしたのだが、満月は、「だからこそ盛大にやるんだよ」と言って、知らぬ間に大きな会場を予約してきた。
そして、満月主導の下、僕と満月の友人、そして仕事仲間も含む100人以上を招待し、結婚式は仰々しく行われた。
なんだかんだで僕は満月に感謝していた。
招待客のほとんどが、僕がもう二度と会うことのできない人たちだった。
僕は彼らのコップに丁寧にビールを注ぎながら、今までの御礼をすべて伝えた。
生まれるまではハラハラだったが、病院での出産に立ち会った僕は、生まれてきた赤ちゃんの顔を見て、それが律であるとすぐに分かった。
だから、出産直後の息も絶え絶えな満月に向かって、「律だよ!」と叫んだ。
満月は痛みで顔を引きつらせながらも、「やったね」と笑って見せた。
僕は再び、満月と律と3人家族になれた。
そして、「そんなの余計なお世話だよ。私、桔平がいなくてもちゃんと生きていけるもん」というベッドの上での満月の言葉には、それなりの覚悟があったようだ。
僕を安心させるために、1回目の結婚生活のときとは違い、満月は、料理も、掃除も、洗濯も、育児も、積極的に引き受けていた。
もっとも、満月は生まれつき家事が苦手と見える。覚えは遅かったし、出来も完璧とまではいえなかった。
しかし、それでも、僕が手取り足取り教えたこともあり、満月の家事は日々上達しており、1回目の結婚生活のときとはあまりにも見違えた。
これならもう満月が「ダメ女」と後ろ指さされるようなこともないだろう。
これなら僕がいなくなっても平気だな、と思った。
そして、幸せな時間はあっという間に流れ、ついに僕が心臓発作で死んでしまう日がやってきた。
その日は平日で、1回目の人生のときには、僕はいつもどおり仕事に行っていた。
そして、お昼休みに、事務所の近くの定食屋に入ろうとしたところで、急に胸が痛くなり、そのまま逝ってしまったのである。
死亡時刻は、12時5分。
あまりに突然に死んでしまったため、僕は、最期に満月と律と会えなかったことも心残りだった。
だから、2回目の人生では、僕は最期の日を満月と律と過ごすと決めていたし、満月も当然にそのことを望んだ。
大切な日ではあったが、まさかパーティーをするわけにもいかなかった。
僕も満月も、まるで今日が何も起こらない日かように、努めていつも通りに振る舞った。
2人でコーヒーを飲んだり、ハイハイがだいぶサマになってきた律と遊んだりして、のんびり過ごした。
それでも時の流れまではゆっくりになるということはなく、あっという間に長針と秒針が揃った時計の鐘が鳴り、僕がこの世に別れを告げる5分前となった。
ゴーン、ゴーンという鐘の音とともに、真っ赤な目をした満月が僕に抱きついてきた。
その瞬間、僕の涙腺も崩壊する。
「桔平、やっぱり嫌だよ。お別れしたくないよ……」
「……満月……」
「私、桔平がいないとダメなの。私、ダメ女だから」
「今の満月は、ダメ女なんかじゃないよ。僕がいなくたって大丈夫」
「ううん。そんなことない。私、桔平がいれば頑張れるけど、桔平がいなくちゃ何もできないの。生きていけない」
「それは言わない約束でしょ。満月は、僕なしでも、律と一緒に強く生き抜くんだよ。そうしないと、僕も死にきれないから」
「いいよ。死ななくて」
「だからさ」
僕は満月の頭を優しく撫でる。
こうして満月に触れることができるのも、もう数分しかない。
心なしか左胸に圧迫感を感じる。
たしか1回目の人生が終わるときにも、同じような違和感を感じ、それが突然激痛へと変わったのだ。
「桔平、約束して」
「何を?」
「『天国』に行っても、私のことをずっと見守ってくれるって」
「……もちろん」
言われなくてもそのつもりだった。蘇る前と同様に、僕は「穴」からずっと満月を見守っていようと思っていた。
「絶対だよ。私、桔平が見守ってくれてないと、またダメ女に戻っちゃうから」
「……分かった。ひとときも目を離さずに見守ってるよ」
だけど、と僕は続ける。
「もし満月が、僕以外の素敵な人と出会ったら、僕に気を遣わないで、その人と一緒になって欲しい。一人で生きていくというのは大変だからさ」
「一人じゃないもん!!」
満月は、僕を抱きしめたまま、僕の背中をポカポカと叩く。
「律がいるし」
それに,と満月は続ける。
「私は桔平が死んでも、ずっと桔平の奥さんだからね。ずっと安永満月だから」
「満月……」
「桔平もいつまでも私の旦那さんだから、私が死んで『天国』に行くまで、ずっと私のことを好きでいてね。桔平の方こそ、『天国』で他の女に浮気したら許さないからね」
「それはないよ」
「だから私も絶対に浮気しないから!」
満月がそう言い張るのであれば、僕としてはもちろん異論はない。
先ほどはカッコつけたが,実際に満月が他の男とくっつくようなことがあれば、僕は『天国』で発狂しかねない。
胸の圧迫感はジワジワと痛みに変わってきた。
あと1分足らずで、僕は死んでしまうに違いない。
僕が苦痛で顔を歪めたのを見て、満月も、お別れの時間がすぐ近くまで迫っていることを悟った。
「桔平、私はもう桔平に直接『愛してる』って言えないけど、いつまでも桔平のことを愛しているよ」
「……僕も……そ……そうだよ」
息が苦しい。言葉を思い通りに発することがきない。
「桔平、『天国』ってどこにあるの?」
僕は痛みをこらえながら、天井の方を指差す。
「そっか。教えてくれてありがとう」
もうダメだ。激痛とともに、意識が遠のいていく。
力が抜けていく僕の身体を支えながら、満月は僕のほっぺにキスをする。このキスの温度は「天国」に行っても絶対に忘れないだろう。
そして、僕の意識が消えかかる中,満月が最後に僕に投げかけた言葉は、
「今までありがとう」
と
「これからもよろしくね」
だった。




